9.薄羽蜉蝣
「何故人を殺してはいけないんだろう?」
スーツさんの声に振り返ると、少し目を離してる隙に彼はゴミの前にしゃがんでライターで蟻を殺していました。その姿に私は何故か"彼らしさ"の様なものを感じて、スマートフォンで写真を撮りました。冗談交じりに「ヤバ過ぎ」「SNSに上げまーす」「やめてよう」なんて言ってロリィタさんと笑っていました。すると彼はまた少し考えて、
「罪悪感は社会性ですよね」
なんて言い出すものですから、私は即答しました。
「当たり前じゃないですか、"罪"自体が人間の作った物ですから」
「そうか、そうだよね。ルールあっての罪だものね」
スーツさんは、この世にしてはいけない事が無い事くらい解ってる筈なので「何故人を殺してはいけないんだろう?」というのは"人間社会において大抵の場合"という前提でしょう。
ふと、精神を病んでいる友人の一人を思い出しました。その女の子は意思決定が不得意でした。恐らく支配的な親の元で育ったのでしょう。自分の選択に自信がなかったり、人に迷惑をかけてはいけないと思う余り相談したり頼み事をしたりする事が出来ない子でした。私が「本来人間を縛るのは肉体だけなんだよ」と散々口酸っぱく言った記憶が蘇ります。
「自由には責任っていう対価が必要なの。例えば極端な話、人を殺すことは出来るけど捕まって裁かれるか一生逃亡生活をしなければならないし、一生自分や遺族に責められると思うわ。それが対価。それでも尚殺したい人が居るなら別に殺してもいいの。人は殺人を禁止しているけど神や世界は禁止してないから」
偉そうに非人道的な歪んだ倫理観を押し付けていますが、今でも間違った事を言ったとは思いません。それについてスーツさんは配信中に「常識じゃないですか」と言っていたので、私は安心しています。けれど普通は、そんな事は誰も教えてくれないのです。だから彼女は三十年も己が己を縛り続ける不自由さに喘いでいたのでしょう。
そしてロリィタさんの帰る時間が近付いて来たので、公園を出て駅に向かう事となりました。
「流石に動物は僕も殺せないな」
何やら先程の話は続いていた様で、スーツさんは私達にも「殺せる?」と訊いてきました。勿論二人共答えは"No"、食べる為とか害獣駆除ならまだしも、意味もなく殺すのは嫌というのが総意でした。
「私の家では殺生禁止なので虫すら殺しませんよ」
私は一人暮らしなので私がルールです。別段これと言った宗教に入っている訳ではありませんが、恐らく虫の体液が嫌いなのです。ゴキブリすら見逃します。下手に関わって変な物を撒かれても困りますからね。
「植物は?」
「飾るとか贈るなら良いと思うけど無闇に折るのはちょっとなぁ」
「私も嫌ですね。あ、桜等の木の枝に関しては、生命が尊いとか以前に誰かの所有物を折るのは器物損壊ですけど」
「人類はそこまで洗脳されているのか」
スーツさんの言葉はとても胸に刺さります。痛いです。己がどれほど既存の価値観によって教育という名の洗脳を施されて来たのか思い知ります。私は私の力で物事を考えなければならないのに、それがとても難しいのです。
それから高円寺駅で別れ、また画面越しの付き合いです。
彼は後にSNS上でこう語っています。
"蟻を潰しながらなぜ人を殺してはいけないのか問う場面、完全に発狂した人のソレだったな"
蟻 虎兎 龍 @yurixtamura
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます