後編 宇宙の平和のために
「ぐあああ!……もうだめだっ、おしまいだぁ……」
まぁなんだかんだやって敵わなかった。でも大丈夫、時間稼ぎにはなったのだ!
「我が愛しき留音さまー!」
パカラッパカラッ……白馬に跨って手を振る人物が近づいてくる。それはまさにさっきの写真の人物。意外にも陸路から登場。乱気流は気持ちの問題だった。
「お、おぉ、あたしの未来の旦那様だ……とりあえず見た目にオチはついてないようだな」
求婚者が白馬を飛び降りると留音の前に跪き、両手で温かく留音の手を握ると、留音はたじろぎながら何処を見て良いのかわからないようにあの子や衣玖たちに視線を送っている。
「お待たせしました、留音さま。自分はチャーミング王国の王子、チャーミング八世。是非私の妻として、王国へ共に来て頂けないでしょうか」
「お、王子様だったのかっ!?」
驚きに声を上げる留音。その声を聞いた王子は「なんと凛々しくも華のある声か……」と感動している。感動は留音も同じだ。まさか自分に白馬の王子様が来るなんて。
「で、でもなんで王子様があたしなんかを……」
顔を赤く染めて別の作品みたいに照れる留音。
「ある日忍んで世界を回っていた時、あなたを見かけました。あなたが夜、一人でランニングをしている最中に誰も見ていない事を確かめた後に本気でシャドーボクシングを始め、興が乗って『シュッ!シュッ!』と言い始めた時に偶然通りがかった一般の方に気づいてそそくさとシャドーボクシングをやめて逃げるように去っていったあなたを。その時私の心には鮮烈にあなたが刻まれてしまったのです。あなたが何者でもいい、既に心が釘付けになってしまったのだから」
演劇のように仰々しい動作をする王子様。ぽややーっとした表情で頬をより赤める留音だが、その心の中では相手へのやましさのような気持ちが湧いた。
「そ、そうか。嬉しいけど……でも、あたしは……」
「どうしたのです?まさかもう好きな人が……」
もし本当に結婚する事になら言っておかなければならない。そこでダメなら、その方が後々バレて傷つき、相手をも傷つけてしまうよりきっとマシだ。留音は意を決した。
「い、いやそうじゃないよ。あたしは……もう汚れてるんだ。触手に掴まれて変な声を出しちまった……色で言えばピンクの声だぜ?へへ、こんな女、あんたみたいなすごい人には似合わないよ……だろ?」
留音の強がりと、向けられた気遣いに王子は、ただただ愛しさを増すばかりだった。
「あぁ、なんて純粋な人だ……そんなあなただからこそ、私はどうしようもなく惹かれてしまうのでしょうね」
「お、王子様……」
ぽやぁ……と頬を染める留音の肩に王子の手が置かれ、留音は恥ずかしそうに視線を逸らした。
そんな光景をただ見せられている方はイライラもんだ。
「なんですのあれ。というかちょっと真凛さんどういう事ですの?今王子と聞こえましたが。何故わたくしではなく留音さんを……」
西香は早口に真凛の服を引っ張り、真剣な表情で王子を見つめている。
「あれぇ?言ってませんでしたっけ。チャーミング八世さんはチャーミング王国の王子様なんですよぉっ。凄いですよねぇ、王子様に好かれちゃうなんて!」
「情報が何一つ進歩していませんわよ……っくぅ、ずるいですわ!わたくしも王国の運営側の一員になりたい……きっとここにいる誰よりも強くそう願っているはずですのに……!」
「でも王子様は留音さんにゾッコンですし、こうなったらもう留音さんを亡き者にして落ち込んだ王子様の気持ちの隙を狙って略奪するしかありませんよぉ」
「さすが真凛さん、ノータイムで過激な発想に辿り着きますわね。でもそれしかありませんわ……ごめんなさい留音さん、わたくしたちや地球のために戦っていましたのに。でもわたくし、目先のお金と地位と名誉のためならなんだって出来ますの……残念ですわ留音さん、あの時わたくしの差し上げたお友達誓約書にサインさえしていれば、こんな事にはなりませんでしたのに」
