KY牧場の決闘

賢者テラ

短編

 佐野満夫は、受話器を置いてから、ウキウキしていた。

 明日、美容院「アフロディーテ」に予約を取ったのだ。



 今年、大学の三回生になる満夫は、ルックスは決して悪くない。

 むしろ好感の持てる部類に入ると言えなくもなかったが、ただ一つ致命的な欠点があった。

 彼は、 『オシャレ』というものに全く関心がなかったのだ。

 まず、服を自分で買いに行ったことがない。

 母親が買い与える服を何の抵抗もなく着る、という小さい頃からの習慣がいつまでも続いてきていた満夫は、焦った。

 友人との会話の中で、「自分のほうがマイナーなのだ」とやっと悟った満夫は、あわてて母親に「二度と買ってくるな!」と説得し、自ら店でチョイスすることと決めた。

 髪を染める、などという発想もしたことがなく、ましてや髪型を工夫したり、ヘアワックスをつけるなどということは、アンドロメダ星雲の彼方であった。



 ある日、同じゼミを聴講する女の子から、こう言われた。

「佐野くん、美容院とか行ってみれば?」

 そう言われた満夫は、ビックリした。美容院なるものは女性しか入れないものだ、という勝手な思い込みがあったからだ。

「何言ってんの! きょうび男性だって、よく行くよ。いっぺん行ってみなよ! そしたら随分イメージ変わると思うけどなぁ」

 そう言われてみて、満夫はようやく「自分の外見を磨く」ということに目覚めだしたのだ。



 ある程度オタクな資質のあった満夫は、近所の美容院にすぐ行く、ということをしなかった。

 彼はネットで、近郊のあらゆる美容院の情報を検索。口コミなどの評判や、果ては店の外観や内装、宣伝の仕方なども、店選びの材料となった。

 そうして、満夫のお眼鏡にかなったのが……彼の住む町からは電車で30分もかかる、E市にある「アフロディーテ」だったのである。

 小心者で恥ずかしがりやの彼は、プッシュホンに電話番号を何度も打ち込んでは、途中でやめた。そのうち、過呼吸症候群にでもなったかのようにハァハァと息遣いが荒くなりだした。

 もし母親か妹がその姿を見れば、アダルトなテレホンサービスでも利用しているのか、と思われてしまったことだろう。

 でも30分をかけて何とか予約の電話を入れることに成功した。

 決して、彼自身の努力と決意の賜物ではない。バイトの時間が迫っていてこれ以上ぐずぐずできない、という事情が満夫の背中を押しただけだ。



 予約の当日。

 アフロディーテの入り口の自動ドアをくぐった満夫を待っていたのは……

「いらっしゃいませ。ご予約くださっていた佐野様ですね? 担当のスタイリストをさせていただきます小峰と申します。よろしくお願いしますね」

 満夫は息を呑んだ。きれいな長い髪の、お姉さま系の美人だった。

 あ、仕事が仕事だから、髪の手入れが行き届いているのは当たり前か。

 その後数時間、満夫は至福の時間を過ごした。

 それまでは二千円もかからない地元の理髪店で、おっちゃんかおばちゃんにしか髪を切ってもらったことのない満夫は、美人のお姉さんに髪を切ってもらい、そのしなやかな指で頭まで洗ってもらえることに深い感動を覚えた。



