ゆでダコのようにアツいバトルものっぽいなにか【五人少女シリーズ】

KP-おおふじさん

前編 開戦の火蓋

「くそっ……みんなはあたしが守るんだ……!」


 長閑なはずの川の流れるハイキングコースの一角では残酷な光景が広がっている。街の喧騒からは遠く離れた地にあって、本来なら静寂の中に川のせせらぐ音と、風に吹かれる木々の葉がこすれる心地よい雑音だけが支配するその場所に似つかわしくない、およそ地球のものとは思えないくぐもったエンジン音が響き、そして切らせた息を必死に整えようとする一人の苦しそうな呼吸だけがその場を支配している。


「ルー……!」


 背後の四人を守るように留音は一人、傷ついた体を支えるように弱々しく立ちながら何者かと対峙している。膝に手をつき、滲み出る汗を拭い、足の震えを押し殺してオフェンシブスタンスで立つ。普通ならこうなる前に撤退するのが良策なのだろう。だが背後にいる四人のため、最強の格闘属性を持つ留音はなんとか気力を振り絞りながら拳を構えるのだ。


 でも、一体何故こんなことになってしまっているのか?


「うぉお!喰らえェッ!」


 踏み込んだ留音の削ぎ取るような首刈り蹴りから、体勢を流れるように空中へ移行すると、アクロバティックに遠心力を活かし、今度は抉りこむようなかかと落としを決める。その勢いのまま着地後、上体を逸らしながら行う完璧な体重移動により、如何なる鈍器よりも重圧(おも)く、風よりも神速(はや)い正裏の連拳が敵を薙ぐ。それは武を芸術に昇華せしめる程。見たものの心すら奪う流舞。


 だがそれ程までに完璧だった留音の連撃も、対象である何者かには尽く躱されてしまう。それどころか、カウンターとして留音の身体を、柔らかいぬめりとしたものでペチンと打ち付けてくるのだ。


「ひぐぁっ、くっそぉ!一発も当たらない上に妙な攻撃を仕掛けて来やがる……力が抜ける……!」


 実は留音には傷という傷は一切ない。ただ相手に触られた部分がぬらりとベトつき、その液体のせいなのか力を奪われてしまうのだ。その度に膝に手を当て、はぁはぁと息を切らしている。最早目眩でまっすぐ立つことすらままならない。


「酷い……!このままじゃ留音さんがっ!」


 思わず駆け寄ろうとする真凛を西香が止め、悲痛な表情で言う。


「いけませんわ真凛さん!あなたが行っても留音さんの邪魔になるだけです!ここで無事を祈ること、それが最善ですわ……っ」


 真凛、西香、あの子の三人はお互いの手を握り、留音を見守っている。


 そして衣玖も一人戦っている。


「ルー!頑張って!もう少しで見つかりそうなの!もう一息よ!」


 衣玖は真凛たちよりも少し後ろにある錆びれた通信施設に入り、懸命に通信を行っていた。古い施設で、ほとんどすべての機能が死に、部品も劣化した通信機器をほんの一部の機能だけでも復旧させ、留音のピンチを救うための方法を模索し続けている。


「そう言われてもな……あたしももう限界だぞ……」


 この戦いの行方は、地球の未来をも左右する。



 まずは何故このような事になったのかというところから説明せねばならないだろう。


 始まりはそう、誰が言い出したのか、ハイキングに来た事からだ。普段ならこういう事にはあまり乗らない衣玖もかなり小さめのノートパソコンを背負い、みんなで綺麗な空気と植物の発する甘さと苦さが混じり合ったような薫りをくぐるように林道を歩き、昼過ぎには川のせせらぎをBGMに昼食を食し、その後のんびりと団欒の時間を過ごしていた時の事。


