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 リノリウムの床を暫く歩くと、地下へ続く階段が有った。

 その手前に受付の様なものが有り、美也は手荷物をそこで預ける事になった。

 女性の係員の元、入念な身体検査が行われ、その場から持って行けたのはデジカメと、メモ帳、筆記具の類のみであった。

 用意していたボイスレコーダーなどは全て没収となった。

 恐らく車中にて録音していた会話も消されてしまうだろう。

 後で覚えている限りメモ帳に記載しておこうと考える。


 カツン、カツン、カツン

 男の革靴と、美也のハイヒールの硬質的な音が階段に響く。

 ほぼ一階分下に降り、踊り場を抜けると左右に分かれる廊下が見える。


 男は迷う風も無く廊下の右側に進む。

 美也も後に続こうとするが、左側の廊下が気になり少し止まり耳を澄ませる。


 アー、ウー、アー、ウー。


 呻き声とも風の音とも付かぬ音が微かに響いてくる様な気がした。

 後ろから続く足音が途絶えたことに気が付いたのか、研究者風の男が振り返る。


「どうしました?」

「いえ……、あのこちらには何が?」


 そう言って美也は左側の廊下の先を指指した。


「ああ、そちらには前室が有るんですよ」

「前室? とは」


 ふむ、と指を顎に当て言葉を選ぶ男。


「そう言えば、ここの施設が何なのかお伝えしてませんでしたね」


 今更ながらにそんな事を言ってくる男に少しイラっとしながらも、先を促す。


「噂の内容は今更繰り返す必要も無いでしょう。ここは、その噂に出てくる、タピオカ体験というモノが出来る施設です」

「タピオカ体験と言うと?」

「それをこれからお見せしますよ。多分話で聞くよりも実際に見た方が百倍理解が出来るでしょうし」


 自信満々にそう言い切った男は再び歩き出す。


「反対側の前室と言った場所は、そのタピオカ体験をするための事前準備をするための施設、とでも言えば良いんでしょうかね。入念な準備が必要なため、このような施設が必要になるんですよ」


