オカルティクスの魔女~魔女は死なない~

猫柳蝉丸

本編





 私達は恋を続けていく――





    ◇



「おはようございます、信一さん」

「おねえちゃんは、だれなの?」

「私はゆかり、日野ゆかりって言うの。宜しくね、信一さん」

「うん、よろしくね、おねえちゃん。……あれっ、ぼくのなまえ、どうして知ってるの?」

「それはね、私と信一さんが運命で結ばれた関係だからよ」

「うんめい?」

「そう、運命。今は分からなくてもいいわ。少しずつ分かってくると思うから」

「……うん、わからないけどわかったよ、おねえちゃん」

「いい子ね、信一さん」

「そういえばおねえちゃん」

「どうしたの、信一さん?」

「おねえちゃんの目、きれいな色なんだね。むらさき……?」

「これはね、藤色って言うのよ、信一さん」

「ふじ色?」

「ええ、淡い青味がかった紫色。強い生命力を秘めた色の事よ」

「……そうなんだ?」

「そう、そうなのよ。藤色は高貴な力を宿しているの。そうだ、それより信一さん、そろそろ信一さんのお父様とお母様を探さないといけないわね」

「おとうさんとおかあさん?」

「すぐに見つけてあげるわ、信一さんの素敵なお父様とお母様を。これから長いお付き合いになるんだもの。ちゃんと念入りに探してあげますからね」

「う、うん……」

「それでは向かいましょう、信一さん。手と手を繋いで、素敵な未来に向かって」



     ◇



 私は魔女だ。

 藤色の瞳の魔女。

 人類の中に稀に発現する特殊能力者。

 とは言え、私自身も藤色の魔女の事を多く知っているわけではない。

 藤色の魔女は極ありふれた人間の中から自然発生的に目覚める事。

 死者を蘇らせる事以外の魔法であれば、ほぼ何でも使用出来るという事。それこそ時間を巻き戻す事だって可能だろう。精神力を大幅に消耗するみたいだから、時間を巻き戻そうと考えた事は無いけれど。

 そして、本当に奇妙な話なのだけど、想い人と想い合い、その想い人が死ななければ私自身が死ぬ事が出来ない。つまりは半不老不死というわけである。数度人生に飽いて試してみたけれど、自殺する事は出来なかった。魔法で脳髄を焼き尽くしてみても数日後には元通りになっていた。藤色に相応しい強靭な生命力というわけだ。

 どうして藤色の魔女がこの世界に存在しているのかは分からないし、興味も無い。

 そういうものとして存在しているのだから、そのままに受け容れるしかない。

 ただ一つ思っている事はある。

 ひょっとしたら何処かの身勝手な神様の願い、或いは呪いなのかもしれないと。

 神様は見てみたいのだろう。真実の愛というものを。文字通り想い人を死ぬまで愛し続けられるか、無作為に選んだ人類の女性を試しているのだ。特別な力を与えてやるから、それらを全て駆使して誰かを愛し尽くしてみせろと。

 本当に、本当に、意地の悪い神様。

 いいだろう、と私は思う。

 誰かを死ぬまで愛せと言うのなら愛してみせよう。

 想い人が死ぬまで愛し終えた結果、私も想い人と共に消えるという俗に言う永遠の愛が見たいのなら見せてあげるのもやぶさかではない。これまで何度も失敗してまったけれど、今度こそは意地悪な神様に御照覧させてみせようではないか。

 そうして幾百年流離った結果、私は巡り会えたのだ。

 私が心の底から愛せる人、即ち信一さんに。

 一目見た瞬間、この人こそが私が最期に愛する人だと確信した。

 信一さんの年齢が八歳である事も、何の問題にもならない。

 人間はすぐに成長する。私と釣り合いの取れる年齢まで成長するなんてすぐなのだから。

 私は信一さんを愛する。あらゆる魔法を駆使して、最期の恋を全うしてみせる。

 さあ、御照覧あれ。

 これこそ私が見せる最期の永遠の愛なのだ。



     ◇



「ねえ、ゆかりさん」

「どうしたんです、信一さん」

「ゆかりさんはどうして僕にこんなにまでしてくれるんだい?」

「こんなにまでとは?」

「お父さんから聞いたよ、ゆかりさん。僕が留学出来るよう取り計らってくれたらしいじゃないか。それも留学資金まで用意してくれるなんて。僕はゆかりさんにそこまでしてもらえるほどの男子だとは自分でも考えられないよ」

