同日 午後四時頃 帝都・西城門前


「司教様! 全軍行軍準備ができております!」


 あれから俺たち聖王国軍遠征隊は混乱した大通りを抜け、祖国へと向かう為に帝都の西城門を目指した。そうして辿り着いた先には、一昨日の夕方に帝都へ入ったときには城門の両側に立っていた守衛の帝国兵がいなくなっていた。この大混乱の最中であるからこそ検問は必要不可欠だというのに。

 そんなことを考えながら、隊全体で小休止を行った後のこと。俺は騎乗したディオニュシウス司教に報告を行った。遠征隊に帯同する聖職者は皆、馬で移動するのだ。


「左様ですか。それでは出立することとしましょう」


 司教は先を急ぎたい一心の表れのように、すぐさま手綱を繰って西城門側へと騎乗する自分の向きを変えた。俺もその気持ちを汲むように、すぐさま司教に背を向けて他の兵士たちに命令を下そうとした。

 しかしその時、市街地の中心へ伸びる通りの方から一際大きなひづめの音が聞こえ、それが今我々がいる城門に向かって近づいてくるように感じた。


「あれは……っ。馬車が我らの方に! 司教様、こちらにお下がりください!」


 俺はその音が聞こえる方に向き直ると、遠くに一両の荷馬車が見えた。馬車には白いほろが付いており、御者も含めて中に誰がいるのか遠くからでは分からない。たった一頭の馬に曳かせているようだが、異様に速い。魔術でも付与しているのだろうか、沿道にいた民衆さえも咄嗟に逃げるほどの速度で、まっすぐに突撃してきている。

 このままでは司教があの馬車の突進に巻き込まれるかもしれない。この御方を護ることが我が第一の責務。俺は気づいていないらしい司教に大声で警告した。


「む……? このような時に帝都を出るとは、どこかの貴族の伝令ですかな?」


 彼は少し不服そうな表情を見せたものの、大人しく誘導に付いてきた。

 そうして他の兵士にも警告を行うことで、何とか西城門前の石畳でできた通りに大きな空隙をつくることができた。それにしても、あの馬車は速いな。

 馬車はそのまま西城門を突き抜けようとするかのように、疾風の如く速くなった。

 そうして馬車は俺の眼前を瞬時に通り過ぎて、西城門を抜けていった。

 ……しかしその一瞬で、俺はとある事実に辿り着いていた。

 

「――――――あれは。あの馬車に乗っていたのは……」


 俺は固まっていた。馬車のあまりの速さに、足がすくんだというわけではない。

 ただ今俺の目が見たものを信じられず、戸惑っているだけなのだ。けれど不思議なことにすんなりと、それが真実なのだと理解できた。


「む? どうしたのです、ヴィルヌーヴ殿」


 ディオニュシウス司教が不審がるように馬上から俺を見下ろした。俺はすぐに、自らが見つけ出した答えを口に出した。出さずにはいられなかった。


「あの馬車に乗っていたのは――――の、災厄さいやく皇子おうじであります!」


 胸の鼓動が早くなるのを感じた。今まで起きたことに対する不安、違和感、興奮。その全てが、今見たものによって繋がっていくのを。


「は、災厄の皇子ですと? まさか……」


「確かです! 一瞬だけでしたが、馬車に乗っていた者達の姿を見たのです! ローブを被った老爺と少女と……青年。彼の髪色は紛れもなき漆黒でありました!」


 俺は信じようとしない司教に対し、まくし立てるように早く喋った。俺が一瞬の内に導き出した推察は恐らく正しいはずだ。……何故なら。


 ジギスムント皇太子の暗殺。

 

 その大事件を最上さいじょうなる僥倖ぎょうこうとし、喜々として帝都を脱出せんとする存在は〈災厄の皇子〉以外にあり得ないからなのだ。そして俺は、馬車の中にいた〈災厄の皇子〉の表情をも一瞬だけ瞳に捉えていた。鮮明に、そして克明に覚えている。

 その表情は、紅き眼光は、決意に満ちていた。

 まるで自らこそがこの状況を創り出したのだと言わんばかりに。

 復讐心とは全く異なる、まっすぐな意志の胎動を感じた。

 西城門の遥かその先を、射貫くように見つめる。俺は呟いた。


「大戦乱の始まりだ……。災厄の皇子よ、貴様は一体何を為す?」




 ジギスムント皇太子暗殺事件……通称〈菩提樹が見た鮮血リンデン・ブルート〉。

 ルミエルド大陸全土を包み込んだ大乱世は、ここから始まった。

 ……いや、違う。それより以前からこの大陸の至るところで、些細なすれ違いや傲慢なる理由から戦乱の火種が飛び散っていたのだ。あの事件は、その戦乱の火蓋を人々の予想より早く切ったというだけ。単なる一つの切欠きっかけに過ぎなかった。

 あの時の俺は、そんなことは何も知らなかったのだ。目を逸らしていた、と言った方が正確か。無知むち蒙昧もうまいな群衆と同じように、俺は心の奥底では永劫の平和を信じていた。迫る軍靴の音からただひたすらに耳を塞ぎ続け、あまつさえ己の眼を閉じた。

 そして祈っていた。戦乱など起きぬと自らをあざむいて。

 過去の自分を責めるわけではない。今でも俺は、永劫の平和を信じているから。

 過去と違うのは、俺は目を背けずに向き合っているということ。

 俺の眼下で、燃え広がり続ける大乱世に。

 ……大乱世を引き起こしたのが彼だとするならば。

 俺が戦乱に向き合う切欠をくれたのも、彼なのだろう。

 だからこそ俺は、彼の戦いの征く先を見届けねばならない。

 

 汝、災厄の皇子よ。遍く理不尽を踏み越え、野望を掲げし覇皇となれ。


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