 タピオカ体験とやらにこのような大それた施設が必要なのか、疑問に感じた美也だったが、今はそのまま男の後ろに付いて行く事にした。

 一応周りを見回し、何かないかと注意深く観察するが、無機質な廊下が伸びているだけで扉の一つも無い。

 タピオカが体験できる場所と言う事で、もっと女性向けの装飾など施しても良さそうなものだがそう言ったものは一切見当たらない。

 その事を尋ねてみると、男は不思議な事を言い出した。


「こっちの道にはそういうモノは必要ないですから。どうせ見えないでしょうし」


 男の話した内容が良く分からなく首を傾げていると、唐突に正面に扉が見えた。

 正面には両開きの扉が有る。その横、廊下の右側にもう一つ小さめの扉が有り、男はそちらの扉を開けた。


「こっちの扉じゃないんですか?」


 大き目の両開きの扉を指さす美也に、男は首を振った。


「そちらは実際の体験者が行く部屋になっています。見学する場合はこちらから上階に上がれます」


 そう言って扉を潜ると、なるほど確かにその先には大きく円を描くような螺旋状の階段が見えた。

 恐らく両開きの扉の部屋の外郭に沿って階段が設置されているのだろう。


 階段を二階分程度上がると、唐突に上階に出る。

 そこは、内側がガラス張りとなっており、円筒形の部屋を上から見下ろせるような配置になっている。

 窓際にソファーなどが設置されている場所もあり、そこに座って部屋の中を覗けるようだ。


「さあ、そうですね、ここのソファーにお掛けください。飲み物はタピオカドリンクで良いですか? ワインとかもありますが」

「タピオカドリンクで」

「ほぅ、あなたも結構なタピオカフリークですね」


 そんな訳ない。昔、学生時代はちょうど第三次タピオカブーム辺りで色々な店を飲み歩いたが、それだけだ。

 一時の流行に乗っただけで、別にタピオカドリンクが言うほど好きと言うわけでは無い。

 周りに合わせて、流行に最先端の自分を演じていただけだ。


 それに今アルコールを身体に入れるのは抵抗がある。

 これから何が行われるか分からないため、出来るだけ頭の中を冷静に保ちたい。


「それでは弊社の特別タピオカドリンクでお楽しみください」


 ソファー横に置かれたテーブルへタピオカドリンクが置かれる。

 いつの間にか部屋の中には案内してきた男の他に、ウェイトレスらしき女性の姿もあった。


 男が時計を確認する。


「もうそろそろ始まりますので、少しお待ちくださいね」


 男の声を聞きながら、美也は正面のガラス越しに部屋の中を観察する。


 部屋の中央には台座の上に、円筒形の丁度ドラム缶程度の大きさの透明な容器が置いてある。

 それを取り囲むように円形に座席が配置されており、椅子の材質や配置はどこか映画館か劇場を思わせる。

 それが三段に渡って配置されており、全ての席数は40から50席は有るだろうか。

 その席が全て中央の透明な容器を見る様に配置されているのは少々奇妙さを覚える。


 タピオカドリンクを飲みながら時間を潰す。

 研究者風の男には色々聞きたかったが、既に席を立ち何処かへ行ってしまった。

 ウェイトレスらしき女性は美也の後ろに控えていたが、能面の様な顔で全く動かない。

 こちらから話しかけてみたが、一切返答は無かった。


 仕方なくガラス越しの部屋を見ていたところ、正面に見えていた両開きの扉が開き誰かが室内に入ってきた。

 入ってきたのは二人の女性だった。

 一人は普段着に頭にベールを被り顔を隠すように薄い布を垂らしている。

 これでは前が見えないだろうと思われるが、彼女を介添えするように看護師姿の女性が手を引いている。

 覚束ない歩き方で連れられてくる彼女は手に何か箱の様なものを持っている。

 そのまま室内に入り奥まで来ると、前列の席に座らされる。


 座った女性はそのまま微動だにせず、看護師姿の女性は案内は終わったとばかりに両開きの扉から出て行ってしまう。


 最初の一人が席に連れられてくるのが合図だったかのように、次々と同じような恰好の女性が部屋に入ってくる。

 前室と呼ばれる場所に居たのだろうか、大勢の女性が連れられてきて室内の席に着く。

 席は全て埋まらなかったが、全部で30人ほどだろうか、全ての女性が普段着に、薄井布のベールを被り、謎の箱を携えていた。

 顔は見えないが、雰囲気や動作から感じる年齢はそれなりに若そうで、全員が女性であった。


「いよいよ始まりますよ」


 突然耳元で声を掛けられ、ビクッと肩を震わす。

 いつの間に戻ってきたのか、美也の真後ろに立ち面白そうにガラスの向こうを見守っている。


「何が……、始まるの? それに彼女たちは……」

「噂のタピオカ体験ですよ。あの子たちは選ばれたタピオカ好きの女性達ですね」


 本当に楽しそうにそう言う男の顔には既に狂気が宿っている様だった。

 美也は出来るだけ男の方を見ない様にし、ガラス越しの光景に集中する。


「あ、あの容器の中にタピオカを入れてそこに彼女たちが入るとか」

「ああ、タピオカ風呂ですね。残念ながら私たちが提供する体験はそのように俗悪なモノではありませんよ。真のタピオカ体験です」

 先ほどからこの男が言う真のタピオカ体験なるモノがどれほどのモノかは分からないが、これから目の前で行われる事象がただのお遊戯の様なモノでない事は雰囲気からうすうす察せられた。


