side story とある夏の日

「あっつぅ……」


 団扇で扇ぎながら新田にったは干からびた声を出す。隣に座っていた天野あまのは無言で新田を睨んだ。暑苦しいという視線の意味を正しく理解した新田はさらに声をあげて喚いた。


「だって暑いもんは暑い!! なんでこんな暑い日に日光浴しなきゃいけないんだよ!!」


 それは天野も、いや、現在温室で日光浴に励む患者全員の総意ではあったが、口に出したところでどうにもならない。


 背中に蝶の翅が生える奇病――クピド症候群。病気が直接の原因で死ぬことはないこと、蝶の翅の美しさや恋をすると治るという特殊性から、世界一美しい病気などと称されている。


 といっても、クピド症候群の患者にだって悩みはある。現在、一番の問題は日光浴。


 蝶の翅は日光を好む。一定量の日光を浴びないと体調を崩すことが判明しており、患者はサンルームや温室で翅を太陽光にさらすことを日課としている。比較的涼しい春先、秋は陽気な日差しに眠気を誘われる行為だが、夏場は地獄と化す。


「温室に冷房入れようぜ! キンキンに冷やそう!」

「寒さで動けなくなるぞ」


 ギャーギャー騒ぐ新田に眉を寄せつつ天野は冷静な答えを返す。

 蝶の翅は寒さに弱い。翅を冷やしすぎて冬眠状態に陥った患者もいる。そのため冬場は翅を冷やさないように翅カバーを掛けることになる。施設内も廊下まで暖かくなるため、暑がりには夏とは違う地獄と化す。


「俺たち、翅に振り回されてる。……もしかして翅が本体? 人間だと思っていたけど、俺たち翅になり変わられていた?」

「怖いこと言うのやめろ」

 天野は顔をしかめて自分の翅を見つめた。


「体よりも翅扇いだ方が涼しかったりして。ヒロ、俺の翅扇いで」

 天野が一抹の不安を覚えている中、新田はのんきにそんなことをいい、自分のうちわで天野を扇ぐ真似をする。


 温室のいたるところに置かれたベンチは隙間なく患者が座っている。全員手には団扇、もしくは手持ち扇風機。足元には氷水が入った桶。そこに足を突っ込み、タオルを頭、もしくは首にかけ、早く背中の翅が満足してくれと祈っている。その姿は新田の言う通り翅に支配されているように見えた。


 天野は自分が持っている団扇をみた。患者が全員持っている、病院から支給されたものだ。なんの柄も入っていない愛想のないそれを見て天野は眉を寄せ、とりあえず新田のいう通りに翅を扇いでみる。

 新田の性格を現したようなオレンジ色の元気な翅は団扇で風を送るとかすかに揺れる。新田は目を見開いて固まった。


「……体扇ぐより涼しい……」

「マジかよ……」


 今度は新田が天野の翅を扇ぐ。新田に比べて小さなピンク色の翅が風を受ける感覚がした。たしかに、顔やら首を団扇で扇ぐより羽根に風を感じた方が涼しく感じる。


「……俺たち、本当に寄生されてるんじゃないか」

「新発見……四谷よつやっちに教えたら喜ぶかな」

「むしろ謎が増えたって頭抱えるんじゃないか」


 虫籠の職員である四谷はクールな見た目に反して世話焼きなため、一部患者からは兄やら親のように親しまれている。そんな四谷は医療免許を持つ医者で、患者の健康管理などが担当だ。病気の原因に関しても日夜研究を続けているらしいが、未だに糸口すらつかめていないらしい。そんな四谷に寄生されてるかもしれないなどと言ったらどんな反応をするのか見たいような、見たくないような。


かけるちゃん、こんな暑い中、空飛んでて大丈夫かって思ってたけど、飛んでた方が涼しいのかもな」

「風を切る感覚がするっていってたもんな」


 そういいながら天野と新田はそろって温室の上空を見上げた。

 ドーム型になっている温室はガラス張りで、流れる雲や目を焼く太陽が見える。その中に踊るように空を飛んでいる影が一つ。それは見間違いでも、幻覚でもなく、同じクピド症候群患者、大空翔おおぞら かけるである。


 翅の形や色、大きさは個人差がある。新田が平均的で、天野は小さく、大空は大きい。小柄な大空と背に生えた大きな翅は相性が良かった。持って生まれた運動神経も相まって、大空は誰よりも高く、長く空を飛ぶ。数センチほどしか浮かない天野からすれば憧れの存在だ。


「そろそろ止めないとな。翔ちゃん、飛び始めると時間忘れるから」

「日光浴としても十分だろうしな。誰よりも浴びてるだろ」

「太陽に一番近い場所にいるもんな」


 パタパタとお互いの羽根を扇ぎながら空を見上げ続ける。青い空の中、自由に飛び回る大空は名前の通り、空に溶けてしまいそうで少し怖い。


「イカロスの翼は蝋で出来ていたから溶けたんだっけ」

「……縁起でもないことをいうな」


 クピドの羽根は太陽光で溶けはしない。羽根が溶けたなんて話聞いたこともない。けれど、今までなかったからといって今後もないとは言い切れない。

 翅が生えた原因も、恋をすると翅が落ちる仕組みも、誰もなにも分からない。


 クピド症候群が発見されてから十年。人間の医者と蝶の学者。他にも様々な人間が調べ続けているのにクピド症候群は謎多き病気と言われている。自分たちが知らない、今だ発見されていない現象があったとしても不思議ではない。


「世界一美しい病気なんて、知りもしないでよく言えるよな」


 新田は空を見上げながら目を細めた。それに天野はなにも答えず、同じように空を見上げる。

 所詮、他人事なのである。気をつけていれば死ぬような病気じゃない。恋さえすれば治るのだからと、部外者は軽く語る。当事者の不安など想像もしないだろう。


「翅が落ちても、俺は俺のままかな……」


 新田の小さなつぶやきに、天野は答えることが出来ない。その答えを天野だって知りたかった。

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