2-3 恋の定義

 トランプタワーを壊して満足した新田は俺と天野のそれぞれに紙コップを配る。天野に渡されたのは要望通りのお茶だが、俺の目の前に差し出された紙コップの中身は透明。どこからどう見てもコーラではない。

 

「ヒロはお茶、翔ちゃんはミネラルウォーターね」

「まてこら、俺はコーラっていったよな?」


 新田の顔と紙コップを交互に見るが何度みても紙コップの中身は透明のまま。つまり水だ。

 

「天野は要望通りなのに、何で俺のは水なんだよ!」

「運動後だから炭酸より水がいいと思った俺の気遣いなのに」

「なら最初から聞くなよ!!」


 俺の荒々しい声に対して新田は「ごめーん」と軽く返した。虫籠内の女子の中には「新田君って可愛くて憎めないんだよねー」といっている奴がいるが、そいつの肩を揺さぶって目を覚ませと言ってやりたい。


「二杯目はコーラもってきてくれるってよ」

「二回もパシらせるつもり? ひどい。横暴」

「お前が自分で取りにいったんだろうが」


 冗談が通じないんだからという顔でやれやれと首を左右にふる新田にイラッとした。自分はコーラなのも腹が立つ。


 なんで俺はコイツと友達なんかしてるんだろうと一日に一回は考える。そろそろ縁を切るべきかもしれないが、退院しない限り嫌でも顔を合わせる。退院したとしてもメッセージがきたらなんだかんだいって返事をしてしまう気がする。

 優柔不断な自分にイライラしていると、メッセージアプリの間抜けな音が響いた。新田が天野に何かを送信したらしい。


「はーい、さっきのヒロの写真。地元においてきた恋人に送っていいよ」

「それがいたらここに居ないんだよな」


 天野はそういって苦笑する。

 クピド症候群は恋人がいたり、片想いしている状況では発症しない。過去には恋人と別れた途端に発症するというレアケースもあったらしい。それを踏まえると天野がいったことは偽りない事実で、分かったうえで笑えない冗談を言った新田は無神経だ。


「じゃあ、仕方ない。代わりに翔ちゃんが親に送ってあげて。俺の親友って」

「いきなり全く知らない他人の写真送られてきたら、大空の両親驚くだろ」


 あきれた顔をする天野に俺は大きく頷いた。両親からたびたび届く「元気か?」というメッセージに「おー」しか返さない俺だ。いきなり友達の写真なんか送った日には違う病気を疑われる。


「えーでも、翔ちゃん、家族と連絡とってなさそうだし、向こうは翔ちゃんの交友関係気にしてるんじゃない? ヒロ君が嫌なら俺でもいいよ。大親友の新田隆二君ですって送って」


 写真写りを意識したキメ顔を披露する新田に俺は顔をしかめた。すごい嫌そうな顔をしていたのだろう。天野が口元に手を当てて肩をふるわせる。


「そんな嫌そうな顔しなくても」

「天野が親友なのは百歩譲るとして、お前が大親友なのはあり得ない」

「ひどい! ヒロ君、翔ちゃんが反抗期よ!」

「そういうウザがらみするからだろ」


 天野の言うとおりである。新田と絡むのやめて天野とだけ話そうか。だが、実際にそれをしたら「ひどいわ! いじめよ!」ってうざいテンションで泣き真似するのだろう。想像だというのにあまりのうざさに真顔になった。


「えっ、なんで急に真顔」

「さあ?」


 新田と天野の戸惑った声が聞こえたが、俺の内心を真面目に説明するのはあまりにもアホらしい。適当に流すことにした。


「それを言ったらお前も連絡取ってんのかよ」


 喉が渇いたので水を口にする。運動後の体は新田が言う通り水分を求めていたらしく、思ったよりも勢いよく飲んでしまった。新田の予想通りということにイラッとする。

 幸い、適当な話題に思うところがあったらしい新田は、俺の行動には気づいていない。ちょっと面倒くさそうな顔で天井を仰いでいた。


「いやーまー、とってはいるけどさあ、何話しても最終的には恋はできそうか。いつ退院できるんだに落ち着くのがちょっとしんどくて……」


 困ったように吐き出された言葉は冗談めかしてはいたが新田の本音のようだった。いつも悩みなんてありませんという顔でお気楽に笑っている新田にしては珍しい反応に驚くが、すぐさま納得する。

 ここにいる以上、その問いはずっと投げかけられる。新田は俺よりも入院期間が長いから尚更だろう。俺の両親は返事がおざなりな俺に合わせて短文で返してくれるが本音は違う。本当はまだ出られないのか? と一番聞きたいに違いない。


