七
慰霊祭が終わって一週間ほどした頃、アナンは約束どおり、カレルのもとを尋ねた。二人はまず材料確保のために、山に木を伐採するために出かけることにした。
アナンとカレルは台車を引きながら、島の北側にある森林に入っていった。うっそうと茂る北部の山は木材の宝庫だ。まだ、木材の伐採によって森林の面積が減っていくというようなことは、この島では当分起きそうもない。全ての労働が手作業であるこの島では、森林から木を伐採しても自然の再生力のほうが圧倒的に勝っているのだ。しかし、人間の文明が発展すれば、いずれ伐採のスピードは早くなってくる。そうなると、これまで世界の多くの文明が遭遇したように森林が減っていくことは避けられないのかもしれない。
アナンの試算では、今回はそれほど大きな木材を持ち帰る必要がないはずだった。最長でも一メートルくらいの木材を五、六本集めれば、風車の羽根作りには事足りる。恐らく、二時間ほど山を歩けば、今日の目的は達成できるとアナンは考えていた。
森に向かう途中、台車を引きながら、カレルはアナンに話しかけた。
「この前会ったときはすっかり言うのを忘れてたけど、まずはアナンにお祝いを言わなきゃいけなかった」
「え、何の話?」
「何のって、結婚だよ、結婚。クリスと婚約したんだって。慰霊祭のときアーロンが言ってたじゃないか。おめでとう。まあ、時間の問題だとは思ってたけどね」
そうだ、婚約してからもう二ヵ月半ほど経っているが、カレルには直接このことを話していなかったし、もちろんまだお祝いの言葉をもらっていなかった。アナンは照れを浮かべ、表情を緩ませた。
「ああ、ありがとう。そうだな、カレルにはまだ報告してなかったね。ゴメン。だけど、父さんが長老に選ばれてから、まだウチの仕事が大変で当分忙しそうなんだ。だから、結婚はもうちょっと先になりそう」
「さすがに長老は忙しいんだな」
「いや、父さん、かなり張り切ってるからね。今村中の灌漑設備の把握を行っているらしいんだ。周りからはそこまでやらなくてもって言われてるようだけど」
「大したものだよ。うちの親父は、家でゴロゴロしてるよ」
カレルから思いがけない言葉を聞いた感じがした。カレルは続けた。
「うちの区でも、少しは親父が長老になるのを期待してたようだからね。しかし、あの連中、手のひらを返すのも早いよな。いまじゃ、挨拶だってよそよそしい。全く腹が立つ」
「──正直、この件、君と話したくなかったんだ。だけど、やっぱり父さんが長老になったことを良く思ってないのか?」
「アナンの父さんは立派な人だよ。非の打ちどころのない人ってのはああいう人のことを言うんだな。うちの親父とはえらい違いだ」
カレルの嫌味に、アナンはむっとしてしまった。
「正直に言ってくれよ。僕は君とこんなことで仲違いしたくないからさ」
カレルは大きく息を吸って、口をすぼめてその息を吐き出す。明らかに不満げな雰囲気だ。
「この前アーロンがうちに挨拶に来たんだ。はっきり言うが、僕は失望したね。長老になったんだったら、もっと毅然としてりゃ良かったんだ。
アーロンはうちの親父を前に、ずっと頭を下げっぱなしだったぜ。これからもよろしく頼むだの、うちの息子と仲良くやってくれだの、何かあったら力を貸してくれだの、まさに平身低頭って感じだった。アーロンが帰った後、親父はそれでちょっと荒れたんだ。
うちの親父はね、もっと圧倒的な長老の風格で威嚇してもらいたかったのさ。そうすりゃあきらめもつくというもんだ。昔、田んぼのことでアーロンと親父が口げんかしたことがあっただろ。そのときはアーロンがすごい剣幕で怒鳴ったもんだから親父もタジタジだったもんだ。それが、長老になったら、やけに柔らかくなって、しかも協力してくれだなんて、人をバカにしてるよ……。いや、悪かった。アナンにこんなこと言うつもりじゃなかった」
「いいよ、話してくれてありがとう。確かに長老になってから、父さんは畏まりすぎているような気がする」
アーロンがザハールのところに挨拶に行っていたということは初めて聞いた。アナンは父親が随分、回りに気を使っていることに今更ながらに驚いていた。
