二
西暦二五二三年――
ほぼ赤道直下に位置するゴルトムント島は、東西十八キロメートル、南北十一キロメートル、そして全体では約九十平方キロメートルの面積を持つ、太平洋に浮かぶ小さな島である。現在、島には約千八百人の人々が住んでいる。
島に住む人々は、この場所を村と呼んでいるが、それは都市と言えるかもしれないし、あるいは一つの国と言えるのかもしれない。しかし、この村に住んでいる人々がこの島以外の世界から全く隔絶されて暮らしていることを考えれば、この島はここの住人にとって世界そのものであり、この世の全てであるという言い方もできるはずだ。
もともと無人島であったといわれるこの島に、五百年ほど前、十九人の人間が移り住んだのが、この島の歴史の始まりであると、村の子供たちは学校で習っている。
最初に十九人の人々がこの島に移り住んだ理由は、外の世界を恐怖に陥れた『紫の悪魔』と呼ばれる、ある疫病が原因であったとされている。
紫の悪魔に罹ってしまうと、数日のうちに皮膚は紫色に変色して腫れ上がり、凄まじい苦しみに悶えながら一週間以内で死んでしまう。この病原菌の伝染は極めて強く、そして速かった。世界の人口は瞬く間に減少していった。
ファーストビジターと呼ばれる最初の十九人は、命からがらその難を逃れ、ついにこの島に辿り着いた。ファーストビジターがこの島に住み着き、その子孫がこの島を受け継いだ後でも、人々はその紫の悪魔を恐れ、ほとんど誰もこの島を離れる者はいなかった。五百年来、わずか数人が島から出奔したという記録があるが、彼らは外界から決して戻らなかった。それらの事例は取りも直さず、外界はまだ紫の悪魔に汚染されている証拠であると村の人々には思えた。
外界がまだ汚染されているかどうかは、村の誰一人も確かめたものはいない。それでも、外界で人間が生きているのなら、五百年もの間この島を訪ねてくる人が一人くらいいてもいいものである。外界から何も接触がないことは、まさにすでに人類が息絶えてしまったことの証拠ではないだろうか。村の人々はそのように考えていた。
ただし、五百年来のこの村の掟として、もし外界から人がやってきたとしても、この島には足を踏み入れさせないことになっている。彼らが紫の悪魔の病原菌を持っていれば、島中に感染が広がることになりかねない。そして、それは命からがらこの島に辿り着いたファーストビジターの意志を無残にも粉々にしてしまう行為に他ならない。
この島は海を天然の城壁とした、紫の悪魔に対する最後の砦だという想いが、村人の無意識の底流にあるのだ。
この島に住む人々は、全てこのファーストビジターの末裔である。
残念ながら、ファーストビジターはそれ以前の歴史や様々な技術的な知識を、この島にほとんど残さなかった。彼らは、田畑を耕し、魚を取り、養鶏をしながら、自給自足の生活を始めた。それ以来、五百年もの間、その生活様式はほとんど変わっていない。
この島に現在住んでいる者も、この五百年より前にどのような歴史があり、そしてどのような技術が世の中にあったかは知る由もない。ただし、今よりも技術的に進んでいたことは、ぼんやり想像はしていた。人力の代わりに車輪やポンプを動かすためのエンジンと呼ばれる機械や、それを積んで人々を乗せられるような大型の飛行機といったもの、はたまた遠くにいる人と会話ができる電話といった機械が何となく伝えられている。しかし外界に出られない以上、この小さな島でそのような技術は必要なかった。数時間歩けば、村中のどの家にだっていける。だから村人には、伝え聞く先進的な技術に対してほとんど憧憬を持つ者はいなかった。もしいるとするならば、それは人々の需要とは無関係な技術的興味による理由だけだったろう。
ファーストビジターによってわずかに残された数冊の本のうち、今でも村の最も大事な書物となっているのが聖書である。村の人々は、自身の島の歴史を五百年しか知らないが、聖書を通して、二千五百年前に生きた一人の聖者の記録には親しんでいた。そして、村には教会が一つ作られ、人々は毎週日曜日、礼拝に足を運び、十字架に祈りを捧げている。この村の人々は皆、敬虔なクリスチャンであった。
村は十人の長老と呼ばれる人々によって統べられていた。
長老になった者は、自らが辞するか、あるいは死ぬまでその職に付くことになっている。長老に欠員が出た場合、残りの長老によって、新しい長老が選ばれる。