西香はスチャリと懐に忍ばせていた、余裕で銃刀法違反の凶悪ガチナイフを取り出す。王子に愛されし留音と、頑張って二百項目ほど書き連ねた誓約書をぐちゃぐちゃに丸めて捨てられた思い出と一緒に消し去るために。
「あ!でも西香さん!留音さんがいなくなったらあのタコ星人さんの相手は誰がするんですかぁっ?わたし、ぬるぬる触手に触られたりするの嫌ですよぅっ」
西香は考える。真凛はお友達誓約書を、たしか新聞紙なんかと一緒に置いていたっけ。あの時考えさせてくださいと言っていたから、多分保留中なのだ。つまりお友達候補。ならばここで失うわけにはいかない、と。……ちなみに、真凛の分の誓約書は無事に古紙回収に出されているし、真凛本人はなんのこっちゃ一つも覚えていない。
「大丈夫です真凛さん、わたくしに考えがありますので」
西香は一瞬のうちにカツラとサングラスと黒コートで変装を済ませ、王子を後ろから羽交い締めにして首元にナイフを突きつけた。
「おうおう、イチャコラやってんじゃねーぞーテメコラ〜なんだとテメコラ〜。おいテメ〜何見てんだコラ〜」
なんとも言えない棒読み感だが、背後から本物の刃物を突きつけられている王子はたまったものじゃない。
「ま、まさか、王位継承権の委譲を狙う第二、第三王家の刺客……?こんなところでっ!クッ、お逃げください留音さん!」
王子は怯えた声で背後の刺客の正体を探る。
「何やってんだお前?」
留音にはあっさりばれているが、西香は声を大げさにあげながら誤魔化す。
「ルーネーよ!この王子様の財産と地位が欲しければあのタコ星人を撃退するのだテメコラ~。でないとこの方の命はないぞコラ~」
「留音さま!いけません!私のために危険な真似をしないでください!」
やれやれ。留音は確認した。愛の障害の前に立ち塞がる最後の壁を。ならば越えねばならない。
「へっ、馬鹿言うなよ王子様。あいつは元々なんとかしなきゃいけなかったんだ。それに、あたしは昔から……お姫様になってみたかったんだぁぁ!!」
うぉおお!タコ星人に向かっていく留音には今、愛の力が芽吹いている。そう、それこそ奴に対抗するための秘奥なる力。ここからだ、ここからがこの決戦の真の始まり。絶対最後、真の最終ラウンド!
「喰らいな!プリンセス鉄拳!……ぐあああ!!」
全然ダメだった。やっぱりか。
「……まぁこうなりますか……仕方ありませんわね……ならば」
留音の戦いに魅入っている王子から少し離れた西香は、わざとらしく「え~~い!!」と王子の背中に体当たり。それと同時に変装セットを遠くへ投げ飛ばす。
「きゃっ、大丈夫ですか王子様!賊はわたくしが成敗致しましたわ。お怪我はありませんでしたか?」
王子に当たった反動で体重の軽い西香は尻餅をつく、という演技で実際にへたり込んだところを、気遣った王子が立ち上がらせようと手を伸ばす。
「あ、えぇ、ありがとうお嬢さ……」
その手を取って立ち上がろうとした次は、前のめりになって王子に向かって倒れこむ演技。
「あらー!さっきのわたくしのあなた様を守りたいという気持ちただ一つで勇猛果敢に賊に体当たりをしたせいで靴紐が緩んでしまいそれを踏んだために転んでしまいましたが目線の先にはたまたま偶然王子様のお身体がー!」
トン……西香は王子の胸板にしがみついた。
「(ふふん、どうですか、わたくしの艶艶ロングヘアの威力)」
これで最低でも王子を助けたお礼くらいはもらえる。誘惑出来れば地位もゲット……西香はそう考えながらしっとりとした声で言った。
「このまま……わたくしを連れて逃げてっ……ってあれ?」
ほみゅ。胸板が、柔らかい。
「あの、お嬢さん、困ります、私は……」
ほみゅほみゅ。
