2-2 不安の残滓

 談話室はいつも賑やかだ。娯楽が少ない虫籠は人と話して時間を潰す患者が多い。病気の治療としても他人と関わることを推奨されるので、暇な時は談話室にくれば誰かしらがいる。


 今も窓際の席でしゃべっている女子たちや、奥の方のテーブルでボードゲームにいそしむグループ、一人用の椅子やソファで雑誌を見ている男子など、広い空間でそれぞれが好きなように過ごしている。

 そんな談話室をぐるりと見回して、新田はある一点で目を輝かせた。俺も新田に遅れて気づく。複数人座れる長机を占領して、なぜかトランプタワーを作っている少年が一人。


「ヒローなに、地味なことしてんの? 邪魔していい?」

「はっ倒すぞ」


 早速からみにいった新田に視線を向けることもなく、冷たい一言を浴びせかけたのは天野弘樹あまの ひろき。新田こと新田隆二にった りゅうじ、俺と同い年。虫籠に入った時期はバラバラだが、新田を仲介した形で気づけばつるむようになっていた。

 新田の茶髪はチャラいが、天野の金髪はきつい印象を与える。本人の眼光がするどいうえに耳にはピアス。どっからどう見ても不良だが、話してみると意外と真面目。というか勉強嫌いで体育くらいしか得意教科がない俺より、よほど頭がいい。

 目の前で黙々とトランプタワーを作っている姿から見ても、不良じみているのは見た目だけというおかしな奴だ。


「暇なら、お前も温室くればよかったのに」

「いったってやることねえし。大空が飛んでるの見るの嫌いじゃないけど、毎日はなあ……新田みたいに俺は大空のファンじゃないから」

「えっ俺、翔ちゃんのファンだったの?」


 新田が天野の言葉に、おおげさなほど驚いた顔をしてこちらを見る。やめろ。視線がウザい。


「ファンだろ。いくら蝶乃宮さんにいわれてるっていっても、毎日、毎日、一時間も飛翔してるのただ見てる。そこまできたら義務じゃなくて愛だろ」

「そうか……俺は翔ちゃんに愛を抱いて……」

「気持ち悪いこというな」


 意味深に視線をそらす新田にも、タワーから一切視線をそらさない天野にも腹がたつ。新田じゃないがそのトランプタワー崩してやろうかと思ったが、完成が見えているそれを壊すのは良心が痛む。代わりに気色悪いことをいった新田を蹴っておいた。


「痛い! 愛が痛い! これはDVよ!」

「それは大変だ。離婚届け出さなきゃな」

「そもそも結婚してねえよ!」


 新田も俺も男だろうが! という台詞が口から出かかったが、ギリギリ飲み込んだ。俺個人としては同性なんて考えられないが、ここには少なからずそういう奴もいる。同性に恋して羽根が落ちた奴だって一年の間に何人か見ている。

 虫籠に来る前は同性愛なんて夢幻。自分には関係ないと思っていたが、ここに来てから自分が思っているよりもそういう奴らは多いのだと知った。そしてそいつらが多くの場合、ひっそり息を潜めていることも。今この場で雑談している奴らの中に、そうした人間が混ざっていないとは限らないということも。


「毎日、毎日、くだらない冗談が、よくもまあ思いつくよな」


 天野の前に向かい合うようにして座る。新田も当たり前のように俺に隣に座った。それに対して天野は何も言わず、黙々とタワー作りを続けている。


「入院する前からよくいわれた。新田くんおもしろーい。って。主に女の子から」

「女子のそれ、全く信用できないやつだろ」

「全く可愛くないぬいぐるみにも、可愛いっていうのと一緒だよな」

「お前ら考えがすさんでんなー。女の子が可愛いっていったらそれは可愛いんだよ。たとえハゲたおっさんでも」

「そこまできたら洗脳の一種だろ」


 新田は「そうかもねー」と軽く笑う。それから「何か飲みたくない?」と談話室に備え付けられたドリンクバーへと視線を向けた。さっき座ったばかりだというのに落ち着きないなと思ったが、新田にいわれて喉が渇いていることに気がついた。

 空を飛んでいると高揚感で忘れがちだが全身を動かしている。毎日のことなので慣れてしまったが、体が水分を欲しているのは確かだ。それを分かって提案したのかと新田をみたが、新田はいつもどおり笑っている。なんだかイラッとしたのでぶっきらぼうに言い放つ。


「コーラ」

「じゃあ俺はお茶」

「相変わらず、見た目にそぐわずヒロ君は渋いね」

「そういうお前は見た目通りのパリピだよな」

「よく言われる!」


 なにが楽しいのか俺たちにウィンクして新田は去って行った。付き合いは一年になるが未だにあのノリはよくわからない。なんとなくその背中を目で追っていると天野が話しかけてきた。


「今日もギリギリまで飛んでたのか?」


 天野を見たが相変わらず視線はトランプタワーだ。慎重にトランプを乗せていく動作は危なげなく、視線はタワーから外さない。だからこそ天野がなにを考えているのか分からない。ただの暇つぶしで聞いているのか、暇つぶしを装っているのか。


「お前も説教する気かよ」

「いやー単純にすごいなって。俺は一時間も飛び続けるなんて無理だから」


 そういうと天野の翅が同調するように揺れた。ピンク色の可愛い翅は、天野の見た目とも体格とも見合っていない。一目見るなり新田は似合わないと大笑いしていた。そこまで正直な反応はできなかったが、俺も意外だと思った。

 天野は新田よりも少し小さいくらい。俺に比べれば誤差の範囲。平均より少しぐらい小さくとも十分男に見える骨格をしている。そんな天野の背に着いている翅はずいぶん小さくて、俺に比べるとおもちゃのように頼りない。


