第34話

「まず先に、蒼井奈帆って知ってるか?」


 ぽつぽつと疎雨が俺たちを濡らす中、俺は目の前の少女――桜山舞に人差し指を立ててそう尋ねる。

 桜山はその質問に、なんてことない顔で答えた。


「あー一応知ってるわよ、関わったことないからわかんないけど……なんかビッチってあだ名付けられてる可哀想な子でしょ?」


 どうやら桜山は知ってはいるが、接触した事は無いらしい。

 まあ本当に直にあった事は無いんだろうな。


「ああそうだ、その元凶が誰かは?」

「八神さんでしょ、八神桃。なんかSNSでやばい投稿してたよね、内容がエグすぎて笑ったけど」


『笑った』と桜山は言ったが、その実顔の方は目尻は下がっておらず、口角も全く上がっていない。

 要するに笑っていないのだ。


 人というのは深く知らぬ相手の事になると途端に興味がなくなる。

 勿論俺だってそう思う時もある。

 この反応は今時の高校生ではよく見かけるものだ。


 しかしその反応は正直以外だった。

 八神は兎も角、自身の恋敵と言っても過言では無い蒼井の話に、全くといって反応しない。

 もしや俺たちの仮説は間違っていたのか?


「ねえもういいでしょ、早く終わらせてくんない?」

「……ああすまない、急いでるんだったな。それじゃあ最後に、お前ってたしか枢木隼人と同じクラスだよな?

「一緒だけど?」

「その枢木の話なんだが……風の噂で蒼井の事が気になるって話を耳にしてな」


 先に言おう、これは真っ赤な嘘だ。

 そんな噂は何処にも立ってない。

 これは飽くまで桜山と蒼井を繋げるための布石、作り話だ。


 このまま何の反応もしてくれないと言質どころか、会談すら終わってしまう。

 ならば少々強引なやり方とは思うが、ここは挑発気味に攻めっ気を出していく。


 そんな俺の願いが届いたのか、桜山は狙い通り先程よりも大きく苛立った姿を見せた。


「……それが何?」

「いや、その話が本当なのか確かめたくてな。お前枢木と仲良いって聞いたから知ってるかなと。それで実際のところどうなんだ?」


 正直これはやり過ぎたかもしれない。

 挑発したは良いが、帰られてしまったら元も子もない。


 しかし俺には確信があった。

 桜山は絶対逃げない、絶対に食い下がらないプライドの高い人間だ。

 それはプロフィールにあった性格や、今こうして対面している中での、この強気な態度から想像出来る。


 俺の言葉に桜山は刹那黙り込む。

 しかし直ぐに小馬鹿にするかのように、桜山は乾いた笑いで答えた。


「――はっ、あんな不良みたいな女の事を隼人が気になる訳無いじゃん? それに八神さん曰く、誰にでも股を開くようなビッチ何でしょ? 男ならどう考えても有り得ないでしょ、女の私だって引くもん」


 今日初めて桜山が見せた笑みは、あり得ない事を口にする俺が、余りにも滑稽だから生じた笑みだった。

 そんな桜山だが先程とは打って変わって、今回は蒼井を全否定している。


 早口で、更に長々と、蒼井奈帆という女を否定するその反応、恐らく余裕が無くなったのだろう。

 それ程までに今の問いは桜山に効いたのだ。


 それに今の発言、桜山が蒼井を恨むには十分な動機となる。

 後一歩、決定打になるものを引き出してやる。


「いやでもその話も証拠が無い話であって実際はどうかは――」

「――だからあり得ないって言ってんでしょ!」


 泥濘んだ地面を勢い良く踏みつけ、突然桜山は怒号をあげた。

 そのせいで桜山の足元は跳ねた泥で汚れてしまう。


 しかしその泥を洗い流すかの如く、突如雨が突然強まった。

 予報通りのその暴雨は、俺たちを激しく襲う。


 しかしそんな中、今この体育館裏全体を支配していたのは、紛れも無く今日一番の大声で発された桜山の怒号だった。

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