番外編 第3話

三 夏の夜の想い出


「カズトくん、火貸して火!」

「はいはい、ちょっと待って。あ! アイコ、それちょっと貸して?」

 彼は私から花火を受け取ると、ライターを使って花火の先端に火を点ける。筒状の花火は、火薬と金属粉の炎色反応による、色の付いた長い火花を噴出した。

「あ、点いた点いた! 綺麗!」

「まったく、本当に君は子供のようだね」

「私もう十九だよ? 全然子供じゃないですよーっだ!」

「俺から見たらまだまだ子供です」

「……おっしゃる通りで」

 私は今年初めての花火に、テンションの高さを抑えきれない。

 勿論、花火は楽しい。しかしそれ以上に、彼と一緒に花火が出来るというこの状況に、私のモチベーションはひたすら上がりっぱなしだった。

 彼は花火特大パックの中に付属していた小さな蝋を取り出すと、それを溶かして地面に固める。

「アイコ、これで点けられるよ」

「うん、ありがとう!」

 私は彼の隣にちょこんとしゃがみ込むと、二人で仲良く花火に火を点けた。赤やピンクや緑や黄色、オレンジなど色とりどりの煙が辺りに甘ったるいような火薬の匂いを運ぶ。

「……アイコは、いつも元気だね」

「え? そうかなぁ~?」

「そうだよ。あの、目の周りを真っ黒にして泣いていたパンダ娘がすごい変化だ。正直、君がどんな顔をしてるのかもよくわからなかったからね……あの時は」

「ちょっ…! そこはもう忘れて下さいよ」

 こんな風に二人で馬鹿を言って笑い合う、そんな時間が私はとても大好きだ。……しかし、今日はただ楽しんで帰るわけにはいかない。

 私には、今日こそ彼に聞かなければならない事があるのだ。

 今まで何度も何度も聞こうと思ったんだけど、なかなかタイミングが掴めなくて……聞けずじまいだった【あの事】を。花火をしながら、さり気なくさり気な~く、あくまで自然に。


 ……よし、頑張れ! 愛子!


「あ、あのさ、カズトくん!」

「ん~? 何?」

 彼は花火に目を向けたまま、返事をする。

「あのね、その~、えっと~……」

 私は何だか恥ずかしくなって、思わず口籠る。毎回このパターンだ。このままじゃ今日も聞けない。――しっかりしろ、愛子! 女は度胸だ!

