第77話

「お邪魔します」

「どうぞどうぞ〜」

「あ、杏子ちゃん……ここ私の家だよ!」


 扉を開くや否や、私服の上からエプロンを身につけた白石が俺と拓也を出迎える。

 同じ格好をした佐浦が言う通り、ここは佐浦邸。

 つい勘違いしてしまう。


「材料はこれだけで大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう」


 材料の入ったビニール袋を確認したら、靴を脱ぐ為佐浦にそれを渡す。

 するとビニールを受け取ろうとした佐浦だが、持ち手の部分と同時に俺の手を握ってきた。


「あ、ああ……ご、ごめんなさい!」

「いいよ別に」


 前髪のせいでよくは見えないが、紅潮しているであろう佐浦は、大声を上げて謝罪する。

 急に握られた手に少し驚くが、特に痛む訳でないのでそのままのトーンで応える。

 しかし……。


「……どうした佐浦?」

「え――あ、ああ! ご、ごめんなさい! いつまでも!」


 靴も履き替え終え、後は上がるだけなのだが、ずっと俺の手を握る佐浦に訝しげに声をかける。

 すると赤面していた佐浦の顔は、更に赤みを帯びて勢いよく俺から離れた。


「茜〜イチャイチャするのはいいけど、私たちもいるんですけど〜?」

「い……イチャイチャしてないよ!」


 リビングの入り口からジト目で俺たちを睨む白石に、佐浦は声を荒げて否定した。

 イチャイチャは兎も角、このままずっと玄関に立たされているのは御免なので、俺と拓也もリビングへと向かった。


 ◇ ◇ ◇


 佐浦から教わりながら、初めてのクレープ作りは無事終了。

 試作品の数が多かったので、腹一杯になるまでクレープを食べてしまった。

 当日までは甘い物はやめておこう。

 気持ちが悪い。


 けれど試行錯誤を重ね、ひとまず人前に出せる物までに出来た。

 俺的にはもう少し練習したいというのが本音だったりするのだが。


「まあ学生が作るものはこんなものか」

「じゅ、十分上手だったよ斉藤君」


 隣で洗った食器を拭いてくれる佐浦は、そんな事を言ってくれる。

 前に白石に言われたが、もしかしたら俺はストイックなのかも知れないな。


「けど流石佐浦だな、クレープ美味かったし」

「え! あ……あ、ありがとう」

「これは当日行列が出来るかもな」


 やはり佐浦くらいの奴と一緒に料理するのは良いものだ。

 俺の知らない知識も持っていて、切磋琢磨するのがかなり楽しかったりする。


 そんな気持ちを込めて褒めてみると、頬を桜色に染めた佐浦は、背後のソファーで寛ぐ白石たちに、聞こえない程の大きさで話しかけてきた。


「ね、ねぇ斉藤君……よ、よかったら文化祭一緒に……回らない?」


 ゆっくりと、小さく絞り出されたその言葉に、俺は洗い物の手が止まる。

 普段俺のことを気に掛けてくれる佐浦だが、前髪の隙間から覗かせるその瞳には、普段とは少し違う雰囲気を感じられた。


「あ……ああ別にいいぞ。けど基本的にクレープ作るのは俺と佐浦だから、お互いの休憩が被る時間だけになるけど大丈夫か?」

「う、うん」

「分かった、後は拓也たちにも……」

「――あ、あの!」


 皿洗いも終えて、タオルで手を拭いた俺は背後の拓也たちに声を掛けようとする。

 しかしその前に、片手でお皿を持った佐浦が、もう片手で俺の袖を小さく握ってきた。


「ふ……」

「ふ?」

「ふ……二人で、ま……回らない?」


 弱々しく、不安で揺れるその瞳と目があった途端、俺は息を忘れるくらい硬直した。

 そして佐浦が言いたかった本当の言葉を理解してしまった。


 ◇ ◇ ◇


 夕暮れ、秋模様の空はこの時間になると少し肌寒い。

 昼間が暖かったからと少し油断した俺は、腕を摩りながら帰宅していた。


「二人で……か」


 先程の言葉を、俺は思い出す。

 まさか佐浦があんな事言うなんて想像もしていなかった。


 正直断っても良かったが、特に予定のない俺はOKを出してしまった。

 けれど一つだけ気がかりな事がある、それは――。


「ん、誰だ?」


 考え事していると、自宅の建物の前に人影が見える。

 隠れるように佇むその人物に近付くと、こちらに気付いたその者は声を掛けてきた。


「あら衛介、遅かったわね」


 そこには意外にも、制服姿の麗奈が立っていた。

 夕焼けに照らされた銀髪が本人の美しさを際立てており、俺は少しばかり見惚れてしまう。


「……何の用だ?」


 麗奈の家はこちらの方向ではない。

 だから突然現れた麗奈に、俺は少しばかり驚いた。

 しかしここにきた理由が全く分からない。


「文化祭も残すところ来週ね」

「そうだな」

「だから一つ提案しにきたの」

「提案?」


 細く白い人差し指を立てて、麗奈はその碧眼を力強く真っ直ぐ向けてくる。


「文化祭の当日、デートをしましょう」


 ……これが世に聞くダブルブッキングというやつか。

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