「—―――なんと愚かなことかッ!」


 その時、レイナードは眉間に皺を強く寄せ、大きく一歩を踏み出しながら叫んだ。

 ディアークの顔が自然と上がり、一瞬だけ脳内が真っ白になる。

 呆気に取られたまま、一歩も動くことができない。だが、怒りに打ち震えたようなレイナードの表情を見て、ふとゼバルドゥスの最期の言葉を思い出した。

 続きを聞くことも叶わなかった、我が師の言葉。


『……貴方の追放と、クリームヒルト様の、死は……仕組まれた、もの……』


 何故、ゼバルドゥスはあの言葉を死ぬ間際に放ったのだ?

 それに、如何にしてゼバルドゥスがそのようなことを知り得たのか?

 ……いや。今はそんなことは良い。

 ただ一つ確かなのは。私があの言葉を信じている、ということ。

 ゼバルドゥスの言葉だからこそ、信じられるということ。


「ああ、そうだな……。軽はずみなことを言った。……ゼバルドゥスの、あの言葉の真相を知るまでは。私は死ぬわけにはいかぬのだ」


 ディアークは、今度はレイナードに視線を合わせて堂々と言い放つ。

 ところが、逆に老爺の方が予想外といった驚嘆の表情を浮かべている。急に変わったディアークの言動に対してもだが、己の行動に対しても驚いているかのような。

 しかしレイナードはすぐに硬直した表情を落ち着き払ったものに戻し、ばつが悪そうに咳払いした。そして少年の方に今一度向き直り、言った。


「……私はゼバルドゥス殿とも深い親交がございました。私が貴方様の従士長となれば、その真相とやらを解き明かす御手伝いができるやもしれませぬ」


「なに、それは真か? ……いや、待て。それよりも何故、私の従士になろうとするのだ。高位貴族、しかもおぬしともあろう者が我が従士長の座を望むということは、よほどの理由があるのであろう。おぬしが御者に化けておったのも、私がダミアンとゲオルクを殺したことが分かっていて何も言わなかったのも、それが理由なのか?」 


 レイナードの提言に一瞬飛びついてしまったが、そもそも肝心なことが聞けていないことに気付いてディアークは捲し立てるように問うた。同時に多くのことについて訊きすぎたかと思ったが、老爺は間髪を入れることなく応える。


「今は、我が真意をお教えすることはできませぬ。たとえディアーク様といえども。ただ、それでは不義理であることは百も承知。故に、取引を致しましょう」


「……取引?」


 青藍のマントから純白の手甲を嵌めた右手を出して、レイナードは取引とやらの内容を話し出した。人差し指を上に立てながら、未だ不信感が拭えないディアークに対してゆっくりと告げる。


「貴方様の従士達の死は、不運な事故だった。ゼバルドゥス司祭との諍いが高じて争いになり、運悪く相討ちとなってしまった……。貴方様の父帝エルンストにはそのように奏上致します。……教会堂から出てくるのが遅れたのは、三人の遺体を埋葬していたからなのでしょう? 証拠を抹消したのなら、幾らでも言い訳が立ちます」

 

 ディアークは老爺の言葉を聞いて、意外そうに目を細めた。

 ダミアンとゲオルクを始末した後、ゼバルドゥスのものと共に遺体を教会堂の裏にある合同墓地の一角に埋めた。それは完全に図星だ。しかしそれよりも驚きだったのは〈純白〉の渾名とは程遠い、老爺の何とも策士めいた言いぐさだった。


「おぬしでも、そのようなことを言うのだな」


「……世間に出回る評判ほど、私は高潔な人間ではないということですよ」


 レイナードは薄ら寒く、同時に蠱惑的な笑みを浮かべた。段々と、ディアークが今まで感じてきた老爺に対する不信感が解けていくように思えた。……レイナードが取引を持ち掛けてきた時点で、少年と老爺はになっていたのだから。

 ディアークも、呼応するように口の端を歪ませた。老爺は続いて、右手の中指を立てた。二本の指が立てられる。肝心の取引の内容は、これからだ。


「エルンスト帝にそのように奏上すると同時に、私が貴方様の従士長になれるよう取りなしてもらうつもりです。軽々しく司祭と争いに及ぶような下級騎士では、ディアーク様の従士にはふさわしくありませぬ……この老骨をお使いください、と」