「ほむ。ちょっと衣玖さーん!王子というのは男がなるものですわよねー!?」
思わず衣玖に確認を取る。衣玖は通信施設の窓から腕を出し何かをいじっていると思えば、携帯ゲーム機で暇をつぶしていた。もーハイキングに来てまでそんな……。それを中断して応える。
「大抵はそうよー。でもその家次第だからー、女の子しか生まれなかったら男装させて育てるなんて事もあるんじゃないのー?」
それを聞いて向き直る西香。そういえば良い香りするし、喉仏ないし、女と言われれば納得できる顔の作り。
「……あなた、そういう感じですの?」
西香は訝しみ訊ねた。王子は恥ずかしそうに返す。
「おおむねは……確かに私は女です!でも愛に性別は関係ありません。留音さまさえ良ければ、私はあの方と添い遂げたい……」
留音の戦いの手が止まる。そうする度に一緒に止まって様子を見てくれるタコ星人さんにありがとうしないといけない。
「ちょ、ちょっと待て、王子様、何か聞こえたんだけど……え、女?」
中性的な顔つきだなと写真の時点で思ってはいたが。
「はい!性別上は!ですが封剣を抜いて王家の紋章を浮かびあげたあの日から私は男として育てられてきました。それに、あなたに不自由はさせません。なんなら王国の研究所でアイピーエス細胞を使って私の子供も身篭らせます!どうか私と……」
中世なのか近未来なのかわからない王子の設定に顔を引きつらせる留音。
「い、いや、あの、あたしはノーマルだからさ……気持ちは嬉しいよ、うん。でも……すまん。ホント、嬉しかったのはホントなんだけどさ……やっぱりお互いよく知らないのにいきなり女同士なんてハードル高いだろ、そういうのに理解はあるよ?でもいざ自分の事ってなるとあたしも気持ちの準備があるっていうか、その、すまん」
衣玖はぼーっと見ながら過去の光景を重ねていた。留音って後輩の女子からよく告白されていたっけ……。
「そうですか……あなたを困らせる訳にはいきませんね……私は王国に帰ります。もし気が変わったらいつでもチャーミング国をお訪ねください」
残念そうな素振りで白馬を呼び跨った王子に西香が駆け寄る。西香がヒソヒソとこう話しかけた。
「……あの、もしよろしければ女友達を作って帰るというのはどうですか?あなたは王族という事で、全二百十四項目のお友達誓約の内、百十項目が守れるならわたくしがお友達にならせて頂きますがっ」
ずらっと項目が並びまくっているペラ紙五枚を片手に営業スマイルでお伺いをたてる西香。
「ありがとう。でもすいません、今はそういう気分では無くて……さようなら!留音さま!さよーならー!」
というわけで蹄鳴らして国に帰る姫王子。それを見ながらため息をついて腰を下ろす留音。人生の世知辛さを痛感している。せっかくのお姫様になるチャンスだったのに……そう思うと戦う気も失せてきた。やっぱりみんなで侵略されて滅びてもいいかと思ってしまう。
「あーぁ、やっぱりそうだよな。そんな上手く行くはずない。触手の事、気にしないって言ってくれた時は運命の人かもって思ったんだけどな……そうだよな。はぁ、もういいよタコ星人。侵略でもなんでも好きにしろ……もう疲れた、あたしの負けだ」
すると空気を読んでいたタコ星人は留音の肩をポンと、まるで「元気出せ」とでも言うように軽く叩き、方向を真凛と西香の方に変えた。
「ちっしゅー」
タコチューマウスはそんな奇声を発し、口からタコ墨をポタリポタリと垂らしながらゆっくりと真凛たちに迫る。西香はおどおどしすぎている。
「ちょ、ちょっと留音さん!?タコ星人こっちに来てますけど!?」
西香が震えながら呼びかけるが、留音はあの子の膝を枕代わりにしながらショボくれながら返事をする。
「もういいじゃんみんなで滅ぼう」
