恐怖の缶コーヒー
新巻へもん
些細なことが招くもの
もうすぐ夏休みも終わろうという時期、高校生の敦はむせかえるような暑さの中を歩いていた。敦を青い車が追い越し、もわっとした空気に気持ち悪くなる匂いを加える。いじっていたスマートフォンから目を上げるとちょっと先の角の集積所でポリバケツの中身をぶちまけた作業着姿のおっさんがすぐ側の自動販売機に歩み寄るところだった。
成績が振るわず強制的に親に入れられた夏期講習にしぶしぶ通うところだった敦は、小遣いも減額されているため自動販売機で何かを買う金もない。イラっとした敦はカメラを起動し缶コーヒーを傾けるおっさんの姿を撮影する。短文投稿アプリに写真を貼付して送信した。
あっち@hitomioshi 07:18
<仕事をさぼるゴミ収集のおっさんww>
敦にしてみればちょっとしたネタを投稿しただけのつもりだった。いつもの他愛のない投稿の一つ。こんな奴がいたんぜ、程度であり、真剣に糾弾するつもりもない。その投稿にいくつか返事がつきはじめる。
こうべー@mitume77 07:30
<うは。堂々とさぼってやがるよ>
シャレ好きさん@www048a 07:45
<車のナンバーからすると遠山市じゃね?>
ブロンクス@ynakeyam 08:15
<これ、市役所に通報したらやべー奴じゃん>
けっちゃ@honyahonya 08:50
<通報しますた>
人間万事塞翁が馬@iikoto800 09:30
<小生には見過ごせませんな>
敦の投稿が再投稿されて加速度的に拡散していく。ある人にとっては暇つぶしの一つとして。ある人にとっては正義感から。そしてある人にとっては他人の非行を糾弾するため。目に入った新しいものに群がり、安全地帯から他人の行動をあげつらう。
最初の投稿から2時間もするとネット空間には敦の投稿したものの再投稿が溢れかえった。12時間もするとまとめサイトが立ち上がり、少数の擁護と多数の避難の声が飛び交う。敦は自分の投稿が注目を集めたことに満足した。
3日もすると昼の情報番組で取り上げられる。したり顔のコメンテーターがパネルの写真を見ながら重々しく言った。
「炎天下ですから水分補給はやむを得ないにしても、誤解を受けないように注意すべきでしたね」
一見中立を装いながら、何をどうすればいいのかの核心には触れない。
遠山市役所の広報課の電話は鳴りやまなくなる。
「勤務中になっとらん」
「もうしわけありません」
「公僕としての責任にかけてるんじゃないですか?」
「申し訳ありません」
一般廃棄物の収集はすでに市役所の職員ではなく受託業者が行っていることすら知らない人間が日頃の憂さ晴らしのためのサンドバックに怒りを叩きつける。電話口の人間がその事実を告げると増々威丈高に怒鳴りつけた。
「口答えをするな。俺達の税金で食べてるくせに」
ゴミの収集を請け負っていた横山クリーンサービスの社長が呼び出され、環境部事業課長の苦々しい顔と向き合った。横山社長は深々と頭を下げて詫びを入れる。
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「いくら頭を下げられてもね。毎日役所に電話が鳴りっぱなしでうちも困ってるんだよ」
「本当に申し訳ありませんでした」
「来年は分かってるよね」
「……入札は遠慮いたします」
事業課長の顔に安堵が浮かぶ。業者が自発的に辞退するなら問題ない。それでこの会社の業績がどうなろうと知ったことか。
会社に戻った横山社長は弟の総務部長を通じて、缶コーヒーを飲んでこの窮地を作り出した高坂信次にクビを申し渡した。まじめで薄給に不平も言わず黙々と働くいい奴隷だったが仕方がない。来期は遠山市役所の案件を受注できない以上、人員整理をする必要もあった。
こうして高坂は会社を追われて路頭に迷うことになる。立ち寄った安食堂で映りの悪いブラウン管の画像を見ながら自分の身の不幸を呪った。昼の情報番組では高坂のことなど無かったかのように芸能人の覚せい剤疑惑の追及をしていた。瞬間的に消費されるコンテンツとして高坂の人生は終わる。
