「……お尋ねしますが、ここはディアーク・フォン・グリューネヴルム様のお屋敷で間違いないでしょうか?」


 そこにいたのは一人の若い男。まず目に付くのは深緑色の長髪だ。前髪は目にかからないように整えられているが、後ろ髪は束ねられることなく背中の方まで伸ばされている。次に印象的なのは、その眼だ。無機質で、淡白で、冷ややかな蒼い瞳。

 虚ろなわけでも、何の感情も無いわけでもない。しかしどこか達観していて、どこか悲しみを堪えている。そんな瞳だ。切れ長の眼で、顔立ちは全体的に整っている。

 ユリアも青年と一瞬だけ目を合わせた後、彼の恰好を見て合点がいく。


「ええ、そうですが……。あ、もしかして新しい従士の」


 その青年は鎖帷子チェインメイルの上に〈帝冠を戴く双頭の翠鷲グリューン=ドッペルアドラー〉が描かれた緑の丈長外套シュールコーを羽織り、白のマントを付けている。腰には両用剣バスタードソードを下げていた。

 ダミアンやゲオルクがしていた服装と殆ど変わりがない、帝国下級騎士ミニステリアーレの正装。

 青年はその瞳と符合するような、抑揚に乏しい声で言った。表情も全く動かない。


「はい。新たにディアーク様の従士となるラインハルト・フォン・フェルザーと申します。今年で二十歳となる若輩の身ながら、皇子殿下に仕えられること恐悦至極に存じます。この不肖ラインハルト、貴方様を全力で……」


「そんな堅苦しい挨拶は良い」


 まだまだ続きそうな青年の言葉をディアークは途切る。長ったるい挨拶だと思ったのが第一だが、用意してきた文章をただ読み上げているかのような彼の様子に薄ら寒さを感じた。そう、薄ら寒さと。違和感だ。

 今までディアークに仕えてきた従士共は、ダミアンとゲオルクが好例だが、初めて会ったときはこの青年と同じように一応は丁寧で仰々しい挨拶が口から出てくる。しかしその態度には、端から敬意の欠片も無い。〈災厄の皇子〉など、と。

 少年が年相応の身長であるから、自らの巨躯を見せつけるかのように腕を組んで見下ろす者。狭苦しい屋敷の中を眺めて、嘲笑うことを隠そうともしない者。様々だ。

 ところが、未だ扉の先に立っている青年からはそんな様子は全く見られない。そのことが逆に不気味で、背中を撫でられるような気味悪さを感じさせる。

 〈ラインハルトReinhartフォンvonフェルザーFelzer〉と言ったか。奇妙な騎士だ。

 その端正な顔立ちに対し、あまりに不似合いな瞳と声音。今までに出会った従士達とは明らかに異質な存在だ。第一印象だけで、少年はその事実にぶち当たる。


「それと、私を『皇子殿下』とか『フォン・グリューネヴルム』とか呼ばないでくれ。帝城から追放された身で、そんな敬称や家名で呼ばれる資格など無い」


 ディアークはそう言いながら、右手で青年を招き入れるような仕草をした。それを見たユリアが脇に避けると、ラインハルトは広間の中に入ってくる。そして、そのまま少年の目の前まで歩いてきた。かなりの高身長だ。二エーレ(約百八十センチ)を少し超えるぐらいか。ディアークとは一フース(約三十センチ)程の差がある。


「了解いたしました。それでは宜しくお願いします、ディアーク様」


 ラインハルトはそう言うと、床にゆっくりと膝を突く。その様子に少年が困惑していると、青年は自らの剣を鞘から抜き、少年の方に差し出してきた。状況を未だ呑み込めない少年だったが、玄関の扉を閉めていたユリアは何かに気付いたように少年の方へ駆け寄ってきた。そして耳元に口を寄せて小声で言う。


臣従しんじゅうれいですよ、ディアーク様」


「……な、なに?」


 ディアークは呆気に取られたように、小さく声を漏らす。勿論、臣従礼が何かは知っている。皇帝や王侯貴族、彼らを主君として騎士たちは主従関係を結ぶ。そしてそのような契約を結ぶ際には何か目に見える儀式が必要だ。主君と臣下との上下関係をはっきりと示す為の臣従礼。それが行われて初めて、主従関係が成立したといえる。

 しかしディアーク従士団に限っては、そんなものは行われない。ディアークにとっての従士とは、帝室から送り込まれたただの監視役。従士にとっても、大した恩賞が出るわけでも無い〈災厄の皇子〉の御守りなど望んでやるはずがない。仮初めの主従関係でしかないのだ。実際、レイナードとも握手だけで済ませたではないか。

 ところがこのラインハルトという男は、臣従礼を行う構えを見せている。つくづく奇妙な男だ。最も奇妙なところは、彼の考えていることが全く分からないことだ。

 ……そうは言うものの、彼をずっと膝まづかせるわけにもいくまい。少年は差し出された剣を右手で受け取る。ずしりと重い。青年は手を引っ込めて俯いた。

 ユリアはその様子を見て、ディアークの方から飛び退いて壁際に立った。

 やるしかないということか。臣従礼など今までにやったことが無いが、幼い頃に帝城で行われているのを観たことがある。その時の朧げな記憶を手掛かりに、ディアークはラインハルトに向けて言葉を紡ぐ。


「我ディアークは汝ラインハルトを従士として迎え入れることを誓う」


「我ラインハルトは汝ディアークを主君として忠義を貫くことを誓う」


 少年の言葉に続けて、青年は俯きながら誓う。

 ディアークは持ち手の右手を少し震わせながら、剣をラインハルトの右肩に当てた。丈長外套シュールコーの下に着ている鎖帷子チェインメイルと剣が微かに擦れるような音がした。

 何秒の間、そのようにしていただろう。食卓の近くでこのような厳粛な儀礼をしているのも随分と変なものだ。横目でちらりと見ると、ユリアも固唾を呑んで少年と青年の二人を見守っている。そろそろ良いだろうと、少年は肩に当てていた剣を引く。

 それを合図にラインハルトも俯くのをやめる。ディアークは剣を青年に返した。ユリアはほっとしたように胸を撫で下ろしている。一気に空気が弛緩した。

 その空気に当てられたのか、少年はふと頭に浮かんだ疑問を青年にぶつける。


「ところで、ラインハルト。フェルザー家というのは、どこに居を構えている?」

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