第7話 赤毛の傭将〈下〉


「おらぁッ!」


 目つきの鋭い盗賊が、刃の欠けた長剣を振り下ろす。力に任せた、上方からの斜め斬り。憤撃とも呼ばれる初歩的な技である。切っ先を向けられた青年は難なくその軌道を読み切って、自らが持つ大剣ツヴァイヘンダー鍔迫り合いバインドさせる。火花が散り、それからしばらく競り合う。すると突然、青年は大剣に入れていた力をふっと逃がした。力尽きたか、と油断した盗賊はそのまま押し切ろうと剣を握る手にますます力を入れる。

 しかし。そうしたが最後。青年は大剣を鍔迫っていた反対側に持っていき、流れるような動きで左足で斜めに踏み込みながら盗賊の頭部を捉えた。一瞬のことである。


「な……ッ」


 五フース(約一・五メートル)の大剣など、個人戦で容易に扱えるものでは無い。すぐに隙を見せるはずだ。数秒前にはそう思っていたであろう盗賊の頭蓋が、文字通りに粉砕される。禿かかった天頂から赤みがかった何かが露出したかと思うと、ぶにょっとした固形物とどろどろとした液体を撒き散らしながら、盗賊は地に倒れた。

 あまりにも規格外で、理不尽なる一撃。その斬撃を繰り出した赤毛の青年は、ざっとこんなもんよと言わんばかりに大剣を軽々しく振り回しながら、満足げに目を細めた。動きが一瞬だけ静止する。だが、戦っていたのはこの二人だけではない。

 背後に詰め寄った別の盗賊が半剣を持って、青年を突き刺さんと迫った。


「よそ見してんじゃねぇよ、ジグムント!」


 そこに颯爽と現れるは茶髪の少年。身長は五フースにも満たないぐらいの小柄で、しかし逆手で巧みに操られた二丁のダガーは半剣を吹き飛ばし、振り戻す動作で盗賊の腕を突き刺して横一文字に斬り刻む。一切の躊躇なく前腕を挽き肉にされた盗賊はとどめに少年の蹴りをお見舞いされる。本来ダガーは片手で一丁だけ扱い、もう片方の手は防御用に使うというのに、この少年は全てを攻撃の為に注いでいるのだ。

 小柄であるからこそ、相手の懐に入っての素早い攻撃。

 傭兵であるからこそ、情けなど微塵も無い疾風怒濤の攻撃。


「おう、すまねぇ。ちょっと考え事をな」


「はぁ!? 今の状況分かってんのか、さんよ!」


 背中を互いに預け合いながら、青年ジグムントと少年ゲルトは会話を織り成す。周囲には十人、いや二十人を超える盗賊がいるというのに、彼らはいつもと変わらない応酬を続けるのだ。それと同時に、青年はこれまでの経緯を軽く思い返す。

 最初に入った家から早速、盗賊が隠れていて彼らと応戦することになった。しかしその騒ぎを聞きつけた他の盗賊共が集まってきたので、住居を包囲される前に外へ出た。それからは逃げながら戦い続け、今や袋小路まで追い詰められてしまったというわけだ。いや、逆に追い詰められて良かったのかもしれない。

 袋小路なら四方ではなく、三方を二人で補い合いながら、一人ずつ斬り伏せれば済む。とはいえいつまでも維持できる状況でないことは分かっている。三方から押し切るのが無理ならば、単純明快。回り込んで四方向目を作り出せば良い。盗賊の側にはそれを実行できるだけの人数がいるし、増援を呼ぶことだってできるだろう。


「ははっ、ちょっと調子に乗りすぎたか。あの家で派手に殺しちまったからなぁ」


「全くだ。あんな物音立てりゃ、昼眠る夜盗も起きちまうぜ! 後先考えない奴!」


 わざとか天然か、相手の調子を狂わせるようなことばかり言いながら大剣を振るうジグムントと。それに対して悪態を付きながらも、盗賊の身体にダガーを突き立てることは止めないゲルト。相性が良いんだか悪いんだか、と二人して思う。


「けど、やべぇぞ……。どうにかしてここを切り抜けねぇと」


「……策はある。とりあえず耐え凌げ」


 冗談めいた会話は自然と断ち切られ、声音を低くした二人は直接伝え合うことも要せずに両者間の距離を開く。耐え凌ぐ、その言葉の響きとは全く逆の行動。

 背中を預け合っていた二人が一歩二歩と前進し、じりじりと目の前にいる盗賊共を小路の脇へと追い詰める。しかしそれによって空いた彼らの背中を、盗賊共が見過ごすはずもない。これは好機とばかりに一人二人と飛び出していく盗賊たちを見て、後方から彼らを統率しているらしい屈強な男が何かを予感したように叫ぶ。


「ッ……待て! 奴ら何か企ん……」


「—―――おせーよ、バーカ」


 ジグムントとゲルトの間に二人の盗賊が入り込み、手に持ったナイフで攻めかける。しかしジグムントは一切恐怖の色を見せず、意味深に呟く。

 かと思えば即座に、右足を強く踏み込んで腰を落とし。

 ぐわん、と体ごと勢い良く大剣を半月状に回転させた。もはや斬る為ではない。

 鈍器を人間という肉の塊に押し付け、正真正銘の肉塊に変える為の回転斬り。

 青年の目の前にいた盗賊も、背後にいた二人の盗賊も、剣による防御など何の意味もなさず、成す術なく振り飛ばされ、地にくずおれる。ゲルトも眼前で放心状態になっていた盗賊の頸にダガーを突き刺して、再び青年との距離を戻す。

 一瞬で四人を葬り去った二人の傭兵の様子に、盗賊たちが浮足立つ。

 耐え凌ぐというと、二人で背中をぴったり離れないようにして、相手の攻撃をいなし続けることばかり考える。しかしそれではジリ貧だとゲルトも分かっていた。

 数的劣勢の中で、ほんの少しでも長く耐え凌ぐなら。

 一時的にでも、相手に数的優勢を忘れさせる衝撃を与えてやれば良い。

 理不尽な一撃を、相手を誘い込んだ状態で、ここぞという時に放つのだ。

 生き残る為には、攻め続けなくてはならない。それが彼ら傭兵の流儀だった。


「クソ、増援を呼んで来い! こいつらを逃がしたとに伝われば……」


 近くの部下に声を荒げる盗賊共の頭目は、どうも焦っているようだった。彼の浅黒い肌に浮かぶ玉の汗は焦燥と、恐怖さえも包含しているようだった。しかし彼は二十、いやそれ以上の数の盗賊を束ねる大頭目だ。この小さな街区で、他に何を恐れることがあるのだろうか。それはともかくとして。

 増援さえ呼べば、数で押し切れば、何とかなる。

 そんな彼の甘い推測は、袋小路の入り口の方から聞こえる声に掻き消された。


「誰だか知らぬが、助けに参ったぞ!」


 その声は、少年のものだった。声変わり途中の、少し枯れた高音。

 盗賊共も一斉に振り返って、袋小路の入り口の方を見た。やがて、誰かが叫ぶ。


「さ、災厄の皇子だ!」


 その渾名を聞いても、盗賊共は強くは驚かない。この街区に〈災厄の皇子〉が住んでいることなど百も承知。一般庶民ならともかく、泣く子も黙る盗賊の一味が恐れるはずのない相手だ。かといっても現れれば警戒せざるを得ない相手でもある。

 盗賊共の表情は硬くなる。一方、ジグムントは占めたとばかりに笑う。


「アンタが災厄の皇子か! いやあ助かったぜ、早く来てく……」


「お前には関係ないことだろう、災厄の皇子!」


 ジグムントの声を遮るように、盗賊の頭目は吠えた。街区に紛れ込んだ二人の一般人を盗賊らしくなぶり殺しにしているだけだ、お前は帰れ、と。

 しかしそんなことはお構いなく、段々と青年たちの方へ近づいてくるディアーク。純白のマントを付けているが、武器となるような物は何も持っていないようだった。

 そして、少年の後ろにぴったりと付いてくるのは深緑色の髪を持った従士ラインハルト。左腰に両用剣バスタードソードを差しているのは普通の騎士と同じだが、今の彼は右手にある物を握っていた。それを見て、ゲルトは驚きの声を上げる。