「ずっと言ってるじゃないですか信一さん。信一さんは私の運命の人なんです。信一さんの幸せこそが私の幸せで、信一さんの望む事こそが私の望む事なんです。そのために行う事なんて何の負担にもなりませんわ」

「けれど、それじゃああまりにもゆかりさんに申し訳ない」

「気にしないで下さい……というのは無理ですわね。信一さんはそこまで無神経ではありませんもの。でしたら信一さん、一つ私と約束してくださいませんか?」

「約束?」

「ええ、約束。私にそこまでしてもらえるほどの男子と思えないのでしたら、私にそこまでしてもらえるに相応しい男子に成長なさってください。そうすれば信一さんは何の負い目も感じる必要など無くなるでしょう?」

「それは……難題だね」

「信一さんなら成し遂げられると私は信じておりますわ」

「分かったよ、ゆかりさん。不肖鎌倉信一、ゆかりさんに目を掛けられるに相応しい日本男児になってみせるよ」

「期待してお待ちしておりますわ」



     ◇



「ゆかりさん」

「どうしましたか信一さん?」

「ゆかりさんから見て、今の僕はどうかな?」

「素敵な男性だと思いますわ。五年前の約束、守って頂けて感無量です、信一さん」

「ゆかりさんのおかげだよ。ゆかりさんに恥じない男子であろうと鍛錬した結果、不相応に高い地位に就く事まで出来た。ゆかりさんが僕をずっと支え、励ましていてくれたおかげだと思う。ゆかりさんには本当に感謝してもし切れない」

「いいのですよ、信一さん。私と信一さんは運命で繋がれた関係なのですから」

「その運命……、更に深める事は出来ないかな?」

「と言うと?」

「ゆかりさんともっと深い関係になりたいという事だよ。ゆかりさんから見れば僕なんてまだまだ若造かもしれない。それでもこれ以上この気持ちを胸の中に秘めておく事など出来そうもない。だから言わせてもらうよ、ゆかりさん。僕と、結婚してほしい」

「あらあら」

「駄目……かい?」

「いいえ、そのお言葉、ずっとお待ちしておりました、十五年間も」



    ◇



「本当にするのかい?」

「ええ、記念式は何度開いてもおめでたいものじゃないですか」

「けれど気恥ずかしいね、銀婚式なんて」

「いいじゃないですか、子供達も招いて盛大な式にしましょうよ。子供達が独立してもう三年以上になりますし、会える時に会っておかないと。私達ももうお爺ちゃんとお婆ちゃんですもの。お迎えが来るまで後悔の無いように生きませんとね」

「それもそうなんだけどね……」

「ねえ、信一さん」

「何だい、ゆかりさん」

「今、幸せですか?」

「どうしたんだい、藪から棒に」

「いえ、私は信一さんの運命の人に相応しい女であれたか、不意に気になりまして」

「当然じゃないか、ゆかりさんはまさしく僕の運命の人だよ。ゆかりさんが居てくれたおかげで僕はずっと幸せだった。事業も順風満帆だし、子供達も健やかに育ってくれたし、その側にゆかりさんが居てくれた。これ以上望んでしまったら罰が当たってしまうよ。幸せだよ、僕は」

「私も幸せですよ、信一さん。幸福な事は何度経験したって素敵なものですものね」

「お迎えまでもう長くはないかもしれないけれど、それまでずっと側に居てくれるかい、ゆかりさん」

「ええ、信一さんがそれを望むのなら。それこそ私の望みでもあります」



     ◇



「ゆかりさん」

「どうしたんです、信一さん」

「どうやら僕の方に先にお迎えが来てしまうらしい」

「もう……、ですか?」

「うん……、どうにかゆかりさんより長生きしたかったんだけどね……、身体中が悲鳴を挙げてるみたいなんだ。癌も全身に転移を始めたみたいだし、僕に残された時間はもう長くはなさそうだ。すまないね、ゆかりさんの方が年上なのに置いていってしまう……」

