第43話

 十八時だというのにまだまだ明るい夏の夕方、駅から離れた住宅街の中で、俺は麗奈と並んで帰宅していた。


「くそ……まだ痛むな」

「仕方ないわよ、思い切り刺さっていたもの」


 口元の横に貼ってある絆創膏を摩りながらそう呟くと、横に歩く麗奈が普段と変わらず抑揚のない声でそういう。

 出来れば冷静な分析ではなく、労りの一言くらい掛けて欲しかった。


 王様ゲームの途中で負傷をした俺を見て、白石はすぐさまゲームの終了を宣言した。

 流石の白石も、怪我人が出るのは予想外だったようで、すぐに鞄から絆創膏を取り出して貼ってくれた。

 蒼井の方はというと、自身がやった事を懺悔するかの如く延々と俺に謝罪していた。

 本人もあの時は緊張と興奮で、暴走状態に陥っていたと自覚していたので、俺も一言注意して終わったのだった。


「たく、あの時お前があんな事を言わなければ、フォークで刺されるなんて経験せずに済んだんだぞ」

「あら人のせい?」

「当然だ、だいたい金なんて持ってないのに、どうしてあの場に居たんだよ?」

「白石さんがどうしても参加して欲しいと聞かなかったのよ。『参加費はこっちで負担するから』とゴリ押しされて」


 参加費はこっちで負担だと?

 麗奈の会計の半分を支払ったのは俺だぞ。

 いやそもそも元から俺に払わせる算段だったのか。

 白石には桜山たちの件の報酬として、俺に一度だけ絶対命令を出せる権利があるが、せめて事前に知らせておいて欲しかった。


 まあこれで貸し借りは無くなった、これから白石に頼むのは極力避けよう。

 それよりも俺は今回の事でかなりの出費をした。

 二週間後には高校初の夏休みが待っているというのに、私的に使える金額は残りわずかだ。


 俺だって初の都会での夏休みだ、多少は遊んだりもしたい。

 しかしこのままいけば、次の仕送りまでには財布の中がすっからかんになってしまう。

 なので俺はこの夏、ある事を決断した。


「麗奈、夏休みに入ったらバイトをするぞ。お前だっていつまでも無一文じゃ居られないだろ?」

「確かにそうね、けれどその前にやる事があるでしょう?」

「何だ?」

「期末試験」


 その単語を聞いた途端、全身の血の気が引いていく感覚に襲われる。

 やばい、そんなイベント完全に忘れてた。



 ◇ ◇ ◇


 試験当日の朝、俺は麗奈といつもの道を登校している間も、試験範囲のプリントと睨めっこをしていた。

 都会に来てから濃厚な毎日を過ごしていたせいで、学期末のテストの事などすっかりと忘れていた。


 麗奈はというと、焦っている俺とは真逆に涼しい顔をしている。

 そんな麗奈にテストへの意気込みを聞いてみると、普段の授業をきちんと受けていれば何の問題も無いとの事だった。


 聞けば麗奈は、入学テストの成績が学年二位だという。

 その実力者が当日の朝に慌てるなどあり得るはずかないのだ。

 そんな事をテストまで残り時間が迫っている中考えていると、横から現れた人差し指がプリントの一文を指した。


「この問題は恐らく出るわ、これで二点は取れる」

「分かるのか?」

「私が教師ならそこは外さないわね」


 それは今回の範囲で、一番重要な内容だと麗奈は語る。

 成る程、ならば生徒には覚えてもらいたい筈なので、問題に出さない訳がないという事か。

 流石は学年二位だけはある。


「心配なのはその科目だけ?」

「ああ」

「なら後こことここは覚えなさい。それで赤点は回避できる筈よ」


 再びその細い人差し指は、俺に赤点回避の道筋を示す。

 俺はその道を辿るように問題文を記憶していった。

 麗奈がいてくれて助かった、もし赤点なんて取ろうものなら、今年の夏休みは補習三昧だったかもしれなかった。

 これから麗奈の事は女神様とでも呼ぼう、主に俺の心の中で。


 そんなこんなで登校の時間中、俺は穴が空くほどそのプリントを見ていたのだった。


 ◇ ◇ ◇


「はーい、そこまでです」


 テスト時間終了の鐘が校内に響き渡ると同時に、担任のその言葉で皆筆記用具を机に置いた。

 席の最後尾の俺は、前に座る生徒の解答用紙を回収する。

 それを担任に手渡し席に戻ろうとした時、横から来た拓也たちに呼び止められる。


「どうだった?」

「どうにかなったって所か」

「そっか〜ねぇ斉藤っち、放課後何処か出掛けない?」

「明日も試験あるのにか?」

「だ、だからみんなで集まって勉強会でもしようって事なんだけど……」


 勉強会か、あんなもの開いたって真面目に勉強なんてしないだろう。

 しかし成績優秀な佐浦がいるなら、一人で勉強するより、教えてもらいながらの方が効率はいいかも知れない。

 メリットは一応あるってところか。

 しかしなぁ……。


「悪い、遠慮しとく」

「何か予定があるのか?」

「一人にすると、うちにいるペットが寂しがるからな」

「あれ、斉藤っちペット飼ってたっけ?」

「……最近拾ったんだよ」


 多分麗奈の事だ、また周囲からひっきりなしに誘いが来てるだろうが、全て蹴って家に帰るだろう。

 ここ数日で分かった事だが、麗奈は意外と寂しがり屋だ。


 この前だって麗奈が入浴中にイヤホンを付けてた時、声が聞こえてない事にあいつは少し怒っていた。

 そんな奴を一人家に放っておくのは少々可哀想だ。

 そんな事を思うと、何だか本当に世話してるみたいで悲しくなってくるな。


「そっか〜ならまた今度遊ぼうね!」

「やっぱ勉強会じゃないのかよ」

「はは、今のは杏子の冗談」

「さ、斉藤君……もし気が変わったら連絡してね、待ってるから!」

「ありがとな佐浦」


 佐浦は本当に優しいな。

 これからは天使と呼ぶ事にしよう、主に俺の心の中で。

 さてと、それじゃあ家に帰って麗奈の様子でも確認しようか。

 どうせいつも通り、部屋で待っているはずだ。

 そう思い、俺は拓也たちと別れて席へと戻った。


 すると突然、ポケットにあるスマホが振動する。

 確認してみると、そこにはとんでもない事が書かれていた。


『バイトの件だけど、メイド喫茶はどうかしら?』


 メイド喫茶だと?

 そんなの――駄目に決まってるだろ。

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