「あのぅ、皆さん、あれなんでしょう……お空に光ってるのが……」


 真凛が空を指差し、一定の速度でスーッと浮遊移動する光体を見ながらそう言った。釣られて他の四人も空を見上げると、円盤にピコンピコンと点滅する光がくっついていて……なんて説明するよりわかりやすい一言を衣玖がする。


「まぁユーフォーよね、論ずるまでも無く」


 というわけで身も蓋もない、まんまユーフォーである。それがどこを目指しているのか、ぐんぐんと少女たちの方へ迫ってくるではないか。逃げる間もなくユーフォーはみんなの頭上を通過していく、その時。


「え、わわぁ!なんですかこれぇ!?」


 ふわふわと真凛の体だけが宙に、まるでユーフォーに吸い寄せられるように飛び上がる。川で遊ぶために上着を脱いでいて、ドレスのような純白のワンピースがヒラヒラと泳ぐようだった。そんな真凛にすかさずあの子がガッチリと腰の辺りに抱きつき、なんとか飛んでいくのを阻止しようと力を入れるのだが、あの子の体ごと浮き上がってしまう。


「わぁーっ!キャトられちゃいますー!」


 ジタバタしながら浮いていく真凛とあの子。


「ちょっと!どうしますの!?お二人が円盤に連れ去られてしまいますわよ!」


 西香が主にあの子だけを見て狼狽えているが、ここにはIQ53万の衣玖がいる。衣玖は冷静にこう言った。


「落ち着いて西香。浮いてしまっているのはきっと真凛の勘違いよ」


 そうピシャリと指摘した。真凛がおっちょこちょいだから浮いているのだ、とIQ1億の頭脳がその答えを導き出している。


「勘違いってなんだよ!?完全にキャトルミューティレーションされてんだけども!」


 焦る二人を意に介すことも無くもうだいぶ高くまで浮いている二人を見上げる衣玖。明らかに空飛ぶ円盤に吸い込まれに行くような挙動であるが、衣玖はいつもより少し声を大きく言った。


「まりーん!あなた自分で浮けるタイプでしょー!雰囲気に流されて浮いちゃってるわよー!」


「真凛さんって雰囲気に流されて浮けるんですの?!」


 衣玖の言葉を聞いた真凛、「あ!」という表情をしたと思ったらそそくさと下降して戻ってきた。ユーフォー関係無し。


「はぁ、すいません皆さん、浮けるってすっかり忘れてました……」


「いや一度もそんな話聞いたことねぇよ……お前まだ特殊能力隠してたんだな……」


 真凛はでへへ、みたいな照れ笑いをすると、あの子にもお礼を言って、今度は本気で心配していたあの子に抱きつかれていた。


「でも浮いちゃうのも無理ないわよね、あんなユーフォーが頭上を通ったんじゃそりゃキャトられる感も出るわよね」


 衣玖はぷんすかと飛んでいくユーフォーに頬を膨らませている。


「聞いたことないフォローですわ……まぁわたくしも完全にキャトられたんだと思ってしまいましたが……」


「あたしも完全にあのユーフォーにキャトられたと思った。これって絶対ユーフォーハラスメントの案件だろ。もしあたしらがここで昼寝でもしてようもんなら改造か解剖か、生体チップの埋込とか疑っても無理ないし、あのユーフォーはもう少しその辺気を払うべきだよな。ちょっと注意して来るか。都合良く近くに止まったみたいだしさ」


 というわけで五人は着陸したユーフォーの場所へ向かう。気持ち程度に辺りが暗くなってる気がする。不穏な空気だ。


「あのーすいませーん、地球のものなんですけどー、お宅のユーフォーがユーフォー然としすぎてて上通っただけでキャトられたと思って浮いちゃった子がいるんですけどー、もうちょっと偽物っぽくできませんかねぇー」


 留音がユーフォーの外面をコンコン叩きながら、やや太々しい態度でそう言った。これがイチャモンなのか正当性のある要求なのかはよくわからないが、とりあえずユーフォーの入口がゆっくりと開いていく。中からタコみたいな異星人が出てきた。タコ墨のごとく黒い礼服に身を包み、タコチューお口からは若干の墨が垂れている。