長老は、村に起きた様々な問題を話し合い解決するのがその主な役目である。財産や、田畑の領域に関する諍いの処理がやはり多いのだが、村全体の共同の灌漑施設を作るために若者を召集したり、年に一度の慰霊祭の運営者を任命したりするなどの仕事も日々行っている。
千八百人程度のこの村では、全くといっていいほど犯罪は起きない。誰もが知り合いであるこの島では、盗みを働いただけで誰が犯人かすぐに分かってしまう。また身内の確執なども、村の誰にでも知れ渡ってしまうし、何か問題が起きれば、長老に解決してもらうことも出来るが、そこまでいかずとも、周囲の人々の助言や協力で何とか丸く収まるものだ。だからこの村には、治安に関するいかなる仕組みもなかったし、その必要がなかった。
大きな争いのないこの村には、もちろん武器というものを作る必要はなかった。しかし、武器というのは、その存在自体に意味を持ってしまう道具である。もし、誰かが武器を持ってしまえば、そこには緊張関係が生まれてしまう。
こういった問題が生じないように、村の長老には昔からある役目が課されていた。それは、村の鍛冶屋に対する定期的な見回りである。鍛冶屋といっても、この島には代々受け継がれている一軒しかないのだが、そこで例えば刀や剣であるとか、弓矢の矢じりのような武器を作っていないことを確認するのである。もちろん、農機具や狩猟道具、包丁などの刃物は作っているのだが、人を殺すための道具は決して作らない、それが村に代々受け継がれた厳正なる掟なのである。
子供は十歳になると村の学校に通うようになる。そこではまず、基本的な読み書きや村の歴史を教えられ、その後、農業や漁業、養鶏などの生活の実践的な知識を教えられた。学校には先生としての専門職はおらず、全てボランティアによって運営されている。それらは、全て村の人々が持ち回りで分担していた。教壇に立つ者も、実際に農業を行っている人が農業のことを教えるし、鶏を飼っているものが養鶏について教えるのである。
男の子はその他に木工技術も学ぶ。この村では、男は自分の家族の住む家を自分で作ることが出来て一人前と考えられていた。また、女の子は裁縫や料理を学校で習う。家族が着る服は母親が作るのがこの村の一般的な慣習だった。
十五歳で学校を卒業すると、子供たちは職業を選ばなければならない。もちろん、ほとんどは自分の家の家業を継ぐ。あくまでこの村は自給自足が原則だから、村のほとんどの人々は、農業、漁業、養鶏のいずれかを主な生業としていた。
もちろん中には、生業の合間に家具を作ったり、衣服を作ったりして、市場に持っていく人々もある。しかし、それらが専業化されることはほとんどなかった。自らが、自分で食べる食料を確保できないことは、この村で一人前の人間として見なされないような風潮があったからである。
むしろ、そのように文化に属する生産行為をする者にとって、自分の生業を持ちつつ、仕事とは別に才能を発揮することが彼らの喜びであった。だから彼らは自分たちの作品について、そもそも経済的な見返りを期待などしていなかったのである。
島の自然は、村人に多くの実りをもたらしていた。
赤道直下の南国の孤島であるゴルトムント島は、一年を通して大きな気候の変化がない。作物は年間を通して生産され、海の幸もまた季節に左右されることがなかった。
また、この島の有史以来、といっても五百年しかないのだが、長期の天候不順による飢饉が起こったという記録はない。もちろん年によって多少の収穫の増減はあった。しかし、島全体の生活が侵されるような自然の脅威は、ゴルトムント島にとって無縁なものであった。
人々がまじめに自らの仕事を行い、諍いを起こさず暮らしていくだけで、この平穏な生活は未来永劫続くように思えた。
人々は、自らが生きていくために毎日の仕事を行う。仕事で得られた食料の収穫量は、島の人々にとって十分すぎるわけではなかったけれど、働けばそれは確実に得ることができた。もしかしたら、労働とその対価である食料がそのような微妙な均衡の上に成り立っていたことが、この島の人々の勤勉な暮らしぶりを規定していたのかもしれない。
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