第64話
男が遠くへ離れた事を確認したら、俺たちは来た道を戻って帰路へと着いた。
ここまで来ればもう大丈夫。
そう思った途端に緊張の糸が切れそうになるが、家に着くまでは気を抜く事は出来ない。
周囲の注意は怠らず、駆け足で自宅へ向かい漸く到着。
麗奈を先に入れて玄関の鍵を閉めたら、忘れていた疲労がどっと押し寄せた。
麗奈の父親のあの形相。
あれはどう見ても普通じゃない。
『狂気』その一言に尽きるのだが、その中には何か必死さが混じっていたようにも感じた。
ただの独占欲ではなく、何か失うのを恐れている。
そんな心境があの男からは感じられた。
だからは俺は今まで聞かなかった事を、これを機に麗奈に尋ねる。
円卓の前で疲弊している麗奈の向かい側に腰掛け、俺は真っ直ぐに麗奈を見る。
するとその視線に気付いた麗奈も、少しくたびれた顔で俺と目を合わせてきた。
「……家出の原因は父親か?」
あの状況で、麗奈は近付く父親をあろうことか突き放した。
そして父親のあの言動、答えは直ぐに出た。
「……いつかは言わなければならないものね」
弱々しく発する麗奈だが、しかしその唇は未だ躊躇していた。
いつだって強く、芯のある銀麗奈を見ていたから俺にはわかる。
今の麗奈は『不安』と『怯え』その二つに支配されていた。
正直なところ、説明して貰わずとも何となく察しはつく。
けれどこれは麗奈の口から聞かなかればならない。
それが麗奈の責任でもあるからだ。
「お父さんがああなったのは……お母さんが亡くなってからよ」
決心がついたのか、麗奈はぽつりとそんな事を口にする。
「あの頃の私たち家族は……本当に幸せだったわ。その頃のお父さんは、今とは違って何処にでもいる、優しいお父さんだったの」
「……そうか」
「けれどお母さんが病気で亡くなって、それからのお父さんは……壊れてしまったわ」
妻を失った男は、母親そっくりの娘に自分の妻の姿を見てしまう。
そして二度と失いたくないという気持ちから、娘を離さんと支配しようとした。
「お父さんの気持ちは確かに分かる。けれど私は麗奈なの……お母さんではないわ」
「……麗奈」
「それでもお父さんには私の声は届かなくて、それが怖くて……恐ろしくて……見ていられなかった」
『だから家出をした』最後に麗奈はそう話した。
つまるところ、麗奈の父親は麗奈を手放したくなかった。
それはそうだ、こんな可愛い娘を簡単に手放したくないと思うのは理解できる。
しかし麗奈の父親はそこに自分の妻の影を重ねた。
それが間違いなのだ。
麗奈は麗奈だ。
幾ら瓜二つでも、母親はたった一人だし銀麗奈もこいつだけ。
麗奈はきっと母親の代わりになるのが恐かったのではなく、自分の存在が否定されているのが怖かったのだ。
「……だから一回距離を置きたかったの、そうすればお父さんもきっと……」
「――なら、俺がその父親に言ってやるよ」
「え?」
「麗奈は代わりなんかじゃないってさ」
俺の言葉を聞いた麗奈は目を丸くした。
予想外、そんな驚いた様子でこちらを見ている麗奈に、俺はもう一度告げる。
「お前は銀麗奈だ。他の誰でも無い……俺の特別だ」
らしく無い、言い放った後にそう思ってしまう。
しかし今の俺は、自信を持って麗奈にそう告げたのだった。
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