「留音さんたらなんてタナトス!もうあてになりませんわね……ちょっと真凛さん!あなたバァーンって出来ませんの!?あんな生物の一匹くらい消し去るなんて余裕で出来そうな……」
「えっとぉ、触られるまでは触りたくないっていうか、どうせ触るならわたしに実害が及ぶまでは相手にも猶予をあげるべきかなって……」
そんな事を言っているうちに間合いに入ったのか、タコ星人はゆっくりと触手を伸ばし始めた。
西香は考える。そういえばそもそも狙われているのは真凛だったはずだし、もう仕方ないから見捨てて逃げよう。西香はそそくさと後ずさり、衣玖のいる施設を視界に入れて動き出したが。
「ちょ!?ちょっと!?わたくしの方にも触手が来てるんですけど!?」
それぞれ二本ずつの触手がうねりながら真凛と西香に向かう。真凛はまだいい。触れるの?みんな死にますよ?それでもいいならどうぞ?という心構えだからだ。
西香の方は普通に震えてこう思っていた。どうしよう、こんな美少女を触手持ちが放っておくはずがない。留音だからこそあの程度で済んだ。自分が捕まったら本当に北斎的な事をされてしまうかもしれない。ならどうすればいい?極限の思考が答えを生み出す。
「た、宝くじ!」
みんなの視線を集めながら続ける。西香はその奇声を補足するように言う。
「宝くじ!大当たり……っ」
「あっ……西香さん……壊れちゃった……」
西香の突然の意味不明な奇声に真凛が同情と憐憫を向け、口に手を当てて見てはいけないものを見てしまったかのような表情を作った。留音の方はぽやーっとあの子の膝の上で甘えながら西香を見ていた。
「る、留音さんの宝くじ、前にみんなで買った宝くじ……実は留音さんのが大当たりだったんですの!!」
「……んだって?」
むくりと上体を起こす留音。少し前にみんなで何枚か買っていた宝くじ。当選番号の照会を面倒臭がった留音の分を西香が代わりに見ると言ったきり、そのまま音沙汰が無かったから留音は外れたと思っていた。
「で、どんだけ当たったってんだー?」
「その前に助けてくだひゃあああっ」
「ちっ、仕方ねぇ……!愛がダメだったんだ、やっぱり人間は全て金だッ!」
留音は地面を蹴ると、まるで横に落ちるかのようにブレの無い速さでタコ星人に背後から急襲したが「ぐああ!!やっぱりダメか!」……と、全然ダメだった。でも西香と真凛を狙う事はやめて、再び一対一の構図が出来上がった。片方は地に伏しているが。
「くそ……勝てるわけが無いっ…… やっぱりダメだよ西香、例えいくら当たってたって、こいつに勝てなきゃ意味が無いんだ。でも無理だ、いくらやってもあたしにこいつは倒せない……百万当たってても無理だ……」
留音は自分の力の足りなさを嘆きながら拳を地に叩きつけ、悔しさに震えながら、もし十万なんか当たってたら普段買っている百四十四分の一のサイズではなく、それより値段が十倍くらいする六十分の一モデルで一番欲しいプラモを買いたかったと夢想する。でもせいぜい当たってても三万とかだろう。
「三億ですわ」
「ぅぇ、うえ?」
夢想が消し飛び、二度見。
「当たったのは三億ですの。マジで」
留音、西香の言葉は理解できた。でも絶対何かあると考える。宝くじなんて当たるわけがない。よくあるじゃないか、世界にある様々な通貨の価値の違いをジョークにするようなネタが。円ってつけてないのが落とし穴だ、そうに決まっている。
「……マジでって……いや、どうせあれなんだろ、三億って、昔のジンバブエドルで三億とか、そういうオチなんだろ?」
(ちなみに執筆当時の三億ジンバブエドルで、だいたい日本の千円にならない程度である。)
「言い直しましょう、三億円当たりました。イランリヤルでもインドネシアルピアでもありませんわよ。円ですわ、ガチで」
ちなみに三億イランリヤルではだいたい日本円で百万円弱。インドネシアルピアではだいたい二百万ちょっと。でもそういうオチじゃないだと?