 ……美容院って、いいなぁ~。



 カラーリングとカットを含めて、一万円かかった。

 でも、満夫は満足だった。これからも小峰さんに髪を見てもらえるのなら、バイト頑張ってでも通い続けよう、そう思った。



 しかし、ひとつだけ問題があった。

 ひとつだが……そのたった一つが、恐ろしく重大かつ深刻な問題だった。

 彼には、『霊感』があった。

 そういう体質に生まれついたのかどうかはしらないが…アレが 『見える』 のだ。

 満夫がアフロディーテに通いだしてから、気付いたことがひとつあった。

 小峰さんの周りを、20代後半から30代前半と思われる男性が、くっついて歩いているのだ。

 無論、それは満夫以外には見えていない。



 悪いことにその男も、満夫が特別な目を持っていることに気付き、何だかわけの分からない対抗意識を燃やしだした。

 カット中は満夫が動けないのをいいことに、目の前でヘンな顔をしてみせたり、目を背けたくなるような卑猥なダンスを披露したりしだした。

 これには、満夫も閉口した。

 普段見える霊どもは、見えるというだけで特に干渉はしてこないのがほとんどだ。

 ここまで積極的にちょっかいを出してくる霊は、初めてだった。

 お人よしではあるが負けず嫌いな性格であった満夫は、だからといって店を変えるなどということをせず、意地をかけてせっせと小峰さんの店へ足繁く通った。



 さて、通いだしてから来店も5回目を数えたある日のこと。

 満夫は、もう我慢できなくなった。

 シャンプー台で髪を洗ってもらう時、テッシュに似た薄い紙を顔にかぶせられるのだが——

 何度も、勝手にあごの方にズレていくのだ。

 あごと唇の肉を器用に駆使して、なんとか紙を元の位置に戻す満夫。

 その努力をあざ笑うかのように、完璧に戻った瞬間にズルッと下がる。

 しまいには、紙の端がこより状にとがり、満夫の鼻の穴に進入してきた。

 ブハックション! 満夫は最大出力で、紙を上空に噴射した。

「あら? ヘンねぇ」

 小峰さんも、不思議な現象に戸惑った。

「こんなこと、初めて」

 心に何か引っかかりを覚えた満夫は、質問した。

「あの、僕以外で、担当されている男性客って、結構いらっしゃいます?」

 小峰は初めキョトンとしていたが、ややあって答えてくれた。

「今のところ、佐野様だけですよ。それが何か?」



 ……やっぱりか~!



 満夫は、ガックリと肩を落とした。



 髪にヘアカラーリング剤が塗られ、放置の時間になった。

 小峰が満夫を離れたタイミングで、男の霊とコンタクトを試みることにした。

 念を飛ばしさえすれば……向こうがその気なら必ず返事は返ってくる。



「オジサン。こないだからさぁ、何か恨みでもあるわけ?」

「……お主に恨みなど、ない」

 テレパシーのように、言葉が頭に入ってくる。

「ただ、涼香(すずか)殿を拙者から奪おうとするやつぁ~、ぜえったいにぃ、許さぁぁぁん!」

「取るわけないじゃんか! オレはただの客だし」

 そう言いながらも、『そっか。小峰さん、下の名前はスズカさん、って言うんだ~』 などと、内心鼻の下を伸ばしていた。そういえば、5回も通ってるのに何で今まで下の名前知らなかったんだろう?



「それはそうと……オジサン、いつからここに?」

 これはどうも地縛霊だな、と感じた満夫は聞いてみた。

「太閤様が世を治めてた時代から」

 ブッ。っていうと、豊臣秀吉の時代か?

