【三雲キララ】目からカラコン
3-1 感情の振れ幅
鳴り響いた電話の音であたしは起こされた。いい夢を見ていた気がするのに何も思い出せないし、うるさいし、頭は重い。瞼も今にもくっつきそうなのに、電話の音が止まってくれない。ベッドから転がり落ちるように這い出して、備え付けの机の上にある内線電話の受話器をとった。
「……おはよ……ござい……ます」
「あら? キララちゃん、寝てたの? ごめんね、起こしちゃった?」
電話の向こうから聞こえてきたのはよく話すスタッフのお姉さん。名前は
「昨日、お姉ちゃんと話してて」
「相変わらず仲良しね。でも夜更かしはよくないし、朝ご飯を抜くのもよくないわよ」
優しい声でそういわれてあたしは素直に謝った。朝ご飯を食べていないと気づいたら急にお腹がすいてきて、坂本さんの言うとおり早く起きれば良かったという気持ちになってくる。だけど、なかなか会えないお姉ちゃんとの電話を切るなんてあたしには出来ない。会えない分、話したいことがいっぱいあるし。
「お昼はちゃんと食べてね。それからキララちゃんに荷物が届いてるから受け取りに来て」
「荷物!」
そういえばお姉ちゃんが電話で言っていた。「キララに荷物を送ったからもうすぐ届くと思う」と。中身は見てのお楽しみと教えてくれなかったから気になっていたのだ。
「すぐ取りに行きます!」
「ご飯食べてからでいいのよ」
すぐさま部屋を飛び出しそうなあたしの勢いに坂本さんがクスクス笑う。「荷物は逃げないから」という言葉に頷いて、忘れるなというように小さな音を立てたお腹を押さえた。お礼を言って電話を切ると寝間着にしているTシャツとハーフパンツを脱いで、クローゼットから服を取り出す。
何を着ようかなと少し考えて薄手のトレーナーとショートパンツを着込む。トレーナーは大きめで短いパンツは隠れ気味。この間、
制服が着れないことだけは心残り。高校は制服の可愛さで選んだのに、着られたのは一ヶ月。もう一回、あの制服を着れるのかはわからない。学校帰りに友達とショッピングとかしたかったのに、出来たばかりの友達とは虫籠ルールで連絡がとれない。ちょっとくらいいいのにって思うけど、お姉ちゃんとお母さんによると、あたしはうっかり話しちゃいそうだからダメらしい。四谷っちにも同じことを言われた。
あたしってそんなにバカに見えるのかな?
そんなことを考えながら洗面台の前に立つ。寝癖でぐちゃぐちゃになっていた髪を整えて、頭の上で簡単にお団子に。スッピンは恥ずかしいので化粧道具をまとめてあるテーブルの上に移動し、お姉ちゃんから貰った鏡と化粧品でいざメイク。
といっても分かる人には分かる程度のナチュラルメイクだ。友達と気合い入れたメイクをして出かけた日が遠い昔みたい。虫籠じゃ顔ぶれが変わらないし、盛り上がれるようなイベントもない。だんだん化粧するのも面倒になってきたけど、それでもあたしがメイクを続けているのはギャルのプライドみたいなもの。これを止めたらあたしがあたしじゃなくなっちゃうみたいでちょっと怖い。
満足行く出来栄えになったのを確認してあたしは部屋のドアを開ける。一歩、部屋を出ればホテルみたいな廊下が広がってる。真っ白な綺麗な壁におしゃれな照明。均等に並ぶドアの間に綺麗な花が飾ってある。始めてきた時ははしゃいだけど、入院して三ヶ月ともなると慣れた。
というか、飽きた。
学校いかなくていいし、毎日遊んでたって文句言われないし、友達だって出来たけど、お姉ちゃんやお母さん、お父さんに会えないのは寂しい。柴犬のマロにも全然会えてない。昨日、お姉ちゃんに動画送ってもらったけど、さわれない分、余計に寂しくなった。
「早く退院したいなぁ」
廊下を歩きながら呟いた。ペタペタとスリッパの音がするだけで、他に人がいる様子はない。もうお昼だし、みんな温室とか談話室にいるんだろう。部屋に引きこもってる人は死んでるのかと思うくらい音がしないから、いてもあたしには分からない。
