幕間1 未知の翅

「キララちゃん、初デートに母親同伴って強くない?」


 トークアプリに送られてきた写真を見て思わず俺は呟いた。隣で本を読んでいた弘樹とスマホをいじっていた翔が反応してこちらを見る。


 キララちゃんと奥山さんがめでたく退院してからも虫籠は変わらない。キララちゃんと仲の良かった子たちは寂しそうだけど、そのうち新しい患者がやってくるか、他の誰かが退院して空気は嫌でも変わっていく。

 虫籠の中は時間が止まってるようだと言うけれど、虫籠の中にいる人はめまぐるしく入れ替わる。ずっと止まっているままではいられないと俺達を責め立てるみたいに。


 そんな止まってるんだが進んでるんだがわからない場所の談話室で、いつものメンツでダラダラ過ごしていた俺の元に通知を告げたのは同世代でつながっているトークアプリ。翔はうるさいって理由で通知切ってるし、弘樹はグループに入ってない。だけど眼の前で翅を落として退院していった二人については気になっていたようだから、俺は二人が見やすいようにとテーブルの上にスマホをおいた。


 画面には大きな風車小屋の前で元気いっぱいにピースサインをしているキララちゃんとその隣で控えめにピースしている奥山さん。知らない女の人が写っている。

 知らない女の人は年齢とキララちゃんの面影を感じる顔立ちからしてキララちゃんの母親。恋が実った途端に遠距離になった奥山さんと初デートするとトークアプリのグループではしゃいでいたから今日がデートだとは知っていたが、まさか親同伴とは思うまい。奥山さんの性格からいって親同伴は嫌がるだろうからキララちゃんの独断だろう。すごい子を好きになってしまったなと同情する。


 トーク画面では「初デートに親同伴!?」と荻原からツッコミが入っていた。キララちゃんと奥山さんがくっつく切っ掛けになり、微妙な空気のままお別れになった荻原でも突っ込まずにはいられなかったようだ。

 荻原に続いてキララちゃんと仲が良かった紗花ちゃんが「さすがキララちゃん。私達の予想を超えていく」と褒めているのか呆れているのか分からないことをいっている。

 それに対するキララちゃんの返答は「私、車の運転できないもん」だった。そういう話ではない。


「同性ってもうちょっと隠すものじゃないのか……」


 翔の呟きに「普通はそうだろうけど」と答えながら、キララちゃんだしなあと納得した。普通なんて言葉、キララちゃんには通用しない。普通はやらないといったところで、なんでダメなの? と無邪気に聞かれて終わり。そうなるとこちらが返答に困るのだ。


「奥山さんと三雲ってあわないんじゃと思ってたけど、逆に相性いいのかもな」


 写真を覗き込みながら弘樹がいう。

 大人しくて慎重派の奥山さん。楽天家で行動派のキララちゃん。お互いがお互いにとって刺激になって奥谷さんはキララちゃんのストッパーに、キララちゃんは奥山さんの背中を後押しする。たしかに良い関係かもしれない。


「……お前さあ、奥山さんがそうだって気づいてた?」

 翔が聞きにくそうにいった。濁した言葉は同性愛者だと気づいていたかというものだろう。


「入院歴長かったし、なんとなくね」


 奥山さんが同性愛者というのは察していた。

 入院歴が長い患者は恋する気がないか、理想が高いかだ。する気がない人間は開き直って好きにしているし、理想が高いものはいい相手が入院してくるまで静観姿勢。

 奥山さんはそのどちらでもなかった。開き直るにしては居心地が悪そうで、恋をする気がないにしては入院してくる患者に敏感だった。だから恋がしたいけれど、できないと諦めている人なのだろうと思っていた。


「翔ちゃんも察してたからあのとき冷静だったんじゃないの?」


 いきなりの告白に俺は驚いた。キララちゃんは性別問わずに人懐っこかったし、好みのイケメンについても普通に話していたから同性が好きなんて想像もしていなかった。

 今にして思えばキララちゃんが語っていた理想の彼氏、自分と真逆の大人っぽくて物静かな黒髪男性って、性別変えたらまんま奥山さん。無自覚と固定概念って怖い。


「三雲の奥山さんへのなつき度がすごかったから、恋心だったって言われて納得した」

「なるほどなあ。ヒロは?」

「俺が奥山さんと話してると不機嫌になるからもしかしたらとは思ってた」

「あーあれ、恋愛感情だったんだねえ」


 俺はお気に入りのおもちゃ取られた犬だと思ってたよ。ごめん、キララちゃんと心の中で謝ってみたけれど、奥山さんとの初デート(親同伴)で浮かれているキララちゃんには届かない気がする。どうか末永くお幸せに。


「まーめでたいことだよねえ。奥山さん長かったし」


 七年ともなると虫籠でも少数派だ。学歴的には中学中退の奥山さんは世間においていかれた時間を埋めなければいけない。それはとても大変だろうが、ずっと虫籠の中にいるよりはいい。奥山さんの場合は好き好んで籠に入っていたわけではないのだし。