「オレはね、このお店の客、なの! 昔でいう髪結い所! だから涼香さんとは何の特別な関係でもないの!」

「いやいや。そんな理屈にはごまかされませんぞ! お主の涼香殿を見る目は、はっきり普通とは違うておるわい!」

 安土桃山時代生まれのはずの男は、不思議と現代風の服装をしていた。

 幽霊は一般的に思われているように透けてなどなく、普通の人のように満夫にはハッキリ見えていた。

 ただ、実体がないだけである。



「でも、オジサン。その服、上下ともユニクロで千円の服じゃん。せっかく自在に変えられるんだからさぁ、もうちょっと情報仕入れたらいいのに」

「なぬっ、ユニクロとなっ。すると、これは町民風情の着る装束なのだなっ! 不覚であった、拙者の勉強不足! これでは涼香殿に顔向けできぬわい……」

 ガックリと膝を突いて無念を体中で表現する男を、満夫は慰めた。

 今度、最近の流行の服が載っているメンズ雑誌を持って来ようと約束した。

 よく見ると、ユニクロの服を着た男性の見習い美容師がすぐそばを通ったのを見て、なるほどと合点した。

「拙者は、この場所から動けんのじゃ。だから、ここで見たり聞いたりするもの以外は学べんのじゃ……」



 しばらく会話した二人は、なんだか打ち解けた。

「ところで、モノは相談だが……お主に一つ頼みがある」

 男は、声をひそめてそう聞いてきた。

 僕ら以外には聞こえないんだから、別に小声でなくても……

「お主を男と見込んで、ひとつ『お使い』を頼みたいのだ」 

 ……はぁ。

 ま、確かに地縛霊はここから動けないだろうから、離れた場所の用事を人に頼む、ということはあるだろうけど。

「できなくはないだろうけど、それって遠いの?」

「いやもう、近いのなんの! もうあっという間じゃ」

 何だか、男は焦っている。何か、隠してるんじゃ?

「あ、いや正直な話、お主がその使いを果たしてくれたなら……拙者はここを離れて成仏できるのじゃ」



 ……なるほど。

 人より霊感のある満夫には、男の言うことが理解できた。

 人は、現世に心残りややり残したことがあってあの世に行けない場合、現世に生きている人間に働きかけ間接的にそれを果たすことで、納得して成仏できるんだと——

 ま、一肌脱いでやるか。

 霊界での黄金率は『人からして欲しいと思うことは、他人にもそのようにせよ』だし。

 言葉にしてないのに、満夫の内心の思考を読み取った男は嬉々として言った。

「おおっ、かたじけない! それでは、その場所に早速ご案内いたす」



 急に、満夫の目の前の視界がグルグル回った。

 テレビの電源がプチン、と切れたかのように、全てが暗転した。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「お前か。今度この町に来てくれた新任の保安官、ってのは」

 目の前の、ヒゲ面のたくましい体つきの男は、葉巻をふかしながらそう声をかけてきた。

「よろしくな、オレの名はモーガン。あんたのうわさは聞いてるぜ。スゴ腕のガンマンなんだってな」



 満夫は、気が付いたらいきなり、この状況に置かれていた。

 見渡す限りの平原。建物なんてほとんどない。

 遠くには、牛の群れ……いや、ちょっとちがうな。

 勘違いじゃなきゃ、あれは『バッファロー』か?

 モーガンと名乗った男は、満夫に握手を求めてきた。

 ひきつった笑いを浮かべながら相手の手を握った満夫は、事態を把握しようと質問してみた。

「モーガンさん。ちなみに、今西暦何年?」

 ハハハ、と大笑いをはさんで、モーガンは手にしていたライフルを肩に担いで言った。

「1881年だよ? ワイアットさんもヘンなこと聞くねぇ。とにかく、帰って今後のこと相談しようや。マクラレン兄弟たちの最近の悪行は目に余るものがある。今こそ、正義が立ち上がる時だ! そう思わんかね?」

 満夫は、全てが日本語でOKなことを不思議に思った。



 保安官事務所にふんぞり返った満夫は、まず頭を整理にかかった。

 ……まず、今僕がいるのは、西部開拓時代のアメリカ、アリゾナ州。

 ここは、トゥームストーンという、南東部に位置する町らしい。

 この町には、カウボーイの一味であるマクラレン兄弟がいて、暴力で支配しているらしい。 

 ま、今で言う不良どもだ。暴走族と言ってもいいかもしれない。

 単にバイクが馬になるだけで、やることは今も昔もそう大差ない。

 ただし何より頭が痛いのは……僕がこの時代では、悪いやつらを倒すためにやってきた勇敢な保安官、という設定になっていることだ!

 ご丁寧に名前まで付いている。ワイアット・アープという……なんだかこそばゆい名前である。

 冗談じゃない!

 運動もそれほど得意じゃないし、ましてや拳銃なんて撃ったこともないよ!?

 満夫は頭を抱えた。



 ……どこがちょっとしたお使いなんだよ! 命がけの戦いじゃないかぁ!



