第5話 その依頼、夕餉にて

       ◇アヤメ◇



 ……不思議な気分。

 私は井戸の水で身体に着いた汚れを洗い流しながら、ふわっと浮き出てきたのが……こんな感想。

 いつもは蛇口を捻れば温水が出てくるはずなのに、あろうことか水道管さえなしに、ただ冷水を浴びて、麻布で身体を拭くだけ。

 レヴナンツでの生活から一気に文明レベルが下がった様な、ここ数日間の経験。

 木の上で眠ったり、根本で眠ったり。サバイバル経験の浅い私でも体調を崩さなかったのは、カラスくんが色々と物を与えてくれたからだろうか。


 原始的で、それでいて、いつもなら見えてこなかった景色。

 街の喧噪とはうって違う、静かな夜。ゆっくりと過ぎていく一日。一歩一歩足を踏み出していくことで感じられる……時間の流れ。

 体力的な疲れはあるけれど、それでも、心はどこか……依頼に行く前よりも活力が湧いていた。


 冒険者と一緒に居ると、色々と考えなくて済む。

 今はもう、学園を卒業していった先輩や、今も同じ学び舎で毎日を過ごしている同級生から、よくそんなことを聞いていた。

 確かに、一般枠で入ってきた冒険者さん達が、閉鎖的な環境で過ごしてきた私達よりも知識の引き出しが多いのはメリットでもあると思う。

 けれど、それに頼り切りになってしまっているのはいかがなものか。

 依頼の現場に行って、冒険者さん達に依頼内容の下調べをしてもらってから、自分が動く。

 本当にそれが、《聖刻印スティグマ》を授かった身として正しい事なのかどうか。私は間違っていると感じたからこそ、今までの二年間、一人で依頼をこなしてきた。


 ……といっても、この現状、カラスくんに頼り切りになってしまっているので、もう人の事は言えなくなってしまったワケだけれど。


「はぁぁ~……。自信、無くしちゃいそう」


 私は少しだけ水の入った木の桶を井戸の脇に置きながら、深々と溜息を吐いた。


 歳も一つか二つくらいしか違わない彼が、とても頼もしく見える。そして、大人びているとも。

 それでいて、一般人でもビッグベアの様な大型動物を無傷で斬り伏せられる事には、心底驚いた。

 本来なら害獣の討伐も勇者わたし達の仕事なのだから。

 そのくらい、一般人と《聖刻印》を持った私達とでは差がある。


「だっていうのに、あの人は……」


 私なら、あそこで斬り伏せて、森の動物たちに食べてもらう事しか考えない。

 お肉が食べられる、という考えもあっただろうけれど、革の剥ぎ方なんて分からなかったから、サイコロステーキ待ったなしだったと思う。しかも、刀で。

 ボディスワームなんてヒルが居るなんて知らなかったし、そのうえ……鞣す、だっけ? あんな芸当できるわけない。

 だから、学ぼうと思った。途中からでもいい。彼を始め、冒険者さんがどんなやり方で、あのビッグベアを『処理』するのか。


「……もっと頑張らないと」


 ぱちっ、と両頬を叩くと、水しぶきが舞う。私はじんじんと後から来る痛みに気合いを入れ直すと、着替えて宿屋のエントランスへと戻った。


「おぉ、上がったか」

「お水、ありがとうございました」

「んやぁ構わないさ。宿泊客にゃいつも使って貰ってるんだ」


 気さくに話しかけてくれるマスターであるザックスさんに、私は一礼した後、きょろきょろと顔を振りながら彼の姿を探す。


「クロウか? アイツなら今頃メリィに扱き使われてんだろうなぁ」

「カラスく……クロウくんは、大丈夫なんですか?」

「この程度でヒィヒィ言ってたら、冒険者なんざやってないだろうよ」


 羊皮紙を手にしていたザックスさんは肩を竦めると、私はそれもそうだ、と苦笑を浮かべた。


「お前さん、クロウとはどのくらいの付き合いなんだ?」

「えっと、まだ三日程度……かな? 森の中で水浴びしてたら、この髪飾りが流されちゃってて。彼が釣り上げて、返しに来てくれたんです」

「っははは! そんな上等なものを釣り上げるたぁアイツも運が良いのやら悪ぃのやら」


 洗い直した髪飾りを見せると、ザックスさんは眦に涙を浮かべるくらい笑うと、それを拭いながら裏手に入って、暖かいミルクを出してくれる。


「ほらよ。水だけじゃあ流石に冷えるからな」

「あっ、ありがとうございます。いただきまーす♪」


 優しい舌触りに、ほんのりとした甘さが口内に広がって、それを嚥下すれば、肩からじんわりと温まっていく感覚がした。

 ほうっと息を吐いて、差し出されたマグカップを両手で持ちながら、冷え切った手を温める。


「それを飲んだら、昼寝でもしてくるといいさ。薄っぺらいベッドだけどな」

「とんでもないです。お言葉に甘えさせてもらいますね」


 久しぶりに清潔なベッドで眠れる。内心でそう思うと、温かいものを飲んだこともあるのかもしれない。忘れていた疲労感が波の様に押し寄せてきた。

 それからザックスさんと暫くお話をしながら、ホットミルクを飲み干して借りた部屋へ入ってすぐにベッドへもぐりこんで眠りについた。



       ◇



 目を覚ましたら、すっかり窓の外は夕闇に包まれていた。

 乱れた髪を整えて、エントランスへ向かおうと部屋のドアを開いた瞬間、乳製品特有の香り、そしてハーブや果実酒といった美味しそうな匂いが漂っていて、私はその匂いを楽しみながら一階へと降りていく。