「もう、花火なくなった~?」

「そんなわけないでしょ! 今始めたばっかりなのに」

「はは、そりゃそうか」

 彼は立ち上がると、たった今終わった花火を、バケツの中の水に浸した。

「で……どうしたの? アイコ」

 そう言って彼は、腕を組みながら私の隣にしゃがみ込み、顔を覗き込む。

 ――近いよ、近い! どうしよう、心臓がバクバク言って煩い。

 こんなんじゃ……今日も絶対聞けないよ。


「……ねぇ、アイコ」

「な、何?」

「それ」

 そう言うと、彼は下の方に指をさす。

「……もう終わってるよ? 花火。火、とっくに消えてる」

「……え、えっ? あ~っ! 本当だ、いつの間に!」

 彼は隣で口元を押さえながら、くくっと声を押し殺しながら笑っていた。

「……ちょっと、そんなに笑わなくてもいいじゃん!」

「だって! 終わった花火をずっと持ったまま固まってるし、挙動不審だし! 何だか可笑しくて!」

「……もーいい。知らない!」

 そんな風に不貞腐れていると、突然頭にフワッと触れる柔らかい感触……勿論私は、それが何なのかちゃんとわかっている。彼の、癖のようなものだから。

「ごめん、ごめん。で、何? 言ってごらん? ちゃんと聞くからさ。ゆっくりでいいよ。話してみて?」

 ……狡い。そんな優しい笑顔で言われたら、何も言えなくなっちゃうよ。

 でも、何だか余計聞きにくい雰囲気になってしまった……どうしよう。


「……じゃあ、カズトくん。」

「はいはい?」

「カズトくんって好きな果物って何?」

「え?」

 呆気にとられた感じで、間抜けな声を出す彼。

「え、なに? そんな事?」

「いいから答えて!」

 彼は『んー』と暫く考える素振りを見せてから、ゆっくりと口を開いた。

「……桃」

「え? も、桃⁉」

 私は彼が【桃】だなんて可愛い果物を選ぶから、それが可笑しくて、お腹を抱えて笑った。

「……アイコ~」

「あはは! ごめん、可愛すぎてつい! じゃあ、好きな色は?」

「色? ん~と……そうだなぁ。白、かな?」

「うん、カズトくんっぽい! じゃあ好きな歌は?」

 私が次々と質問すると、彼は真剣に考え、答えてくれる。本当に知りたい事はこんな事じゃないんだけど、知らなかったカズトくんを色々と知れて……これはこれでありなんじゃないかって、思わず顔がニヤける。

「アイコ、何ニヤニヤしてるの?」

「えー? ふふ、内緒!」

「ねぇ、もう質問いい~?」

「だーめ! まだまだ!」

「えー、まだあるの?」

「じゃあ次ね! カズトくんって彼女いる⁉」

「……え?」


 あ……


 し、しまった!

 明らかに今までと系統が違う質問に彼は目を丸くし、私の顔はヤカンが沸騰したかのように熱くなる。

「違う! 違う! 違う! そうじゃなくて……そう! 蚊だよ蚊! 夏って嫌だよね~。蚊多いもんね~! 私、よく噛まれちゃうんだよ! だからカズトくんに、『蚊の状態はどう?』って聞いたんだよ……ははは!」

『明らかにおかしいだろ!』と、ツッコミが入りそうな滅茶苦茶過ぎる言い訳をしてしまう自分が、余計に恥ずかしすぎて……もう顔を上げられない。

 本当に馬鹿過ぎる……もう、この沈黙に耐えらない……今すぐ逃げ出したいよ、本気で。

 おろおろしたり、笑って誤魔化したり、何故か逆ギレしたり、泣きそうになったりと、もう私の脳内はぐちゃぐちゃだ。

 彼はそんな私の七変化を見ながら、眉を下げて優しく微笑んだ。

「いないよ」

「……え?」

「彼女でしょ? いないよ。それと、蚊の状態も今のとこは平気……」

 そう言うと彼はプッと吹き出し、ケラケラ笑い出す。……どうやら笑いを堪えていたらしい。私は気まず過ぎて、どこか遠くの方に視線を向けた。

「何? アイコが知りたかった事って、そんな事だったの?」

 と、悪戯っぽく妖艶に彼は笑う。

「違うし! 別の事だもん!」

「へぇ~、じゃあ何? 別の事って?」

「……うるさいなぁ! もう手持ち花火、線香花火しか残ってないよ? そうだ! 確か打ち上げも入ってたよね?」

「あ〜、誤魔化した〜」

「あ! あった、あった! よし、やろう! カズトくん、火点けて!」

「はいはい」

 彼は『ほんとアイコは可愛いんだから』と笑いながら呟くと、小さな打ち上げ花火の火を点ける準備をし始める。

 ……しっかり耳に届いてますから。ちゃんと聞こえてますから。

 けれど、わざと聞こえていない振りをしてしまう私は、素直じゃないし本当に可愛くない女だと思う……情けない。

 でも……そっかぁ、彼女いないんだぁ。絶対いると思ったのに。――良かった。


 よく晴れた夜空を支配するかのように花火は上がり、大きな破裂音と共に綺麗な模様を作り出す。バチバチと、火の粉が宙を舞った。

 隣を見ると、子供のようにはしゃぐ彼の姿。

「……自分だって子供じゃん」

「ん? なんか言った?」

「な〜んでもない!」

 私はそう言って笑った。


 ――彼と私の、とある夏の夜のお話。

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