第50話
目を覚ますと、見覚えのある天井が視界いっぱいに広がっていた。
ここ最近見慣れた天井――ではなく、数ヶ月前には毎日見ていた天井だ。
「やっと起きたわね」
ベッドで横たわる俺に対して、懐かしい勉強机の椅子に腰掛けるその声の主は、待ちくたびれたと言わんばかりに足を組んで何かを読んでいた。
俺は重い身体を持ち上げて、先に部屋の時計に目を向ける。
デジタル表示の時計には、AMの十時と表記されている。
その下にはFRIと書かれており、思いっきり平日の朝十時だった。
あと数日で夏休みだというに、俺は学校を無断欠席してしまったようだ。
「大丈夫よ、私たちの欠席は連絡が行っているから」
心でも読めるのか、その者は未だ何かを読みながらそういう。
というか人の部屋でよくもまあそこまで寛げるものだな。
「それで、どういう状況か説明してくれ――麗奈」
「見ての通りよ。ここは貴方の実家の部屋で、貴方は今まで寝ていた。それ以外は特に変わらないわ」
「……まあいい、おおよそここにいる理由は付いている。それもこれも、お前が蜜柑たちに見せたあの画像が原因だろうし」
俺が意識を失う前、部屋で蜜柑と柚子に麗奈はとある画像を見せていた。
その画像というのが、俺と麗奈のツーショットのものだ。
俺自身、存在を忘れていたがあれは確か麗奈が初めてうちに泊まった日に撮った物だった筈。
はだけた寝巻きで、背景はベッドの上。
それも二人っきりときたもんだ。
どうみても完全に事後としか思えないその画像を、麗奈は堂々と斉藤シスターズに見せつけた。
ここからは想像になってしまうが、二人はすぐ様その事を両親に連絡を入れた。
そしてその事実を確認する為、俺と麗奈を実家に送らせたって所だろう。
「どうしてあんなもん見せたんだ」
「ああでもしないと言い訳が付かないじゃない。合鍵を持った異性が自由に出入りしていて、それを『この人はただの友人です』で通ると思う?」
「そりゃそうだが……って」
ド正論を放つ麗奈に言い返せないでいると、先程から麗奈が見ている物に目を向ける。
するとそれは俺の昔の写真が入ったアルバムだった。
俺はそれをすぐさま取り上げて本棚に戻す。
全く、人のアルバム勝手に見るなっての。
「貴方が起きたら下まで降りてきてと言われているわ」
「……それ母さんが?」
「もし貴方に姉がいないのであれば、あの人はお母様じゃないかしら?」
俺の兄妹は蜜柑と柚子だけだ。
兄もいなけりゃ姉もいない、上は俺だけ。
ならば麗奈が見たのは母さんで間違いなさそうだ。
そうか母さんか、母さんに呼ばれるのは……かなり気が重いな。
「……俺が起きた事は無かった事にしてくれ」
「別に良いわよ、その代わり何か聞かれたらある事ない事私が答えるけれど」
「せめてある事だけにしろ!?」
これ以上の面倒事は御免だ。
仕方ない、居間に向かうか。
「因みに、お母様はたっぷりとお話があると言っていたわ」
部屋を出る際に、麗奈は背後からそんな事を言ってくる。
はあ、まじで気が重い――。
◇ ◇ ◇
「久し振りだな衛介!」
「父さんもね」
麗奈と二人で居間に着くと新聞を読む俺の父親、
まだ数ヶ月しか経っていないと言うのに、その姿に何処か懐かしさを覚える。
斉藤衛時、その身一つで俺たちを養っている一家の大黒柱だ。
『真面目』が服を着て歩いているような人間であり、職場では上司部下共にかなりの信頼を置かれている。
休みの日には家族サービスもしっかり行ってくれて、理想の父親といった感じだ。
あまりにも真面目すぎるのが、たまに傷なのだが。
そんな父さんの前に、俺と麗奈は並んで腰掛ける。
すると両手に持っていた新聞を置いた父さんは、俺の時とは違い麗奈には礼儀正しい挨拶をした。
「初めまして。父の衛時です」
「挨拶が遅れてすみません、銀麗奈と申します」
「はは、そんなにかしこまらなくていいよ」
楽にしてくれと、父さんは麗奈に微笑みかける。