「お、おい! それ、俺が背負ってた翼槍スペトゥムじゃねぇか!」


 従士は顔色を変えることなく、穂先の根本から翼のような刃が伸びた槍を構えた。ディアークの斜め前に立って、両腕で翼槍を頭の高さまで持っていく。穂先と目線はまっすぐ盗賊共の方に向けながら。高貴なる〈Finestra〉の構えである。

 完全に臨戦態勢を取る従士の姿に、盗賊たちは困惑している様子だ。

 集中していて口を開くことの無いラインハルトに代わって、ディアークが言った。


「街区の入り口あたりに落ちていたから、我が従士が拾ったのだ」


「……おい、ゲルト。まさか気付かなかったのか?」


 ジグムントの呆れたような声に、ゲルトは「やべっ」と声を漏らす。最初に入った住居を出てから必死に盗賊共の攻撃を凌いでいたので、背中から滑り落ちていることに気を回している暇など無かったのだ。まあそれは良いかと肩をすくめてから、赤毛の青年は再びディアークに助力を求める。


「災厄の皇子! 俺は参事会の命令で盗賊狩りに来たもんだ! 加勢を頼むぜ!」


「ハッ、笑わせる! 災厄の皇子が貴様らに手を貸す道理などあるか!」


 ジグムントが喋るのに呼応して、またも盗賊の頭目が下卑た目をして怒鳴る。しかし彼の言うことは真っ当だ。参事会という公権力がジグムントの側に付いているからといって〈災厄の皇子〉が青年を助けなくてはならない理由など無い。そもそもディアーク自身が帝室という最大の公権力から疎外された、いわば最大の反社会分子なのだから。更に身も蓋も無いことを言ってしまえば、ジグムント達を助けたところで何の金の足しにもならないのだ。命の危険を冒してまで彼らを助ける意味が無い。


「おうい、災厄の皇子! こんな奴ら守る意味無ぇって分かってんなら、そいつの槍を下ろさせて寝床へ帰れ! それとも何か? 丸腰で俺らと戦おうってのかぁ!?」


 今までの会話を聞いても一切構えを解こうとしないラインハルトに苛立った様子の頭目は、ずんずんとディアークの前まで長剣をちらつかせながら歩いてきた。

 二エーレelle(約一・八メートル)を優に超える巨躯を持つ頭目は、自身の胸あたりまでの身長しかない少年を完全に舐めきっている様子だ。黒髪に紅い瞳を持つ呪われた皇子、確かに不気味ではあるがそれだけではないか、と。

 頭目は更に調子付いて、ディアークの眼前に長剣の刃先を見せつける。


「俺達が怖ぇなら、とっと尻尾撒いて逃げ……」


「—―――黙れ、屑が」


 頭目が言い終わる前に、ディアークは突き付けられた刃先を左手で握った。 

 何の躊躇もなく、更に強く、強く、握りしめる。

 掌からぼたぼたと紅血が零れ落ちて、地面を赤黒く染める。長剣の表刃を伝って、つばの方にまで血が流れていく。その場にいたディアーク以外の全員が、彼のしたことを理解できなかった。やられている当人の頭目も「な、何を……」と狼狽える。

 するとディアークはその左手を離し、空中でそれを少し右に傾ける。それから一気に、反時計方向にのである。少年の紅眼が、輝きを増す。

 刹那。


「ぐ……ぐあぁぁぁぁッ!」


 血飛沫ちしぶきが上がる。

 ディアークの前にいた、頭目の顔面から。

 まるでディアークが廻した掌が、傭兵の頬から眼球、そしてまた頬へと至る半月状の部分を抉り取ったかのように。頭目の二つの眼球が地に堕ちる。その様を見ながら、ゼバルドゥスが死んだ時も同じような情景だったなとふと追想した。

