3-6 思い込みの力
「
翔くんが怒鳴る。小さい体からは想像できない怒声だが瀬玲菜ちゃんはまったく動じずに鼻で笑う。
「何が悪いの? 本当のこと言っただけでしょ。おばさんだし同性愛者。なら声をかけるだけ無駄じゃない。ソイツと仲良くなったって翅は落ちないわよ」
勝ち誇ったような瀬玲菜ちゃんの言葉に隆二くんが面倒くさそうにため息をついた。グルグルと犬みたいにうなり声をあげる翔くんをどうどうと諫めてから瀬玲菜ちゃんに向き直る。
「俺が翅を落とすつもりで奥山さんに話しかけてるなら、片想いでも翅は落ちるんだから奥山さんが俺を好きかどうか関係ないし、奥山さんの好みが同性か異性かも関係ないよね。俺が奥山さんを好きになればそれで終わり。翅は落ちて即退院」
瀬玲菜ちゃんがポカンと口を開けて固まった。
隆二くんの言うとおり、クピド症候群は両思いになる必要はない。片想いでも恋をすれば翅が落ちる。退院した人の中には誰に恋をしたのか明かさない人もいる。中には同性愛者で言いにくかったから黙ってたんだろうと言われる人がいるけど本当の所は誰にも分からない。病院から出たら離ればなれ。縁も切れる。だから言わなかった人もきっといる。
「荻原さん。俺は今のところ恋をする気がないって前にもいったよね。それは荻原さんだけじゃなくて、誰に対してもそうだから勝手に嫉妬して、他の人に迷惑かけるの止めてくれない。そういうの鬱陶しいんだけど」
いつも笑っている隆二くんにしては珍しく、本気で不快そうな顔をしている。その表情に瀬玲菜ちゃんの顔は一瞬泣きそうに歪んだが、すぐさま目尻をつり上げた。絶対に泣いてなんかやらないというプライドが見える表情は同性から見ても美人だった。こんな美人に好きといわれても全くなびかない隆二くんの神経を疑ってしまうくらいには。
「新田、そのくらいにしたら?」
可哀想に思ったのか弘樹くんが声をかけるが隆二くんの表情はかたいまま。いつも笑っている人の怒った顔は怖い。さきほどまで賑やかだった談話室は静まりかえり、皆がこちらを注目しているのが分かった。
「荻原さんが奥山さんに謝ったら許す。謝らないなら今後一切口聞かない」
「私はいいよ。たまに言われることだし……」
「言われるんですか!?」
春子さんの言葉にあたしは驚いて思わず大声が出た。春子さんは気まずそうに視線をそらしながら小さな声で語る。
「私、男の人苦手だし、彼氏とかもいたことないし、芸能人とかそういう話しにも疎いから、同性が好きなんじゃないかっていうのは冗談で言われることがあって」
春子さんの言った言葉をあたしは何度も頭の中で繰り返す。たしかに恋愛対象が同性であれば男の人は恋愛対象にならないから、向こうから恋愛対象として見られるのは苦痛だろうし、苦手になるだろう。恋愛対象が同性なら彼氏が出来るはずがない。芸能人だって女子同士で盛り上がるのは男性アイドルとか俳優だから居心地が悪いだろう。
瀬玲菜ちゃんの主張は隆二くんと仲良くしてる春子さんに嫉妬しただけの難癖だけど、あたしは納得してしまった。
知識では知っていたのにあたしは深く考えたことがなかったのだ。同性を好きな人がいる。異性を恋愛対象に見られない人がいる。そういう人がいると分かっていたはずなのに、自分も周りもみんな異性が好きなのだと思っていた。
思い込んでいた。
だからあたしはずっと春子さんに向けるこの感情が友情や憧れだと思っていたのだ。
「春子さん……あたし、気づいちゃいました」
あたしの言葉に春子さんが肩をふるわせた。膠着状態だった隆二くんと瀬玲菜ちゃん。どうしたものかと顔を見合わせていた弘樹くんと翔くんもこちらを見る。この部屋にいる人たちの視線があたしに集まっているのを感じた。けれど今はどうでもいい。あたしは今さっき発見した、人生最大の衝撃を春子さんに伝えなければいけない。
「あたし、同性愛者だったみたいです!」
「えっ」
春子さんがポカンとした顔であたしを見た。珍しい表情を見て可愛いと思う。そう、可愛いと思っているのだ。あたしは、同性の、年上の女性に対して、ずっと。
「あたしは女だから男の子を好きになるものだとずっと思ってて気づきませんでした。考えてみればそうですよね。女だから必ず男の子を好きになるって決まってるわけじゃないですよね!」
「えっと、キララちゃん?」
