-4-
暗い闇の中を漂っていた。
不思議と不快感は無い。
何もない空間が知覚できるが、しかし視覚としては確認できない。
もどかしい気分を味わいながらも、揺蕩う体の感覚は心地よい。
思考があちらこちらに飛ぶ。
様々な事が思い浮かび、そして消えていく。
思い浮かぶことは仕事の事であり、プライベートの事であり、趣味の事であり、様々であった。
今この瞬間の多幸感はすさまじく、今まで悩んできた全ての出来事に回答が生まれ、次の瞬間には消えていく。
圧倒的な間でのポジティブな感情が爆発し、自信がみなぎってくる。
動かなければと言う感情が襲うが、波間を揺蕩う身体はしかし動かすことができず、視界も開けない。
ただただ思考のみが高速で走り出す。
そんな中、目の前に一条の光が見え、少しずつその光量が増す。
どんどんこちらに光が増え、そして全身を包むと、私は目が覚めた。
*
「お目覚めですか」
あの研究者風の嫌味な男の声が聞こえた。
しかし視界内にはその男の姿は見えない。
それどころか、見える風景はおかしなものだった。
今しがた目が覚めたばかりだと言うのに、美也の視界は立ち上がった状態の高さに固定されていた。
身体の感覚は明らかにベッドの様なモノに寝かされている感触が有るにも関わらずだ。
そして、そんな視界に映るのは、のっぺりとした白い壁とリノリウムの床、そしてそこに置かれたベッド。
ベッドには寝かされた女性の姿が見える。
「ここは、どこ……」
美也の声はどこか掠れたようで、口の中が渇いているのが分かる。
何よりおかしいのは、美也が喋ると同時に目の前のベッドに寝かされた女性の口が動く事。
「ここは先ほどの施設内ですよ。前室とお教えしたあのあたりですね」
「私に何をしたの?」
乾燥した喉の痛みに苦しみながら、声を出す。
目の前の女性も同じように喉を気にた様子で口が動かした。
何かが可笑しい、と感じでいた。
しかし何が可笑しいか良く分からない。
理解できない、理解したくないと言う方が良いかもしれない。
唐突に、自分の意思とは関係なく、ぐるん、と視界が動く。
後ろを向くように視界が回ると、目の前に研究者風の男の顔が有った。
気持ち悪い笑顔。
張り付いた様な笑顔をこちらに向け、男は言葉を紡ぐ。
「もちろん、霞美也様にもタピオカを体験していただこうと、準備をさせて頂きました」
ぐるんともう一度視界が動く。
再びベッドへ視界が向く。
ベッドには先ほどと同じく、一人の女性が寝ている。
この女性は誰だ。
いや、問いかけずとも美也にはもう既に分かっていた。
ゆっくりと左手を持ち上げる。
すると目の前のベッドに寝る女性もゆっくりと左手を持ち上げた。
「ああああああああああああああああああああ!」
叫び声が聞こえてくる。
目の前の女性が叫んでいる。
目の前の、目元に有るべきはずの眼球が無く、暗い落ち窪んだ闇がそこに存在する女性が叫んでいる。
しかしながら感覚としては自分の口から叫び声が出ており、肺の空気が無くなるまでそれが続く。
見たくない、と思っても瞼を閉じる事は叶わず、ただ恐ろしい自分を見せられ続けていた。
肺に貯めた空気が無くなるたびに思い出したように呼吸をし、また叫ぶ。
どれぐらいそれを続けていただろうか、気が付くと美也の視界が暗くなっていた。
ハンカチか何か布を掛けたのだろうか、素材越しに淡く漏れる光を見ながら心は落ち着いて行った。
「私に……、何をしたの?」
もう一度同じ質問を投げかける。
一寸考えるような間が有り、男は語る。
美也に施されたすべてを。
「サイボーグ技術、ご存じですか」
今から数十年前、とある事故で左目を失った。彼はその当時の最新技術を集め、義眼に小型カメラを搭載し、無線で手元のモニターへ映像を飛ばす事に成功した。しかしながら視神経への接続はできていないため、脳へ直接映像を送り込むことはできていない。
そこから数年の後、とある科学者が視神経へ無線にて情報を飛ばす技術の開発に成功した。それにより義眼の技術は飛躍的に発展したが、倫理的、金額的問題もありそれら技術はまだ一般へは出回っていない。
「ここまでならまぁ科学技術の発展、てところで良いんですけどね、また別のあるマッドサイエンティストが頭のおかしい技術を発明しました」
その科学者は考えた、義眼技術を応用し、生身の眼球を取り出しそれを無線化し、視神経に情報を飛ばす事はできないかと。結果から言うとできた。
だがしかし問題が無かったと言えば嘘になる。
その問題とはつまり、その技術を何に使うのか、と言う技術応用に関して出会った。