「まぁ宇宙人よね、論ずるまでも無く」


 ユーフォーから宇宙人。なんて普通なんだろう。そんなタコ星人が片手を挙げるとチューチュー口を動かす。


「ちっしゅ、ちっしゅ」


「ん?何言ってんだこいつ?」


 タコ星人は触手を伸ばし、真凛に触れようとしているようだ。タコ触手プラス美少女イコール北斎。知らなければ一人の時に調べよう。留音はちょっとした危機感で即座に触手を払いのけた。だが別の触手が執拗に真凛を狙う。


「うわぁヌルってしてるっ。てかなんだこいつっ、なんで真凛を狙うんだ?!」


 真凛はわからないと怯えながら首を振る。とにかく距離を開けた。


「留音さん、気をつけてください!もしかしたら先ほどの言葉、血と奪取を組み合わせた宇宙タコ人語かもしれませんわ……そうだとしたら真凛さんが……!」


 血、奪取……ちっしゅ、血取。それとも血吸のもじりかもしれない。


「ばかな!じゃあこのタコ星人は真凛の血を狙っているってのか?!一体なんの理由があって……!」


 留音が真凛をかばうように前に立つ。真凛を狙う事に、衣玖が何か思い当たる事があったらしい。


「はっ!もしかするとこのタコ星人は真凛が地球を破壊&再生しまくるのを外宇宙から見ていたのかもしれないわ!それで真凛の血からクローンを作り出し、地球侵略、延いては銀河征服を画策しているのかも!」


 そうなるとさっきのキャトりだって、もしかしたら真凛のうっかり浮遊ではなく、本当にキャトられていたのかもしれない。むしろ戻ってこれた方が真凛のうっかりなのではないか……衣玖はそう考えた。


「そうだとしたら、正真正銘地球存亡の危機ってわけか……!」


 留音は腹式呼吸を深く行い、みんなを下がらせ、自分は前に出て戦闘の構えを取る。


「やらせねぇよタコ星人……真凛も、みんなも、そして地球もな!」


 こうして地球を賭けた戦いが火蓋を切ったのだ。


「ちっしゅ……」



 戦いの始まりこそ留音が優勢だった。烈風の如きスピード、紅蓮の如き破壊力……だがそれを触手にいなされる度に留音は触手の感触に声を上げる。いぼっぽい感じとかぬめっぽい感じとかに。


「うひゃあっ」


「はぅぃいいっ」


「あぁんぅいひぃ」


 触れる度に身を縮めて鳥肌に震えている。あの子以外の三人はやや白けた表情でそれを見守っているのだが、流石に我慢しきれなかったらしい。


「あのぉー、留音さーん、変な声出さないでもっとかっこよく戦えないんですかぁ?」


「触手に触られて喜んでいるように見えますわよー!」


「おまえらっざっけんな!だったら代わりに触られてみろよ!にゅめってる上にぶよぶよのじょにょじょにょだぞ!?」


 みんなのために戦っているはずが、まともに心配した表情でいるのはあの子だけである。


「まずいわね、このままだとルーが私たちの世界観に合わない何かに目覚めて全てが終わってしまうかもしれない……何か手は……」


 そんな衣玖の背後にあったのが古い通信施設であった。何故あったのかとか、ハイキングコースの近くに何故残してあったのかとか、そういうのはいいのだ。


「みんな、私はあの施設からなんとか宇宙国防軍やメンインブラックへのコンタクトを試みるわ。なんとか持ち堪えて!」


 衣玖はそう言うなりちょこちょこと走って背後の施設に走って向かう。傍から見て運動不足が不得意なんだろうなという早さだったが、滑り込むように施設に侵入していった。


「ぁひぇぇっ!」


「だめかもですぅ……」


 そんな感じで冒頭シーンに続くのである。テンションが違う事には眼を瞑るべきだ。



 拳と触手の応酬を繰り広げる上で、タコ星人の攻撃とも言えない攻撃は留音の身体にはほとんど影響を与えていなかった事である程度余裕を持っていたはずの留音だが、何度打ち込もうとも本格的に攻撃を当てられず、隙を見せた部位に鋭くも嫌にぬめる触手がぺとりと触れてくるだけでも彼女の精神は汚染されていく。


