【大空翔】地に落ちる
2-1 虫籠の限界
ゴウゴウと空気をさく音がする。すでに地上から数十メートル離れているが恐怖はない。風が体をたたく感覚も、地に足が着かない浮遊感も、翅を動かすたびに体が上昇する心地よさにはかなわない。集中すると風を切る音も聞こえなくなり、翅を動かしているという感覚も遠くなる。意識しなくとも翅が動く、空が近づく。
世界には自分しかいない。そう錯覚してしまいそうなほど静かで気持ちがいい。今なら太陽にすら手が届きそうな気がする。そう思うのに、気づけば温室をかこう天井が目の前にあった。
明確に決められた上限に舌打ちがでた。もっと高く、遠く、制限などない空を飛びたい。
ガラス越しにみる空は快晴。太陽は輝き、雲は流れている。あそこまで飛べたらどれだけ気持ちいいだろうと想像した。山も雲も超えて、さらに高く、太陽まで……。
「
急に現実に引き戻されてムッとする。想像の中の俺は大気圏を飛び越えて、月に降り立ったところだというのに。
下を見ればずいぶん小さくなった
「飛翔時間終了!!」
動きだけでなく、再び声で主張されたら無視するわけにはいかない。天井にいるからまだ小さく聞こえるが、地上ではかなりの大音量なはずだ。耳をふさいで距離をとる患者たちをみていると、俺のせいじゃないのに悪いことをした気分になる。
降りると言葉でしめすことなく体をひるがえかす。俺が思い描いた通りに翅は動き、今度は体が急降下する。
背に異物がついている。
そうこぼすものもいるが、俺にはそれが理解できない。生まれたときから体についていた手足のように、いや、手足以上に自由自在に翅は動く。翅が生えていなかった頃のことなんて思い出せないくらいに。
頭から落下するような勢いで地面が近づく。それでも焦りはない。慣れた動作で体を捻り、危なげなく足から着地する。その一部始終を近くでみてきた新田がおぉーと間抜けな声をだし、拍手した。
「いつみても翔は飛ぶのが上手いな」
「当然!」
胸を張る。それに答えるように背にある透明な翅も揺れた。
「運動神経抜群、翅は大きい、背は小さくて体が軽い。飛ぶために生まれてきたみたいな奴だよな、翔は」
「背が小さいは余計だ!!」
最大のコンプレックスを指摘されて新田をにらみつける。しかし新田は悪いとは全く思っていなさそうな顔で「悪い、悪い」と言葉だけの謝罪をした。このやりとりは数えるのもバカらしいほど繰り返されていて、新田が本気で謝る気がないのがよぉーく分かる。
「ちょっとデカく生まれたからって調子のんなよ!」
「調子のってないし。俺は平均身長だし」
そういって肩をすくめた新田はたしかに高校一年生としては平均くらいだ。大きすぎず、小さすぎず、目立つこともなく集団に紛れ込める。俺としては平均身長以上が理想なので物足りないが、平均身長以下、女と間違われるほどの低身長からすればうらやましすぎて舌打ちが出る。
「うわーガラ悪い。翔ちゃん。黙ってれば女の子みたいに小さくて可愛いのに」
「お前、実は俺を怒らせたいのか? わざとか?」
地雷ワードその一、小さい。その二、かわいい。その三、女の子みたい。
短い言葉で見事に地雷を踏み抜いた新田の足を力一杯蹴りつけた。「いったぁ!?」と本気の悲鳴が聞こえたが知るか。何度も何度も、怒るぞと言い続けたのに聞かないの悪い。
「なんだよ。飛翔時間を守らない翔ちゃんのために、毎日時間チェックしてる健気な俺なのに!」
「頼んでないし。むしろお前がいない方がたくさん飛べる。どっかいけ」
「なんて冷たい……翔ちゃんのことを心配していっているのに」
よよよとわざとらしく目元に袖をもっていく新田をにらみつける。心配している態度では全くないし、仮に心配していたとしてもその態度では素直に感謝もできない。
いや、感謝なんてする必要がない。俺はもっと飛びたい。新田がお目付役として毎回見張っているせいで、制限時間以上飛ぶことが出来ないと考えればこんなの生ぬるい。
「なんで毎日俺の監視してんだよ」
「蝶乃宮さんに頼まれたから」
人好きする笑みを浮かべて新田は軽くいう。「美人に頼まれたら断れないよなー」なんて軽い言葉をはく姿をにらみつけた。
たしかに蝶乃宮さんは美人だ。クラスで誰が一番かわいいという話題よりも校庭でサッカー、体育館でバスケを選んできた俺ですら、あまりの美しさに硬直したほどの美人だ。それでいて頭もよく性格も穏やかでやさしいときている。高嶺の花すぎて恋愛対象には出来ないが意識せずにもいられない。それが蝶乃宮さんである。
「お前、蝶乃宮さんに頼まれたら何でもするのかよ」