科学者はそう言ったことを何も考えず、ただ単に興味が有ったからと言う理由だけでその技術を開発していた。
折角の正常な眼球を取り出し、それを無線化するに足る意味が分からない。
取り出した眼球は二度と元に戻すことはできない。
それでは誰が何のためにその技術を使うのか。
使い道が分からないまま科学者はその技術を売り出し、そして頭のおかしい組織のトップが購入した。
「まあ、それがうちのボスなんですけどね」
自称気味に笑う男であったが、美也はそんな機微を捉える余裕すらなかった。
「そしてボスが私に言ってきたんですよ。面白いモノ買ってきたから収益化しろ……と。無茶ぶりも良い所ですよね、義眼技術ですら倫理的に不透明な状況であるのに、生身の眼球を無線化する技術ですよ。これは絶対に表に出せない事案ですよね」
美也は耳を塞ぎたかったが、身体の自由が利かない。
視界が覆われているため状況は確認できないが、ベッドから持ち上げられ車いすのようなモノに載せられ運ばれている様だった。
「私は色々考えましたね、だけど思いつかない。いくら頭のおかしい奴でも自らの眼球を取り出したいと思う事は無いですしね。しかし、ある時丁度タピオカ第六次ブームの特集をしている番組を観たんですよ。そこで言っていたキャッチコピーが『食感から触感へ、飲食から体験へ』』。いや、見たけど酷い特集でしたね……」
研究者風の男の独り言は続く。
「触感が何かって、タピオカ風呂にタピオカパック、タピオカを使ったドリンク以外の食事などなど、触感と言ってもしょせんその程度ですよ。新しい体験なんて何もありはしない。そこで思いついたんですよ、新しい体験を演出するにはこれが使えるんじゃないかと」
カラカラカラ、と車いすが進む。
目的地は先ほどの劇場部屋だろう。
いつの間にか猿轡を嵌められ何もしゃべれない、呻き声をあげるが誰もそれを取り合ってくれない。
「真にタピオカ体験を! 無線で接続された眼球がタピオカ玉の様にミルクティーの中に沈む。ミルクティー色の液体越しに見える風景、そしてストローを昇る景色。最後に口の中に入り歯に噛まれ潰される景色。それこそが体験、真のタピオカ体験だ! と思いませんか?」
狂ってる、この男は狂っている。
猿轡を噛まされた口の間から呻き声とよだれが漏れる。
鼻水が垂れる。
しかし涙は出ない、その器官はもうない。
暴れようとしても、手足を車いすに固定され動くことができない。
何より視覚が無いと言う事が美也の反抗心を蝕んでいく。
「もともとうちはテキ屋の流れでタピオカ屋も裏で手掛けてましてね、タピオカに心酔している様な客を探すのはさほど苦労しなかったですよ。彼女達には特別ドリンクの名前で、微量のコカインを混ぜたタピオカドリンクを飲ませて思考力を奪って洗脳しました」
男の話は止まらない。
美也が車と先ほどの部屋で飲まされたタピオカドリンクにもソレは入っていたのだろうか。
「さて、この体験は収益化させなければいけない。タピオカ屋はそれなりにお金になりますが、まぁ今回の体験とは関係ない。眼球無線化技術ってのは結構お金がかかりましてね、顧客となった方々の身銭を貰っても到底収益化できるものではない。さて、どうすればいいか」
このタピオカ体験の噂では、『その体験をするともう普通の人生には戻れないと言われている』と言われている。
そして事実行方不明になる人もおり、先ほど見た狂乱の景色を見ればおのずと答えが導き出される。
「若い子の死体はね、高く売れるんですよ。肉体は若く、臓器もみずみずしい、そして欠損部分は眼球だけ。もちろん合法的に売りさばく事はできないが、我々の組織ならそう言ったルートはいくらでもあります。驚くほど収益が出るんですよ、これが」
ガクン強めの揺れが有り車いすが止まる。
いつの間にか目的地に到着したらしい。
「タピオカ屋での行動や言動、も勿論うちの息のかかった店員がチェックし、対象を選別。その子達だけに提供する特別ドリンクで骨抜きにして、平常心を失わせて、後はここに呼びこむと。意外とあの変な噂のおかげもあって、彼女達が失踪してもそれほど影響が大きくならない様に手を打ってるんですよ」
身体の震えが止まらない。
息が荒く、過呼吸気味に何度も息を吸い込んでしまう。
鼻水とよだれで顔中べとべとになっているが、それ以上の恐怖が襲ってきており気にならない。
「是非ともあなたにも体験していただきたい。どうです、今回の経験をルポタージュにまとめて見ませんか」
生きて帰れればですが……
と、男は小さく呟いた。
美也の眼球は未だ暗闇に覆われたままだ。