 勝てないーーー


 そう悟った時、留音は初めて膝を地についた。最早妙な奇声もあげられない、真の敗北に屈しようとしている。こんなふざけた相手に……?言うなればくすぐられる拷問のような物だ。痛くもないし傷もない、なのに心は折れてしまいそうになっている。


 留音はちらりと背後を見る。真凛も西香も、手をぐっと握って真剣に心配しているし、衣玖は通信施設の中で必死に復旧に努めているのがわかる。自分が折れたらみんなが危ないのだ。


「くそ……っ」


「留音さん……」


 自分の意志と仲間の心配する声になんとか力を振り絞るが、自分がどれだけ戦意を喪失しているかがわかる。次の攻撃をもらったら、きっともう立てない。だからこれが最終ラウンドだ……留音は頭の片隅でそう考えた。


 やる事は一つ。とにかく敵の攻撃を避けて押し込み、後はタコの弱点である眉間に一発鋭いのをお見舞いするだけ。たったそれだけでいいのだと、留音は力の抜けた体で、とにかく視覚に集中して触手を避ける。一本、二本……二本目からは潜るように躱す事で触手同士を絡ませてしまおうという作戦だった。


 その流れで四本、五本と躱し、ついにタコ星人に切迫するーーーー!


「獲った……!」


 留音の拳は光を纏い、美しい軌道でピンポイントにタコを穿つ……その刹那だった。


「ぶぴゅっ!」


「むぎゃ!」


 相手はタコである。即ち眼前に立つとは、タコ墨ぶぴゅのリスクを負う事である。留音はそれを考慮していなかった。視界は真っ黒になり、怯んだ隙に五本の触手が留音を持ち上げ、お前など余裕だと言う表れなのか、何をするでもなく丁寧にぴょいとそのまま元いた場所に戻した。渾身の一撃が届かなかった留音はそのまま地面に転がり、完全に心を折っていた……。


「ごめんな、みんな……あたしじゃだめだった……地球を、いや、仲間すら守れないなんて……」


 意識が遠のいていくーーーこれまでに味わった事のない敗北感。落下落下落下。何も出来ずに奪われる無力感……留音はそっとまぶたを閉じた。



「大変だ……!」


 留音が心を折っていた裏で、通信施設の復旧に尽力していた衣玖。ほんの少し前に、持参していたノートパソコンを繋ぎ、通信の開通には成功していたのだ。だから今の言葉はネット通信を経て得た情報を見た上で、口から漏れ出たものだった。


「ルー……ルー!」


 衣玖はすぐ横の窓から身を乗り出し、タコ星人の前で倒れ込んで動かなくなった留音に向け、大声で届ける。


「聞こえてるんでしょう、ルー!立つの!あなたはまだ終われない!」


 夜風にさらすロウソクの火のように弱々しく揺れ、いつ消えるのかわからないほどの意識の留音は、どこか遠くの方で衣玖の言葉を聞いている。反応しようにも指一本だって動かせない。


「当たったのよ!当たったの!応募者二十名限定のクリアカラープラモ、グーダンムのクリアカラーモデルが!!」


 意識の水面に、何かが落ちる。広がる波紋は声の反響。衣玖の声はゆっくりと留音の心の海に波を立て、生きようとする意志が言葉を紡がせた。


「グープラの、クリアカラー……!」


 どくん!留音に鼓動が戻る。一度も作った事がないクリアカラーのプラモデル。その多くが抽選限定であり、稀に通常販売されても割高な上に欲しいロボットのじゃなかったりして、結局これまで手を出さずにいたのだ。それがタダで貰える上、限定品。血が沸く。