 ガラス越しには何やら儀式的な様相で事が進んでいる。

 全ての女性が着席すると、扉から黒服の男性達が複数人カートを引きながら現れる。

 カートの上には、今美也の手元に有る様なタピオカドリンクが載っている。


 黒服たちは中心部にカートを置くと、一つずつタピオカドリンクを手に取り椅子に座る女性の元に進む。

 女性の前に付くと、そのまま耳元で何かを呟き、タピオカドリンクと彼女達が持っていた謎の箱を交換した。

 箱の大きさはちょうど眼鏡ケースほどの大きさで、中身までは良く分からない。


 次々と黒服たちがタピオカドリンクと謎の箱を交換していく。

 全ての交換が終わると恭しくお辞儀をし、黒服たちはカートに載せた箱ごと部屋を出ていった。


 室内にピアノの旋律が流れ出す。

 ヒーリングミュージックの様な安らかな調べの中、その間も席に座る女性達は微動だにしない。

 顔を覆うベールも相まって死者が座っているように感じられるが、呼吸により微かに動く胸元や、タピオカドリンクを持つ手の震えなどで何とか生存が確認できる。


 微かな調べの背後に機械音が響く。

 モーターの様なものが回る音が響き、次の瞬間中央の透明な容器の中に液体が注がれ始めた。

 ドラム缶並みの大きさの容器に大量の液体が注ぎ込まれる。

 液体の色合いは薄い茶色の様な色に白を混ぜたような色合いで、まさにミルクティーの様な液体であった。


「あれは特製のミルクティーですよ」


 美也の考えを見透かすように後ろから研究者風の男が囁く。


「綺麗な色でしょう、あの色の中にタピオカが混ざると何とも言えない色合いになるんですよ」


 つまりあの中央の透明な容器に巨大なタピオカミルクティーを作るつもりなのだろう。

 巨大なタピオカドリンクを作ってどのような体験ができるのか、美也は恐怖よりも好奇心が多少なりとも勝ってくる。


 容器の容量一杯にミルクティが注ぎ終わる。

 すると突然劇場に座る女性達の方からざわつき始める。

 ある女性は突然ビクンと震えだし、ある女性はキョロキョロと辺りを見る様に首を振るモノ、またある女性は頭を抱えてうずくまるモノも居た。

 あまりに酷い動きをする女性に対しては隅に控えていた看護師の女性が駆け寄って何やら注射のようなモノを打つ。

 鎮静剤なのか、注射を打たれると途端にその女性は大人しくなった。


 突然の騒ぎに、思わず席を立ちかける美也だったが、その肩に手を置かれ再度ソファーに座らされる。


「大丈夫ですよ、皆さんこれからの体験を前にちょっと過敏になっているだけです」


 美也が再度ソファーに腰を掛けると、目の前の光景に動きが有った。

 ぽちゃんぽちゃんと言う音と共に、透明な容器の中に白濁した球体のようなモノが投入される。

 タピオカ玉よりは大きい様に見受けられるその球体は結構な数が入れられている。


「ああ、やはり美しい……」


 陶酔したような様子でその投入の様子を見る研究者風の男。

 劇場に座る女性達は球体が投入される度にビクンと震える様な動作をする。


「あ、あの投入されている球体は何ですか……」


 嫌な予感がする。

 聞いてはいけないと、見てはいけないと美也の脳内で誰かが囁く。

 しかし、これがこの体験の本質であると長年の勘が告げている。


「それでは特別にお教えしましょう。どうぞこちらへ」


 研究者風の男は美也を立たせると部屋の奥へ連れていく。

 そこに有る扉を開け、さらに奥の部屋へ。

 この部屋にはガラスは無く、そちら方向に一つだけ扉が有った。


「ここがあの部屋の中心に向かう扉です」

「劇場の中心に……」

「劇場、なるほどそれは面白い表現だ! 流石はジャーナリスト、良い感性していますね」


 大いにはしゃぐ男をよそに、美也の気分はだんだんと沈んでいく。

 この扉の先に行けば戻れないと言う思いが増す。

 劇場の中心と言う事はつまりあの巨大なタピオカドリンクが作られている容器の真上と言う事になる。


 男が扉を開き、美也に中に入るように促す。

 その部屋はこじんまりとしており、中に一人の黒服が居た。

 黒服の正面には床に穴が開いてあり、そこに一本の管が天井まで伸びている。


 研究者風の男は美也の手を引き部屋の中央まで連れていくと、黒服の男から例の箱を一つ受け取る。

 それはまさに下の劇場で女性達が持っていた箱と同じものだった。


「これが最後の一個です、どうです、あなたの手でこのタピオカドリンクを完成させてくれませんか」


 美也は男から箱を受け取る。

 桐の箱だろうか、少し重量が有る。


 これは絶対に開けてはいけないモノだという思いは強まるが、しかしそれ以上に箱の中身が気になった。

 ゆっくりと箱のふたを開ける。

 徐々に姿を現す中身、まずコットンの様な詰め物が見える。

 そしてその奥に丸い球体が二つ現れてきた。