カレルが言ったようにアーロンに頭を下げられたザハールの気持ちも分かる気はする。しかし、そんなことで腹を立てるザハールの器量こそ問題だったのではないか。アナンは心の中でそう思っていた。だから、いくら父親とはいえカレルがザハールの肩を持ってこんな話をしたことも、アナンには少々違和感があった。
いや待てよ、アナンはふと思った。今こうして自分がカレルを誘っているのは、アーロンの差し金だと思っているのではないだろうか。アーロンが、息子と仲良くやってくれ、などと話していた矢先に、アナンがカレルを尋ねれば、カレルがそう思うのも無理はない。もし、そう思っているのだとすれば、アナンが気を利かしてカレルのところを尋ねたのは逆効果だったのかもしれない。まるで、親子揃って気を使い過ぎているみたいだ。
でも、アナンはもうこれ以上この話をカレルとしたくなかった。何を話しても誤解は解けそうにない気がする。
二人はしばらく無口になり、北の山奥にどんどん入っていった。
三十分ほど歩くと、辺りは木々がうっそうと茂って、昼でもほの暗い森林の奥に二人は達していた。もちろん、この辺りまで来ると村の人間は誰一人としていない。この場所は木を伐採することしか人には用事のないところである。ところどころ台車が通った跡のようなものが見えるが、高々と生い茂る草木に遮られ、その進路はいずれも追うことが出来なかった。いずれの木も非常に太く、切り倒すにはかなり難儀しそうである。アナンとカレルはもう少し奥に進んで、細めの木を捜してみることにした。
しばらくすると、雑草の高さも低くなり、ジメジメとした雰囲気の場所になった。木々も少し細くなり、この中から数本切り倒せば、当初の目的にかなう木材は得られそうである。アナンはカレルに合図し、ここで木を切ることにした。
二人はまず四メートルほどある一本の木を切り倒した。その後一本一本枝を切り落とし、木の太い幹を真ん中で二つに分けた。直径二十センチ、長さ一メートルほどの長さの丸太がこれで二本得られた。
二人は同じようなサイズの木を探した。カレルが見つけたらしく「こっちだ」と叫んだ。アナンはそちらに向かい、木を見ると、ここからも同じような丸太が二つほど取れそうである。二人は、先ほどと同じようにこの木を切り始めた。のこぎりが奥まで達すると、木は葉が擦れる音を鳴らしながら、地面に向かって一気に倒れてきた。
そのとき、木が地面にぶつかる瞬間に、カーンと不思議な共鳴を持った乾いた音が鳴り響いたのである。アナンとカレルは驚いて顔を見合わせた。
「──なんだい、今の音は」カレルが言った。
「木の下に何かあるんじゃないか?」
そう言うが早いか、二人は今倒れてきた木を一緒に持って少し横にどかした。木が倒れたところには湿り気を多く含んだ地面しかないように見えた。二人は、足で踏み鳴らすように、それらの地面の上を蹴り歩いた。
アナンがさっきと似た音がする場所を発見した。土が覆いかぶさっているが、すぐ下になにやら箱のようなものが埋まっているらしい。しかも、この島では見たこともない金属性の箱である。
「こりゃあ、とんでもない物を掘り当てたなあ」
「掘り出してみよう」
「ああ、もちろん」
二人は好奇心の赴くままに、手で土をよけて、この金属製の箱の輪郭を浮き上がらせた。四角い箱の一辺が見えると、二人は顔を見合わせて表情だけでお互いの意志を確認した。そして今度は箱の周りを一心不乱に掘り始めた。
十分ほどして、箱は完全にその姿を見せていた。二人は箱を持ち上げ、そして地面の上に置いた。
「──さあて、これは何だ」
「ファーストビジターのものかもしれない。金属性の箱なんて見たことないし」
カレルの言うとおり、これがファーストビジターのものだとすると、大事件である。少なくとも、これ以上二人が勝手にことを運んではいけない。長老の指示を仰ぐ必要がある。実際、長老になると古くから村に伝わる様々な宝物や資料の在り処を知ることが出来るらしい。それらは全て長老によって管理されているという話だが、長老は決してその事実を明かさない。ただし、村で得体の知れないものを発見したら、まず長老に知らせるのがこの村の掟のひとつだ。