「うぉおおおおッ!」


 戦意充填、気力限界突破。必ず無事に帰って限定モデルのプラモを作る!それも応募者の中から抽選で二十名様限定のオリジナルクリアカラーだ……製作の決意に再び留音、大地に立つ。


 しかし衣玖はなぜこの情報を知れたのか?簡単だ。通信が復旧し次第、最初に開いたのがメールクライアントだった。ついいつもの癖で、パソコン立ち上げたらいつもここ開ける、みたいなノリでメールをチェックしたら当選通知が来ていた。何故衣玖のメールアドレスに通知が来たか?この限定グープラのパッケージには、パイロット役の人気声優さんのサインが入るのだ。だから留音は中身を、衣玖は外箱欲しさに二人で協力していた。


 そんな情報はどうでもいい?でも衣玖は肝心の救援要請とかそういうのは全然やってないから、こんな事しか伝える事がない。


「頑張って、ルー……!……宇宙人との戦い、応援中なう」


 カタカタカタカタ……SNSで呟いたりして、別窓ではハイキングを題材にしたアニメを流しっぱなしだ。


 留音は限界を突破した気力でもう一度地を踏みしめた。自分はまだ戦えると拳を握り、再び奴の正面に。


「そういうわけだタコ星人……もうワンラウンド、付き合ってもらうぜぇ!」


 飛燕猛襲。タコ星人は留音の疾風のような動きに触手を伸ばす動きを一瞬遅らせた。だがそのフォローのつもりなのか、体を少し膨らませると。


「ぶっしゅーっ!」


 迎撃のように吐かれたタコ墨はあまりにも広範囲だった。直線ではなく面で攻撃する超短身のショットガンの如く墨は前方を漆黒に染める。


 だが覚醒を果たした留音に、そんなタコ墨などパスタに使われるイカ墨と同義、黒い墨に過ぎない。


「クリアカラァァああーッ!」


 クリアカラーへの渇望がクリアカラー化の必殺技を閃かせた。留音の視界を覆い尽くす濃いタコ墨すらクリアカラーに変える技を。掲げた手の先から迫るタコ墨は、既にクリアカラーとなっている。


 ぺちゃぺちゃと留音の顔にかかる液体。黒くなければ何のタクティカルアドバンテージもないレアなタコ墨、ペロリとひと舐め。


「美味いッ!!」


 相手の攻撃を食べる、それは相手を完全に制したも同じ事なのだ。


「いいなぁー」


「おえ……」


 タコ墨は実は高級でイカ墨より旨味がある。それを知る真凛はタコ墨のテイスティングをする留音を羨ましそうに見ていたが、西香の方はタコ星人の口から吐かれた透明な液体をそのまま舐めとる行為を客観的に認識した時、普通にドン引きした。あの子だけは逆転の気配に両手を胸の前で祈るようにグッと、合わせ握りをしている。


 とにかく留音は食べて美味いと感じる心の余裕まで生まれ、優勢は決定的だった。


 ーーーー勝てる。


 既にタコ墨は封じた。後は触手をなんとか避け、再び眉間を狙い鋭穿の一撃を放つだけ。幕開ける真の最終ラウンド。


 タコ星人は今度は二本の触手を留音に向けて同時に放つ。曲線の軌道で襲いかかる触手をスライディングで潜り抜けると、その触手によってできた狭い空間の中で、今度は別の二本の触手が真っ直ぐに伸ばされてきた。それを体を捻りながら飛び避ける。その運動を回転のエネルギーに変え、跳躍の頂点から美しい長い脚を伸ばし、鷹爪の如く蹴り落とす急襲技を見舞う。


