番外編 第2話
二 星降る夜空の下で
兄さんが家を飛び出して、どれくらいの時間が経っただろうか?
俺はぼーっとその場に座り込んでいた。
窓からは沢山の星が見え始める。兄さんも、今頃どこかでこの星を見ているのだろうか?
「……どうしてあんな言い方しか出来なかったんだろう。俺、最低だ」
兄さんを殴った拳が今頃になって痛む。……いや、それより痛むのは心の方だ。
兄さんのあの辛そうな顔が、傷付いた表情が、俺の胸に杭を打つ。
兄さんが苦しんでいるのはわかっていた。なのに……どうして俺は、死者に鞭を打つような真似をしてしまったのだろうか。……いいや、兄さんはまだ生きている。死者なんてたとえは何だか不吉だ、やめておこう。
「……どうして、うまくいかないのかな」
俺は窓から顔を出し、満天の星空を見上げた。
「綺麗だな。今日ばかりは月はお役ご免のようだ。たまには星に主役を譲ってもいいだろう?」
そっぽ向く三日月を眺めながら、俺は静かに笑う。
こんな時、兄さんなら何て言うかな?
「星なんか、な〜んの役にも立たねぇよ! ただそこに突っ立ってるだけだろ? 大体、星が好きだなんて……女か? お前は」
俺は指で、目を思いっきり上に引っ張り上げながら、兄さんの声真似をする。『あ、意外と似てるかも』なんて思いながら、クスクスと笑った。
――なーんてね、嘘だよ。
兄さんなら、きっと……
『星って、こんなに綺麗だったんだな』
そう思うに違いない。
本当は優しくて、心の綺麗な人だから。
「もう、あまり時間もないのに……何をやってるんだろうね、俺は」
他人相手ならうまくやり過ごせる事も、身内相手だとどうしても感情的になってしまう。
特に、兄さんが相手なら尚更だ。
兄さんは異世界の存在なんて、これっぽっちも信じてはいないけれど……異世界はあるんだ、本当に。
ある日俺は、いつか兄がどこかの異世界で生命を落とすという……決して抗う事の出来ない運命に縛られている事を知った。
あまり仲良くはないけれど……それでも兄さんは、俺の大切な兄さんなんだ。
出来る事ならば、その定められた呪われた運命を打破したい。……救いたいんだ、何があっても。
山桜の知恵を借り、彼女と一緒に書き綴ったこの手帳は……いつか兄の役に立つ時がくるのだろうか?
でも、兄さん…………ごめん。
兄さんを救うより早く、もしかして俺の方が……先にこの世界から消えてしまうかもしれない。
――昔、山桜は言った。
『お前達兄弟は、なんて不運な星の下で生まれた存在なのか。死ぬ為だけに生まれてきた存在。呪われた兄弟。実に嘆かわしい話であるな、同情するぞ』
山桜は、兄の死因は教えてくれたけど、俺の死因は教えてはくれなかった。……でも、もう見当はついている。
俺の死因はきっと、自殺だ。
もうすぐ彼女が消えて一年が経つ。俺が君と初めて出会ったのは、もう十三年も前の事だ。
恥ずかしがり屋で泣き虫だった君は、儚くも強くて美しい女性に。
腕白で怖いもの知らずだった俺は、卑怯で臆病な……情けない男になっていった。
子供の頃は、俺が君を支えてきたというのに……大人になってからは、君が俺を支えてくれたね。
俺は、本当に君の事が大好きだった。世界中の誰よりも。
星が流れる。美しく、弧を描くように。
「闇の中で眩い光を放ち、一際美しく……観る者全てを魅了してしまう。まるで君のようだね、すず。儚く静かに消えていく様まで、瓜二つだ」
流れ星に願いを馳せる、なんて真似はしない。
どんな願いも叶わない事はわかっているし、星の神は、随分とナルシズムで気まぐれらしいからね。
それに流れ星が願いを叶えるなどという、そんな不確かなものよりも……君に願う方が余程効果を発揮出来るというものだ。
「すず、力を貸して」
あの不器用で弱い兄に、どんな困難にも打ち勝てるくらいの強さを。
そして、兄を引き摺り込もうとする者達から……兄を護ってやってくれ。
「多分もう、俺には何も出来ない。俺には、兄さんを守る事が出来ない。君を失ってから俺も……色々ときついんだよ」
君を愛するあまり禁呪に手を出そうとする俺を、君は愚かだと思うかな?
それでも、俺は……
「……兄さんにちゃんと謝らないとね。きっと、かなり落ち込んでいる筈だから」
見上げた夜空から、星がまた一つ……ゆっくりと闇の中へと消えていった。
***
彼はまだ気付かない。
少女と山桜の加護を失った彼は、きっと……恐ろしい神に目をつけられた。
それは、彼の兄の【それ】よりも……遥かにもっと、たちが悪いものだという事を。
彼の部屋に置かれたままの手帳は、窓から入る風によってペラペラと捲られ……栞が挟まれたページを開く。
少女は嘆き、哀しみ、必死に彼を止めようと叫び続けるが……
その声は風に消えて
彼には届かない――――
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