「カンザス州からいらっしゃったんですって? 長旅、さぞお疲れになったでしょう?」

 横手のドアが開いて、ブロンドの女性がコーヒーを持って入ってきた。

 ハイハイ。確かに疲れましたとも。カンザス州じゃなく120年ばかり後の日本から来たんですけどね……

 満夫は、何気なく彼女の顔を見つめて、びっくりした。



 ……エッ、涼香さん?


 

 その姿は、金髪で目が青いという点を除いて、担当スタイリストの小峰の顔と瓜二つであったからだ。

「私は、クレア・ハミルトン。よろしくね」

「あ、ああ。よろしく」

 満夫は照れながら、差し出されたきれいな白い手を握った。

「あーっ、お姉ちゃん、ズル~イ! 私も紹介してよう!」

 クレアの足元から、急に元気いっぱいの女の子がピョコン、と飛び出した。

「そうそう、この子はスージー。可愛がってあげてね」

 紹介された10歳の女の子スージーは、エヘッと笑って、満夫にピタッとしがみついてきた。

 日頃、実の妹からは憎まれ口を叩かれ、散々な目にあわされていた満夫は、妙に感激した。



 クレアは事務所内の大机にもたれかかり、美しく長い髪をかき上げる。

 満夫はそんなクレアに見とれて、鼻の下を伸ばした。

「さすがは保安官です。大きな戦いを前にしても、緊張なさらず常に平常心なんですね——」

 尊敬の眼差しを送ってくるクレアに、満夫は居心地の悪さを感じた。

 単に、だらしのない想像をしてしまっただけなのだが。

「私、あなたがこの町に来てくれて本当によかったと思ってるの。マクラレン兄弟のせいで、私たちには心休まる日がないの。あの世紀の大悪党、バルマー・ウェインを倒した英雄のあなたなら、きっと私たちを救ってくださるはず」



 ……あの、それやったの、多分僕じゃないんですけど!?



 満夫は、自分のからだを見て、ウンザリした。

 頭からつま先まで、西部の保安官スタイルになっていた。

 これじゃ、趣味の悪いコスプレだ。

 変な革ジャンにジーンズ、黒いブーツ。

 重い銃が、腰に巻かれたホルスターの中に納まっていた。

 銃を抜いてみる。

 S&W(スミス・アンド・ウエッスン)。

 最も初期のタイプのもので、38口径。

 ……僕にこれが扱えるだろうか。なにより、人を撃てるだろうか?