 だがそれは一重のところで躱され、余りにも勢いのついた蹴りの威力を殺す為、留音は着地の瞬間に蹴らなかった方の脚を軸にして伸びた脚は地面を八十度ほど撫でる。舞い散る砂と留音と相手の間に描かれる三日月はまるで留音の絶対領域を表しているかのようだ。


 そんな留音が瞬時に体勢を整え、伸ばした脚を戻そうとした時……後一押しだと、百二十パーセントやる気満々のキメ顔でいた時だ。タコ星人は伸ばした触手を自分の体に戻そうとしていた。そしてその触手は余裕で留音の股下を通っている。留音の脚の、いや、ショートパンツとオーバーニーハイでキュートな山ガール衣装で決めていた留音の伸びた脚の下を。長い脚に通されたショーパンとオーバーニーの間、ほんの狭い領域から覗く太ももの健康的な白い輝きに、すれ違った何人もの男性が目を奪わたというその脚の下を。


 タコ星人はシュルシュルと自分の触手を戻し、留音も構え直そうとした時、丁度触手の先の方が留音の脚の素肌の見えている部分をソフトタッチ。ぬとぬとの生暖かい感触が内ももを通っていった。ピクっ。


「ひゃぁんっ!」


 後ろにいる真凛も西香も思わずキョロキョロ辺りを見回す。あれ?今やたら可愛い声が聞こえなかった?そんな声を発する人間なんて近くにいるわけ……。そう思う二人の考えもごもっともだが、留音が顔を真っ赤にして手の甲で口を塞ぎ、目を見開いている。自分の声に驚いている図である。


「あのぉー!ひょっとして今の声って留音さんですかぁー?」


「まさか触手に触られてあんな声出してるんですのぉー?ドン引きですわよー!」


「ば、あんな声ってなんだよ!こっちは命懸けで戦ってんだぞ!茶化すな!」


 声を裏返しながらも気を取り直して再び構える留音だが、距離の近づいたタコ星人は留音の接近を防ぐ為、また触手を使った攻撃を繰り出してくる。今度は二本の触手を左右ではなく上下の軌道を使って攻めてくる。先ほど内股を撫でられた感覚が忘れられず、下から来る触手に過剰に反応した為、別方向の触手への対応が遅れた。まずは腕に巻き付かれ、そちらに気を取られているうちに脚に触手が伸びて来ている。留音は両腕を巻かれて身動きが取れない。


 ゆっくりと蝕むように足元を這う触手に留音は呼吸を荒げながら、一体何をされてしまうのかということを考ていた。衣服の上から、湿った生温いぶよぶよの触手が脚に巻きついて登ってきている。


「あっ、い、やっ……やだっ」


 なんというそれっぽい展開。留音も留音で気分が乗って来ちゃってるのか、頬をほんのり赤らめながらモゾモゾと動く。くっころ?まったくも〜。


「ま、真凛さん、わたくしたち、来てはいけないところにきてしまったような気がするのですが」


 しらーっとした目だが、声音は真剣に西香が言った。


「え?ハイキング楽しくなかったですか?」


 わたしは楽しいですけど……なんて控えめな真凛。この子は前が見えていないのだろうか。


「い、いえ、そうではなくてですね、もっと世界観的な意味で……これ以上は色々まずいのでは……」


 真凛と西香は後ろで何やら話している。ちなみにあの子は真凛の背中に隠れて目を覆って、触手に弄ばれようとしている留音を見ないように努めている。


 留音の腕を掴んでいた触手はその両手を上に巻き上げ、留音を無防備な状態にさせ、そのまま宙吊りにした。持ち上げられた彼女の下から触手が迫っていく。


「やだっ!やだやだぁっ!」


 色っぽい声を出しながら身をよじって抵抗する気満々(笑)だが、全年齢対象の世界で留音が何をしようとも結末は決まっている。


「い、衣玖さん!どうにかなりませんの?!」


 西香は流石に危機感を感じて通信施設の窓からぼーっと顔を出してその光景を見ていた衣玖に助けを求めるのだが、耳をすますとアニメソングが聞こえてくる。救助要請は特にしていない。というか出来なかった。どうせ呼ぶならメンインブラックでしょ、と救助要請用の公式サイトを探したが、映画のサイトしか出てこなかったからだ。ちょっとしたネットの検索で出て来ないなんて企業努力が足りない。そんな会社はこっちから願い下げ、というのが衣玖の思うところである。