 だが、ここで物思いに耽る時間は無い。ディアークは低い声で告げた。


「そこの二人に手を貸す道理は無いが。……貴様らには罪を償う道理があろう」


 ディアークは、血に塗れた自身の左手を見た。

 地面にうずくまって「光はどこか」と呻く、先ほどまで頭目だった男を見た。

 そして残された、二十人近くの盗賊共を見た。

 彼らはハッと我に返ったかと思うと、口々に「頭目の仇だ」と言って少年の方へ走ってきた。もはや盗賊団としての統率も何も無い、ただの暴徒だ。何も失うものなど無い、捨て身の攻撃であるからこそ恐ろしい。


「…………」


 そんな彼らの突撃を全て、不動の構えを敷いていたラインハルトが受け止める。ディアークに背中を見せながら、次々と襲い掛かる盗賊共の得物を翼槍で受け流し、払いのけ、一度の反撃だけで仕留めていく。盗賊の武器はまちまちで、その全てに対処するには間合いの取り方にかなり熟練していなければならない。

 しかもラインハルトの得物は、さっき拾った翼槍だ。一体どれほど武術に精通していれば、こんな芸当ができる? 何も言わず、何も感情に出さずに、自分を護る為に戦い続ける従士を見て、ディアークは空恐ろしく思った。

 そして一分と経たない内に、十人近くの盗賊の死体が従士の周囲に倒れる。


「ははっ。そこの兄ちゃん、随分と腕が良いな。見惚れちまったよ」


 ジグムントはそう言いながら、大剣を携えて舌をなめずった。ゲルトも再びダガーを構え出した。残った盗賊共は悟る。じきに自らに訪れる、確定した死を。




 午後三時頃。太陽が少し落ちる傾きを見せた頃合いである。

 ディアークとジグムント、それにラインハルトの三人は袋小路の入り口あたりにいた。小路の奥には、凄惨な死骸がごろごろと転がっている。勿論そのままにするわけではない。ジグムントの使い走りとして、ゲルトが市庁舎の方に役人を呼びに行っている。殺人が起こった場合は、それが正当か否かに関わらず、死体処理は市参事会の仕事になる。つまり、三人は役人の到着を待ちながら話している途中だった。

 とはいえラインハルトはほぼ会話には参加せず、ディアークの傍にいるだけだが。


「なるほど。アンタがディアークで、そっちの従士がラインハルトか。……なら、俺も名乗らなきゃな。俺はジグムント・ウィルクスキって言うんだ」


 少年と従士が名乗った後、青年が告げたその名前にディアークは二つの意味で驚きを見せた。自身の異母兄であり、グリューネヴルム帝室皇太子であるジギスムントを想起させる名前だというのが、第一の理由だ。

 そして、第二の理由は。


「おぬし、その名……まさか東方のヴェンデ人Wendenか?」


「その呼び名は好きじゃないが、まあ間違っちゃいねぇ。……俺と、あの小っこいゲルトって奴の祖先は東方の地で暮らしてたんだが、あのにっくきリッセルスバッハの騎士共が二百年も前に攻めてきやがった。異端だからとか何とか言って、金品や女子供、それに父祖代々の土地と部族としての名誉も、何もかも奪っていきやがったんだ」


 〈リッセルスバッハLisselsbach騎士きし団国だんこく〉。大陸東部のほぼ全域を支配し、騎士団員の選挙によって選ばれる総長ホーフマイスターを君主として戴く騎士団国家である。

 三百年前に聖アルヴィネーゼ教皇の命によって創設され、大陸東部に割拠する異端の〈蛮族ばんぞく〉を教化する目的で〈東方植民Ostsiedlung〉を今も続けている宗教国家でもある。