 再びドアが開き、モーガンが声をかけてきた。

「ワイアットさん。ちょっと近くの酒場に場所変えて、打ち合わせしようや」



「SIPPY SALOON (シッピー・サルーン)」。

 あまり上手ではない文字がのたくった看板が、ギイギイ音を立てている。

 満夫は周囲を見て、TDLのウェスタンランドにでも紛れ込んだかのような錯覚を覚えた。

 アレの、地面が舗装されてないバージョンだ。

 足元はまるで学校の校庭っぽい。

 時折吹き付ける風が砂埃を巻き起こし、いかにも西部の町らしい雰囲気をかもし出している。



 二人は、腰の高さあたりに取り付けられている小さな両開きのドアをくぐった。

「あら、いらっしゃい。そちらは確か、新しい保安官の——」

 モーガンに紹介してもらい、このバーの女主人、ステラと握手を交わした。

 彼女は、日中と夕方は酒場のマスターをしている。

 しかし夜は娼婦…つまり現代のソープ嬢のようなことをしているのだ。

 こっそり耳元で「よかったら今晩どう?」とささやかれた満夫は、男の子の性(さが)でよっぽど「ハァイ」と言いたくなった。しかし、何とか思いとどまった。

 これから立ち向かう事態を考えれば、それどころではない。

 何も知らずにこの世界に放り出された自分には、物的にも精神面でも準備すべきことが山ほどある。それに何より、満夫の心にはクレア……つまり涼香が住んでいたのだ。



 モーガンはグラスの中の琥珀色の液体をグイッと飲み干す。

 満夫はお酒がキライではなかったが、めっぽう弱かったのでジンジャーエールを頼んだ。

「やっぱり、ワイアットさんは違うねぇ。大事なところでは自制してしらふでいようとなさるんだもの」

 ステラにそう感心された。なんだか、さっきっから満夫が意識せずにやること成すこと全て、好意的にとられてしまっている。満夫は言いようのないバツの悪さを感じた。

 一休さんが新右衛門さんから『さ~すがは一休さんだ!』と持ち上げられまくるアニメの一場面が頭をよぎった。

「実はだな——」

 グラスをカウンターにコトンと置いて、モーガンは身を乗り出してきた。

「マクラレン一味が、大量の銃火器を武器商人から仕入れた、という情報が入った。手をこまねいていれば、早ければ明日明後日にもオレ達は襲撃されるだろう」



 ……ぶ、ハヤ! それじゃ銃に慣れておくどころの話じゃないな。



 満夫は、恐る恐る聞いてみた。

「ちなみに、前任の保安官は、どうなったんですか?」

「死んだ。やつらの銃に、風穴いっぱい開けられて」

 ちびまる子ちゃんが青ざめたような顔をして、満夫は天井を仰いだ。

 もし、キートン山田がいれば、バックでこうナレーションすることだろう。

「最悪である」



 満夫は、モーガンに尋ねた。

「この辺りで、銃のことに詳しい人って、いる?」

「ああ」

 先に反応したのは、ステラだった。

「ああ、いるとも。ちょっと偏屈な人だけどね……町外れに住んでるドク・ホリデーって男さ」




「アンタ、銃のことには詳しいな。気に入ったよ」

 次の日。

 早速問題の人物を訪ねた満夫は、なんだか妙に気に入られてしまった。

 素朴な人柄の満夫は、昔から偏屈と言われる人物には好かれた。

 それがまぁ、こういう所でも役に立ったというわけである。



「マクラレンの長兄、ウィリー・ザ・キッドは、あなどれねぇ。やつぁ腕前もいいが、それに加えてなかなかいい銃を持ってやがる」

 コルト・ガバメント——

 将来には、軍用としても汎用化されるほどのベストセラー。

 S&Wもけっしてひけをとらないのだが、精度と扱い易さでは、今の時代では残念ながら向こうの方が上だ。だが満夫には、未来に生きたという知識のアドバンテージがある。

「ドク。この銃筒に弾薬、改造できないかな? 弾も大きく火薬も多く。そして銃口自体ももっと広げるんだ」

 当時はまだ発明されていなかった44口径、つまりマグナムを作ってしまおうというのだ。

 ドク・ホリデーは腕組みをし、しばらく考えていた。

「そうだなぁ。出来なくもないが——。そんなこと試したやつぁ誰もいないからなぁ! それ以前に、威力はバカでかくなるだろうが命中率は落ちるし、何よりそんなもん撃ちまくったら、支える手首がもたねぇ」

「……僕に考えがある。協力してくれないかな?」



 その夜。

 満夫は、なかなか寝付けなかった。

 明日、いよいよマクラレン兄弟のいる『KY牧場』に向かう。

「空気読めない牧場」。トゥームストーンの町の人々は、そう呼ぶ。

 法により銃火器を取り上げに行くのだが、相手はまず素直には応じまい。

 撃ち合いは必至だ。



「……お兄ちゃん。隣り入ってもいい?」

 テディベアーのぬいぐるみを抱えたスージーが、横に入ってきた。

「ヘヘ。私も眠れないんだぁ。子どもなのに、おかしいでしょ?」

 二人は、ベッドから窓越しに星空を見上げた。

「お兄ちゃんの前いたところって、どんなところ?」

 そうだなぁ、とちょっと考えてから言った。

「銃も殺し合いも身近になくて、食べ物もたくさんあって困らないんだけどね……人もここより沢山あふれてるんだけど、お互いが関係ない世界なんだ。ここみたいに、町の人みんなが知り合いみたいな関係はないから、うらやましいな」

