3-2 綺麗の代償

 お腹がいっぱいになったあたしは鼻歌を歌いながら玄関に向かった。といってもこの玄関からあたしたち患者は出ることが出来ない。使うのは二回。入院するときと退院するときだけ。玄関には常に鍵がかかっていて、スタッフの人しか開けることが出来ないのだ。


 ガラス張りの病院の出入り口みたいな玄関なので外にある門がよく見える。洋風の古めかしいデザインはここが虫籠と呼ばれる理由の一つ。温室のデザインとあわせて鳥籠とか虫籠とか、何かを閉じ込める籠を連想させるんだって。聞いた時は考えすぎじゃない? って思ったけど、ずっとここにいるとたしかに閉じ込められている気がしてくる。

 もともとここは蝶を研究する場所だったみたいだから、最初から虫籠を連想して作ったわけじゃないんだろうけど、古いのが雰囲気を作るのに一役買ってる。


 虫籠を囲む塀は私の倍の高さはあるけど、数人で協力すれば乗り越えられる高さ。数年前には夜な夜な病院を抜け出す患者がいたとか。その患者は遊びに出かけた場所で誘拐されそうになって、危なく売られるところだったと怪談話のように語り継がれている。自分たちが脱走しないようにするための嘘だという人もいるけど、あたしは本当の話だと思ってる。

 

 クピド症候群の翅はとても綺麗なのだ。しかも一点物。傷つきやすいといっても本物の蝶の翅より丈夫だし、大きい。抜け落ちた翅の多くは虫籠で管理してるけど、持ち帰って売った患者もいるみたい。患者の保護が始まる前は今よりも高値で取引されたって噂もある。それは翅だけでなく翅の生えた子供も一緒で、虫籠が出来る前に誘拐事件が多発したから偉い人たちは大急ぎで虫籠をつくったって聞いた。


 当時の私はまだ小学生だったのでよくわかってなかったけど、お母さんは「あなたたちに翅が生えなくてよかった」とお姉ちゃんとあたしを抱きしめながら言ったことは覚えている。その頃、十代の子供、特に女の子を持つ親たちは我が子に翅が生えたらどうしようという不安を抱えていたらしい。今は制度が整っているからあたしは家族以外に発症を知られることもなく入院することが出来て、退院した後のアフターケアも完璧って聞いた。だからお母さんはあたしが発症した時、「今で良かった」と本当にほっとした様子で呟いていた。


 あたしも高校生になって、少しは社会を知ったからわかる。行方不明者が多く出たあの頃にあたしの背に翅が生えていたら、今ここにいなかったかもしれない。

 そう考えるとあたしは本当にラッキーだ。クピド患者であったと言われている行方不明者の中で無事保護されたのはほんの数名。多くの子供たちは未だ行方が分からない。


 だからお母さんとお姉ちゃんはあたしと会うたび、電話するたびにいう。いくら退屈だからって脱走なんて考えちゃダメだって。

 いくらおバカで脳天気すぎるって言われるあたしだって誘拐の危険はよく分かってる。お母さんとお姉ちゃん、マロ、ついでにお父さんと二度と会えないなんて嫌だし、いくら退屈でも、外が魅力的に見えても花の蜜にひかれてフラフラ外に出て行ったりはしない。背中に翅が生えたって、頭までチョウチョになったわけじゃない。


「キララちゃん、荷物取りに来たの?」


 玄関を見ながらぼーっとしているあたしに阪本さんが声をかけてくれた。

 虫籠の受付には常に人がいる。夜にも夜勤の叔父さんとかお兄さんがいるので、あたしは自分が囚人になったみたいな気持ちになる。あたしたちの安全のためだって分かってるけど。

 患者に届く荷物は受付の人が受け取ってくれる。それから部屋にそれぞれ備え付けられている内線電話に連絡してくれるのだ。


 手渡された荷物を受け取るとさっきまで考えていたモヤモヤが吹っ飛んだ。小さな段ボールの箱がダンジョンで見つけた宝物みたいに輝いて見える。


「ありがとうございます!」

「キララちゃんは家族と仲良しなのね」


 阪本さんは二十代の大人のお姉さん。虫籠のスタッフらしくモデルでもやっていそうな美人さん。いや、たしかモデル事務所に所属してるんだったかな? 虫籠の採用条件は顔が良いことだから芸能事務所に所属している人も多いのだ。今はあんまり仕事がないみたいだけどこれだけ美人なんだからそのうち売れっ子になっちゃいそう。そうなったらもう会えないのかと思うと寂しい気もするけど、坂本さんが雑誌の表紙を飾っていたりテレビに出ていたら自分のことみたいに嬉しくなっちゃう。


「はい! だから次の面会が待ち遠しくて!」


 あたしの実家は関東地方なので虫籠にくるには新幹線でも数時間かかる。頻繁に来るには距離があるから連絡はほとんどアプリか電話で、面会は月に一回ぐらい。寂しがり屋のあたしとしては全然少ない。週一で会いに来てほしいけど、そんな我が儘いえるはずないから我慢している。


「キララちゃんのお母さんとお姉さんは毎月会いにきてくれていいわね」


 そういう坂本さんはちょっと悲しそうな顔をしていた。受付の人は面会の取り次ぎなんかもするからどの患者のところにどのくらいの頻度で面会が来ているのか分かってしまう。あたしのように毎月家族が会いに来てくれるのは意外と少なくて、同じ県内にいるのに一度も会いに来ない家族なんかもいるらしい。それを初めて聞いたときは何も考えず「何で?」と聞いてしまって「誰もがあんたの家みたいに仲いいわけじゃない」って怒鳴られたことがある。その子はその後すぐに退院してしまったから謝ることもできなくて、あたしの胸にしこりみたいなのが残ってる。

 ここに来て知った。誰もが家族と仲がいいわけじゃない。


「心配させてるから早く退院したいんですけど」

「そればっかりはね、しようと思って出来るわけじゃないし」

「そうなんですよねえ。イケメンいっぱいいるのに、あたしって自分で思ってるより理想高いのかなあ?」

「自分で気づいてない理想があるのかもしれないわね?」


 坂本さんと顔を見合わせて首をかしげる。他人のことなのに一緒に考えてくれる坂本さんは優しい。化粧もばっちりでキラキラだ。最初は自分の理想の恋愛対象について考えていたのに、だんだん坂本さんの方が気になってきた。


「坂本さんが使ってるコスメってどこのですか?」


 あたしのいきなりの質問に坂本さんは目をぱちくりさせたけど、すぐに笑顔で答えてくれる。あたしが知っているブランドもあれば全く知らないものもあった。やっぱり大人のお姉さんはすごい。持っていたスマートフォンで調べてみるとあたしのお小遣いでは手が出ないお値段のものもあって、ますます大人だなと思った。


 コスメ談義に満足したあたしは坂本さんに手をふって部屋へと戻る。手に持った箱の中身はまだ分からないけど、坂本さんとお話できただけで大満足。スキップしながらあたしは部屋に戻って、荷物を開けたと同時に歓声をあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る