同居人は酒呑童子 ~サラリーマンと呑み助鬼、まったりお酒ライフ~

六畳のえる

第1章 同居、始まる

1杯目 出会い酒 ~レモンサワー~

1.マンション前に、彼はいた

『定時であがれたから、ラーメン屋で発泡酒飲んで、漫喫行ってきた。気になってたDystopia Gate一気読み』


 駅に向かいながら送ると、澄果すみかからすぐにスタンプが届き、続けて写真と返信メッセージが来た。


『花金らしくていいね! こっちは高校の友達とチーズフォンデュ』

『何それ羨ましい。俺もいつか行きたい。楽しんどいで』

『ありがと。次のご飯の場所、後で決めようね! まったねー!』


 スマホをジャケットのポケットにしまう。

 まだ9月下旬とはいえ、例年の残暑の気配はなく、夜はYシャツだと肌寒いくらい。改札をくぐる女性も、秋色のコーディネートが目立つ。


『doping robot 新曲』


 動画を検索して、イヤホンをはめる。酔っ払いの増えた電車の喧騒も気にならない、自分だけの世界がLとRから流れた。



 会社員の一人暮らし、予定のない金曜は、自由で気楽だ。明日から休みという解放感、夜まで自由に過ごしても良い背徳感、その全部が自分の中でふわふわと舞い上がり、心と足取りを軽くする。

 特にオタクってわけでもないけど、漫喫に行ってリクライニングでゆっくり漫画を読むのも、3時間1000円の手頃な幸せ。



 春見はるみ夕晴ゆうせい、30才。いっぱしに社会人、やってます。




「今日は歩いてみる、か」

 最寄りの一駅手前で降り、誰に聞かせるわけでもなく呟く。



 大学生の頃は、たまに都内に遊びに来るとしても若者の街で洋服買うかチェーンの飲み屋に行くばかりで、人の多さとビルの多さしか印象になかった。


 でもこうして住んでみると、洗練された自然が多いことにも気づく。夜のジョギングをしてる人とすれ違いながら、川沿いを散歩して家に向かった。


「よし、もういっちょ飲むとするか!」


 発泡酒も手伝い、マンションが見えたところで、ついテンションが上がって宣言してしまう。



「いやあ、金曜は最高——」


 そこで、続きの言葉は音を無くした。


 マンションのエントランスの前にある、円筒形で囲われた小さな空きスペース。見た目20歳くらいの、男子がそこに腰掛けて、500mlペットボトルより大きい酒瓶からお猪口に酒を注いでいた。



 服装は白い着物。足の方を見る限り、袴ではなさそう。裾の方はややグレーになっていて、波か蔓のように渦を巻いた金縁の模様がついている。


 足元は靴ではなく、白い足袋と畳のような素材の雪駄せった。横には、麻の葉のような六角形模様が入った若葉色の風呂敷を置いていた。



「………………」


 目があったが、黙ったまま軽く会釈してオートロックの入口に入る。こんな場所であんな格好で酒を飲んでるなんて、絶対普通の人じゃない。変に絡まない方が身のためだ。


 エレベーターで4を押し、緊張が解けて大きく息を吐いた。



「綺っ……麗な顔だったなあ」


 そう、おそらく男子、と言ったのもそれが理由。


 イケメンという言葉では表現しきれない、やや浮世離れした感のある美少年。黒髪と着物は日本人っぽいが、顔立ちは10代後半の海外ハリウッド女優のよう。


 そんな子がマンションの入口でまったりとさかずきを傾けているのは、妖しい魅力を纏った不思議な光景だった。



 ***



 部屋に入って時計を見ると22時半。あと3~4時間は好きに過ごせて、明日は何時に起きてもいいという幸福に、心は夏休み中の子どものように浮かれる。


 部屋着に着替えてから1本発泡酒を開け、寝室のベッドにスマホと一緒に飛び込んだ。駅から少し遠いけど、そのおかげで1LDKに住めたし、念願のダブルベッドに替えられたと思えば、徒歩13分の距離なんて運動の時間と前向きに捉えられる。


 SNSを見て、WEBの漫画を読んで、海外ドラマを1話見て、今度行くデートの場所を探す。バズってる動画を見たりして、敢えて時間を無駄に使うのが堪らなく贅沢。



「……よし、夜食食べちゃおう!」


 ここで更なる贅沢の重ね掛け。料理の作り置きはないし、太るとか気にしたくないし、お酒だってもう少し飲みたいし、外に買いに行くことにした。徒歩2分にコンビニがあるのは、1人暮らし男子にとっては理想の環境。


 そうしてエントランスを出て、小さく声を漏らしてしまった。


「あ…………」


 さっきの美少年がいる。まだ酒を飲んでいる。


 

