エピローグ

 私が同性しか好きになれないと気づいたのは中学の時だった。

 小学校から仲の良かった友達が異性やお洒落に興味を持ち始め、髪の手入れや爪の手入れが入念になり、クラスの男子の誰がかっこいいとか誰と誰が付き合っているとか、そういう話題が増え始めた頃。


 お洒落の話題は楽しかった。カッコいい異性の話にはついていけなかった。こっそり学校に持ち込んだ雑誌を眺めて、このアイドルが、俳優がカッコいいと盛り上がる友達の気持ちがまるで分からなかった。

 それより私の目を引いたのは俳優と並ぶ女優であり、可愛い服を着て歌い踊る女性アイドルで、好きな男の子のために自分を磨く女友達だった。


 同性にしか目がいかない。それがおかしなことだと私は気づいて恐怖を覚えた。臆病な私は周りと自分が違うこと、社会においては自分がマイノリティーであることが恐ろしかった。

 だから私は友達がカッコいいという男子をカッコいいといい、素敵だという俳優を好きだといった。最初は同意してくれた友達も中身のない私の返答に気づいたようで、ある時「春子は何で私の意見に同意ばかりするの? 自分の意見はないの」と責められた。


 私はそれに答えられなかった。だって素直に答えたらあなたは私と友達ではいてくれない。あなたが語るカッコいい男の人よりもあなたの方が魅力的で、手を繋いだり、キスをしたり。そういう恋人としての行為を私はすべてあなたとしたい。

 そういったらあなたは私を気持ち悪いという。友達としても一緒にいられない。それが分かっていて私は本音を口にすることなどできなかった。


 答えられない私に友達は怒り、それが切っ掛けで距離ができた。明るくて可愛い彼女が地味な私と仲良くしてくれていたのは家が近かったから。中学で出来た新しい友達は彼女と同じように明るくてキラキラした子が多かったから、私はあっという間に置いていかれた。でも、そちらの方が正しくて、私といたのがおかしかったのだ。そう私は自分を納得させた。いつか溢れてしまいそうな自分の想いで彼女に徹底的に拒絶される方が怖かった。それに比べたら喧嘩別れはマシに思えた。


 それでも同じクラス。家も近所。どうしても消えない気まずさに居心地の悪い日々を送っていた頃、背中に翅が生えた。私の暗い性格を現したような黒い翅。両親は慌てていたけれど私はそれを見てほっとした。彼女と離れる理由が出来た。それだけでその時の私には十分だったのだ。


 けれど私はすぐに絶望した。虫籠は恋をするための場所。恋をしなければ出られない場所。そこでも多くの人は異性と恋をする。同性同士で恋をして退院する人もいたけれど、少数派。周囲はそれを好奇の目で見ていたし、中には嫌悪を浮かべる人もいた。そんな反応を見て同性が好きなんて言える勇気はなかった。


 恋をするだけならできる。虫籠で過ごす間にたくさんの女の子と出会った。私は自分と真逆の明るい子が好きだから、そういう子と出会うたびに密かに胸を高鳴らせていたけれど、好きなんて言えるはずもなく、翅を落とすことは恐ろしかった。

 

 翅が落ちたら相手に恋をしたという証明になる。翅の落ちた私を見て、恋愛対象ではない同性に好かれていたと知った彼女たちがどんな顔で私を見るのか想像するだけでも怖かった。私が退院した後、同性に好かれたと好奇な目で見られたり、可哀想な子と同情されるのではないかと思うと、恐ろしくて仕方がなかった。


 だから私はいつも我慢した。落ちそうになる翅を抑えて、奥手で異性が苦手で恋に消極的な人間として彼女たちと女友達になった。友達だったら一緒にいられる。それが私は嬉しかった。

 そんな彼女たちは私の思いに気づかないまま異性に恋をして虫籠を出ていった。それを見るたびに私はバレなかったとほっとして、幸せな様子に嫉妬して、そんな自分を嫌悪した。

 両親に恋は出来ないのかと聞かれるたびに私は自分が嫌になった。なんで異性を好きになれなかったのかと。異性を好きになれたら友達とも喧嘩別れすることなく一緒にアイドルや俳優、恋の話で盛り上がれたし、虫籠だってすぐに出ることが出来た。なんで私は人と違うのだろうと、異性を好きになれればいいのにと何度も何度も思ったけれど、私はいつまでたっても同性が好きなままだった。