「家族と仲いいのも面倒なんだな」

「さらっと重いこといってくる」


 天気の話するくらいの気楽さで呟いた天野に新田は呆れた顔をした。天野との付き合いも長くなってきたので慣れたが、最初の頃は不意に投げ込まれる爆弾に驚いたものだ。

 

 ここに来るまで家族というものは仲が良いのが当たり前だと思っていた。ズケズケと「イケメンの写真送って」といってくる姉はウザいし、本音を隠したメッセージを送り続けてくる母もウザい。しかし、それが一切届かないとなれば俺はどうなるんだろう。少なくとも、天野のように平然とはしていられない気がした。


「恋なんて狙ってできるものじゃないって分かんないかなー。綾崎あやさきさんとか、手当たり次第に手出してるけど翅落ちる気配ないじゃん」

「あれは特殊例だろ」


 クピド症候群を発症してから気づいたが、恋とは曖昧なものだ。顔が好みというわりに翅が落ちなかったり、毎日顔を合わせていたのにある日突然翅が落ちたり、世間的には恋人と言っていい行為をしている関係の二人が両方翅つきだったり。


「綾崎さんの節操無しはちょっとどうにかしてくんないかな……」


 天野が嫌そうな顔をした。珍しいなと俺は思った。目付きが悪く、口調が荒っぽいため誤解されがちだが、天野は穏やかな性格をしている。人を嫌うことは滅多に無いし、それを態度に出すこともほとんどない。


「そういえばこの前、ちょっかいかけられてたな」

 新田の言葉に天野が肩を震わせる。それから自分の反応を恥じるように新田を睨みつけた。


「おい、新田」

「ごめん、ごめん。ヒロが見た目に反して純粋なの忘れてた」


 本当に反省しているのかわからない態度で両手を合わせて「ごめんね」とウィンクする新田に天野は「俺の方こそ過剰反応しすぎた」と返す。

 いや、天野は何も悪くないだろ。新田が無神経で空気読めないのが悪い。天野の代わりに新田の足を蹴ってやった。悲鳴が上がったがざまあみろとしか思わない。


「俺もあの人苦手。かわいーとか小さいとか、何回やめろって言ってもいってくるし。あんま近付かない方がいいって。四谷も俺らに注意するよりもアイツ取り締まれよ」


 この間も飛び過ぎだと注意されたことを思い出して舌打ちがもれた。

 医療スタッフである四谷はメガネをかけたいかにも生真面目そうで、実際、生真面目な男。本分である健康分野以外にもクドクドとお説教をたれるため、見た目の美しさで即名前を覚えられる蝶乃宮さんに続いて名前を覚えられるスタッフだ。

 ついたあだ名はオカンとか、委員長とか。三十代の大人につくものではない。


「注意はしてるみたいだよ。でも治療の一環ですって言われたら、医療スタッフとしてはそれ以上言えないみたい」

「誰彼構わずちょっかいだすのが?」

「恋のメカニズムなんて誰もわかんないからねえ。自分の恋はこういう形なんです。って言われたら、完治を推奨する側としては止められないでしょ」

「翅落ちてねえじゃん」


 クピドの翅は恋をしたら落ちる。何をもって恋と判断しているのかはわからないが、俺たちはみんな恋をしたら翅が落ちるのだと認識している。

 それでいうと綾崎は恋をしていない。いろんな相手に手を出しているが、アイツの背には未だに蝶の翅が揺れている。


「それも含めて、研究する側からすれば貴重な例なんだと思うよ。綾崎さんの翅が落ちれば一つの答えが出る。クピド症候群解明に一歩近付くってね」

「……なんだそれ、俺たち、モルモットかよ」


 俺のつぶやきに新田は何も言わなかった。いつも浮かべている笑顔が一瞬だけ引っ込んで、次にはわざとらしいくらいの笑顔が浮かぶ。それでも何も言わない。

 居心地悪くなって天野を見るが、天野もお茶の入った紙コップを握りしめて黙り込んでいた。


 俺もつられてコップを見つめる。そこには不機嫌そうに水を睨みつける自分の顔が映り込んでいた。


 理屈としては分かる。研究にはデータが必要だ。この病院は俺たちを保護するのと同時に俺たちを研究するために作られた。俺たちは患者でありモルモット。人数が多ければ多いほど、症例が多ければ多いほど、病気の解明は進む。いずれは恋などせずとも、治療薬で翅を落とすことだってできるかもしれない。

 そうなったとき、自分は翅を落とすのだろうか。


 ビュービューと風を切る感覚を思い出す。自由に空を飛ぶ快感を。誰よりも高く遠くに自分の力で飛んでいく高揚感を。

 俺は捨てられるだろうか。

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