第37話
キッチンに立つ麗奈は、半袖シャツにスクールベストと、制服姿の上からエプロンを身につけている。
まな板には豚のブロック状の肉が乗っていて、それを真剣に見つめていた。
側から見れば今からそれを調理するのだと理解できる。
しかし料理の出来ない麗奈が包丁を持ち、更に料理では決して見る事のない包丁の逆刃持ちをしている。
そんな光景に戦慄しながら、俺は恐る恐る麗奈に近付き声をかけた。
「お、おい何をしてる?」
「料理よ」
「……俺の知ってる料理では、包丁はそうは持たないぞ」
「固定観念で私は語れないわ」
普段通り無表情なまま話す麗奈は、どうやら夕飯を作ろうとしていたらしい。
突然どうしたのかと思ったが、これはいい機会なので今日は麗奈に料理を教える事にしよう。
そう決めた俺は一先ず麗奈から短剣のように握った包丁を奪い、まな板の上に置く。
そして冷蔵庫を開き、中身を確認しながら今日のメニューを考えつつ麗奈に先程の事を尋ねた。
「それで、さっきのはなんなんだ?」
「衛介、今日私は女子力の差というものを見せつけられたわ」
麗奈曰く、昼休み普段通りに人気の無い所へ向かっていたら、外のベンチにて一組のカップルを見つけたらしい。
そのカップルは仲睦まじく一つの弁当を食べていたそうだ。
そしてその食べていた弁当の内容が、麗奈には信じられないほどレベルが高いものだったようだ。
色とりどりなおかずと彼氏の好みな具が入ったおにぎり、更にはデザートの果物まで用意されていた。
正にフルコース、そう思えてしまう程に完成されていたらしい。
そんな弁当を見た麗奈は、自身もそこまで出来たらと思い、キッチンにて先程の奇行に出たようなのだった。
「ただ可愛いだけでは女子はやっていけないのよ」
「可愛いというのは認めるのな」
「勿論」
華奢な腕を組んでその大きめの胸を張り、自身たっぷりな態度を見せながら麗奈はそう言う。
確かにこれ程までに容姿端麗の言葉が似合う者は見たことがない。
俺も可愛いかどうかと聞かれれば勿論YESと答えている。
しかしそれを本人に言ったら、また面倒な事になると思うので敢えて伝えはしない。
それにそんな恥ずかしい台詞を言える度胸もない。
「……まあいい、とりあえず料理は手を洗う所からだ」
「分かったわ」
そう聞いた麗奈は指示通り手を洗う。
俺はその間に使う材料を冷蔵庫から出してキッチンの上に並べた。
今日作るのはベーコンとキャベツの炒め物だ。
もっと簡単なものも作れたが、麗奈が妙に包丁を見ている辺り、恐らく包丁を使いたいのだろう。
それにこの前のオムライスから察するに、麗奈は火加減がなっていないと見た。
そこも教えてやれば、基本的な料理は全て作れるようになる筈だ。
「終わりました先生」
その声に顔を向けると、いつのまにか髪を黒のゴム束ね、ポニーテールにしていた麗奈が準備を終えて横に立っていた。
その姿を見て、俺は思わず言葉に詰まる。
普段は綺麗に下ろしていた為見えていなかったうなじが、髪を束ねた事によりその姿を現している。
生え際がとても綺麗なのもそうだが、何とも形容し難いその魅力が俺の目を奪う。
更にポニーテールにする事で普段より可愛さが増しており、女子の制服とエプロン姿という最強の三拍子が揃っている状態だ。
控えめに言って――最高に可愛い。
「……衛介?」
「え、ああ……悪い、始めるか」
そんな姿に見惚れていたら、不思議そうな顔をした麗奈が俺の顔を覗き込んできた。
いかん、一度見ると目が離せなくなってしまう。
こんな状態で料理すれば間違いなく怪我をするので、目を閉じて一度深呼吸してから麗奈に指示を出した。
「先ずはキャベツを食べやすい大きさに切るぞ」
この前のオムライスには実は具材が全く入っていなかった。
恐らく何を入れれば良いか分からなかったのだろう、
とすると麗奈は料理の超が付くほどの初心者なのは確実だ。
なので先ずは俺がお手本としてキャベツを少し切ってみせる。
その姿を見せた後、包丁をまな板に置いて麗奈に場所を譲った。
「いいか猫の手だぞ?」
「にゃーん」
地声のままそんな事を言う麗奈は、片手に包丁を持ってキャベツを抑えた。
誰も猫の真似をしろとは言ってはいないが、きちんと猫の手にしているのでとりあえず良しとする。
しかし初の調理なのか、腕が小刻みに震えている。
あれだと下手したら指を落としかねない。
仕方ないな――。
「!」
俺は麗奈の背後に立ち、後ろから覆い被さるように麗奈の手を握った。
少々驚いたのか、麗奈の身体が少し跳ねる。
かなり大胆な事をしているのは重々承知だが、麗奈に怪我されては困ってしまう。
ここは恥を忍んで安全を取る事にした。
そのまま麗奈の手に握ったら、麗奈の手に握られた包丁でキャベツを一刀する。
「こんな感じだ、出来そうか?」
「もっと」
「……もう一回だけだぞ」
俺よりも確実に小さな麗奈の手を握りながら、再度麗奈越しにキャベツを切る。
今回は少々ぶつ切りになってしまったが、動きを教えられれば良いので特に問題は無い。
動きは分かった筈なので、俺はそのままゆっくりと手を離そうとする。
しかし離そうとした直前に、麗奈が俺の足を踵で踏んづけてきた。
「もっと」
「……もう十分だろ?」
「先生、手が震えて怖いわ」
「止まってるじゃねぇか」
何が怖いだ。
握る前はぷるぷるしてたのに、俺が握ったら直ぐに収まったのを知らんとは言わせないぞ。
しかし麗奈は依然として足を退けない。
無表情ながらも、テコでも動かないぞと態度で訴えてきている。
全く、面倒な事になった。
「どうすれば良いんだよ……」
「私が求めるのはただ一つ、手厚い研修よ」
「マンツーマンの時点で十分手厚いだろ」
「なら私は十二分に手厚いのを要求するわ」
長いポニーテールを揺らしてこちらに振り向く麗奈は、俺の目をじっと見つめてくる。
こうなったら麗奈は絶対退かない。
それはこの短い付き合いから分かった事の一つだ。
「……キャベツだけだからな」
「勝った」
正面を向いた為顔は見えないが、麗奈がドヤ顔をしているのだけは分かった。
結局その後、麗奈の手を握りながら半ば俺が作ったと言える料理を、夕食として二人で食べるのだった。
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