 虫籠に入院して七年目。両親も諦めて私に何も言わなくなった頃、キララちゃんが入院してきた。一目みて可愛い子だと思った。名前の通りにキラキラしていて、私とは別世界を生きている子。この子はきっと素敵な男の子と出会って恋をして仲良く退院していくのだろう。

 そう思っていたのに、キララちゃんに告白された私は気づけば虫籠の外、一生出られないと思っていた外にいる。


 七年ぶりの外はずいぶん賑やかで、静かで時が止まったような虫籠にずっといたから驚いた。もともとはこちらが普通だったのに、七年の間に虫籠はすっかり私の家になっていたらしい。

 両親はとても喜んでくれて、休みのたびに私をいろんな所に連れて行ってくれる。そして事あるごとに私が恋した相手がどんな子か聞き出そうとしてくるのだけど、私は曖昧に濁し続けている。自分が同性愛者だと伝える勇気はまだない。


 クピド患者のために用意された社会復帰のための施設は私の実家から通える距離にあったから、私はそこでとりあえず高校卒業資格をとることにした。大学に行くか、就職するかはこれから考えようと思っている。


 キララちゃんはというと、入院期間が短めだったので地元の通っていた高校に戻った。私と一緒に関東の施設に来たいといったそうだが、両親が反対したのだとか。まだ高校生だし、勉強もまだ巻き返しが効くから正しい判断だと思う。なにより、家族はキララちゃんと離れたくなかったんだろう。私もキララちゃんの笑顔が見られなくなってまだ二週間だというのにとても寂しい。


 今日私はキララちゃんの地元に向かっている。電車に乗るのも久しぶりで別世界に来たような気持ちになる。元々私は虫籠の外で生きていたのに、その頃のことがうまく思い出せない。

 地に足がついていないようなふわふわした気持ちのまま電車を降りて、人混みに紛れて改札を出る。周りにいる人達は私の背についこの間まで蝶の翅が生えていたことなんて知らないし、彼らの背中に翅はない。それが正しいことなのに奇妙なことのように思えてしまう。


 駅から出ると遠くからキララちゃんの声がした。たった二週間なのにずいぶん懐かしく思える。両手をぶんぶん振りながらかけてくるキララちゃんは天気がいいのもあいまって輝いてみえた。キララと名付けたご両親のセンスに脱帽だ。名は体を表すをこれほど実現している子はなかなかいないと思う。


「生春子さんだ! 嬉しい!」


 キララちゃんは人目もはばからずに抱きついてくる。周囲の人は微笑ましげに私達を見つめて通り過ぎていく。そこには公共の場でいちゃつくカップルに向ける不快そうな視線がない。女の子同士だから仲の良い友達、姉妹だと思われているのだろう。それにほっとする気持ちと不満な気持ちが両方わいて、自分の気持ちがよくわからなくなる。


「生春子さんって……」

「だって! めっちゃ会いたかったんですよ! 家族と会える代わりに春子さんと会えなくなるなんて! あたしはどっちも大好きなのに!!」


 大声で大好きと叫ぶから周囲が驚いた顔をするが、すぐさま仲良しなんだなという生温い視線に変わる。これが男女だったら視線は全く違うものになったのだろう。


「だから今日会いに来てくれて嬉しいです! 付き合ってすぐ遠距離とか悲しすぎて!」

「き、キララちゃん!?」


 付き合ってという言葉はさすがに聞き流せなかったのか周囲から好奇の視線が集まった。私が慌てるなかキララちゃんは不思議そうに私を見上げている。何かまずいこといいました? って顔だ。


「こ、公共の場だから」

「あっそうですね。騒いだら迷惑でした」


 そう言いながらキララちゃんは自然と私の手をとって歩き出した。なんのためらいもなく手を繋いでくるので私だけがドキドキしてしまう。自覚する前からスキンシップが多かったから、キララちゃんにとって手を繋ぐことぐらいどうってことないのだろうけど、私は顔が赤くなりそうで必死に平常心を保とうとした。


