姫桜
めぐめぐ
姫桜
この町には、樹齢1,000年を超えていると言われている桜がある。
名は、『姫桜』
噂によると、長く生きたこの桜には魂が宿っており、時折人の姿となって僕たちの前に現れると言う。
もし姫桜の人の姿を見る事が出来たなら―――、『秘めたる恋』が成就するそうだ。
この噂の為、『姫桜』が立つ丘には、恋愛成就を願う女性の姿が良く見られるが、この噂を僕はいつも懐疑的に思っている。
本当に、『秘めたる恋』が成就するのかと。
『姫桜』に行くのは、僕の日課である。
人通りの少ない時間帯、日が落ちつつある夕方に、僕はいつも『姫桜』を訪れる。
今日は、風呂敷に包んだ一段タイプの重箱を持っているため、坂道を上がるのが中々辛い。
あがる息を抑えつつ、ゆっくりと坂を上っていくと、『姫桜』が見えてきた。
しかし、今日は先客がいた。
スーツを着た女性が『姫桜』の前に立っている。
OLさんだろうか?
女性は瞳を閉じ、両手を合わせて何かを呟いているようだ。
残念ながら、この距離では何を言っているかは分からないが、女性が何をしているかは想像できた。
今まで、山ほど見てきた光景だったからだ。
女性は僕の姿に気づくと、はっと顔を上げ、恥ずかしそうに僕の横を通り過ぎて行った。
振り返り、小さくなる女性の後姿を見ていると、後頭部に衝撃が走った。痛さと衝撃で身体が前のめりになり、お重が手から落ちそうになったが、何とか堪える。
「っっっっっ!!」
「なあに? さっきの女の人が気になるのー?」
ふふっと笑いを含んだ女性の声に、僕は一つため息をついた。
お重を包む風呂敷を強く握ると、振り返って声の主を見た。
目の前には、着物を着た美しい女性が立っていた。
細く大きな黒い瞳。
ほんのり赤く色ずいた頬と、小さいながらも形の良い唇。
少し太めの眉毛が力強そうに思えるが、僕はとても似合っていると思っている。
そして目を惹くのが、長くまっすぐな桜色の髪。
初めて女性を見た者は、自分の周りだけ春がやってきたように感じるだろう。
彼女の名は、姫桜。
目の前の『姫桜』の魂が、人の姿となった者だ。
「何をするんですか、姫桜様。危うく、お重を落としてしまうところでしたよ」
「ええっ! それは一大事!! お重は大丈夫かしら!?」
「お重の前に、躓きそうになった僕に謝ってください」
「はいはい、ごめんなさーーい」
姫桜様は、気持ちの籠らない謝罪をすると、お重を奪って姿を消した。
相変わらず、やることが子どもっぽい。だが、どこにいるのは分かっている。
『姫桜』の木のもとに行くと、お重を持った姫桜様が立っているのが見えた。
僕は声を掛けた。
「先ほどの女性は、お礼参りの方ですか?」
空に向けられていた視線が、僕に移る。
「そう。この間告白したらOKを貰ったらしいわ。だから残念だったわねー。」
「だから…、いつも僕がお礼参りの女性を狙っているかのように言わないでくださいよ」
「怒らない、怒らない。うん、あなたには笑顔が一番よ!」
「そうですよね、僕を怒らせるとお供えがなくなりますからね」
「ああ~…、それだけは…。お供えがなくなる事だけは勘弁んんん~…」
姫桜様が、かなり真剣な表情で両手を合わせて僕に謝ってきた。
それほど、この方にとってお供えとは大切なものならしい。
僕が、姫桜様と出会ったのは、一年ほど前だ。
当時はとても驚いたが、姫桜様が退屈そうにしていると知ってから、こうしてお供えを持って話し相手になっている。
僕は姫桜様からお重の入った風呂敷を受け取ると、盛り上がっている木の根に座って風呂敷を広げながら話しかけた。
「でも今回の恋愛も、無事成就してよかったですね」
「私の加護があるのだから、成就間違いなしに決まっているわ。ふふん」
「えっ? そうなんですか? 僕はてっきり、成就しそうな恋愛をしている人の前だけに現れているのかと……」
「そんなセコイこと、しないわよ!」
自作自演、絶対ダメ!と言いながら、今度はおでこにチョップを食らった。中々暴力的な方だといつも思う。
「すみません…、嘘です」
「分かればよろしい。で、今日のお供えはなに?」
「桜餅です」
「わ―――! 早く食べよう!」
いつもこんな調子だ。
冗談を言い合い、笑いあい、僕が持ってきたお供えを共に食べる。
無防備に、唇の端に餡子の欠片を付けながら桜餅を頬張る姫桜様を見ていると、いつも『姫桜』の噂を思い出す。
僕はこの噂に懐疑的だ。
もし本当に、姫桜の人の姿を見る事が出来たなら―――
『秘めたる恋』が成就するというのなら―――僕の
あなたへの恋もそろそろ成就していいと思いませんか?
姫桜 めぐめぐ @rarara_song
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