 ディアークは声にならない感嘆を口から出した。レイナードの真意が見えないとはいえ、取引の内容には全く言うことは無い。少年は笑みを湛えたまま言った。


「その取引、呑もうではないか。私はおぬしを新たな従士として迎えよう」


「そう仰せになると思っておりました。では早速、明日からお伺いを……といきたいところですが、明朝にエルンスト帝に謁見したとしても、新たに従士団が編成されるまでにはまた数日を要するでしょう。致し方無きことです。……それとは別に、十三日ほど貴方様の前にまみえることができぬ用が控えているのですが」


 レイナードは微笑み返しながら応えるが、すぐに少し残念そうな表情になった。彼が放ったやけに具体的な数字に疑問を抱きながらディアークは返す。


「十三日? 一体、何の用というのだ?」


「—―――いくさが、私を呼んでいるのです。皇子も耳に挟んでいることでしょう」


 帝都の外で起こっていることには疎いディアークにも、すぐに思い当たる。

 思えば、数日前の昼餐の折にもユリアが噂していたことだ。


「……聖王国と、か。またヴァリダーナ回廊かいろうでの小競り合いであろう」


「ご明察の通り。とはいえ此度こたびは聖王アルフォンスが自ら、トリニティアよりわざわざ軍を率いて南下してくるとのことで、兵力は三万を下らないとの報せ。これには流石のエルンスト帝も帝国騎士団を動かさざるを得なかったようです。更にはグレンツェ魔導伯を始めとしたヴェストアール諸侯に、ザリエルン大公、果ては我らルードリンゲンの魔導士団にも兵力拠出を求められましてな。仕方なく百の魔導士を率き連れて帝都入りしたのが、昨夜だったというわけです」


 少しぼやきを交えながらも、レイナードの表情はそこまで暗澹あんたんとしたものではない。かつて仕えていたエルンストの頼みとあらば断われない、というわけか。……まあ、そもそも魔導士が皇帝に逆らうことなどできはしないのだが。

 ディアークは「承知した」と言って、自らの右手をレイナードの方へ差し出した。

 驚いたような表情を浮かべる老爺に、少年は決め台詞のように言った。


「主従関係とはいえ、私とおぬしは取引を交わした者同士。我が協力者として、おぬしに膝まづかせるわけにはいかぬ。対等に握手といこうではないか」


 しかしレイナードの口から出た言葉はまたしてもディアークの予想を超えていた。


「申し上げにくいことですが……自らの手を今一度見てくだされ」


「な……っ」 


 乾いているとはいえ赤黒く染まった手を差し出していたことに気付き、ディアークは思わず手を引っ込めた。その様子にレイナードは笑みを零す。

 そして老爺は血管が浮き出た右腕をディアークの方へ突き出した。すると手甲を嵌めた右手の辺りに光が満ち始め、やがてその光はディアークの方へと向かう。ついに少年の周りを光が完全に取り囲んだかと思うと、それがゆっくりと四散していく。

 気付けば、ディアークの衣服や身体に付着していた血が全て消え去っていた。


「馬鹿な……。魔術でこのようなこともできるのか?」


「できるのはまあ、私ぐらいのものでしょう。戦闘用のものではありませんから」


 そう言って、レイナードは朗らかに笑った。一体どれだけの年月を魔術と共に過ごせば、この老爺のようになれるのだろうか。想像もできない。

 全く以て底が知れない老爺。〈純白の賢者〉の渾名に恥じぬ物腰の柔らかさと思慮深さを併せ持ちながらも、自らの真意を悟らせない腹黒さを飼い慣らしている。

 そんな男が、これから少年の従士長になるのだという。

 恐ろしくもあるが、同時に楽しみでもあった。この老爺の目的は、一体何なのか。


「では、今度こそ。……今度は拒まないでくれよ?」


 ディアークは血痕の消えた右手を差し出しながら、はにかみ顔で言った。

 レイナードは何も言わず、ただ穏やかな表情で、少年の手を握った。


 ディアーク・フォン・グリューネヴルム。

 レイナード・フォン・ヴァルトブルク。


 後世において語り継がれることとなる両者の出逢いは、こうして終わりを告げた。


 

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