第11話

 気がつくと俺は懐かしい場所にいた。


 真夏の太陽が照り付ける中、俺は高校の制服姿で公園で立っている。

 幼き頃にいつも通っていたその公園だ。

 今でも忘れない。


 昔はこの公園がとても大きなものに見えていたが、今の俺には少し狭く感じる。


 簡素な遊具に狭い砂場。

 それでもあの頃は、いつもこの公園で遊んでいた。

 それだけで満たされていたんだ。


 しかしそんな所に今の俺がいる筈が無い。

 すぐに理解する。


 ――これは夢だ。


 昨日の夜の事はよく覚えている。

 風呂から上がった俺は、明日購入するものを麗奈と決めて床に就いた。


 無論以前とは違い今回は別々の寝床だ。

 ベッドは麗奈に譲り、俺は座布団を枕代わりに床で寝た。

 幾ら居候とはいえ、女の子に床で寝ろとは言わない。


 というより言えなかった。

 それを言う度胸が無かっただけだ。


 そしてそのまま俺たちは会話などせずに、静かに眠りに就いた。

 そして今に至ると言う訳だ。


「昔はよく遊んだな」


 幼い頃、どんなに高く跳んでも届かなかった滑り台の頂上に手を乗せる。

 誰かが使用した後なのか、足場にはざらつく程の砂が乗っていた。


 こんな細かな所まで再現されているとは。

 とても精巧な夢だと思う。


「ブランコでの靴飛ばし勝負はよくやったもんだ」


 今度は座板が少し高めに設置されている鞦韆ぶらんこに腰掛ける。


 誰が一番遠くに飛ばせるか。

 ここに来てはいつも勝負三昧だった。


 俺は懐かしい記憶を頼りに、前へ後ろへと鞦韆を漕ぐ。

 タイミングよく足を前へ出す事で、揺れ幅が大きくなってゆくこの感覚。


 自分で言うのも何だが、今でも靴飛ばしナンバーワンの名は伊達じゃないな。


 勢いに乗った俺は、それを利用して片方の革靴を前に蹴り飛ばす。

 綺麗な放物線の軌道を描く革靴は、公園の端まで見事飛んで行った。


 昔とは違い、今の俺なら少しの力で遠くまで飛ばせる。

 今回ので記録を大幅更新した。


「しかし靴を拾いに行くのが面倒だな」


 ライバル達に勝利して酔いしれるのは良いが、遠くに飛ばした分だけ回収するのが面倒なのがこのゲームのネックな点だ。


 どうせ夢なのだから靴がいつのまにか足元に戻ってくれれば良いなと思っていると、飛ばした革靴を拾う人影が現れた。


 俺の願いに夢が答え、脳が黒衣くろごを用意したのかと思ったが、その人影の正体に俺は体全体が硬直してしまった。


「流石、靴飛ばし界隈ナンバーワンだね」


 俺の革靴を拾い上げ、鞦韆まで持ってきてくれたのは、セーラー服姿の少女だった。


 栗色の髪をボブカットにしているその少女は、髪色とその持前の笑顔から、とても明るい印象を受ける。


 健康的な肌を見るに活発な子に思えるが、実はそうでは無い。

 基本的にはインドアであり趣味は読書だが、いつも俺の隣には必ず人物だ。


 そう、俺はこの少女の事を知っている。

 何年も共にいたのだ。

『知っている』という言葉を使うのも可笑しな話だ。


「佳奈……」

「どうしたの、衛介?」


 俺の目の前まで革靴を運んでくれたのは、幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染――工藤佳奈くどうかなだ。