「大空の翅は大きいから、高く飛べるし対空も可能だけど、俺の場合ちょっと浮くだけで限界だからな。それでもだいぶ疲れるし」


 蝶の翅で飛ぶのはとても難しい。そもそも人間の体は飛べるようにできていないし、クピド症候群によって生える翅も飛ぶことを目的に出来たものではないらしい。

 俺はたまたま体を浮かせられる、大きな翅が生えた。認めたくないが男とは思えない低身長だったことが要素として重なり、自由自在に飛翔することを可能とした。初めて俺が飛んだのを見たときスタッフの反応は今でも覚えている。全員が全員、大人とは思えない間抜け面で俺を見上げていた。

 十年に及びクピド症候群の患者を診てきた医者、研究者が口をそろえてここまで飛べる患者は初めてだといった。

 それが俺は誇りだった。やっと認められた気がした。


「大空翔は飛ぶためにクピド症候群になった」

「なんだそれ」

「そう言ってる奴がいんだよ」


 具体的な名前をあげなかったところを見るに親しい相手ではないんだろう。自分をそんな風にいう相手に俺も心あたりはない。ただ、それは小さな身長も含めての話に思えて複雑だ。たしかに飛ぶためには小柄な体型は必要だった。けれど、飛ぶためにと言われたら、それ以外に小さな身長の価値はないみたいではないか。


「嫉妬もはいってると思うけどな。飛んでるお前たのしそうだし、輝いてるし。俺もお前みたいに飛べたらなって思う。三秒で諦めたけど」

「もうちょっと粘れよ」

「ムリ、ムリ。体のつくりの問題。あと俺は運動そんな得意じゃないし」


 そういいながらも黙々とトランプタワーを組み立てる姿をみていると納得してしまう。偏見かもしれないが運動が得意なやつが地道にトランプタワーを積み上げる姿が想像できない。新田もそこそこ動ける奴だが、すぐさま飽きてトランプを放り投げるだろう。それは俺も同じだ。


「お前も飛んでるの楽しそうだし、長時間飛行は落下のリスクがあがる。ってのをのぞいたらいいんじゃないかと思うんだよ」

「やっぱ説教じゃねえか……」


 真面目に聞いていて損した気持ちになってくる。

 そこで天野は、今日はじめて俺を見た。


「説教っていうかお願いかな。俺は大空が飛んでる姿を見るのが好き。新田も同じ。でもって、落ちた姿なんて想像できないし、想像したくない」


 自分が落ちる姿。それを想像しようとして、できなかった。たぶん、落ちたときには想像もなにも遅いのだと思う。俺が落ちた時はきっと、すべてが終わってる。


「お前が落ちて死んだらさ、お前が死んだことしか思い出せなくなるんだよ。お前が綺麗に空を飛んでいた姿なんて……きっと思い出せない」

「そこは頑張って思い出せよ」

「無茶いうな。友達が死んだ衝撃の方がどう考えても大きいだろ」


 入院してすぐに受けた勉強会でみたスライドショーを思い出した。薄暗い部屋の中、今までの患者の症例や写真、動画を交えてクピド症候群について説明された。

 恋をすれば自然と翅は落ちる。だから恐れる心配はない。そう説明しながらも二点だけは忘れないでほしい。そういつもの穏やかな笑みを消した蝶乃宮さんが話していた。

 クピド症候群は死を招く病気ではない。しかし、翅に傷をおった場合、高い場所から落下した場合は死亡リスクが跳ね上がる。


 スライドショーでは一部傷ついた翅、そして患者が落下死した現場の写真が流された。さすがに死体はなかったが、コンクリートにこびりつく赤々とした血が鮮明に映し出された。一緒に勉強会をうけた女子が悲鳴をあげたから、衝撃的な写真だったことは間違いない。そんな写真からなぜか俺は目が離せなかったのだ。

 どこかで予感していたのかもしれない。自分もこうなるかもしれないと。


「いつのまにかタワーが完成している!」


 トレーに紙コップを三つのせた新田が戻ってくるなり歓声をあげた。声につられてみればたしかに天野が創り上げたトランプタワーは完成している。頂上を彩るトランプはどこか誇らしげであり、天野もいつもより子供らしい顔をしていた。


「写メっていい?」

「撮れ、撮れ」

「ヒロは腕くんでドヤ顔して」

「……俺もうつんの?」

「むしろお前うつんなかったら何の写真だよ?」


 ほらほら、と新田にせかされて首をかしげながらも天野はカメラの前に立つ。新田の指示は無視していたが、新田自身もいっただけでそれほどこだわりはなかったらしく、あっさり撮影は終わった。


「よし、記念も残したし、壊していい?」

「情緒ないなお前……」

「でも、こういうの壊すとき爽快感あるだろ?」

「分からないでもない」


 俺を放置して新田と天野が盛り上がっている。それに不満を覚えるよりも、先ほど思い出した血だまりの写真が視界にちらついた。

 えいっというかけ声と共に新田はトランプタワーの頂点にチョップして、バラバラとタワーは崩れる。いつのまにかスマートフォンを取り出していた天野が、それを撮影して笑っていた。

 天野が時間をかけて作ったトランプタワーはあっという間に崩れて、机の上に散らばる。それを見ながら、壊れるときはこんな風にあっけないんだろうな。と思った。


 しかし、俺が恐れる壊れるものとはなんだろう。ぼんやり浮かぶ不安や焦りはなんだろう。

 答えが見つからずにもやもやだけが残った。

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