恋をする。そんなの楽勝だと思ってた。だって虫籠にはイケメンいっぱいいるって噂だったし、実際いたし。自己紹介ツアーの時は運命の出会いがあるかもってドキドキした。
けど、何事もなくツアーは終わったし、あたしの背中にはまだ蝶の翅が生えている。
人と話すのは好き。友だちを作るのだって得意な方だと思う。だからすぐに退院して、マロのお腹をいっぱい撫でてやるんだって思ってたのに。
廊下に飾られた鏡に映った自分の翅を見てあたしは唇をとがらせる。透明な翅にラメを散りばめたみたいなキラキラが入ったあたしの翅。始めてみた時は盛れすぎてやばいって大はしゃぎしてお姉ちゃんとお母さんを呆れさせた。今でも盛り度やばいと思ってるけど、これがあるおかげであたしは家に帰れないし、うつ伏せでしか寝れないし、せっかく長く伸ばした髪は結ってないと翅に当たって落ち着かないし、お気に入りの服は背中を切らないといけない。
可愛いのに可愛くない。
翅を軽く引っ張ってみると皮膚まで引っ張られるような感覚がした。
「イケメン、いっぱいいるのになあ」
腕を組んで首を傾げ、あたしは鏡に映った自分を見つめた。不満そうに唇を尖らせたあたしがあたしを見ている。一体あたしは何が不満で恋ができないのだろう。虫籠スタッフはイケメンばかりだし、同世代にだってカッコいい人はいる。昨日もお姉ちゃんとイケメンの話で盛り上がったのに、あたしの翅は少しも落ちてくれる気配がない。自分では気づいてなかっただけで理想が高いの? と鏡に映る自分に対して百面相していると、ぐうぅっとお腹の音がなった。
「そうだ! ご飯!」
あたしは慌てて食堂に向かって走り出した。食堂の利用時間は決まってる。のんびりしていると朝どころかお昼まで食べそこねることになっちゃう。
お母さんは電話や面会のたびにちゃんとご飯食べてる? 夜ふかししてない? 勉強してる? って嫌になるほど聞いてくる。あたしはウソを付くのが下手だから、適当に誤魔化してもすぐに見破られて怒られるのだ。ちょっとめんどうだなってその時は思うけど、お母さんが帰った後や電話を切った後は寂しくなる。三ヶ月も家族と離れて暮らすのは初めてで、あたしはあたしが思っていたよりも寂しがり屋なのだと実感した。
虫籠の中で友だちもできたし、勉強しなくていいのはやっぱり嬉しい。ご飯食べにいかないのは怒られるけど、部屋で一日中ゴロゴロしてたって、談話室でずっとおしゃべりしてたって怒られないのだ。遊びたい盛りの女子高生としては最高。
でもやっぱり家族に会えないのは寂しくなる。せっかく仲良くなった友達だって翅が落ちるといなくなってしまうから、置いてかれたようで寂しくなってそうなるといっそう家族が恋しくなる。
虫籠にいると寂しいと楽しいがぐちゃぐちゃ混ざってよく分からなくなる。そうお姉ちゃんにいったら驚かれた。「あんたにそんな精細な心があったなんて」と本気でいうんだ。その時は久しぶりに姉妹喧嘩した。
お姉ちゃんによるとあたしは忘れっぽくて単純なんだそうだ。すぐに気持ちを切り替えられるのと、明るいのは長所だけど、切り替えが早すぎて大事なことも忘れちゃうのは短所と言っていた。
たしかにあたしは悩まない。今は寂しいなあって気持ちになっているけど、それは一人でいるからで、食堂や談話室で友達に会ったらすぐに寂しさなんて忘れてしまう。
食堂に入ったらすっかり仲良くなったスタッフの人たちに挨拶されて、それだけであたしの心は上向いた。目の前に差し出された美味しそうなご飯を前にしたらさっきまで悩んでいたことなんてどうでもよくなる。
虫籠のご飯は美味しい。あたしはご飯の乗ったプレートを持って、鼻歌交じりに席についた。
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