ちっぽけな前線基地。

 あの火事で二階で寝ていた悠介と悠介の母は死んだ。死因は有毒ガスによる窒息死だそうだ。

 ニュースでしばらくこの火事のことが報道された。

 発火原因は悠介のタバコの火の不始末とされた。

 悠介が庭でタバコを吸って、その火をちゃんと消さなかったことが原因だったそうだ。

 私は悠介の葬儀に参列した。

 帰国した悠介の父親が喪主を務めた。

 悠介の友達代表には中学校の制服を着た小野さんが選ばれ、別れの挨拶をしていた。

 後から知ったことだが、小野さんが悠介の彼女だったらしい。

 悠介は中学に上がって小野さんと付き合い始めたようだった。

 つまり悠介は二股をかけていた。

 おそらく私とセックスをしたがったのも新しくできた彼女に童貞だと思われたくなかったのだろう。

 今となってはどうでもいいが。

 葬儀では誰も私に無関心だったが、近所のおばちゃんだけが私に「寂しくなるね」と声をかけてくれた。

 悠介の父はニューヨークに戻るらしい。

 仕事も今までどおりマンハッタンのビルで続けるそうだ。

 それがいいだろう。驕ったり他人を傷つけたりせずに平穏に暮らすことをおすすめする。


 世間は火事で死んだ悠介や悠介の母に同情を寄せる一方、未成年がタバコを吸っていたという事実を厳しく指摘した。

 テレビに出ているあるタレントはこう言った。

「最近流行りの非行が招いた事故とも言えるんですよね、今回の火事は?」

 元不良で今は非行少年少女のケアをしている心理学者はこう返した。

「はい。残念ながらそうなんです。とても悲しい事故だったと思います」

「なんで中学生なのにタバコ買えちゃうんでしょうね? 親が与えてるとか?」

「スーパーやコンビニで手軽に買えちゃうっていうのがありますね。別に未成年が買っても店員は注意しませんし」

「なんで注意しないんでしょうね?」

「やっぱり大人が子どもを怖がってるんだと思いますよ。注意したらなにかされるんじゃないかと恐れてしまう」

「それはやっぱり最近の少年犯罪が原因ですか?」

「それは大きいと思います」

「いつからこんな世の中になってしまったんでしょうね。僕らが若い頃はタバコ持ってたら先生にぶん殴られてたでしょう」

「時代が変化しているせいだと思います。今は核家族化が進んで子どもが大人と過ごす機会があまりない」

「ははあ、それで子どもが大人に叱られる経験がないと?」

「そうです。子どもが大人を知らないし、大人が子どもを知らないんですよ」

「なんか嫌な時代ですねー。それじゃあ若い子も孤独になるわけだ」

 著書もたくさん出しているあるPTA会長も話に加わった。

「今の子たちって閉じこもりやすいんですよ。自分の悩みを他人に相談しないで閉じこもってしまう。自分のストレスを暴力ゲームやホラー映画やマンガで発散してしまう。今回亡くなられた悠介君の自宅からもゲーム機が見つかってます」

「ははぁ、ゲームやマンガでね。僕らの時代はゲームもマンガもなかったですからね。マンガ買おうもんなら親父に怒られてましたよ」

「昔なら心にもやもやがあったら不良になったんです」

「あー、バイク乗ったりね。他の学校のやつとケンカしたりしましたわ」

「まさにそこなんです。昔はケンカをしてたので人の痛みがわかったんですよ。でも今の子たちはバーチャルなことに傾倒するので痛みがわからないんです」

「あー、そうですよね。ゲームの中でどんだけ血が流れても痛みはわからんわけですから」

「今回のタバコの事故もそうなんです。普通枯れ草にタバコを捨てたら火事になるかもって想像できると思うんです。でも今の子たちは想像できない。バーチャルなものに触れすぎてて現実と空想の区別がつかなくなって想像力が落ちているんです」

「もう、えらいことじゃないですかーーー!!!」

 心理学者が一冊の本を出した。

「実はですね。今年この本を基にある映画が公開されるんです。『バトルロワイヤル』っていうんですけどね」

「プロレスですか?」

「いや、中はほんとに恐ろしくて不愉快な作品なんですよ。中学生同士が殺し合うっていう」

「えーー、なんですか、それ」

「こんなものをね、子どもたちが見たら空想と現実がごっちゃになって、簡単に人を殺す若者が量産されてしまう」

「なんでこんな時代になっちゃったんでしょうね?」

「おそらく若者たちは21世紀に絶望してると思うんですよ」

「と、いいますと?」

「今の時代は希望が持てないんです。バブルが弾けた後、失業率はどんどん上がっているんです。きちんと学校を出たのに仕事につけない。仕事についたのに非正規社員。そういう人が増えてきているんです。そういう時代で、若者は大人になることに希望を持てない」