眼球事態に触感が無いため何も感じないが、暗闇の中をゴロゴロと転がる様な不快感が視神経を通して脳に直接訴えかけてくる。
暗闇の中で揺れる視界、三半規管には影響は無いはずだが、脳の処理が追い付かず眩暈と吐き気が襲ってくる。
「霞美也さん」
男が耳元で囁いた。
すると一気に視界が開け、光の洪水が眼球を襲う。
眩しさに瞼を閉じる事も出来ずに、ただただ光の洪水を見続けさせられる。
光は一本一本が針のように脳を焼く。
口から洩れていた呻き声が漸く収まってきたころ、美也の肩に手を置いていた男が再度囁きかけてきた。
「それでは魅惑のタピオカ体験に特別ご招待いたします。霞美也さんの場合、ちょっと特別タピオカドリンクを飲み足りないので、もしかしたら他の方々と同じような体験はできないかもしれませんが、まあそれはそれ。楽しんでいただけますと幸いです」
ゴロンと視界が転がり、液体の中にドボンと入る。
くるくると回る視界は左右で別々の景色を映しており、脳の処理が追い付かない。
右目は今まさに天井を捉え、ぷくぷくと浮かび上がる気泡を下から覗き、左目はいち早く容器の底に着き、その視線の先には車いすに座らされた自分の姿がぼんやりと霞んだ様に見える。
唐突に視界が揺れる。
一定間隔で目の端にストローの姿が映る。
ぐるぐるぐると、回るストローに合わせて水流が生まれ、その水流に乗るように眼球も流される。
目が回る、と言う表現が有るが、まさに目が回る勢いでぐるぐると視界が変わる。
とっくに脳の処理能力を超えた視界情報に、逆にドーパミンだろうか、脳内物質が分泌され、いらぬ高揚感が生まれてくる。
今まで体験したことの無い快楽が身体を襲う。
後ろに居る男、もそれに気が付いているのか、恍惚を纏ったような笑い声が微かに聞こえてくる。
気が付くと水流はおさまっており、左右の眼球は容器の底面に横たわっている。
ズズズズズ、ズズズズズ
あの時聞いた音が聞こえてきた。
飲まれている。
何者かにこの液体がストローを通して飲まれていた。
コロリ、コロリとストローの吸引に合わせる様に眼球が少しずつ転がっていく。
先ほどの恍惚とした快楽はすっかり身を潜め、全身に恐怖が張り付いた。
嫌だ、嫌だ
これ以上吸わないで欲しい。
眼球がそっち側に行ってしまう。
ズズズズズ、ズズズズズ
コロリ、コロリ
ズズズズズ、ズズズズズ
コロリ、コロリ
少しずつストローに近づく眼球。
ズズズズズ、ズズズズズッ
ついに右目がストローの中に吸い込まれていく。
赤い筒の中を高速で駆けあがっていく右の眼球。
視界は赤い色で覆われ、深夜のハイウェイを高速で移動しているような、そんな光の流れが視界を覆う。
眼球がストローの先を捉える。
真っ暗な闇がその先に有る。
闇の中へ向かって進む視界。
赤い光の管から、闇の中へと入りこむ。
その数瞬後。
プチッ
と眼球が潰された。
「あ、あ、あがあああああああああ」
痛覚は繋がってないはずだが、なぜか右目に強烈な痛みが走る。
脳が焼き切れるほどの痛みが襲い、悲鳴が口から洩れる。
その間にも左の眼球がストローを上昇する。
そして左の眼球も同様に暗闇に覆われ、プチッ、と言う音と共に美也は意識を手放した。
*
「お姉さん、最近毎日来てくれますね」
「ここのタピオカ好きなんですよー」
「そう言ってくれると嬉しいですね。そうだお姉さん、秘密は守れる方ですか?」
「え、何々? うちこう見えて口は堅いよ」
「いやどうだろう、見た目的にはすごい口が軽そうですけど」
「えー、ショック。お兄さん人を見る目なさすぎ」
「ははは、冗談ですよ、冗談。お姉さんよく来てくださいますし、可愛いから特別に裏メニューを紹介しようかなと」
「え、なになに、裏メニューとか有るんですか?」
「うち店、特製のタピオカドリンクです。見た目は普通のタピオカドリンクと変わらないんですけどね、ちょっと高価な調味料を入れてましてね。通常のタピオカドリンクよりも飲んだ後の幸福感が違うんですよ」
「なにそれ、超気になるんですけど」
「でもこの調味料、あまり仕入れられなくて、通常メニューに出せないんですよ。だからお得意様限定」
「飲みたい、それ飲みたい!」
「分かりまして。でも、良いですねこの事は絶対に秘密ですからね。他の人に漏れたらもうお渡し出来ませんし、この店も無くなってしまうかもしれませんよ」
「はい、分かりました。だから早くー」
「はいはい、少しお待ちくださいね」
タピオカンドリーム タピオカに人生を捧げた物語 大鴉八咫 @yata_crow
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