しかし、二人の好奇心は止まらなかった。もちろん、長老には報告するが、まずこの中身を見たいという気持ちを抑えることが出来なかった。
二人は箱のまわりを点検して、一つの平面が扉状になっていることに気づいた。しかし、その扉はまるで開きそうにない。細い隙間に爪を引っ掛けて開けようとしたが、全く扉はびくともしなかった。細木をあててこじ開けようとしたが、細木はあっけなく折れてしまった。
アナンはふと箱から鎖で繋がれている金属の板状のものに気がついた。これが、この箱を開けるときに何らかの役割を持っているに違いないと直感的に感じた。この金属板を持ち、箱の周りを再度見回すと、この板が突き刺さる平面状の穴を発見したのである。アナンは「鍵だ」とひらめいた。手に持っている鍵を鍵穴に刺し、左右に回してみたのである。その瞬間、箱はカチッという音を立てて、扉はゆっくり開いた。
中には本が十冊ほど入っていた。その他、紙が束ねられて封筒のようなものの中に入っていた。正直に言うと、二人はがっかりした。ファーストビジターはそれ以前のいろいろな文明が作り上げた機械を持っていたという話を聞いたことがある。木工好きの二人には、それはほんの少し魅力的な話だった。だからこの箱の中にも、見たことがないような機械が入っているのではないかと期待していたのである。
二人は手を服でこすって泥を拭ったあと、恐る恐る本を手にとって見た。二人にとって、活字で印刷された本を見るのは初めてだった。ファーストビジターが持っていたといわれている本は、恐らく長老によって保管されているはずだが、長老以外は見たことがない。
一度は機械ではなく残念な気分だったが、アナンは印刷された本の出来栄えに驚いてしまった。文字が全く形も乱れず整列しているのは、恐らくハンコのようなものを並べて各ページを印刷したのだろうと、アナンにも推察できた。しかし、そのようなことを行うような機械をアナンは想像することさえ出来なかった。
しかし、装丁もさることながら、本の内容に関して、アナンは全く理解することが出来そうになかった。「生物学」と題された本には、恐らく動物や人間の身体の仕組みについて書かれていたのだろうが、聞いたこともないような難しい単語が並んでいて、全くアナンには読解不可能だ。カレルも「進化論」という本を手にして入るようだが、アナンと全く同じように理解できなかったように見えた。
「なんなんだい、これは」カレルは首を振りながら、分からないという素振りをしていた。
「ファーストビジターの教科書なのかな。生物学って書いてあるし」
「何が書いてあるかさっぱりわからない。何々は、何々で、何々だ、ってくらいしか意味わかんないぞ」
「全くだ。でもこれ全部理解できたら、すごいことができるかもなあ」
「ファーストビジターってとんでもなく、すごい連中だったのか?」
「──どうだろ。でもそれなら、なんでその子孫の我々がこんなになっちゃってるんだ」
誰もが小さいときにファーストビジターに対して思う疑問が再び二人に湧いてきた。しかし、この村では日々の仕事に従事していれば、こんなことを考えても仕方がないと段々思えるようになってくる。二人ももうそろそろそんな年頃だったが、これらの品々の発見で、二人は子供時代の気持ちに戻ったように何故を連発している。
カレルは別の本を取り出した。アナンも「生物学」の本は元に戻し、その他の中から本を物色してみた。一冊だけ非常に薄い本を見つけたので、引っ張り出した。中を開けると、この本はどうやら印刷したものでなく、手書きで書かれたノートであることがわかった。しかも、中身はちらっと見ると日記風で、アナンにも読めそうな感じである。
表紙を開いて、そのすぐ裏に、次のように書かれてあった。
『伝えるべき歴史と、
伝えてはいけない歴史がある。
ここに書いてある全ては、果たして後者なのだろうか。
私にはわからない。
二○一七年九月二十日 アンディ・デイヴィス
南洋の楽園ゴルトムント島にて死す』
アナンは思わず顔を上げた。ファーストビジターの一人であるアンディが書いたものだ。ファーストビジターに関する記録はほとんど残されていないが、彼らの一人一人の名前は学校でも習ったし、教会の石碑にも書かれているから良く知っている。