 帝国が治めている大陸中央と騎士団領となっている東部では、もちろん使われている言語が違う。道理でジギスムントとジグムントがよく似た名前なわけだ。

 〈ジグムントZygmuntウィルクスキWilkski〉。それにゲルトGeld、か。

 そのジグムントは、自らの身の上を続けて話した。


「故郷を追われた先祖は数を減らしながら、帝国内へ流入した。だがいくら改宗しようが、どこまで血が薄まろうが、お前らはヴェンデ人だと後ろ指を差される。農民になることも、市民になることもできねぇ。それでも食いつなぐ為に……俺達は傭兵になることを選んだ。自分達の力一本で、いくら惨めだろうが狡猾だろうが残忍だろうが生き残る為の、ただ唯一の道だ。俺はそう信じてる。だから、団長になったんだ」


 普段は調子の狂う呑気な言い草ばかりするジグムントの、真剣な表情。

 灰色に近い黒色の瞳が、まるで東方の故地を思慕しているかのように遠くを見つめている。ディアークは、彼の言葉を一つ反芻する。


「団長?」


「ああ。俺は、紅の狼グラナヴォルフっていう傭兵団をまとめててよ。ついこの間、先代が死んじまったもんだから、次の戦が団長としての初陣になるんだ」


「次の戦……ヴァリダーナ回廊での、か」


「ご名答。明朝、三百人を率いて帝国騎士団と共に帝都を発つ予定さ」


 ヴェルランド聖王国との戦。確かレイナードも参陣すると言っていた。

 しかし、ここで一つ少年に疑問が生じる。


「明日発つのに盗賊狩りの依頼を受けるとは、随分と金にがめついのだな」


「……まあ、そうともいう。それと、俺の部下には荒くれ者が多くてな。二週間前に帝都に着いてから毎日のように酒場を占拠して騒ぐもんだから、少しは市民の為になることしなきゃ傭兵団ごと叩き出すって、参事会の奴らが脅しを掛けてきやがった。それで仕方なく盗賊狩りに来て、そしたら偶然アンタらに助けられたってわけさ」


 ジグムントは後頭部を掻きながら、事の経緯を説明する。

 少年が「なるほどな」と短く返すと、少しの沈黙が訪れる。


「……俺からも、色々聞いて良いか?」


 それを破ったのはジグムントだった。ディアークは頷いた。


「さっきの、盗賊共のかしらを倒した時の術は……何だ?」


 問われることは分かっていた。そしてそれに応えてしまえば、自分にとって不利であることも知っていた。それでも彼にならば教えても良いと、不思議とそう思えた。


「あれは、禁忌きんき魔術まじゅつ。聖教会から異端認定されている、私が扱える魔術だ」


「禁忌魔術だと? どうやってそれを習得したんだ?」


「私の恩人だった……ゼバルドゥスという聖職者が教えてくれたのだ。聖堂図書館には無い魔導書も、帝都大学の方から取り寄せて私に与えてくれた。それからは独学で幾つか術式を覚えて、たまに盗賊共に試し撃ちすることもある。牽制としてな」


「試し撃ち、ね。おっかねぇ皇子様だぜ、まったく。……にしても、聖職者だってのにそのゼバルドゥスって野郎は随分と災厄の皇子に優しいんだな」


 若干引きながらも、ジグムントはまた同じように疑問を呈する。

 それに対してディアークは笑いを交えながら言った。


「いや、それはジグムントもそうであろう。私が災厄の皇子であると知っていたのに、袋小路で私に助けを求めたではないか」


 聖職者であっても無くても〈災厄の皇子〉に好んで関わろうとする者など滅多にいない。自分を〈災厄の皇子〉と知っていてなお、頼ってくれる者。

 ゼバルドゥスを喪った今、目の前にいるジグムントというこの男が、唯一自分と対等に話してくれる存在のように思えた。自分をてくれる存在だと。

 だから、この男には禁忌魔術のことを話せたのかもしれない。

 ディアークはそんな風に思った。……だが。


「勘違いするなよ、皇子」


 ジグムントのその一言は、ひどくディアークを突き放すような響きだった。

 え、と短い息が少年の口から漏れた。従士の目線がジグムントに向く。


「俺は優しくする為に、アンタを頼ったんじゃねぇ。あの時、あの状況で、俺が生き残る為には何が最上の策か。それだけを考えて、アンタに助けを求めた。……ただそれだけでしかねぇ。感謝はする。おかげで命拾いした。けど、他意はねぇ」