「新田もカミングアウトするなら今だぞ」

「えっ!?」


 ぼんやり奥山さんの今後を考えていたら予想外すぎる言葉が翔の口から飛び出した。驚きすぎて俺は翔を凝視してしまう。翔は真剣な顔で俺を見つめていたから冗談ではないらしい。

 俺も三年と入院歴は長いし、荻原からの好意も拒否してるからそう見えるのも仕方ないのかも。


「ざんねーん。俺は女の子が好きでーす。単純に今は男友達と騒ぐ方が楽しいだけでーす」


 翔は納得いかない顔をした。俺が翔の立場でも納得いかないので気持ちはわかる。それでも翔はいい奴だからこれ以上踏み込んでこない。そして俺は悪いやつだから翔の気遣いに気づいていながら気づかないふりをするのだ。


「それをいったらヒロは? 浮いた話全然無いけど」


 話を変えたいというのが主だったが気になってもいた。翔は小口さんという相手がいるけど弘樹には今のところ恋の気配を感じない。見た目が不良っぽいから女子に避けられがちとはいっても話してみれば真面目でなかなか優良物件だと思うのだが。

 弘樹はチラリと俺を見てから視線をそらした。その表情は静かすぎて何を考えているのかわからない。


「人を好きになったことないから分からん」

「えっ……」

「あーそのパターンか」

「パターンって」


 やけに冷静に受け止めている翔に俺は動揺した。翔は見た目は小さい代わりに器が大きくて大抵のことには動じない。それは頼もしいけれどおいていかれたような気持ちにもなる。


「最近、恋愛に興味ない若者が増えてるってニュース聞いたことある」

「たぶん、そんな感じ」


 自分のことなのに他人事のように弘樹はいった。同性愛者だと告白されるよりも衝撃なのは異性にしろ、同性にしろ、人は誰かに恋をするものだという固定概念が俺の中にあったからだろう。

 偏見はないつもりだったけど、その可用性を考えもしなかった時点で俺は偏見の塊だったのだ。それに気づいたら頭を背後からぶん殴られたみたいな気持ちになった。


「ってなると天野、まじで出られないな」

「虫籠に骨埋めるって言っただろ」


 翔の言葉に弘樹はいつもと変わらないトーンで答えた。弘樹の中で冗談ではなく、現実的なビジョンとしてその未来が見えているのだ。


「ここで俺達、おじいちゃんになるのか……」

「お前も出ない気か」


 翔の呆れた視線が突き刺さる。お前は弘樹と違って出る気になれば出れるだろという内心が透けて見えたがが俺はやっぱり気づかないふりをした。

 出れるからといって出たいとは限らない。俺は時間が止まっている方が嬉しいのである。だから荻原はさっさと俺に見切りをつけて、別の奴に恋するなり勝手に翅を落とすなりして退院してほしい。


「クピドの翅って恋をしない奴が好きなのかも」

 

 突然、弘樹がつぶやいた。今までとは違う静かな声と言葉の内容に俺と翔は意味がわからず弘樹を凝視する。


「恋をしたら翅が落ちるんじゃなくて、恋をしたから翅が離れていったのかもなって。それだったら恋をしてもすぐ落ちないのも納得だろ。恋を受け入れたから翅の方が愛想尽かしたんじゃねえかな。お前にもう用はないって」


 何いってんだよと笑おうとした俺は途中で言葉を飲み込んだ。その推測は間違いとは言い切れない気がしたのだ。


 立入禁止区域には大きく美しい翅を持つ患者がいる。それはまことしやかに語り継がれる虫籠の噂。それが真実だと俺は知っている。

 入院して間もない頃、俺は先輩に連れられて立入禁止区域に入った。そこで見つけたのは虹色の翅を持つ人間離れした美しさを持つ男。あまりの美しさに俺は恐怖を覚えたが先輩は魅了された。熱に浮かされたように立入禁止区域に通い詰める姿が恐ろしく、俺は男とも先輩とも距離をおいたが、ある日先輩の翅が落ちた。虫籠から出ていくとき、先輩は疲れ切った顔で「俺には無理だった」と俺に告げた。何が無理だったのか、何に疲れたのか、なぜ唐突に翅が落ちたのか俺には何もわからなかったが、あの男が関わっていることだけは察せられた。


 あの男がいつから立入禁止区域にいるのか俺は知らない。少なくとも三年。もしかしたら虫籠が出来た日からあそこにいるのかもしれない。一度しか見ていないのに焼き付いた姿。あの人の背から蝶の翅が落ちる姿が俺には想像できない。最初から生えていたと言われても信じてしまいそうなほど。

 弘樹の推測が正しいならあの人が唯一翅に選ばれた人間で、俺達はオマケなのかも。そんな考えが浮かぶ。


 そこまで考えて俺は息をつく。これは全て妄想。根拠なんてない。翅がなぜ落ちるのか、そもそもなぜ生えたのか、俺達は何一つ知らないのだから。


 浮かんだ不安を振り払おうと視線を泳がすと薄紫の翅が目に入った。少し離れた席に座り、ぼーっと遠くを眺める村瀬さんの翅。あの日、あの男と出会って変わってしまった先輩と同じ顔で、村瀬さんは立入禁止区域の方角を見つめている。

 その姿に俺は言いようのない不安を覚えた。

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