 地元の近所に住んでいた佳奈とは中学まで同じ学校だった。

 本当なら高校も同じ所になるはずだったのだが、によってそれは叶わなくなってしまった。


「はい、靴」

「……サンキュー」


 俺の足元に飛ばした革靴を佳奈は置いてくれる。

 こうやって笑顔で何でもやってくれる佳奈には、いつも頭が上がらなかった。


「なあ佳奈、この夢ってやっぱりお前に対しての――懺悔なのかな?」

「どうだろうね、でももしそうなら丁度良い機会じゃない?」


 暗い顔を見せる俺に佳奈は優しく微笑んだ。

 俺はその笑顔で決意し、鞦韆から立ち上がる。


 やる事は単純明快。

 目の前のセーラー服姿の女子に、あの時出来なかった懺悔をするだけ。


 しかし脳が想像した作りものとはいえ、佳奈の前に立つと恐怖におののいてしまう。


 緊張で口内の唾液が分泌を止めている。

 体の水分が枯渇していると思いきや、全身からは冷や汗が噴き出してくる。


 異常な体の状態に気分すら悪くなる。

 しかしここで止めては本番で言えるわけがない。


 俺は両手拳を強く握り、ゆっくりと口を開いた。


「佳奈、俺は……!」


 その言葉と共に俺は佳奈を見やる。

 俺の真剣な表情に佳奈は目を伏せて待機するが、しかし俺が言い切る前に佳奈は言葉を挟んできた。


「時間切れみたいだね」


 ゆっくりと佳奈は天に指を指す。

 その方向に顔を向けると、頭上に透明なゼリーの様なものがこちらに降ってきていた。


 その勢いから察するにあと数秒程でこちらに着地するだろう。


「続きは本物の私にお願いね?」


 そう言った佳奈に気を取られた俺は、その空から降ってきた謎のゼリーに押し潰される。


 顔面は息が出来ぬほど圧迫され、体全体は包まれた感覚に陥り動けずにいた。


 意識がゆっくりと遠退いて行く。

 あと少しで夢とはいえ佳奈に懺悔出来たはずだったのに。


 そんな悔いを残しながら、俺は夢の世界から現実に引き戻された。



 ◇



 苦しい、息苦しい。

 目覚めた筈なのに目の前に広がるのは闇一色だ。


 上から圧迫されていて、手足も何かに縛られ身動きが取れない。

 俺はそんな苦しみに包まれていた。


 しかし苦しさだけが包んでいた訳では無い。

 甘く、とても魅力的な香りが鼻腔をくすぐる。


 いつまでも嗅いでいたくなるその香りに俺は癒されていた。

けれどもう限界だ。


 息苦しくてとてもその状態を維持できない。

 俺は全身を揺すってその苦しさから解放されようと試みる。


 すると顔辺りの圧迫感が無くなり、視界がようやくクリアになった。

 そこで今まで俺を拘束していたものが何かはっきりと理解した。


「れ、麗奈!?」

「むにゃ……逃がさない」


 仰向けに寝ていた俺の上に、抱きつく様に麗奈が乗っていた。

 どうやらベッドから転落したのか、フローリングにいた俺の上に落ちた様だ。


 寝言を言う麗奈は、俺と同じで夢を見ている様だ。

 何かを捕まえているのか、俺の頭をがっしり掴んで離さない。


 そのせいで麗奈が胸を顔に強く押し付けてくる。

 先程の圧迫感はこれだったのだ。


 顔が熱い。

 別に麗奈の体温が高いわけでは無い。

 寧ろ丁度良く、とても心地良い。

 原因は俺自体の発熱によるものだ。


 顔全体が熱を帯びているのが分かる。

 恐らく耳まで真っ赤だろう。


 先程から動悸が治まらない。

 どうして朝からこんなにも興奮せればならんのだ。


 俺は急いで声をかけて麗奈に起きるよう促す。

 しかしその程度では全く起きる様子が無かった。


 仕方ないので今度は肩を慎重に叩く。

 片側の透き通る様な白い肌が露出している肩は避け、もう片側に触れる。


 すると触れられた事に気付いたのか、もぞもぞと麗奈が動き出した。


 漸く解放されると思いきや、寧ろ締め付けは強くなる。

 そして未だ起きぬ麗奈は、甘い声で俺に寝言を言ってきた。


「んん……ずっと、一緒にいて〜?」

「なっ!」


 普段あまり感情を露わにしない麗奈だからこそ、猫の様に甘えた声に今までで一番心を揺さぶられた。


 そのせいで全身が熱を持ち、身体中の火照りが止まらない。

 再び甘い香りが脳を刺激し、脳内が麗奈一色に染め上げられた。


 このまま無防備な麗奈を襲うかの様に、勝手に両腕が麗奈に迫って行く。

 しかしそれを僅かな理性で静止させ、俺は無理矢理麗奈の拘束から脱した。


 そして急いで風呂場に向かい、体全体の熱が鎮静するまで冷水を頭に掛け続けた。


「くそ、あれは卑怯だろ……」


 冷水に当たりながら、そう呟く。

 これからこんな事が毎回起きると思うと心臓が持つ気がしない。


 俺は額を手で抑えながら、独りだったあの頃に戻りたいと思ってしまった。

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