1-3 新参者の転機

「ふーん、まあいいけど。それで、何で三日目にして悲観に暮れてんだ?」


 天野君は興味がないのか、あるのか分からない態度で僕に話しかける。声をわざわざかけてきたのだから、興味があるはずなのだが、僕と視線を合わせるわけでもない。それが今の僕からすれば心地よくもある。

 それに、僕はいま悩みを打ち明けられる相手がいない。


 クピド症候群を発症した場合、伝える相手は最小限。家族内の秘密にすることが鉄則とされる。

 クピド症候群は希少であり美しい病気と言われている。病気に美しいとは不謹慎な話だが、クピド症候群は致死率の低い病気だ。恋をすることが出来なくても、翅が落ちないだけ。クピド症候群による死因は多くは転落死、次に翅の欠損による事故、他殺である。

 

 転落死の多くは、飛翔病と呼ばれていた時期に起こった。病気についての理解が薄かったことにより、飛翔距離を見余り墜落してしまったことが原因だ。

 翅の欠損についても、翅が神経につながっており、無理やり引きちぎると死に至ると世間に広まっていなかったことによる事故が多い。


 病気の究明、保護を目的としてクピドの虫籠が建てられてからは、死亡率は限りなく下がった。それもあってか、病気とは関係ない他者からするとただ美しい翅が生え、空を飛ぶことが出来る。そんな夢のような病気なのである。


 恋によって翅が落ち、病気が完治する。それも世間の興味を引き立て、希少価値の高い病気という認識を強めた。

 クピドの虫籠が出来上がるまで、クピド症候群患者の翅に不躾に触る。写真を撮る。挙句の果てには誘拐、無理やり翅を切り落とそうとした事件まで発生した。

 病気が原因で死ぬことはないが、外的要因によって死亡リスクが高まる状況を深刻に見た政府が打開策として打ち立てたのは、発症が確認された場合速やかに専門施設に連絡し、周囲に悟らせない事だった。

 その後、専門病院として設立されたクピドの虫籠により、発症者は周囲に悟らせることなく入院する仕組みが出来上がった。クピド症候群は認知度のわりには発症率が低く、今は都市伝説的扱いを受けている。それにより治療が完了したと同時、患者は何食わぬ顔で社会復帰できるのである。


 逆に言えば家族以外には相談できないという事である。

 十八にもなって、友達が作れるか、恋が出来るか不安だなんて悩みを両親に出来るはずもなかった。仮にそれを伝えて、心配させるのも本意ではない。

 となれば、僕が取れる行動は二つ。この不安を内に秘めるか。誰かに相談するか。


 内に秘めることは、ここに来て三日目にして落ち込んでいる時点で向いていないと思う。情けないことだとは思うが、不安を押し隠して生活できるほど僕は強い心を持っていない。となれば、どういう目的かは分からないが話しかけてくれた。おそらくいい人であろう、天野君を頼るのも悪い選択ではない気がした。


「僕は早く病気を治して、家に、学校に帰りたいんだ」


 天野君は意外そうな顔をした。それから「まあ。そうか」とすぐに納得した顔をする。その反応に僕は少し違和感を覚えたけれど、不安をかき消すために言葉をつづけた。


「でも、そのためには恋をしなくちゃいけない。だけど、僕は恋なんてできる自信がない。恋をするために誰かと仲良くなれるとも思えない……。女の子なんて小学校以来、まともに話してないし……」


 会って間もない人間のくだらない悩みを天野君は黙って聞いてくれた。食べる手を止めて、じっと僕の目を見る天野君は見た目に反して、やはりいい人らしい。

 僕は不安を口にして少しだけスッキリした。ふぅっと息を吐き出して、苦笑いを浮かべて天野君を見る。こんなことを突然言われて、さぞや呆れているかと思えば、相変わらず真剣な顔で僕を見ていた。


「お前、難しく考えすぎなんじゃねえ」


 天野君はバッサリそういった。

 いい人だとは思ったけど、言い方は想像通りキツイ。自分でも思っていたことだけに、ぐさりと突き刺さる。少しばかり心を許しそうになっていたこともあり、不意打ちを食らった気持ちだ。深々と突き刺さった気がして、僕は胸を押さえた。


「恋ってするものっていうより、落ちるものっていうだろ。無理にしようとしなくても、そのうち勝手に落ちるだろうよ」


 天野君はそういうと、御馳走様と両手を合わせた。いつのまにか天野君の朝食は綺麗になくなっている。食べ方の綺麗さと、ちゃんと両手を合わせる姿に僕はまたしても意外だと失礼なことを思う。遅れて、天野君が言った言葉が頭に入ってきて、鈍器で頭を殴られたような衝撃を覚えた。


「落ちる……もの?」

「俺はそういう経験ねえけど、よくそういうだろ。先人がそういってんだから、そういうもんなんだよ。たぶん」


 天野君はどこか投げやりにそう言って、トレイをもって立ち上がる。


「だから気にせず、楽しめよ。一日中好きなことして、ダラダラ過ごしても誰にも文句言われねえような場所、ここの他にはないぞ」


 そういうと天野君は口の端を上げて笑う。どこか悪役みたいな笑い方はよく似合っているが、怖いよりもカッコいいが先にたつ。おそらくは自分より年下だろうに、ずいぶんと達観して見えて、僕は去っていく後姿を間抜けな顔で見送った。


「楽しめか……」


 天野君が言った言葉を頭で反芻しながら、僕は少々冷めた朝食を口に運ぶ。冷めかけていても十分に美味しい。何だか最初よりも、味が舌にしみ込んでくる気がする。

 それが僕の心の持ちようなのかは分からなかったけれど、せっかくだし図書室にでも行ってみようか。そんな気持ちになっていた。

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