 赤毛の青年のその言葉は、考えてみれば至極真っ当なことだった。

 ゼバルドゥスを喪って三日が経ち、ディアークにとっての日常は戻ってきた。だが実際は、心の中でずっとゼバルドゥスの代わりを求めていたのかもしれない。

 従士でも無い。小間使いでも無い。はっきり言い切れる関係ではない。

 それでも。自分を〈災厄の皇子〉ではない、一人の人間として見てくれる。

 そんなかけがえのない関係を。

 だが、それを会ったばかりのジグムントに押し付けるのは間違っていた。

 簡単に慰めを得ようとしていた。

 自分に都合が良いように、目の前の青年を利用しようとしていた。

 

「……すまない。おぬしに、勝手な幻想を抱いてしまった」


 申し訳ない、とディアークは目を伏せた。

 ジグムントはバツが悪そうに、またいつもの癖で後頭部を掻こうとする。


「まあ、そんなに気にするなや。……けどな。一つ言いてぇことがある」


 が。やっぱりやめて、静かに告げた。


「あの時、盗賊共に向かって『貴様らには罪を償う道理があろう』って、言ったよな。……あんなに苦しそうな、悲しそうな顔でよ」


「ッ……」


 青年のまっすぐな視線と声音に、ディアークは息を詰まらせた。

 彼に言われて、初めて気づいた。自分がそんな顔をしていたことに。

 罪を償う道理。一体どうして、私にあんなことが言える?

 一番罪を償うべきは、盗賊共でも、彼らの頭目でも無い。 

 自分だ。

 〈災厄の皇子〉として生まれ、多くの人々を不幸に追いやってきた自分だ。

 盗賊狩りに協力したのは、正義感からでも義憤からでも無い。

 自分という巨悪から少しでも目を背ける為の、逃避だったのかもしれない。

 ……最低だ。

 思えば、ゼバルドゥスの死も、自分が聖堂に駆け込まなければ起こらなかったことではないか。それなのに。一度ひとたび喪えば、一時は仮初めの日常に埋没して、それでもまた求めて、ただひたすらに自分自身から目を逸らし続けて。

 償いきれない程の罪を、重ねた。そんな私が慰めを得る? 

 ……ふざけるな。

 私など。私など、消えてしまえば。

 何度も、何度も。夜ごと枕を濡らして、強く想ったことだ。

 ゼバルドゥスの死からの三日間、ずっと。……あの夜から。

 その時。ふと、レイナードから放たれた一喝が脳内を駆け巡った。


『—―――なんと愚かなことかッ!』


 ディアークは再びハッとして、自然に下を向いていた顔を上げた。

 そこには、大剣を杖のように持ってその身体を支えている青年がいた。

 前傾になって、先ほどの真剣な表情は少し崩れている。急に脱力したようなその姿に少年も肩から力が抜ける。すると青年が唐突に言った。

 

「俺とアンタは、似てるとこがあると思うぜ」


「……え?」


「俺も、アンタも、いろんな……まあ、ってやつに振り回されてきたってとこだよ。でもそれに対する考え方にかけちゃあ、俺たちは大違いさ」


 ジグムントはディアークの方を指差した。そしてウィンクをしながら言った。


「アンタは理不尽に振り回されっぱなしさ。それに自分の周りで起きる不幸やら何やら、全部自分のせいだと思ってる。だから自分なんて死んじまえば良いとさえな」


 その分析は、まさに図星だった。何故、会ったばかりなのにそんなことが分かる?