そう言われて麗奈は、ほんの少しだけ足を崩した。
しかし崩したと言っても普段部屋で見せるような程ではない。
寧ろそこまで出来ないのが本音だろう。
麗奈と同じ立場なら、俺も同じ反応をするだろうし。
それにしても実家だと言うのにもの凄く居辛い。
ここまで居辛いと最早他人の家にすら感じてしまう。
きっと麗奈も俺と同じ、いやそれ以上に感じているだろう。
そんな俺たちを見てか、父さんはテーブルに置いていたスマホを開き、若者に人気のゲームアプリの画面を見せてきた。
「見てくれよ衛介。最近当たったんだが、これSランクのキャラなんだろ?」
「すごいな父さん、これの提供割合一%以下だよ?」
「はっはっは、昔から父さん運だけは強いからな!」
子供のようにはしゃぐ父さんの姿に、麗奈は思わずくすりと笑う。
重苦しかったこの居間を、身を挺して和ませてくれた父さんには、感謝しないとな。
しかし折角和んだこの居間に、突然の来訪者が現れた。
「あらー衛時さん、それはなぁに?」
悠長に話すその声の主は、父さんのスマホを覗き込んでそう尋ねる。
すると先程まで健康そのものだった父さんの顔からは、血の気が引いて一気に青ざめる。
「こ、小夏さん……いたんだね?」
「それはいますよー。だってここ、私たちの家じゃないのー」
「だ……だよね? はは、おかしな事言ったね!」
ふふふと笑うその女性は、うちの母親である
蜜柑や柚子と同じく、その綺麗な濡れ羽色の髪をボブカットにしており、肌艶やその容姿からは、とても三十前半には見えぬほどに若々しい。
それは蜜柑たちと並んで歩いていても、姉妹と間違われるほどだ。
性格も温厚そのもので、御近所さんから父さんは幸せ者だと羨まれている。
しかし絵に描いたような優しい母親なのだが、一つだけ欠点がある。
それは父さんの事を――愛し過ぎている所だ。
『夫を愛すのは当然では?』という声も聞こえてきそうだが、まあそれは直接見てくれればわかるだろう。
寧ろ見ないと伝わらない。
あの異常さは。
「衛時さん、それはげーむなのぉ?」
「そ、そうなんだ。今若者で流行ってるみたいでね」
「あらー良いわねー、でもこの絵の子……女の子みたいだけぉ?」
「これはこのゲームで今一番強いキャラなんだよ。それを二人に自慢してた所だったのさ!」
『まぁそうなのー』と、のんびりと話す母さんは常に笑顔だ。
ここまでは普通の会話、普通のお母さん。
しかし俺は知っている、この後直ぐに悲劇が起こる事を――。
「でも衛時さん、幾らげーむでも女の子が出るのは浮気よぉー? なのでこのすまほは破壊しまーす」
「ちょ、小夏さん!?」
テーブルに置かれたガラス製の灰皿を持った母さんは、何の躊躇もなくゲーム画面が開かれた父さんのスマホを粉砕する。
お陰様で父さんのスマホはバッキバキになり、無事お亡くなり。
因みにこのような事は過去何度かあり、父さんは今回のスマホで五代目だった。
「こ……小夏さん、なんて事するの!?」
「二人に自慢するなら私との思い出で十分じゃないー。それともあのぽっと出の女が良いのー? そんなの許しませーん」
「いや小夏さん、これゲームだから!」
「ゲームでも浮気は許しませーん」
バッテリーという寿命が尽きる前に、その生涯を閉じたスマホを見ながら父さんは『あれを当てる為にへそくりまで使ったのに……』と小声でぼやく。
勿論その声もきちんとキャッチしている母さんは『衛時さーん、お小遣い減額でーす』とトドメを刺した。
よくもまああんな人と一緒に居れるなと、息子ながらも思えてしまう。
「それじゃあ二人ともー、お待たせしたわね?」
そう言って、先程父さんが座っていた場所に今度は母さんが腰を下ろす。
そして始まる。
――俺と麗奈の偽りの恋人作戦が。
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