第59話

 ハイライトの消えた瞳で、暴走状態の柚子を止める術を教えた父さんは、やり切った顔をしてドア付近で倒れ込む。


 父さんが俺に託したその術。

 それは、普段父さんが暴走した母さんを止める最終手段だった。

 柚子も母さんの子なので、同じ対応をしなければならない。

 きっと父さんはそう伝えたかったのだろう。


 やるしか無いのか、必殺のアレを。

 父さん直伝……『褒め褒めタイム』を。


 俺は迫りくる柚子に意を決して身構える。

 そして射程圏内に入った柚子を、俺は両腕で包み込んだ。


「柚子……お前が一番可愛いぞ!」

「!」


 腕の中にいる柚子を強く抱きしめ大声でそう言う。

 すると前進していた柚子はピタリと動きを止めた。

 それを見た俺は、畳み掛けるように言葉を続ける。


「その綺麗な黒髪、お淑やかな性格! 全部魅力的だ! 最高だ!」

「お……にいさ、ま」

「お前は世界で……一番可愛い妹だあぁぁ!」


 華奢な柚子の身体を全力で抱きしめ、俺はリビングにて大声で柚子を褒め倒す。

 それを聞いた柚子瞳には、光が戻る。

そしてゆっくりとこちらに体重を預ける柚子は、腰に手を回しぎゅっと抱きついてきた。


「私もですお兄様! お兄様と同じこの黒髪、お兄様と同じこの眼! その全てが愛おしいです! お兄様も最高で一番のお兄様ですよ!」

「そ、そうか……ありがとう」

「……これで私たちは、漸く相思相愛になれたのですね。長く険しい道のりでしたが……やはり強い思いがあれば願いは叶う! お母様の言う通りでした!」

「柚子はーお母さんに似て、とーっても一途ね」


『子は親に似る』そんなことわざがあったが、ここまで酷似するのはやめて欲しかった。

 救いなのは、蜜柑は少し父さん寄りな所か。

 蜜柑までこうなったら、今よりも悲惨な事になりそうだ。


「申し訳ございません彼女様、はしたない所をお見せしました。しかしお兄様は私の事をと認めなられたので……そこだけはご理解下さいね?」


 普段の優雅な柚子に戻ったのは良いが、それでも麗奈への対抗心は消えていなかった。

 そんな安い煽りを麗奈が真に受ける訳が無いと思っていたのだが……麗奈の表情が少し不機嫌になっている。

 中学生相手に本気になっている麗奈に頭を抱えるが、ひとまず穏便に事が済んだ事に、俺は胸を撫で下ろすのだった。



 ◇ ◇ ◇


 ※ここからはおまけです。この話は第一話よりも前の話になっております。


 何でもない平日の夕食。

 俺たちは家族は、全員揃って夕食を囲んでいた。

 そんな時、父さんのスマホに通知が届く。


 基本家族以外との連絡を取らない……もとい遮断されている父さんは、自身のスマホに通知がきたのに驚く。

 スマホを手に取り、内容を確認した父さんは、一度眉をピクりと動かす。

 しかしその後何も言わずにスマホをテーブルの端に置いた。


 俺たち兄妹はその事を気にせず、食事を続けた。

 どうせ父さんの事だ、新しいスマホゲームの通知がオンになっていただけだろうと、その時の俺はそこまで重要視していなかった。


 しかしたった一人だけ、父さんの通知に興味を示すものがいた。


「あらー、衛時さん……今のなぁにー?」

「え!?」

「どーしたのかしら。そんなに慌ててー?」

「いや、えっと……」


 焦る父さんに微笑む母さん。

 しかしその目だけは――笑っていなかった。


「ねーえ衛時さん、そのすまほ……ちょぉぉっと見せて?」

「こ、小夏さん。今丁度バッテリーが無くてさ……」

「大丈夫よー、すぐにー……終わるから」


 両手を可愛らしく出して、母さんはスマホを受け取る準備を終える。

 流石にこれ以上の抵抗は不味いと判断した父さんは、渋々スマホを差し出した。

 それを受け取った母さんは、そのまま蜜柑へと手渡した。


「蜜柑……解析よろしくね?」

「はーい」


 手慣れた操作で父さんのスマホを調べる蜜柑。

 そんな中、父さんはまるで死刑宣告を待つ死刑囚みたいな顔を見せた。

 そして解析が済んだ蜜柑は、何か見てはいけないものを見てしまった顔をする。


「はい……お母さん」


 蜜柑は父さんのスマホをテーブルの中央に置いた。

 そのスマホを父さん以外全員が覗き込む。


『件名:やっと終わりました〜


 お疲れ様です斉藤先輩!

 今日のお昼は、ありがとうございました。

 二人っきりの先輩は意外とダイタンで私……とても嬉しかったです♡

 明日もまたゴシドウ……よろしくお願いしますね?


 百香より♡

                』


 メールを見終わった母さんは、ゆっくりと父さんに笑顔を向ける。

 そして普段よりワントーン低い声で話し出した。


「衛時さーん……これは浮気かしら?」

「違う、断じて違います! この娘はこういった冗談を言っちゃうだけなんだ!」

「そもそもー、どうして衛時さんのーめーるあどれすを持っているのー?」

「仕事の事について、聞きたいことがあるからって教えただけです! 他意はないです!」


 あの慌て様、恐らく父さんは嘘は言っていない。

 まさかこんなメールを送ってくる後輩がいるなんて、父さん……本当にツイてないな。

 そんな父さんの言葉を一ミリも信用していない母さんは、ハイライトの消えた瞳で徐に立ち上がった。


「衛時さんに手を出そうとしているおばかさんはー……今のうちに消しておかないとねー?」

「小夏さんその包丁どうするの!? 置いて! 座って! 殺意も仕舞って!」

「一狩ーり、行くわよー」

「共闘プレイみたいに言わないで!?」


 今にも父さんの後輩が消されそうになっているにも関わらず、そんな寸劇を見せられている俺たちはいつも通り食事を続ける。

 最早これは恒例行事、その後の展開など見るまでも無かった。


 ギラリと光る包丁を片手に持つ母さんはゆっくりと玄関へと足を運ぶ。

そんな母さんに、父さんは慌てて追いつき優しく抱きしめた。

 そして息を大きく吸った父さんは、いつもの殺し文句を母さんに放った。


「小夏さん、俺が愛してるのは小夏さんだけだ!」

「……」

「他の女性よりも小夏さんが良い、小夏さんじゃなきゃダメなんだ! 俺は……小夏さん一筋だあぁぁ!」

「――あらー、嬉しい事言ってくれるわねー」


 父さんの魂の叫びを聞いた母さんは、嬉しそうに頬に手を当ててご機嫌になる。

 手に持った包丁をキッチンに戻し、母さんはそのまま食卓へと戻った。

 それを見た父さんは、心底ホッとしている。

 ……しかしこれで終わりでは無い。


「けれどー衛時さん、今後その人と連絡を取るのはー禁止です。それからめーるあどれすもー、変更しておいて下さいねー?」

「……はい」


 ここまでが寸劇のお決まり。

 これで父さんは何回目の変更になるのだろうか。

 こんな事ばかりだというのに、父さんも物好きというか、本当に母さんを愛しているだな。


 ――俺は絶対嫌だけど。


 そんないつものやり取りを終え、斉藤家の夕食は無事幕を閉じるのだった。

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