「おいお前!!それいつ伝えるつもりだったんだ!?当選発表大分前だったよな!?」
「正直なところ伝えるつもりは全くありませんでしたし、既にいくらか着服しましたわ、でも保身の為にはある程度は仕方ありませんので」
西香はお金のことになると強い。まるで自分に全く落ち度がないような、清廉潔白、威風堂々という言葉がぴったりと当てはまる口調で自身の罪を認めた。
「おいコラァ!タコ星人には勝てないから助けてやれないけど、お前だけは助けてやんねぇぞ!?」
「でもいいんですの?わたくしを助けなかったら残りのお金は戻らない可能性もありますわよ。わたくしがいくらか使ったにせよ、何千、何億というお金が転がり込む可能性を握りつぶすのですか?お金への執念で……勝ってみせなさい!留音さん!!」
ビシィッ!西香のよくわからない喝に一瞬おののく留音。
「くっそぉ!なんて理不尽で意味不明な脅迫だ……でも悔しいかな、完全にやるしかないと頭が切り替わっちまった!」
再び戦闘態勢に入る留音……今度こそ本当の本当に真の決着が着くのだろう……絶対次は無い、負けたら全てが終わってしまうかもしれない正真正銘のラストラウンド!ファイッ!!の前に。
「で、お前いくら使ったんだよ?」
やっぱり現ナマ、しかも大金の話となると気が気ではない。ファイティングポーズのまま、背後の西香に話しかけている。
「二億ですわ」
「……うえっ?!」
「二億ですわ、二億使いましたの」
まばたきをしまくっている留音の時間が止まる。もし本当に三億当たってれば、二百万くらいまでなら許してやろうかという気分だったし、みんなにそれくらいあげてもいいなという考えもあった。でも西香の使った二億って、二百万のうちの何パーセントの単位だったのか、よくわからない。三億と同じ「億」がついているから、あぁそうかと時間をかけてやっと理解した。
「っていくらかの範囲じゃねぇ!半分以上使ってんじゃねぇよ!お前に罪悪感という言葉はねぇのか!!?あたしの金だろうが!?」
「ざいあ……お金と罪悪感の二つがどうして結びつくんでしょう……?」
西香は本当にわからない表情で真剣に聞き返している。留音の怒りのオーラが高まっていく……今なら怒りによって目覚めたスーパーパワーでタコ星人だって活け造りに出来るかもしれないが。
「でも安心してくださいな、留音さん。使ったと言ってもですね、わたくしがテキトーなお金の使い方をする女には思えないでしょう?」
「知 ら ね え よ 」
「そうです。お金は使うよりも先に増やさなければなりません。元手が三億もあるのですから、増やす方法などいくらでもありますわ。ですからわたくし、留音さんのお金を使って元のお金を増やす事にしたんです」
どうやら無駄な使い方ではないらしい。それを聞いた留音の怒りが少し収まってきた。
「あ、あぁ……もしかして起業したとかそういう事か……?そこでの収入があたしに入ってくるなら一億プラスアルファでもマシだな……」
「まぁ近いですわね。わたくし、株を買ってみましたの」
留音の体がドスンと地に落ちた。まさかのギャンブル。西香がさらなる追い打ちをかける。
「すごいんですのよ株って。たくさん持っているとその会社の社長より偉くなれますの。それで適当な企業の株を大量に購入してみたのですが、わたくし大株主ですわよ。それでもう既に何度か経営方針に意見を出していますの、なんの会社なのかはよくわからないのですけどね」
留音に西香の話はほとんど聞こえていない。ただ思うのは、株なら売却すれば金になるということ。多少の上下はあるだろうが、帰ってすぐに売却すればダメージはそう高くならないはず。留音の心に平穏が戻ってきた。たとえ投資額が半分になっても手元には二億残るんだし、それだって凄い額だ。
「とりあえず、帰ったらそれ全部没収するからな。その前にこいつをなんとかしねぇと……!」
留音は改めて先ほどの怒りパワーで生じたチャクラを闘気に変換し、タコ星人に構えを取る。真の完全なるエンドオブファイナルラストクライマックスラウンドの幕がついに切って落とされようとしている。
