川を見ていたら異世界に行った 

面堂フライ

川を見てたら異世界に行った 

 異世界それは、この世とは別の世界、異なった世界と考える。生き方は誰もわからない。 そう、行きようがないのだ。 もし、行ってしまったら、あなたはどうしますか?。すぐに「異世界」と認識はできますか、認識できない場合はそうしますか? 行ったとしてそのあと自分はどうなのか。 言葉は通じるのか、そもそも人はいるのか いろいろな疑問が出てくる。私はここで「川」について考えたい。川を見ていたら異世界にいけるのか、そんな疑問が私にはある。「川」に意識があると考えたらそれも面白い。可能性というのはとても便利な言葉だ。川に意識がある可能性だってある。そんなことだれがおもうだろうか、そしてもし意識があったとして何が得られるのか、謎でしかない。 その謎を解こうとしたらどうだろうか、何かわくわくしてくる。私は解いてみたい、川に意識があったとしたら。


 私は1人でとある駅に降りた。都会から電車で1時間半ほど。乗り継ぎは2回 山に囲まれた小さな町だ。駅は小さな駅舎で、鉄路も単線。1時間に2本走ってればいいほうだ。この町に鉄路があるのが少し不思議だった。降りて、周りを見渡した、小さな商店が2件あった。1件は、お土産屋、小さな看板委「おみやげ」と書いてて外見はボロボロだ。1日に1人もこないであろう、店だった。そもそもこの町に人がいるのかもわからない。駅員の姿もなければ町にも誰もいない。もう1件はちょっとした商店だ。日常品とか軽く売ってる程度だろう。お土産屋とは全くおいてあるものは違うだろう。どちらの店も1日に1人店に来るのか疑問でしかない。まあ、田舎の単線駅、駅前に店があるだけでもいいのかもしれない。今日はこの町にはほとんど用事がない。来たのは自然を楽しむためだ。 私は普段、都会の会社に通い街の雑音を聞いて、人の波にのまれて、つまらない人生を送ってた。そんな自分が嫌になってきたと思う頃、ふと脳裏に「自然に触れたい」と思ってしまった。都会の雑音は人間にはもしかしら、「苦」でしかない。と思っている。都会とは生活するには便利だ。だが、その環境が人間にとっていいとは限らないだろう。 そんな都会の波にのまれて、送ってた自分が、この先どうしたらいいのか、都会に住んでる限り気持ちに落ち着くとはないだろ。気持ちを気持ちを落ち着かせるのは都会より自然に触れたほうが、落ち着くと考えた。今の時代、簡単に行きたい場所なんて探せる。ネット環境は便利だ。簡単に調べて、この駅の存在を知った。

 

 私は目的の場所に向かった。駅の近くの細道から、山に向かった。木が綺麗に並び地面は堅かった。登山道だろう。歩くにはとても歩きやすかった。自然に触れたい、今、私はとても満足してるただ、登山道であろうところを歩いてる、これだけでも満足はできた。服装は軽めの服装で運動しやすい服装だ。山登りの服からは違うだろう。目的は自然に触れることだ。これでいいのだ。事前に調べた情報なら、登山道に入ってすぐに横道があり、そこから、川にでれるらしい。イメージというのは大切で自然ってイメージすると山と川になる。この2つが揃ってるところはあるようであまりないだろう。 