「どうにかってなにがー?」


 衣玖にはなんとなくわかっていた。男気も色気もない世界で留音がどうなるかなんて、多分酷くても投げられて星になるとかそんなのだろう。


「留音さんの貞操がピンチですわよー!」


 はぁ。やれやれ。肩をすくめて、わかるように説明してやるかと、声を出すために息を深く吸う衣玖。


「タコ星人の服装ー!」


 西香はタコ星人に目を戻し、タコ星人がきっちりと着込んだ黒の礼装を確認した上で、やっぱり意味がわからなくて真凛に「どういうことですの?」と尋ねると、真凛はそのまま衣玖に見たままを尋ねる。


「あのタキシードの事ですかー?」


 すると衣玖は両手で大きく丸を作って、再び施設の中に入る。中から聞こえてくる曲がアニソンからズンズン響くヘヴィメタルに変わって、もう一度衣玖が窓から顔を出した。特になにを答えるでもなく、ボーッと留音を見ながら持参していたらしいお菓子を口に運んでいる。


「……え!?この会話終わりなんですの!?なんにもわからないんですけど!?」


 一方の留音。ここですらお伝え出来ないような事を考えて勝手に体を火照らせ、その結果少し離れたところに優しく解放されていた。ここまで来たら薄々そうだろうなと思っている人も多いだろうが、タコ星人に敵意は全く無いらしい。


「あそっかぁ!タキシードを着ているってことは紳士なんだぁ!フェアプレイ精神なんですね!」


 ぱちん!と両手を叩いて真凛が納得していた。そうだ、常日頃からタキシードを着ている生物が事案など起こしえないというわけだ。


 まぁそんな訳で、留音が考えているような事はなに一つ起こらなかったわけだが。


「うっぅ、もうお嫁に行けない……」


 本人の精神ダメージは相当で、転がったまま立ち上がる事もできない。何も起きなかったとは言え、拘束されながらあんな声を出して醜態をさらしたのだ。それだけでも汚れきってしまったかのような感覚。小学校低学年の頃に将来なりたいものを書く事になった時、最初に「かわいいまほうしょうじょ」と書こうとして、誰かに読まれて馬鹿にされたら嫌だなと「きれいなおよめさん」に書き直した事を思い出した。


 あぁ、涙が溢れる。汚された自分はもう「きれいな」お嫁さんにはなれない……そう思うと悲しくて、またポロリと小さな雫が頬に道を作った。乙女か。


「こらーっ、ルー!もっと気合入れろー!グープラはええのんかー!クリアカラーはー!余ったポリキャップが泣くぞー!」


 衣玖が遠巻きにガヤをいれている。プロレスでも観戦してる気分なんだろうか。で、留音だが、グープラの話を聞いても尚、既に立ち上がる気力は湧かない。


「もうグープラなんていい……クリアカラーなんてどうせパーツが固くてすぐ割れちゃうんだよ……限定品の製作に失敗したらあたしはもうショックで立ち直れない……そうだよ、そんな事であのタコ星人に立ち向かったりしなきゃ、あたしの身体だって汚れなかった。未来の旦那様と笑って過ごせたんだ……でも、もう笑えないよぉぉっ」


