第40話

「悪かったって、れ……銀さん」

「つーん」


 両の手を合わせる俺は、麗奈に深々と謝罪をしている。

 しかし麗奈は依然として頬を可愛く膨らませたままだ。


 俺の言動によって何故か臍を曲げてしまった麗奈は、先程からずっとそっぽを向いた状態で話を聞いてくれない。

 助けを求めて背後を振り向くが、そこには怪訝そうな目で俺を見る枢木と桜山がいた。


 どうやら二人は未だ俺たちの関係を訝しんでいる。

 あれでは手を借りるのは難しそうだ。


 そんなこんなで俺は、機嫌を悪くしている麗奈を何とか宥めようとしているのだが、麗奈の奴全くもって機嫌を直してくれない。

 というか『つーん』と口で言ってる奴なんぞ初めて見たぞ。


「どうすれば機嫌を直してくれるんだよ」

「さあ、自分の胸に聞いてみたらどうかしら?」


 聞きているのはこっちだぞと言い返してやりたい所だが、これ以上事態が悪化するのはもう勘弁だ。

 俺は一度頭をリセットする為目を瞑る。


 このままずっとこうしていても拉致があかないのは火を見るよりも明らかだ。

 かと言って麗奈が機嫌を直してくれなければ話は全く進まない。

 理由は分からないが、どうやら俺のせいで麗奈は気分を害したようだ。

 それはあの態度から見て取れる。

 なので俺は頭を下げて再び麗奈に頼み込んだ。


「頼む銀さん。俺の事はどう思ってくれても構わないから、用件だけはどうか受けてくれないか?」


 時刻が八時を回っている校門前は、学年問わずに学生たちが校内へと歩いている。

 そんな中俺は、周囲の目もくれずに麗奈に深々と頭を下げる。

 そんな俺の行動に、流石の麗奈も反対に向けていた身体をこちらに向けた。


 正直、麗奈がこの話に乗っかるメリットは一切無い。

 それにこの頼み方は卑怯だ。


 麗奈はうちで居候の身だ。

 そんな人間が、寝泊まりしている所の主人からの頼みを断るのは難しい。

 普通の人間ならば、助けて貰ったらその恩返しをしなくてはと思ってしまうもの。

 それが世の道理というやつだ。


 しかし今、それを逆手に取るような事を俺はしてしまっている。

 まるで麗奈の人情につけ込むような、そんな酷いやり方だ。


 これでは麗奈の人間性を試しているようなものではないか。

 そう思うと心底自分が最低な奴だと思えてきてしまう。


「……貴方、今面倒な考え方してるでしょ?」


 後頭部から掛けられたその言葉に、俺は頭を上げて声の方を向く。

 するとそこには、今度は退屈そうな顔で嘆息を吐く麗奈の姿が映った。


「私に対して負い目を感じているのならそれは見当違いよ。貴方は堂々と私に言えばいいの、手を貸してくれって」

「……」

「助けたいんでしょ、二人を」

「!」


 その言葉を口にする麗奈は、今まで見せた笑顔とはまた違う、穏やかな微笑みを浮かべてた。


 欲しい物が手に入った時や、願いが叶った時とはまた違う。

 その笑顔からは、俺に対して絶対的な『信頼感』というものが感じられた。

 そんな慈愛にも似た微笑みに当てられて、俺は少々照れてしまう。


 本当にこいつは俺の心を揺さぶるのが上手いな。


「……そうですか、ならお願いします」

「そうじゃなくて?」

「ああもう……手を貸してくれ」

「はい、よく出来ました」


 麗奈にそう言われ、俺は照れ隠しで少々乱暴にそう言った。

 すると麗奈は嬉しそうに微笑んだ後、俺にゆっくり近付き、周りに聞かれぬよう耳元で囁いてきた。


「一番初めに頼ってくれて――嬉しかったわ」

「はあっ!?」

「それじゃあ一仕事してくるわね」


 そう言って軽く俺の肩を叩いた麗奈は、校門の丁度真ん中辺りで静止した。

 するとそれを見つけた生徒たちは、皆麗奈に注目するように足を止める。


 周囲の視線は余す事なく全て麗奈に注がれている。

 皆その不可思議な行動に疑問符を浮かべているが、そんな中麗奈は校門を通り過ぎた者、そしてこれから通る者、それぞれの生徒たちに演説するように話し出した。


「最近、私の学年で低俗なあだ名を付けられた子がいる事を耳にしました。正直がっかりです、皆があんな根も葉もない噂を信じている事を。同じ学校の者として、私は恥ずかしく思います」


 登校中の皆は校門の中央に立つ麗奈の言葉に耳を傾けている。

 校内にいた生徒たちも麗奈の声が聞こえたのか、態々外にまで飛び出してきた。


 それ程までに、銀麗奈という人間はこの学校に影響力を齎している事を俺はこの演説で理解した。


 麗奈の演説を聞いて、皆複雑そうな顔を見せている。

 噂を鵜呑みにしていた自分に対する怒りや羞恥心、そんな感情がその者たちの表情から伺えた。


 校門は暗い顔をした生徒たちで満たされる。

 しかしそんな重苦しい雰囲気の中、麗奈は言葉を続けた。


「けれど私は信じています。この場にいる皆は、同じ過ちを犯す様な愚か者たちではないと――」

「れ……銀さん」

「それと、噂の元凶の八神さんの事だけど、彼女もまたとある人物に唆された被害者です。悪くいうのはやめて頂戴」


 その言葉を最後に、麗奈はその場を離れて校門に入っていった。

 演説が終了し、一時の静寂がこの校門を支配する。

 しかし麗奈が離れて数秒後、校門には麗奈の言葉に感化され、奮起する大勢の生徒たちが大声を上げ始めた。


『よーし、銀さんに恥かかさないように頑張らなくちゃ!』

『やっぱ銀さんカッケーな! 俺もあんな風になりてぇ!』

『お、俺はあんな噂初めから信じちゃいなかったけどな!』

『おいおめぇら、二度と銀さんに恥かかせんじゃねぇぞ! もしかかせたら銀ファンクラブナンバー……』


 最後の奴は長かったの割愛するが、皆麗奈に認められていると知ると、校門で雄叫びのような歓声を上げた。


 暗く重かった校門の空気は一転し、活気溢れるスポーツ観戦場のように騒がしい雰囲気となる。

 たった数分で、皆の士気を高めた麗奈には流石としか言いようがない。


 それよりも、蒼井と八神の悪評をこれほど簡単に撤回出来るとは思いもしなかった。

 ここの学校の者は皆麗奈を神と思って信仰でもしているのだろうか。

 それはそれで少々恐ろしいが……。


 兎も角、これにて事件は一件落着した。

 背後にいた枢木と桜山も、事が済んで安堵の顔を見せている。


 俺も一安心したところで、校舎に設置された時計を見ると、いつのまにかもう時間が迫っていた。

全く麗奈の奴、周りをよく見ているな。


 俺も急いで自身のクラスに向かうべく、下駄箱へと足を運んだ。

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