 始めは何か分からなかった。

 白濁したその球体は、ゼラチン質の様な材質で、白と赤い毛細、そして一部が黒い穴の様に開けていた。

 それは眼球だった。

 一組の眼球が確かにそこに有った。


「ひっ」


 危うく取り落としそうになるそれを、黒服の男がキャッチする。


「危ないですね。気を付けてくださいよ、これは下に居る女性の大切なタピオカ玉なんですから」


 震える身体を抑えながら下を見てしまう。

 大きく開いた穴から、透明な容器を真上からみてしまう。

 そこにはミルクティー色の液体の中から30人近い女性達の眼球がこちらを見ている様だった。


 仕方がないと言ったような仕草をすると、黒服の男が持っている眼球を下の液体に放り投げる。

 その後、ゴロゴロとミルクティーがかき混ぜられる。

 天井まで伸びた管の様に見えたそれは、赤く透明なストローだった。

 

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。

 容器の中で眼球が躍る。

 かき混ぜられる渦により、上下に揺れる眼球が偶に水面に浮かび上がり、黒目部分が美也を確かに見る。

 そう、確かにそこから視線を感じる。


 ゴロゴロと転がる大量の眼球の黒目部分がこちらを見るたびに、美也を射抜くような視線が刺さる。


 大量の視線に晒され、震えながら尻もちを付く。

 寒気が酷い。

 身体を抱くように身体を丸めても、震えは止まらない。


「どうですか、タピオカ体験をご覧になって」


 ニコニコと、何事も無いかの様に笑う男。


 恍惚とした声が下から聞こえる。

 穴の隙間から確認すると、劇場に座る女性達がまるで性的興奮を覚えたかのように悶えているのが見える。


 狂っている。

 すべてが狂っていた。


 自らの眼球をタピオカ玉として提供する行為。


 確かに自らがタピオカを体験する、と言う意味では正しいかもしれない。

 しかしながら、眼球を、タピオカと言うモノを体験するために眼球を提供するなど正気の沙汰ではない。


 おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい、おかしい

 だってそうじゃないか、眼球を提出して体験するって、眼球を摘出した時点で体験はできないんじゃないだろうか。

 その摘出した眼球は既に眼球としての機能を失っているんじゃないか。

 ただのたんぱく質と化していないだろうか。


 彼女達はその顔の中に穿たれた瞳の穴の中で何を見ているのだろうか。

 暗闇の中に何が見えるのだろうか。


 理解が及ばない。

 理解ができない。

 彼女達を駆り立てるのは何なのか。

 彼女達はタピオカに何を見ているのか。


 茫然自失していると、突然、


 ズズズズズ、ズズズズズ


 と、音が鳴りだす。


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、目の前に延びるストローの中をミルクティーと眼球が昇っていくのが見えた。

 眼球の黒目が美也の姿を捉える。

 ぞくぞくっと背筋に悪寒が走る。

 見ている、あの眼球は何故かわからないけど美也をその目に捉えている。


 次々とストローを登っていくミルクティーと眼球。

 天井へと吸い上げられる眼球達。

 

 やがて天井から、


 プチッ、プチッ


 と音が聞こえてくる。


 それはまるでタピオカ玉を口の中で潰す様な音で、そして間違いなくそれは天井へ消えていった眼球を潰す音であった。

 プチッと言う音が鳴るたびに、下の劇場から叫び声が聞こえる。


「アアーーーーーッ」

「イヤーーッ」


 プチッと言う音とシンクロして叫び声が聞こえる。

 恐らく、いや、間違いなく潰された眼球の持ち主が叫んでいるのだ。


 美也が茫然とストローを見守る中、ついに全てのミルクティーと眼球が天井へと消えていった。

 眼球がどのようになったかは知りたくなかった。

 何か機械的なモノによって潰されたのか、或いは誰かが食べたのか。

 知りたくも無い事だった。


 唐突に吐き気が襲う。

 胃の中身が床を汚す。

 へたり込みながら穴の中を見ると女性達が至福の表情を浮かべ、椅子に腰かけたまま事切れていた。


 既に吐き出すモノも無い中、それでも胃液だけが喉を駆け昇り、口の中を焼く。

 最後の意識を絞り出し、研究者風の男を見上げる。


「なぜ、なぜこんな事を!」


 男は美也ににこりとほほ笑みかける。


「実際に体験してみれば分かりますよ」


 そう言いながら、男は手の中に仕込んだ注射器を美也の首元に指した。

 そして美也の視界は暗転した。

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