 歩くこと10分ほど、まだ、駅を降りてから誰にもあってない。この近辺にはひとすらもいないのだろうか、本当に不思議だ。まるでこの世界に自分1人かと思うような状況だ。道の景色はほとんど変わらない無限ループしてる感じだ。横道はおそらくこの先だ。自分の感でしかない。 さらに歩って5分ほど、横道についた、右側に小さな道が伸びてて明るくも暗くもない感じだ今歩ってた道よりも若干狭い感じ車が通れる幅ではない。まあ、こんな山道に車で来ることもないだろう。だから、狭い道なのだと思う。そもそも歩きやすいように簡単な整備されてるだけでもありがたいことだ。整備と言われても歩けるようにしてるだけだが・・・ 目的の場所まではまだ先だろう。 今のところ、川の気配っていうのか、それはまだ、何もない。とりあえず歩く目的の場所まであと少しと考えれば案外あるけるものだ。 「自然」というのはとてもいいところだ。何もかも忘れらえる。ひと時の休みの日それは、私にとってとてもありがたいものだ。 分かれ道から10分ほど歩くと、開けたところにでた。耳を澄ませば水の音。道は堅い地面が砂利になっている。ところどころ大き目な石と言うか、岩がある。川は軽いカーブを描いてる感じだ。釣りでもしたいなと思うようなところだ。私は水辺に近づいた。砂利や石の上を歩くのはとても大変だ。都会のアスファルトを普段あるいてるせいかとても歩きにくい。今の季節は夏7月だ。水辺に近づいたら温度が明らかに違った。涼しいという表現が正しいだろう。山って自然はあるけど、正直そこまで、涼しいとは思わない。ここまで歩ってきて私は少し汗をかいてた。夏で汗をかかないほうが少しおかしいとは思う、だから、今の状況は正しいとは思っている。夏で汗をかいて山道を少し歩いた。


 私は水辺に近くにあった、座りやすそうな椅子に座った。そこから見える景色はとても素晴らしかった。川の反対側というのかそこは緑綺麗な木が多かった。夏の葉はとても素敵だと思う。都会、だと見れる場所は少ないだろう。コンクリートの山と自然の山、文化の違いもあるが、自然にあるものはそもそもが美しいと思う。コンクリートの山と木は私には確かにつらい。息苦しいところが多すぎる。今の自分には今、座っている環境はとてものびのびとしている。久しぶりにこんなのびのびとした感じを味わった。 駅を降りてから人にはあってない、1人の世界が続いてるような感じはある。素晴らしい感じだと思うが、何か寂しいい感じも同時にある。 川を見ているといろいろ考えさせられるところがる。 


「川」何が目的で流れてるのか、何者かに指示されて流れているのか、川に意識があったらと考えるととても興味深い、耳を澄ませば水が流れる音、鳥の鳴き声が聞こえて、セミの声も聞こえてくる。暑苦しく思うかもしれないが、都会のコンクリートの山をみれば、今の状況は癒しになるかと思う。都会と自然 これは全く違うものだと考える。だが、「川」はどうだろうか都会にも川はある。元は山から流れてる「川」だが、山と都会 では川のイメージも全く違うものだ。木とコンクリートこの違いだろうな。 「川」とは場所によってかなり変わるものだ。そんなことを考えてた。今の自分にはなぜか余裕がある。この環境だからこそかもしれない。普段の都会の生活から離れて、自然に入りそこで考える。ある意味幸せなことかもしれない。いろいろ視野が広がるのはいいことだ。  

 この暑さはさすがにきつい。帽子をかぶっててもふらふらしてきそうだ。 涼しいほうが私は好きかもしれない。改めて思うことだ。 川を見て意識があるならと考えたが、もし意識があったなら今頃世界は、存在してたのだろうか。川が自分で動けるなら、その辺は川だらけ。人間が住めるようなところはないだろう。自然に流れて海にいく。「自然」って言葉が似あうのはもしかしたら、「川」だと思う。川と人間の関係は深いものがある。昔から川の側には集落があった。人間にとって「川」とはそういうものだ。生きるために、動物が生きるためには水が必要だ。それを求めて川の側に集落を作る「自然」なことだと思う。 

 もし、川とは何かと尋ねられたら、「川とは環境によって顔を変えて人間には必要なもの、そして時には顔を変えて人間を苦しめるものだと」これを答えるべきかと。 まあ、聞かれることはないだろう。こんなことを頭の中で考えてた私は、ふと違和感を感じた。何か寒気がした。周りを見渡したら若干暗くなったように思えて、川の様子も何か違う。今は夏、寒気がしたっておかしいと思い私はすぐに座ってた石から立った。川は透き通ってて綺麗だ。でも何か違う。いや、違いがありすぎた。向こう岸に、つまり反対側に違和感は確かにあった。 それが自分には「違和感がある」しかわかってない。そして、夏の暑さが消えて、過ごしやすい気温になった。 「雨でも降るのか」これが脳裏にあったが、空をみても晴れてるだけ、川の上流にも雲はない。雨が降る要素が何もこの時点でなかった。 ならなぜ、温度が下がり違和感があり、とおかしなことになったのか説明がつかない。暗くなったのも雲が原因とは考えられるけど、雲がそもそもない。「これはおかしい」 私はそう思った、いや、おかしいしかない。 この時に近くに人がいればまた、状況は変わるだろう。だが、駅を降りてから人はだれもいない。駅前にも登山道にも人はいなかった。 田舎の町だからと、思ってはいたが、いま、思えばそこから、違和感としてあったと、思う自分がいた。 私はとりあえず町に戻ることにした。このままここにいては何か嫌な感じがありそうだ。 登山道に戻る道を探した。だが、なかった。無い? え?  私の状況が、自分の状況が何もわからなくなってしまった。 ここはつまりどこ・・・