しかし、アンディがどこでどのように死んだのかをアナンは知らなかった。この最初の文を読んだだけで、何かしらとてつもない内容がこの中に書かれているようなそんな雰囲気を感じた。それにこの文章なら読めそうだ。この中身を是非読みたい、その気持ちが突然の夕立を降らせる雨雲のように、アナンの心の中で急速に育っていった。しかしそのためには、このノートを持ち帰る必要がある。
「カレル、これを長老に知らせようよ。もう、僕らが分かるようなものはなさそうだし」
「えっ、あ、まあ、そうだね。やっぱり長老に知らせるのが一番か」相変わらず中身のわからなそうな本を読んでいたカレルは驚いたように、本を見ていた顔を上げた。
「僕がうちに帰って父さんに伝える」
「──アーロン?」
カレルの表情が一瞬曇ったのがわかった。これまで二人にとって、長老というのは雲の上にいる人たちのことであった。しかし確かに、アナンの父、アーロンは長老になったのだ。だから、長老に伝えるということはアーロンに伝えれば良いことなのだ。しかし、カレルには理屈でわかっていても、感情ではすぐに同意できないようだ。
「カレル。僕の父さんは長老なんだよ。わかるだろう。君には不本意かもしれないけど、僕が父さんに伝えるのが一番早道だ。きっと、父さんがしかるべき処置をしてくれるはずだ。父さんを信頼してよ」
「──あ、ああ、そうだな。わかった、そうしてくれ」
カレルは不本意ながらも否定できない様子で、慌ててそう答えた。
「このノートを父さんのところに証拠で持っていくよ。だから鍵を使って箱を空けちゃったのは内緒だ。手で開けたら開いちゃったってことにしようよ」
「そうだね、鍵で開けちゃったって言ったら、後で長老から怒られそうだ」
うまいように事を運べたとアナンは思った。
その日の木材の材料集めはひとまず止めて、また来週、山に来ることにした。まずはこの件を長老に知らせることが先だ。金属製の箱は扉を閉めて、ひとまずそこに置いておくことにした。まさか、長老が来るまでに別の人がこれを発見することはないだろう。
二人は、集落まで台車で今日切った木材を運び、カレルの家の傍で別れた。平地なら台車を一人で引くことも出来るが、早くノートを読みたいというはやる気持ちで、アナンは何度も転びそうになってしまった。
家に着いたアナンは、ノートを自分の棚の中にしまい、まずアーロンを探した。アーロンは仕事を家に持ち帰っていたらしく、島の灌漑の状況を記録書に書く仕事をしていた。アナンはもちろんノートをアーロンにすぐに見せる気はなかった。まず自分がこのノートを読んでから、箱の中に入っていたと言ってアーロンに渡そうと思っていたのである。
しかし、結局このノートは、村の人々にはアナン以外、永遠に読まれることはなかったのだった。
アナンの報告を聞いたアーロンは、翌朝、他の長老と一緒に山に出向き、金属の箱を回収した。この箱の噂はあっという間に村の中を駆け巡り、しまいには金銀財宝が山で見つかった、などというデマさえ現れる始末だった。相当な山奥であったにもかかわらず、一攫千金を夢見る者が、その後数日ほど辺りをうろついていたということである。
さて、アナンは森から帰ってきてからノートをすぐに読みたかったのだが、以外に分量が多く、誰にも気付かれずに読み通すことは難しく感じられた。そこではやる気持ちをひとまず抑え、その日は結局読まないことにした。
アナンはその次の夜、家族が寝静まったのを見た後、ノートを手に持ち一人海岸に向かった。今日は幸い月明かりがこうこうと照っていて、ノートを読むには苦労しそうもない。ただ暗闇で読むと目が疲れそうなので、念のためランタンも持っていくことにした。海岸まで来たが、やはり人に見られるのはちょっとまずいような気がしたので、いつもの海辺の見える丘に行くことにした。真夜中にあの場所に行くのは初めてのことだった。
丘に着くと、アナンは一息し、そしてゆっくりとページをめくり始めた。
そこに書かれていたのはアナンにとって全く想像もつかないような驚愕のストーリーであった。
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