「大人になることに希望を持てないイコール未来に希望が持てないってことですか?」

「そういうことです。だから若者たちは現代社会を壊そうとしているんです。希望が持てない社会は壊してしまえ、と」

「恐ろしいですね。若者が皆自暴自棄になってる。僕ら大人はどうしたらいいんでしょうね?」

「とにかく若者を一人にさせない。閉じこもらせないってことです。閉じこもっている若者がいたら声をかけて、腕を引っ張ってでも外に連れ出す。皆で楽しいことをしようよって、そうやって声をかけてあげることが大切なんです」

「ゲームをやったりマンガを読むだけの子がいたらドッジボールに誘ってみるんですよ。その子がドッジボール苦手ならその子の代わりにボールを取ってあげたらいいじゃないですか?」

「そうか。そうやって助け合うんですね」

「そうです。そうです。君は一人じゃないぞ。頑張れって感じで」

 ここでタレントは残り時間をチェックした。

「なるほど、やっぱり社会で支え合うことが大切なんですね!」

「そういうことです(笑)」

「ありがとうございました。次の話題です。次は、ここ最近問題になっているドメスティックバイオレンスについてです」

 ・

 ・

 ・


 ■■■


 私がタバコを買った自動販売機が取り除かれ、ジュースの自動販売機に替わっていた。


 ■■■


 宿題は無事に全て終えた。

 テレビで火事のことは報道しなくなり、来月から始まるシドニーオリンピックの話題一色になった。

 私は久しぶりにスカートを穿いて学校に向かった。

 靴箱で靴を脱いで、外履きを持ったまま校舎の階段を登った。

 屋上に通じる窓を開けて、靴を履いて屋上に飛び降りた。

 四方をフェンスに囲まれたこの場所は、見ようによっては戦艦のブリッジのようだった。 

 ここは地球を滅亡から救う前線基地であり、戦いの準備が着々と進む戦艦なのだ。

 秘密基地に行くと、竹田は椅子に座っていた。

 机の上になにやら世界地図を広げて、書き込んでいる。

 私は竹田の背後から近づいた。

「おはよう」

「おぅ、おはよう」

 竹田は一度振り向いて、また世界地図に視線を落とした。

 世界地図の隣にはUFOの目撃例のメモと今年に入ってからの飛行機墜落事件の新聞記事の切り抜きが並べてあった。

 なにをしているんだろうか。訊いてみようと思ったが、やめた。訊いたところできっとちんぷんかんぷんな答えが返ってくる。

 机の上に置いているマシンガンには新たにレーザーサイトがついていた。レーザーサイトといってもガチャガチャで手に入る赤いポインターをビニールテープで括り付けているだけだが。

 私は竹田の足元を見た。竹田のスニーカーはナイキの新しい靴に替わっていた。

「ねえ竹田。この前の火事の時起きてた?」

「ん? この前の夜の?」

「そう」

「起きたよ。消防車のサイレンで」

「どうだった?」

「どうって? かわいそうだなーって」

「そうじゃなくて…」

 竹田は顔を上げて私の唇を見つめてきた。

「空から灰が落ちてくる様子、どうだった?」

 竹田は世界地図に視線を戻した。

「なんだか…、世界が滅亡してるみたいだった」

 私は竹田の後ろ姿を見つめた。

「ついにこのときが来たかっていう高揚感があった」

 竹田は振り向いて気まずそうに笑った。

「ダメだよね。こんなこと」

 私は思わず「んふっ」っと喘ぎ声のような声で笑ってしまった。

 私は机の上に置いてあるハンドガンに手を伸ばした。

「ねぇ、銃の扱い方教えて」

「え?」

「私も世界を救いたいの」

 私は弾倉を手に取り、グリップ内部に装填した。

「ちょっと待って」

 竹田は私の手を優しく握って、マガジンキャッチを押して弾倉を取り出した。そしてスライドを優しく引いた後、チャンバーにBB弾を一発装填した。

「こうした方が装弾数より一発多く撃てるから」

 竹田はスライドを戻した。金属の小気味好い音が残響した。

 私は微笑んだ。

 竹田は照れくさそうに微笑み返してくれた。

 私は竹田に手を握られたままゆっくり弾倉を装填して、空を見上げた。

 ジーンズのような青い空の中を厚い雲がゆっくり移動していた。

 平成12年の夏休みも後わずか。このちっぽけな前線基地を、私たちは可能な限り守り抜くつもりだ。

(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

平成12年の夏休み あやねあすか @ayaneasuka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