「いやーさすがに何でもはなあ。蝶乃宮さん好きだけどファンってほど熱烈でもないし」
「じゃあなんでだよ。毎日、毎日俺につきまとうのは」
「つきまとうって翔ちゃんひどい。純粋に心配してるのに」
再び新田はよよよと袖元で目のはしを押さえた。さっきから何だそのうざったい動作は。
「……真面目な話、飛ぶ時間が長ければ長いほど危険なのは翔ちゃんだって知ってる。っていうか翔ちゃんが一番分かってるでしょ」
半眼で見つめていると、いきなり新田が真剣な顔をした。その切り替えに驚いて、とっさに言葉が出てこなかった。
「翔ちゃんほど長く飛べる子なんてここにはいない。今までだっていなかった。これから先もいるか分からないって研究者の人たちは言ってたよ。ってことは翔ちゃんがいまのところ飛翔の頂点」
「頂点……いい言葉だな」
「そんな軽い話じゃないんだって」
考えの足りない子供をみるような顔で、新田はため息をついた。同い年だろお前。子供扱いすんじゃねえ。そう言う前に新田が真剣な顔でこちらを見る。
「まだクピド症候群が飛翔病って言われてた頃、少なからず死者が出てるの翔ちゃんだって知ってるでしょ」
知らないとは言えなかった。
クピド症候群を発症する前。自分に翅が生えるなんて、そもそも人間に蝶の翅が生えるなんて想像すらしていなかった頃、それは大きな衝撃だった。
人間に翅が生えた。空をとんだ。そして落ちて死んだ。
それはどれも信じられないことで、社会はなかなかそのニュースを受け入れることが出来なかった。家族と一緒にテレビをみていた俺も、今日はエイプリルフールだったかと真面目に考えたほどだ。
しかし、人間に翅が生えたことも、空が飛べたことも、それによって落下死したこともすべて事実だった。患者の数、死者数が増えるにつれて、これは深刻な問題だと俺を含めた社会は気づきはじめた。患者は二十歳までの子供。死ぬには、ましてや落下によって体が潰れ、内臓をまき散らして死ぬほどの罪をおかした子なんているはずもない。
同世代。しかも誰が発症するかも分からない病気。患者には十歳から二十歳までの間という他に共通点はなく、恋をすると翅が落ちると分かるまでは恐ろしい病気として社会を不安がらせた。
というのに治療法が見つかったとたん、なんて幻想的でドラマチックだと女性を中心として騒ぎになった。
アホらしい。そうテレビや雑誌、同級生たちが騒ぎ立てるのを冷めた目でみていた。
俺には関係ない。発症する前は確かにそう思っていた。まさか自分が発症するなんて、空を飛ぶことにこれほどのめり込むなんて、少しも想像していなかった。
「飛翔時間を無視するなら、命綱つけるとか、ネット張るとか。そういう対策するって蝶乃宮さんいってたよ」
「……それは嫌だ……」
命綱もネットも窮屈過ぎる。自分の翅で飛べる感覚を知ってしまったら、地面に縛り付けられるのは苦痛でしかない。
「分かったら、ちゃんと守ってね。いい子にいてた蝶乃宮さんもそこまではしないでしょ」
ポンポンと頭をたたかれてとっさに払いのける。同い年だというのにずいぶん離れた身長。忌々しげに新田を見上げてにらみつけるが、新田は気にした様子もなく笑う。
「ほらほらー怖い顔しないで、談話室いこー。適当にテレビでもみてだらだらしよー」
俺の後ろをに素早く回り込むと背を押す。空だったら絶対捕まらないし負けない自信があるが、地上に降りた俺は新田に勝てない。無理矢理おさえつけられたらどうしたって体格が大きい方が勝つ。
不満ではあったがこれ以上抵抗するのもバカらしくて、しぶしぶ歩き出すと背後で声が聞こえた。
「翔ちゃんが落ちて死ぬ所なんて俺、みたくないから」
いつも笑っている、軽い口調で話す男にしては抑揚のない声に驚いた。
振り返って見上げても新田はいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべている。けれど、ちょうど太陽の影になったせいかいつもより表情が暗く見え、俺を見下ろす目に温度がないように思えた。
少しだけ怖いと思ったが、怖いと思ってしまった自分がカッコ悪いと思った。気のせい、聞き間違いだと前を向き、自分から談話室の方へと歩きだす。新田が後ろを黙って着いてくる気配がした。
落下して死にたいかと聞かれたら答えはノーだ。
でも、空を飛ぶのをやめられるかと聞かれたら、その答えもノーだ。
空を飛ぶことを覚えた日から、俺は飛ぶことに魅了され続けている。
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