「騒いだらもそうだけど、あんまり外で付き合ってるとか言わないほうが……」

「えっ、まさかもう別れ話!? 遠距離だから!?」

「そういうことじゃなくてね……」


 普通隠すものじゃないのか同性同士って。あまりにもキララちゃんが堂々としているから私の方がおかしいのかもと思い始めた。周囲の視線がまとわりついてくるような気がするのも自意識過剰なのだろうか。


「キララちゃんは怖くないの? 同性同士って色々言われるでしょ」

「お母さんとお姉ちゃんにはあんまり言うなって言われました。春子さんに迷惑かかるかもしれないからって」


 えっ、家族に言ってるの。

 思わず足を止める私をキララちゃんは不思議そうな顔で見つめてくる。私はキララちゃんより年上で社会的には大人なのに何歩も置いていかれているような気がした。私が怖がって立ち止まっている間にキララちゃんはスキップで私の横を通り過ぎていく。あまりの情けなさに泣きそうになる。


「……私は怖くて言えない。キララちゃんよりも歳上なのに……」


 私の小さな声にキララちゃんはパチパチと目を瞬かせる。ビューラーによってバッチリ上を向いた睫毛が揺れる。染めた茶髪も巻いた髪もキラキラのメイクも全て私とは違う。なんでこの子は私を選んでくれたのだろう。こんな面白みもなくて臆病で、みっともない大人なのに。


「春子さんのお母さんとお父さんは春子さんが私と付き合うの反対?」


 少し考えてからキララちゃんは不安そうな顔をした。年下の女の子を不安にさせている。そう思うと情けなくなる。私がしっかりすべきなのに。


「わからない……言ってないから。私が同性愛者だって……」


 両親の反応を想像するのも怖かった。理解されなかったら。泣かれたら。出ていけって言われたら。そんな嫌な想像ばかりが浮かんで胸が苦しくなる。

 私の顔をじっと見つめていたキララちゃんは両手で私の手を包みこんだ。それから私が大好きな太陽みたいにキラキラな笑顔を浮かべる。


「年下のバカな子はダメって言われたわけじゃないなら大丈夫ですよ! 目からカラコン落ちてないだけですから!」

「目からカラコン……?」


 虫籠で現代だったら目から鱗じゃなくてカラコンだろうといったキララちゃんを思い出す。キララちゃんらしい常識にとらわれない発想だなと思った記憶があるけど、今その話が出るのはよく分からなかった。


「私も女の子は男の子を好きになるものだと思ってました。きっとそういうものだっていうフィルターがかかってて、視界が狭くなってたんです。パなんとかって人も鱗的なものが落ちたら目が見えるようになったんでしょ」


 キララちゃんは飛び切りの笑顔を浮かべて言葉を続けた。


「皆の目にもカラコン、鱗? まあそんな感じのがついてるんですよ。でも大丈夫! そのうち落ちるので!」


 これで解決とばかりにキララちゃんは胸を張る。自信満々の姿に私はなにも言えなくて、だんだん悩んでいるのがバカらしくなった。


「そっか……そのうち落ちるんだ……」

「落ちますよ! カラコンのつけっぱなしは目に悪いし!」

「そっかぁ」


 思わずクスクス笑ってしまう。めちゃくちゃな理論なのにキララちゃんがいうとそれが正しいことに思えてしまう。胸の奥につっかけていた重りが落ちていくような爽快感に私は繋いだ手をぎゅっと握りしめた。


「キララちゃん、これからよろしくね」

「こちらこそ!」


 私はやっぱり臆病なので、キララちゃんみたいに全てうまくいくなんて思えないし、堂々ともしてられない。これからも怯えて立ち止まって、自分でも鬱陶しいくらいに悩むんだと思う。それでも、隣にキララちゃんが居てくれるならなんとかなりそうな気がした。

 両手を繋いで歩きだす。女の子同士だから手を繋いでいたって仲がいいなで許される。男の人同士だったらこうはいかないと私は少しだけ前向きになれた。


「そういえば今日はどこに連れて行ってくれるの? 案内してくれるって行ってたけど」

「春子さんが好きそうな場所いっぱい調べました! お母さんが車出してくれるので、一緒にいきましょう!」

「えっ……」


 問答無用で引っ張られて私は混乱したまま進み続ける。

 キララちゃんと一緒にいると怯えて立ち止まる時間もないみたい。

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