「勝てるかはわからないが……勝てれば何億か転がり込むんだ。やりたいこと全部やろう……プラモ用の家建てて、昔の少女アニメからゾンビ映画まで完備したシアタールームも入れて……夢が広がるじゃないか……いくぞタコ星人!うおおおおお!!」
拳を掲げながら突進する留音!その行動は芯が通っていた。これまでのような技術に頼る攻撃は一切ない、真っ直ぐな突撃。タコ星人の触手も、その潔さに四方から狙うことをやめている。単純な力勝負で決着をつけたい留音の意思を、タコ星人は言葉無く拾ったのだ。
「ちょっとこんな時に悪いのだけどー。西香ー、あなたの買った株の会社、倒産だってー。新しい大株主の経営方針に従った結果見事に立ち行かなくなって破綻したんだそうよー」
衣玖が遠くから声を上げて、西香はやれやれ、無能な企業と株主だ、と呆れるような表情を作り、留音は川で水切りされる石みたいに盛大にずっころんでバウンドしていた。
「手元にはいくら残ったんですのー?」
「損切りギリギリ間に合って五百七十円になったわよー。そうだルー、あなたに多額の借金がかかる事はないわ。なんとか残りの一億で賄えたからー」
「賄えたから……ってどういう意味だよ!?無くなったの!?株だろ!?二億出したら最悪二億消えるだけなのが株だろ!?」
嘘だと言って!!そうせっつく留音に、西香は照れたように説明を始めた。
「いやぁ、わたくし、株用の口座を開く時に”現物”と”信用”というのがよく分からなくて、衣玖さんについて来てもらったのですが、三億に相応しい一番凄い口座はどっちか訊ねたら、”信用”はやばいよとおっしゃって……株も出る時は赤字が出るとは聞いていましたが、まさかわたくしにも出るとは思わなかったですわぁ……失敗しちゃいました、てへ」
留音が崩れ落ちる。もう何度目なのか。誰を責める気にもなれないというか、そんな気力も消失してころんと転がり、人形みたいに動かなくなった。あの子があたふたと元気が出るように頑張ってあやしているが、もはや留音はまばたき一つしない。
「でももう懲りましたわ。自分のお金でやるには危険すぎますもの。高い授業料を払っていただいて助かりました。帰ったら五百円はお返ししますわね」
せめて六百円で返してあげて欲しい。
「もぉー!西香さん!それは流石に可哀想ですよ!ちゃんと五百七十円で返してあげてください!」
意外な所から抗議の声が上がる。株の話が難しくて付いて行けず、さっきまであの子と「難しいねぇ〜」なんて言いながら一緒に行方を見守っていた真凛が口を出した。
「今日はトイレットペーパーのセールの日なんですよ!いつもなら八百円する凄くいい奴が今日だけ五百七十円になるんです!セールに参加出来るか出来ないか瀬戸際のラインですよ!ちゃんと返してあげてください!」
「わ、わかりましたわよ……ちゃんと一円まできっちり返しますわ」
「よかったですねぇ、留音さん。一人一つしか買えませんから、あとで一緒に行きましょうねっ♪」
留音のなけなしの五百七十円すら残らない事が確定した。耳と口から煙をあげ始めた。もう放っておいてあげてほしい。
「ちっしゅー、ちっしゅー」
留音が完全に戦闘不能になった頃、頃合いを見計らったように存在を忘れられかけていたタコ星人が声を上げ始めた。だがハッと危機的状況に焦りを見せた西香とは別に、真凛がそのタコ星人の言葉の意図に気づく。トイレットペーパーに反応したような。
「ひょっとして、ティッシュって言ってるのかなぁ?」
「ちっしゅ!」
タコ星人はパッと嬉しそうに触手を上に向けた。
「なんでティッシュなんですの?」
「それは恐らく、あの紳士服に関係があるんでしょうね……」
衣玖も展開の終わりを感じ取ったのか、施設から出て来ていて話に加わり始めた。
「ほら見て、あのタコ星人のチューチュー口。墨が垂れっぱなしよ。あれじゃ紳士らしくないもの。だからきっと、あの墨を綺麗に拭き取れるもの……すなわちティッシュを探してこの星に寄ったのね。元から侵略が目的ではなかったのよ」
「そうだったんですかぁ……」