 そこにはザックスさん、そしてメリィさんとテーブル席で談笑しているカラスくんの姿があった。


「おっ、起きたみてーだな」

「よっぽど疲れてたんだねー。今スープ温めるから」

「ありがとうございます、メリィさん」

「んーんっ! 悪いけどその間、そこの酔っ払い共の相手よろしくー!」

「ンだとー? 俺ぁまだ酔ってねーぞ」

「生憎と酒にゃ強くてな」


 といいつつも、カラスくんとザックスさんの顔が心なしか赤くなっていて、私はそんな二人に苦笑を浮かべていると、カラスくんが隣の席を勧めてくれた。


「カラスくん、家畜のお世話もできるんだね?」

「まぁな。下積みの頃は動物の世話やら、色々と雑用ばっかさせられてたもんでね」

「どーしてそこでオレを睨むんだよ。オレぁ悪かねぇだろ」

「それを俺に仕込んだのは誰だっけかー? あー、ザ……なんとかだった気がすんだけどなァ」

「ラクダの世話もロクにできねーってんで、オレがわざわざ教えてやったんだろうが」


 そして二人の厭味の応酬が始まり、私はそこでなんとなく、ザックスさんやメリィさんとカラスくんが親しいのは、昔から付き合いがあったからなんだな、と察する。

 そうこうしているうちにメリィさんが美味しそうなパンと野菜とお肉の入ったスープを持ってきてくれた。


「はーい、二人ともアヤメちゃんが困ってんでしょ。そこまでにしときなさいな」

「でもよぅ……」

「でもも何もな・い・の。酔っ払いには水! ほれっ!」

「ちぇっ、もう終いかよ……」

「これ以上アンタ達が呑んで、潰れた後部屋に運ぶのは誰だと思ってんの。あたしでしょうが」


 ふんすっと腰に手を当てて一喝したメリィさんに、二人はしぶしぶブドウの果実酒が入った樽ジョッキを手から放すと、残りをメリィさんがザックスさんの隣の席へ座りながら一気に飲み干していく。わぉ、豪快。


「ごめんねーアヤメちゃん。この二人酔い始めるとすーぐ昔話始めるから」

「いえ、メリィさんも、クロウくんと一緒に旅をしていたんですか?」

「昔ちょっとだけねー。ここに宿建てる前だから……もう五年くらい経つのかな? ね、クロウ?」

「まぁ、そんくらいだろ。オーウィスもその後抜けてったし」

「コイツもあたし達みたいな歳の近い子がいなくなっちゃってねー。寂しくなかった? ん? ん?」

「そんなに煽んなよ。酔ってる今なら押し倒すぞゴルァ」

「きゃーこわーい」

「良い年した女が「きゃー」なんて可愛い言葉使ってんじゃねぇよ。お前にゃ「ぎゃー」で充分だろ」

「っだとゴルァー!? あたしはまだピッチピチの二十歳ですゥー!!」

「そ、そうだったんですねー……」


 慣れた距離感で煽り合う二人に合いの手を入れると、ザックスさんが呆れた様に肩を竦める。


「確かに、クロウにお前は勿体ねぇわ」

「あんですってー!?」

「ックク、ざまぁみやがれっての」

「こんのォー! 逃げるなクロウー!」


 カラスくんはシニカルに笑いながら、メリィさんの腕を避けつつ席を立ちあがると、「ちょっくら風に当たってくる」と言って出て行ってしまう。

 そこでようやく一息つくことができて、私は思い出したように目の前に広がる食事に合掌しながら手を付け始めた。

 すると、ザックスさんが少しだけ真剣な表情をしながら語り始める。


「アイツはまぁ、あの通り飄々とした奴だろ? んでもって、気を抜けばふらっとどっかに行っちまいそうでな……」

「どこかへ……」

「あぁ。んでもって、長ぇ付き合いだってのにオレぁアイツの……年相応のそういった行動を見たことがないんだよ」

「この通り、あたしも女として見られた事ないんだよねー」

「いやだから、アイツにお前は勿体無いわ。マジで」

「二度も言うか、親父殿!?」


 今度こそ席を立ちあがったメリィさんに、私も思わず笑ってしまった。


「だからまぁ……なんだ。初対面の子に言うのもなんだけどもよ……。アンタとアイツがどれだけ行動するかは知らないが、……アイツの事、よろしく頼むな」

「ザックスさん……」


 酔っ払いの妄言と言ってしまえばそこまでだけれども。

 けれど、彼のその真剣な眼差しは本物で……。


「――はいっ。お任せくださいっ!」


 私は手に取っていたパンをお皿に置いて、姿勢を正し、笑顔でしっかりと頷くのだった。

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冒険者の俺が、勇者学校に通う少女のオトモになった件。 神椎幸音 @yukine-kashii

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