 ちょっと待て、あれから2時間は経ってるぞ。瓶も多分さっきとは違う。ってことは、ここでずっと飲み続けてるってことか。


 なんだろう、ここの住人とケンカして追い出されたりしてるのかな? ひょっとして家出? いわゆる神待ちってやつか? いや、そんなヤツが酒を飲んだりしないだろう。


 一瞬だけ目が合ったけど、不思議な印象だったな。楽しそうに酒を飲んでるように見えた。見えたけど、何故だかどこか寂しそうな雰囲気も持ち合わせている。大丈夫だろうか、自死とか考えていないか。



 あれこれ思考を巡らせながらコンビニで買い物。

 いちおう健康を考えて、弁当ではなくサラダチキンにした。レモンサワーのロング缶2本とチー鱈も買って、プシュッと缶を開けながら帰る。


 そこで、鍵を取り出す前に。


「……どうしたんですか? 締め出されちゃった、とか?」


 アルコールを注入した勢いで、声をかけてしまった。座って飲んでいた彼は、フッとこちらを見上げる。切れ長で、それでいてぱっちりとした奥二重の目に、同性と言えど軽く息を飲んだ。


「ああ、泊まる場所ねーんだ、僕」


 中性的な声で笑う。言葉遣いは、今の若い子っぽい。それにしても本当に綺麗な顔——


「ねえ、泊めてくんねーか? 体貸してあげるからさ」

「なっ……なん……っ!」


 ニヤニヤとこっちを見る彼に、動揺で顔が熱くなる。


 なんだこいつ、そういうビジネスか? いや、何はともあれまずは断らないと……。 


「いや、その、俺、彼女、いるから……」

 しどろもどろの返答に、彼は「くはっ!」と再び笑った。


「悪いな、もともとそういう趣味はねーよ。体の件は冗談だけど、泊まるところがねーのはホントなんだ。さすがにこの時間になってくると、この恰好じゃ寒いな」


 ちょうど空になったらしい2本目の酒瓶をビニール袋にしまい、彼はゆっくりと立ち上がる。俺より10センチ以上低い、160代前半くらいの小柄な青年。


 髪型も中性的な、黒髪のショートボブ。かなりいてる前髪から綺麗なおでこと細い眉がチラリと見える。


「何もしねーから、今日だけ泊めてくれよ。晩酌の話相手くらいしてやるからさ」


 開いてる缶を指され、体云々の会話のせいで軽く頭がフリーズしていた俺の口が、勝手に開く。


「え、あ……お、おう。寒い……しな」


 そしてこの選択が、俺の人生を、少しだけ不思議なものに変えていく。




「へえ、結構広い部屋だな」


 先に俺がリビングに入ってローテーブルにコンビニ袋を置き、続いて彼がリング状の持ち手をつけた風呂敷を提げて入ってくる。適当に座って、と促す前に、ソファにバフッと飛び込んだ。



「ここで過ごせるなら十分だ。ありがとな、えっと、名前……?」

春見はるみ夕晴ゆうせいだ」

「ユーセイな、助かったぜ」


 首をぐいっと持ち上げ、ニイッと笑う。端正な顔立ちの分、こうして相好を崩すと、ギャップすごい。並の女子なら瞬殺じゃないだろうか。


「お前の名前も聞いて——」

「なあ、喉渇いた。酒が飲みたい」

「今まで飲んでただろ」


 俺の話を遮って酒を要求する彼に呆れながら返す。こいつ、相当な呑み助だな……。


「なんか入ってる?」

「おいこら、勝手に開けるな」


 軽快なステップで冷蔵庫の扉を開け、すぐにソファを奪還した俺の方を見て落胆する。


「ドレッシングとお茶しか入ってねーぞ」

「だからさっき買ってきたんだっての」

「あ、開いてないのあるじゃねーか! 僕にも飲ませろよ」

「ったく、仕方ないな……」


 意気揚々と彼が持ってきたグラスに、2本目のロング缶を開けて注ぐ。俺の手元には、まだかなり残っている1本目の缶。


「それじゃあ、ユーセイとの出会いに乾杯!」

「……よく分からないけど、乾杯」


 缶とグラスをぶつける。カツンと軽い音が部屋に響いた。


 夕飯のラーメンで脂っこくなっていた口をスッキリさせるレモンサワー。果汁の風味が強くて、アルコール感が少ない。飲んだ後に鼻から抜ける酸味も心地いい。



「おおっ、なかなか美味い酒だな。レモンの渋みもちゃんと出てるから、単純に酸っぱくて甘いだけじゃないね」


 あっという間にグラスを干し、お替りを注ごうとしている彼に、俺はふと気になることを聞いてみた。


「お前さ、未成年じゃないのか」


 その質問に、「いいや」と真顔で首を振る。


「1000歳くらいじゃん。詳しく覚えてねーや」

「何だよそれ」



 酔ったうえでの冗談かと思って苦笑した俺をまっすぐ見ながら、彼は口を開いた。


「僕、酒呑童子なんだよね」

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