「いいんですよ信一さん、こればかりはどうしようもないじゃないですか」

「そう言ってくれると申し訳ないながら嬉しいよ、ゆかりさん……」

「米寿を越えたんですもの、十分過ぎるくらいですわ。最高記録になりますしね」

「最高記録……?」

「独り言ですわ。お気になさらないで、信一さん」

「そう……かい……?」

「ねえ、信一さん、一つお訊ねしてよろしいですか?」

「何だい……?」

「私の事、今でも愛してくださっていますか?」

「当然だよ……、当然じゃないか……。ゆかりさんは僕の運命の人、そして、永遠の恋人さ……。こんなに幸福な人生を歩める人間なんて、僕の他には居ないと思う……。愛している……、愛しているよ、ゆかりさん……」

「ありがとうございます、信一さん。私も、愛していますよ、永久に」

「僕もさ、ゆかりさん……」

「ああ、それにしても疲れたな……。ちょっと喋り過ぎたかもしれないね……」

「無理せずお休みになってください、信一さん。私が傍におりますから」

「すまないね、ゆかりさん……。少し目を瞑らせてもらうよ……」

「お休みなさい、信一さん。いい夢を」



     ◇



 信一さんの寝息を耳にしてから私は信一さんに魔法をかける準備に掛かる。

 これ以上粘っていては信一さんの寿命が本当に尽きてしまうかもしれない。

 それでは本末転倒だ。

 私は今回で七回目になる魔法を使うために精神を集中させる。

 言葉にしてしまえば吹き出してしまいそうになるほどありきたりで陳腐な魔法。

『若返りの魔法』を使うために。

 藤色の魔女である私には造作も無い魔法だ。

 藤色の魔女は人を生き返らせる事は出来ない。それでも人を若返らせる事は出来る。

 幾百年前、不意にそれに気付いた時、私は藤色の魔女の目的を果たすのが勿体無くなった。想い人が死んだ時、私自身も共に死んで永遠の愛を証明する。それは蠱惑的なほどに魅力的な愛の形だったけれど、本当の永遠と比較すれば取るに足らないものだった。

 だってそうでしょう?

 楽しくて素敵な事なら、何度繰り返したって幸福に決まっているのだから。

 運命の人の信一さんとの恋を何度も繰り返せるなんて、それ以上の幸福は存在しない。

 何度だって私達は幸福になって、何度だって私達は永遠の愛を証明し続ける。

 いつか飽きれば信一さんと死んでしまうのも悪くないけれど、今のところ飽きる気配は微塵も存在していない。それどころか人生を繰り返す度に、私の信一さんへの愛が深まるばかりだった。信一さんこそ本当に正真正銘運命の人なのだと確信させられるほどに。

 だから、私は繰り返すのだ。何度だって。飽きるまで。藤色の魔女の能力を使って。

 眠っている信一さんが私の魔法で若返っていく。

 幾百年前、私と初めて会った時の年齢である八歳まで。

 八十年以上振りに見る八歳の信一さんの表情は愛しくて、愛しくて、とても愛しくて、私の選択は間違ってなかったのだとまた実感させられた。

 私はこれから魔法で自分自身も若返る。初めて出会った時の肉体年齢まで若返って、信一さんが目覚めるのを待つ。若返ってこの八十年の記憶を喪った信一さんの前で微笑む。信一さんを育ててもらうのに都合のいいお父様とお母様を探しに行って記憶を魔法で改竄する。そうして信一さんとの八度目の人生を送る。

 それが、私と信一さんの永遠の愛の証明となるのだ。

 嗚呼、八度目の愛の証明が待ち遠しい。

 とりあえず目を覚ました信一さんへの最初の言葉はもう決まっている。

 ずっと決まっている。

 新しい人生への始まりの言葉を伝えるのだ。

「おはようございます、信一さん」と。









 私達は恋を続けていく――




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