にぎった春子さんの手を両手でぎゅっと握りしめる。あたしがさっき塗ったばかりのピンク色のネイルが輝いている。それは好きな人の指で、あたしの好きなネイルで、好きな人の指に好きなネイルを塗ったのだと今になってあたしは気づいた。なんて幸せなことを無自覚にやっていたのだろう。あたしってすごい。
「あたし初めてあった時から春子さんのことが好きで、仲良くなりたくて、いっぱい話しかけたんですけど、友達っていうのともお姉ちゃんっていうのとも違くて、春子さんはあたしにとって何なんだろうってずっと考えてて」
「あの、えっと、キララちゃん!」
慌てた春子さんがあたしの言葉を遮ろうとする。その顔はどんどん赤くなっている。その反応にあたしは期待した。嫌いな相手に手を握られて人は赤くなったりしない。嫌な相手なら青くなると思う。だからあたしは堂々と自分の思いを伝えた。
「あたし、春子さんとは友達でも姉妹でもなくて恋人になりたかったみたいです! 大好きです! 付き合ってください!」
そういった瞬間、あたしの背中から翅が抜け落ちた。発症してから三ヶ月、ずっとあたしの背中にあった重みが消える。寂しくはない。むしろ嬉しい。翅が落ちるということは何よりの証明だ。あたしの想いは本物。あたしは本当に春子さんが好きなのだ。
あたしの翅が落ちたことに周囲がざわめいた。誰かが走って行く足音が聞こえたからスタッフの人を呼びにいったのかもしれない。でもあたしにはそんなの関係ない。ただまっすぐ、目の前にいる春子さんの顔を見て、春子さんの答えを待っていた。
春子さんは可哀想なくらいに真っ赤になっていた。パクパクと動いている口からは言葉が出てこない。顔だけじゃなくて手まで熱くなってきて、倒れないか心配になってきた。どう見ても照れているのになかなか答えを口にしない春子さんの姿を見てあたしもだんだん不安になってくる。もしかしてあたしは振られるの?
そう思った時、春子さんの背中から何かが落ちた。ひらりひらりと宙を舞い、床を滑ってあたしの視界にはいったそれは春子さんの背に揺れていた翅。
「……はい……」
消え入りそうな声が春子さんの口からこぼれ落ちたのはあたしが翅を視界に収めたのとほぼ同時で、あたしは思わず立ち上がって春子さんの体に抱きついた。
「やったー!! 両思い!!」
「ちょっとまって! 展開が急すぎてついて行けない! 誰か説明して!」
「おめでとー」
「なんで弘樹、冷静なの!」
「とりあえず踏まないように翅回収するぞ」
「翔も冷静! 混乱してるの俺だけか!?」
隆二くんの大声が響いているし、事の発端である瀬玲菜ちゃんは唖然としていた。春子さんにいったことは許せないけど、おかげであたしは自分の好みに気づけたので一応感謝してあげよう。どんなにイケメンがいたって翅が落ちないわけだよね!
弘樹くんの言葉を皮切りに「退院おめでとう」という言葉と共に拍手が談話室を包み込んだ。その音と言葉が大きくなるにつれて春子さんの体は熱を増し、顔で両手を隠すと小さくなってしまう。
「春子さん、照れてる顔可愛いのでもっと見せてください! 隠さないで!」
「コイツ、自覚したらヤバいタイプじゃねえか」
「自覚する前から好き好きオーラはすごかったけど自覚するとさらにすごい」
「ほんっとお前ら冷静だね!」
ギャーギャー騒ぐ後ろを無視して、春子さんの顔をどうにか見ようとしていると翔くんに引き剥がされた。小さいのにどこにそんな力があるのだろう。邪魔しないでほしい。
そうこうしている間に四谷っちが談話室に駆け込んできて、あたしは容赦なく連行され聞き取りと簡単な健康診断を行い、あっという間に退院することになった。起きがけ恋ができないってモヤモヤしてたのが嘘みたいなスピーディーさ。
お母さんとお姉ちゃんに電話で流れを説明したら、「言われてみればあんた、イケメンの話よりも美少女の話の方が食付きよかった」と納得されたので、お母さんとお姉ちゃんも恋は異性とするものと思い込んでいたらしい。
きっとこういうことを目から鱗。いや、あたし流にいうなら目からカラコンというのだろう。カラコンが落ちたあたしの視界は良好! それどころか前よりも世界が輝いて見える。
パなんとかという人もこんな気持ちだったのかも。全然知らない人だけど。
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