 問おうとするも上手く言葉が出ない。その間に、青年の口から言葉が衝いて出た。


「けど、俺は何にしたって生き延びることを考える。どんな理不尽だって正面から受け止めて……それから、んだ。絶対負けやしねぇっていう一心でな」


 どんな理不尽も、正面から受け止める。そして、踏み越える。

 あまねく理不尽を踏み越える……か。

 また、あの夜に自分で言ったことが思い出される。


『ゼバルドゥスの、あの言葉の真相を知るまでは。私は死ぬわけにはいかぬのだ』


 嗚呼、そうか。あの時にもう、答えは出ていたのか。

 自分は確かに罪深い存在だ。ああ、それはもう十分に分かった。

 自分がやったことを全て、その理不尽というやつに転嫁することはできない。

 けれど、かといって自分の罪が全て、自分の意志によるものってわけでもない。

 どれがどのくらい理不尽かなんて分からないし、それ自体は重要じゃない。

 ただ、確かなのは。

 今ここで、私は死を選びたくはない。

 今を生きるのに、理由はそれだけで十分なのだ。


「改めて、すまぬ。おぬしには深く感謝するよ、ジグムント」


「……良いってことよ。それより、もう役人が来たみたいだぜ」


 照れ隠しか、ジグムントは少し顔を背けた。

 そして彼の言葉で、周囲に十人程度の役人が集まってきていたことに気付いた。全員、ディアークと目が合うとすぐに目を逸らす。当然のことだ。

 ……否。全員ではない。役人の中でも、ひと際身なりがしっかりとした男が一人。その男だけは、ディアークと目が合っても数秒はそのままでいた。何故だ、と疑問に思う頃には目線は外れており、その役人はジグムントの方に手招きをした。


「おっと。アイツは俺に直接、盗賊狩りの依頼をしてきた役人なんだ。確か名前は、ホルストって言ったかな。ちょっと話長くなりそうだ。……まあ、またどっかで会うこともあんだろ。今日のところはここでお開きだ! じゃあな皇子!」


「お、おい。そんな急に」


 まるで捲し立てるようなジグムントの言い方に違和感を持つが、そそくさとの高級役人の方に向かう青年の背中は、何を言っても止まりそうも無かった。

 〈ホルストHorst〉か。三白眼が特徴的で、金髪の頭が少し禿げている中年の男だった。どこにでもいそうな風貌の男だったが、どうにも印象に残っている。

 ディアークは青年を引き留めることを止め、ただ別れの挨拶をした。


「また逢おう、ジグムント」


 少年の声が聞こえたのか、赤毛を長く伸ばした傭将は右手をすっと上げた。

 それを見て、ディアークは少し頬を緩ませた。

 ……少年と従士がそのまま屋敷の前まで戻ったのは、それからすぐのことである。

 午後四時を少し過ぎた頃で、ユリアはもう夕餐の準備を終えているはずだ。

 少年は扉の前で、自分の左手に付いた深い傷、そして返り血が付着したマントを交互に見た。この姿をユリアに見られたら、彼女はどう思うだろう。

 心配させるだろう。無茶はしないで、と諭されるだろう。

 また、彼女を不幸にするだろう。……それでも。


「ユリア、無事に帰ったぞ!」


「っ……ディアーク様! 帰りをずっとお待ちしておりました……!」

 

 意を決して扉を開け、少年は堂々と言った。

 小間使いのぱあっと花開くような表情が、真っ先に目に映る。

 ……そうか。

 ディアークは彼女を見て、一つ心の中で確信した。

 理不尽の中でも、それでも未来へと進み続ければ。

 それはいつかきっと。

 〈希望〉に変わっていくのだと。




 ……場面は少し戻って。

 役人たちを市庁舎から連れてきたゲルトは、その使い走りの仕事が終わるともう何もやることが無い。住居の外壁に背中を預けながら、彼らが死体を運ぶのを漫然と眺めていた。前より屍臭が酷くなっているので、少し鼻を摘まみながら。

 すると、自分が連れてきた役人の内の一人と共にどこかへ行こうとする青年を見かけて声を掛けた。しかし返ってくるのはいつもの憎まれ口。


「おーい、ジグムント。どこ行くんだよ?」


「事後処理と報酬の話さ。ガキは鼻つまみ者らしく、そこで待ってなー」


「なにぃ!? 俺が役人共を連れてきてやったんだぞー!」

 

 またも激昂するゲルト。やれやれと肩をすくめて歩き去るジグムント。

 最後まで、いつもと変わらない掛け合いの二人であった。





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