 スージーは目を丸くした。

「へぇっ、近くに住んでても知り合いじゃないんだ? そんな世界、なんかやだなぁ」

「確かになぁ」 

 満夫は改めて、当たり前と思っていた現代という時代のゆがみを憂えた。




 朝になり、空は少し曇りだした。

 KY牧場の入り口に佇む三人の男たちの前を、風が吹き抜けた。

 木の葉を揺らし、宙に浮かしたその風は、どこへともなく消えてゆく。

 満夫は両端の二人に合図を送った。

 モーガンはライフルを抱えて建物の裏手へ。

 ドク・ホリデーは姿勢を低くし、ドアの横で腰を落とし、リボルバーを構えた。

「マクラレン兄弟! 保安官のワイアットだ。法の下、お前たちに命じる。今すぐ違法な銃を全部差し出すんだ」

 答えはなかった。

 ただ、風が牧場の看板をカタカタと揺らし、草のそよぐ音が聞こえるのみ。



 その時。

 満夫は感じた。



 ……来る!

 


 轟音が迫るのを待たず、満夫は半身をひねって地面を転がった。

 立ち上がったドクはドアを蹴破り、続けざまに三発、怒りの銃弾を叩き込んだ。

 ベッドに流れた銃弾は、羽毛の雨を室内に降らせる。

 しかし、ドクはその一瞬のスキを見逃さなかった。

 室内を左に走りながら、銃口はただ一点を指し続けた。 



 ドウン! ドウンドウン!



 ドクは涼しい顔で、一人また一人と血祭りにあげていった。

 兄弟一味からの反撃の銃弾が、木の壁に黒々とした穴を空ける。

 たけり狂う銃声の嵐の中、満夫は、建物から突き出たテラスを全力で駆け抜けた。

 ドクとアイコンタクトをし、彼の反対側の窓へ駆ける。

 その間、僅か2秒——



 ……間に合った!



 右足で力いっぱい踏みとどまり、半身を返した満夫は、背中が無防備の敵を視界に収めた。

 引き金を引いた瞬間、相手の姿は弾けたように吹っ飛び、壁にぶち当たって跳ね返った。

「…おい。あと何人だ?」

 すでに二階へ上がっていたモーガンは叫んだ。同時に、ドクの声がドアの向こうから聞こえる。

「長兄のウィリー・ザ・キッドだけがいねぇ! あとは手下も弟達もみな始末した」

 ヤツは必ず、どこかにいるはずだ。



 その時。

 納屋で女性の悲鳴が聞こえた。

 あれは……聞き間違いようがない。

 そう。クレアの絶叫だった。

「いいところまで来たが、残念だったなぁ。保安官よぉ」

 クレアを抱え、拳銃を突きつけながら不敵な笑みを浮かべたウィリーを前に、満夫は動けなかった。数秒送れて駆けつけたドクとモーガンも、固まった。

「……少しでも動いてみろ。このお嬢さんの命はねぇ」

 満夫は、唇をかんだ。

「ごめんなさい、ワイアットさん。私、どうしてもあなたの役に立ちたくて……でも、結局足引っ張っちゃったね」

 ウィリーは一歩づつ、納屋から後ずさりをした。

 クレアを人質に、この場から逃げおおせるつもりだ。

「ヘッ。そんなバカでかい銃でオレに勝てると思うのか? 威力はすごいだろうが、その分ちゃんと当てられる可能性は低いぜ?」

 満夫は、マグナムを使うに当たって、何の対策も立てなかったわけではない。

 細いロープで手と銃をグルグル巻きにして固定し、手首のブレと衝撃を押さえる工夫をしていた。

 そして、さらにもう一つの工夫があった。

 銃口を切り詰めて、いわゆる『散弾銃』のように改造していたのだ。

 遠くを撃つのには不向きだが、接近戦では絶対の威力があった。

「ワイアットさん! 私のことはいいから……こいつをやっつけて、平和を守って!」



 満夫の目には、それが永遠の時間に見えた。

 クレアが、ウィリーのみぞおちに、肘鉄を食らわせた。

 驚愕の表情を浮かべるウィリー。

 怒りの血が登り、発作的に引き金にあてがった指に力がこもる。  

「クレア!」



 ……涼香さん!