 うぇぇん。小さな少女のように両手を両目に添えてしくしく乙女パワーを目から溢れさせていた。


「特に何をされた訳でもありませんのに。留音さん……かなり面倒臭いですわね……」


「それは同感ですけどぉ、相手が紳士だろうがちゃんと戦ってもらわないと今度はわたしが狙われちゃいます。何かいい方法は……」


 割とひどい二人。あの子は泣いた留音に駆け寄ってなんとか元気付けようと必死に何か言っているが、留音はお母さんに甘えるようにあの子に抱きつくだけで立ち上がる事はない。その間にもタコ星人はゆっくりと真凛に迫っている。


「まずいですわね……真凛さん、打ちひしがれる留音さんを……元々男性と全く話もしないのに結婚できる事を前提に考えて自爆している留音さんを元気づけるような話題はありませんの!?なんて、そんな話が都合よくある訳……」


 チラっチラっ、西香は真凛を見る。真凛はほっぺに指を当てて唸っている。


「うーん。あ!ありますよ!」


「あるんですのね!なんとなーくあるんだろうなという気はしていましたが!」


 もう趣旨は大体そんな感じである。戦え!留音!


「留音さーん!一つ言い忘れていた事があるんですー!」


 あの子の膝の上に頭を乗せ、あの子に優しく撫でられていた留音が耳を立てて反応を示した。


「実はですね!留音さんにお見合いの話が来てた事をすっかり忘れてたんです!相手の方が留音さんにゾッコンらしくて、絶対忘れず渡してくれとお見合い写真とプロフィールと高級なお菓子を貰ってたのをすっかり忘れてましたー!お菓子美味しかったから……ですので、そんなに落ち込まないでも大丈夫ですよぉーっ」


 真凛が留音に向けてどこからか取り出したお見合い写真を掲げると、留音は上体を起こしてその写真に目をやる。そこにいる人物は中性的なかっこよさと、首回りにもふもふをつけた高そうな服、嫌味のない微笑み。お見合い写真のカタログにでも載ってそうな完成度の高さだった。その写真には思わずテンションが上がる留音。その上がったテンションを隠すように鼻下を手の甲で撫でている。


「へ、へぇ~……なかなか整ってる顔してんじゃん……でもあれなんだろ?性格がめちゃくちゃ悪いとか、実は昔の写真で今は見る影も無しとか、どうせそんなオチのドッキリとかなんだろ。……はぁ、もうどうだっていいよ。みんな一緒に滅びよう……」


 上がったテンションも、話しているうちに自分の汚れたことを意識してしまって、すぐに下がってしまう。


「あの方、少し精神にダメージが行くとちょいちょい考え方が極端になりますわよね……クッソ面倒臭いですわ」


「まったく。見てられないわね。ルー!よく聞きなさい!こんな事もあろうかと実は今日この場にその方をお呼びしております!それではゲストの方、どうぞ!」


 いつ誰が設置したのか、逆光ライトとゲスト登壇用のゲートが設置されている。自然と全員の視点がそちらに集まる。タコ星人も律儀に拍手をしている。


「えー!うそだろー?!ちょっとどうしようっ、あたしの求婚者が来てるんだってよ!こんな格好で大丈夫だったかなぁ!」


 あの子にはしゃぎ気味で言う留音に、その子は「よかったね」の笑顔で応える。その向こう、通信施設の中にいる衣玖は耳に手を当てて何かを聞きとっているようだ。


「……あれぇ?来ませんねぇ」


 少し経っても現れないゲストさん。生番組なら放送事故だ。


「えー、ゲストさん、乱気流のため到着が遅れてまーす!ルー!時間繋いで!」


 ディレクターか何かのつもりなのか衣玖は電話を片手に、もう片方の手でお餅でも引っ張ってるような動作を見せる。


「仕方ねぇ、未来の旦那候補が来るってんでな。お前の侵略を受けてる場合じゃなくなっちまった……なぁ!タコ星人!!」


 カッ!と留音の気合に呼応した光る風が吹き荒ぶ。これまでの留音とは違う、新たな希望が力となり、彼女に限界を超越した力を与える。これが本当の、ファイナル最終ラウンドの始まり!

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