自分はいったいどこにいるのだ。そしてここはどこなんだ。これが私の頭の中にあった。 さて、ここで落ち着くとかまず無理がある。いきなり異世界かもしれない世界にいるのだから。 私は異世界系の話を見たことはあるが、自分がその状況に近いところに来たと思い始めてしまった。 ここまで考えたら止まらない。ここは異世界ではないか。そしてだれもいない。周りは晴れてるの若干暗い。 熱中症とも考えらるが、それなら今来た道が無いのはおかしい。川の状況は相変わらず透き通ってる。綺麗だ。川の反対側の違和感はそもそもなんだ。何かちがうんだ。 その違いが今の状況にどんか影響を出しているのか、それすらもできない。とりあえずここが異世界な変える方法探さなければ。いきなり「ここは異世界化も」と考えるのかと思うが人間が1人の状況なら、考え方そのものまで若干変わるもの。人の波にのまれてる生活をしていると考えは広がらない。固定されてくるからだ。 今の私は1人だ しかも山奥の川岸に居る状況。そして違和感しかない状況。おかしな考え方になるのは自然な流れかもしれない。 もしここが異世界ならどうして来たのか方法は何かしらあるはずだ。それすらも今の私にはわからない。だって、川岸に座ってただけなのだから。 ここはネットの旅の記事にもあって評価はそこそこあった。異世界にいきましたとかコメントもまったくない。プラス的な感想がとても多かった。 今の私にはもしここが異世界ならという考えが妥当とも思えた。 これは霊的な何かなのか、それとも自分の思い過ごしなのか、またまた、何かよからぬ手順を踏んで異世界に来たのか。 どれもぶっ飛んだ考えになってしまっている。 「あ、携帯で何かわかるかも」と思い私はポケットにいれてた携帯をだした。 電源がついてない、いやつかない。これもまた謎だ。ここで私は前にネットの記事で読んだ話を思い出した。異世界の創作もので、現代社会に生きる主人公が異世界に飛ばされる話だ。そこで携帯はつかえないと書いてあった。そう今の状況はそれに似ているもの。または同じものだとも考えられる。この先、帰り道を探さなければ、この世界から出られなければと考えると気持ち的に痛かった。 

違和感や異変にきがついてからどれぐらいたったであろうか。 体感で30分ぐらいだろうか、孤独と寂しさに襲われてた。都会のコンクリートの山が恋しくもなってきた。自然に触れることはいいことだ。だが、自然そのものだけだととても寂しくなってくるの。今の自分が情けない。自然は大切、だが、それだけはまた話が変わってきてしまう。 「帰りたい」そう思った。 ここまでくると日頃の疲れとかは関係なしに自分が何を求めているのかもわからない。 川を見て異世界に行きました。帰れませんじゃ 私は混乱だけでおかしくにそうだった。 その時、自分の目線がぐるぐる回ってしまった。


 満員電車でたまたま座れて手には小説本を持っていた。異世界に行くような話の内容の小説だ。私は目を覚ました。異世界に興味があり本はよく読む。そう 会社帰りに私は電車の中で座り、小説を読みながら寝てしまっていたのだ。 車内アナウンスがとても新鮮に感じられた。もうすぐ降りる駅だった。 夢の中で私は自然に触れて異世界にいった。これが事実だろう 夢の世界はそもそも異世界、話も「夢」と言われれば納得できる。普段の疲れがひどいのであろう。 私は次の休みの日には自然を見にこうと思った。 そうこれだけの話なのだから

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

川を見ていたら異世界に行った  面堂フライ @3360192

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