 僕は、まだ5回しか店で会ってないけど、あなたのことを見ていたよ。

 憧れにしか過ぎない感情だったかもしれないけど。

 何をしてあげたわけでもない。誇れない感情かもしれないけど——



 満夫は床を蹴って、もつれ倒れようとしている二人のもとへ手を伸ばす。

 頭の不自然に折れ曲がったクレアは、白目を向いて崩れ伏す。



 満夫は気付いていた。

 すでに自分の胸を、ウィリーの銃弾が貫通していたことを。

 そんなことは、もうどうでも良かった。

 満夫はただ一つだけのことを考えた。

 死んでも、この腕が砕けても、僕はウィリーを止める。

 心臓も、思考も停止していた。

 ただ、腕だけで考えた。

 満夫が最後に想ったのは、涼香の笑顔だった。

 そして、最後にしたことは、ただ引き金を引くことだった。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



「……佐伯さん、よく寝てましたねぇ」

 満夫の顔を、涼香が覗き込んでいた。

「あらやだぁ、満夫さん泣いてますよ。何か、悲しい夢でも見たんですかぁ?」



 ……あれ。僕、生きてら。



 ようやく、髪染めの放置タイムが終わって、小峰さんが戻ってきたところのようだ。……ということは、あの出来事はたったの20分そこらのことだったの?

 文句を言ってやらなきゃ、と思ったが、あの男の姿は影も形もなかった。

 恥ずかしさを隠しながら、一通りの施術を受けた満夫は、また来ますねと言って「アフロディーテ」を後にした。

 涼香の笑顔が、まぶしかった。



 駅前の大通りを歩いていると、意外な人物に声をかけられた。

「ヨッ! お兄ちゃん」

 ゲッ。 スージー? 何で現代に?

「あの大昔の男の人、そそっかしくてね。Cクラスの試練のはずが、間違えて特Aクラスのやつにお兄ちゃんを召還しちゃったのよ。お兄ちゃん、タイヘンだったねぇ。あの人、もう昇天しちゃったから会えないけど、よろしくって」



 それを聞いて満夫は、ヘナヘナと体の力が抜けた。

 ……僕はそんなタイヘンなもの背負わされてたんかい!

「でもね、お兄ちゃんがそれをクリアしてくれたお陰でね、沢山の魂が救われたんだよお。みんな、ありがとねってお礼を言いにきてるよ」

 スージーの後ろを見ると、幽霊たちが笑顔で手を振っていた。

 モーガン。ドク・ホリデー。ステラ。クレア。

 なんと…あのウィリー・ザ・キッドまで。

「お兄ちゃんがママを想う気持ちが本物だってわかってよかったよ! これからも大事にしてあげてねぃ」

 満夫は固まった。エッ、クレアはお姉さんじゃないの……?

「バカぁ、あの世界では妹の役だったけど、ホントの私は子供。だからぁ、ママに当たるのね」

 スージーは、スキップして走り去り、やがて消えていった。

 最後に、一言こういい残して。


 

「私のお母さんの名前は佐野。旧姓は小峰。

 お父さん、ママを大事にしてね。

 そしてちゃんと将来、ワタシを生んでよね——」



 最後にみたスージーの髪は黒く、顔立ちも日本の子どもであった。



 満夫の足元の落ち葉を、風がさらって、空へ巻きあげていった。





【あとがき】


※この作品に登場する美容師・小峰涼香と美容室『アフロディーテ』は、過去の短編にも登場しています。そちらも併せてお読みいただけると、いっそうお楽しみいただけます。


 → 短編小説『変身』という作品を、筆者の作品ページよりお探しください。

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