一番戦いを煽ってたの、衣玖だった気がする……そう指摘するはずだった留音はもういない。
「ちっしゅー」
タコ星人は真凛の着る純白のワンピースと、西香の持つお友達誓約書に触手を伸ばす。その光景を見た衣玖が閃いた。
「ティッシュ……あ、そういうことねっ。タコ星人さん、それはティッシュではないわ。真凛の服は確かにティッシュのように白い。でもそれは違うの。それを取ったらあなたは紳士ではいられなくなってしまう。西香の持ってる奴はどうでもいいから、そっちにするといいわ」
「ちっしゅー」
衣玖の説明に理解を示したのか、タコ星人は西香に触手を伸ばし、お友達誓約書を優しく取って、器用に口周りの墨を拭いている。吸水性が悪いためデロデロになってるが。
「やっぱり……最初に真凛を狙ったのはこういう事か。その服がティッシュだと思ったから……彼は最初からティッシュをご所望だったのね」
「そうだったんですかぁ。この服可愛いと思って着てるので、ティッシュとか言われるとすごく複雑ですけど良かったです~」
タコ星人は墨がなかなか拭き取れない紙に少し残念そうにしていると、墨の垂れたところを見て飛びつくように西香が近づく。
「はっ!!ちょっと貸してくださいまし!」
西香はそんなタコ星人から誓約書を取り返し、マジマジと紙の一部を見つめる。墨が……サイン欄に垂れているではないか。
「ま、まさかタコ星人さん、わたくしとお友達になってくださるの……?いえ、聞くまでもありませんわね。ここに垂れた一筋の墨がその証拠……。やりましたわ、これでわたくし用の宇宙船が手に入るんですのね……友好の証にわたくしからはティッシュを差し上げるのがいいですわね。真凛さん、さっき言っていたセールとやらはどこでやってるんですの?」
こうして数十分後、トイレットペーパー十二ロール入りの特売品を留音のお金で買ってきた西香と真凛が、タコ星人に一ロールだけ渡す。西香は清々しい表情で言った。「わたくしの株の負けは、この瞬間のためにあったのですね」と。魂の抜けている留音に聞こえなくてよかった。
そしてタコ星人はトイレットペーパーを受け取り、見事に垂れる墨を拭い切った。これで墨の垂れなくなった彼はもう、立派な紳士だ。彼の役目は銀河社交界に出ること。火星から天の川銀河の代表で社交界に出向き、その見事な話術で天の川銀河の平和と繁栄を今後一千年盤石のものにした。その手助けをこの少女たちがしていたことは、誰も知らないことだ。
その後西香は少し落ち込んだ。タコ星人が旅立った事で宇宙船も手に入らず、サイン欄の墨はタコ星人が墨を拭いた時に上から滲んでしまっただけで、特にサインをしたわけじゃないことを悟ったからだ。
「夢にまで見たお友達……例え美しくないタコ星人でも、共有財産として宇宙船を貰えるならと踏み出した一歩がこんな形で消えてしまうなんて……これが他人の三億円を消してしまった罰、と言う事なんですわね……人生とはなんて残酷……」
そしてそのお金を使われた留音だが、あの後衣玖によりクリアカラーの装飾用ベース(五百六十円)を買ってもらえた事、それに限定のプラモデルを作れる事は確かに嬉しくて、一応気を取り直していた。いつもより時間をかけてプラモを完成させる。
「限定クリアカラーモデル、失敗もなく完成したのはいいけど……これ綺麗に作るの大変だし、塗装すんのもなんか勿体無いし、出来たの見てもパーツのメリハリが薄くて思ってた感じと違うんだよな。あたし、もうクリアカラーはいいや」
こうして一つの戦いに幕が閉じた。この地球が今も存続し続けているのはタコ星人の外交手腕と、延いては彼女たちの活躍があったからこそなのだ。
ありがとう、五人の少女たち。そしてタコ星人。平和を作るのに大金はいらない、セールのトイレットペーパーが一ロールあれば良いのだ。
ありがとう、そしてまた会う日まで。宇宙の星の煌めきに感謝を。
ゆでダコのようにアツいバトルものっぽいなにか【五人少女シリーズ】 KP-おおふじさん @KP-O-FuZy
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