そのことをこの時点では敦は知らない。自分が投稿したことなどすっかり忘れていた敦が8月のことを嫌でも思い出されせられるようになったのは10月に入ったある日のことだった。ある日を境に短文投稿アプリに罵倒の言葉が並ぶようになる。
<人殺し>
<クズ。お前もさっさとシね>
<人生終了のお知らせwww>
<ボクちゃん、やっていいこととわるいことはくべつしましょうね>
混乱する敦だったがやがて事情が判明した。小学生の女の子を残して裕福な夫婦が惨殺されるという事件が9月にあり、ワイドショーを騒がしていたが警察の捜査により、その容疑者が高坂信次と判明したのだった。現場に残された凶器に残されていた指紋からほぼ間違いないと断定される。肝心の高坂の身柄は確保されていなかった。
そして、インターネットの海から誰かが、この高坂という男が勤務中にコーヒーを飲んだことを非難されていた男と同一人物であることを探し出したのだ。再び注目を集める投稿。そして、会社を首になった高坂が行き場を失って破れかぶれになり、金銭目的で強盗に入ったものだと推定された。
両親を失ったいたいけな少女への同情とこのような凶行に及んだ高坂への非難の声で世間は沸騰するが、その中から小さな声が生まれて拡散を始める。
<そもそも、缶コーヒーを飲むことがクビになるほど悪い事か?>
こうなると世間は手のひらを反す。いつどこで凶行に及ぶか分からない人間がいるという事実は飲み込むには苦く難しい。本来ならば受ける必要のない過酷な処罰を受けた人間がやむを得ず行った犯罪。そのような理不尽な取り扱いをしなければ起きなくて済んだ事件。じゃあ、この惨劇を引き起こしたのは誰だ?
敦の投稿が掘り起こされ、敦の軽率な行動を咎める声が大きくなる。
<そもそも勝手に取った他人の写真をアップするとか常識ないよな>
<だいたい偉そうに言える立場なのか?>
<こいつ遠山第一高校の生徒らしいぜ>
敦は慌てて投稿を削除するが、広く拡散されたコピーの投稿は残されたままだ。しかも、プロフィールや過去に投稿した写真には迂闊なことに敦を特定できる情報が山のように含まれていた。友人だと思っていた連中は早々に離れていき、メッセージを送ってもブロックされるようになる。
敦はアカウントも削除したが手遅れだった。学校が特定され、学年が判明し、フルネームがバレる。そして、自宅住所までが特定されてしまった。昨年の冬に珍しく大雪が降ったのにはしゃいで自室の窓から撮った写真を投稿したのを掘り起こされたのだった。
不幸なことに相変わらず高坂は捕まらず所在も明らかになっていなかった。そうなると世論をぶつける相手としては甚だ都合が悪い。もちろん、一番悪いのが高坂だということは誰もが頭では理解している。でも、その感情をぶつける相手が透明人間である以上、他の適当な相手ではけ口を満たすしかない。
両親を失った少女の代理人を務める弁護士が少女の今の気持ちを代読すると盛り上がりは頂点に達する。お父さん、お母さんを返して。ネットリテラシーに欠ける未成年が引き起こした悲劇として、高校生のSNSの使い方をきちんと指導すべきだとの声も大きくなる。投稿した時に尻馬に乗っていた誰もが口をつぐみ、世間すべてが敵になった。
そんなある日のこと、自宅の壁への落書きを消すように両親に厳命された敦は郵便受けに手書きのメモが入っているのを見つける。郵便受けにもゴミが投げ込まれていた。ルーズリーフに走り書きしたメモにはこう書いてあった。
「見つけたよ」
恐怖の缶コーヒー 新巻へもん @shakesama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
新巻へもんのチラシのウラに書いとけよ/新巻へもん
★106 エッセイ・ノンフィクション 連載中 261話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます