変身

賢者テラ

短編

 いつの間にやら12月に突入し、夕方外を歩くにはマフラーと手袋が欲しくなるような、そんなある日の午後のこと。 

 八神奈津子は、肩をいからせながら冬の大通りを歩いていた。

 寒さをたっぷり含んだ透明な空気のせいか、いつもより空が高いように見える。

 まぁそれは、多分に気のせいであったが。



 今年32歳になる奈津子は、まだ結婚をしていない。

 それどころか、彼氏と呼べるような男もいない。

 奈津子自身は特に焦っているわけではなかったのだが、親を始めとして周囲が余りにも哀れむものだから——

「そっか。私って可哀相なヤツなのかなぁ」

 ……と嫌が応でも自覚させられるハメとなった。



 奈津子が勤めているのは、大手の食品会社だ。

 具体的にば、わかめやひじき・海産物の乾物やらふりかけやらを主力商品として扱う。彼女は、そこの販売促進課の係長である。

 奈津子は、幸か不幸か仕事ができた。仕事に没頭して社では初の女性係長にまでなった彼女が気付いたときには、すでに30の坂を越えていた。

 見た目は、それなりに気を使いさえすれば決して悪くはなかったのだ。むしろ見方によってはだが…美人、とも言える。

 少し焦り出した彼女は、仕事・仕事よりももう少し早いうちから婚活、頑張っときゃよかった、と思っていた。



 会社勤めを始めてからの奈津子の生活は、まるで判を押したように毎日が同じことの繰り返しであった。

 とにかく、仕事・仕事。

 休日やアフター5は、部下の女友達と遊ぶことが多いのだが、彼女らにはたいてい『男』がいるので、いつもつるめるわけではない。

 友人に男を優先されてあぶれた時の、奈津子独特の過ごし方。

『お一人様』で映画館に行ったり。

 書店で、面白そうな小説やマンガを物色してきたり。

 そして、心の落ち着くイージーリスニングの音楽を流しながら、部屋で読書にふける——。

 奈津子は、それはそれで満足していた。

 ただ、周囲からやいのやいの言われると、暗示にかかったかのように「一生これじゃいけないのかなぁ?」と、漠然とした不安に駆られるのだ。



 歩く途中、大きな公園の横を通り過ぎた。

 数人の小さな男の子が『仮面ライダー電王』ごっこをしているのが目に入った。

 変身ベルトをして、何やら剣のようなものを振り回している。

 最近のおもちゃは、昔と違ってかなり手が込んでおり、作りや光り方がかなりリアルである。



 ……私も、変身できるものならしてみたいわよ。



 同じ毎日の中で、自己というものが埋没しそうな奈津子は、そう思った。

 仕事はキライではないが、あくまでも生きるための手段。

 わかめやひじきの販売に、命をかけているわけではない。

 ましてや、一生を捧げるなんてとんでもない。

 でも、そう生きるしかないのである。

 世の中の仕組みというものがヘンに完成されているせいで、どうあがいても、食っていこうと思えばこの生活のループから抜けられないのである。



 ……今更、お見合い、ったってなぁ。どうしたもんかなぁ——



 そんなとりとめもないことを考えている間に、目的地に着いた。




「いらっしゃいませ~」

 自動ドアをくぐると、担当の小峰涼香(すずか)の元気な声が店内に響いた。

 奈津子の行きつけの美容院『アフロディーテ』。

 今日は営業先から直帰ということにして、真っ直ぐにやってきたのだ。



「今日は、お仕事の帰りですか?」

 脱いだコートを奈津子から受け取り、ハンガーにかけた涼香が尋ねてきた。

「ええ。最近は景気が悪くてかなわないわ——」

 担当の、美人で気さくなこの美容師とは、多少の愚痴の言い合いは無礼講、というくらいまでの仲良しになっていた。

「リョ~カイ、奈津子さん! 明日の朝ごはんには、さっそく『大海(おおみ)物産』のひじきも食べますよぉ」

「ホント頼むわよ。高齢化社会で売り上げに関しては横ばいとはいえ、最近の若い子がそーゆーの食べてくれないから。販売促進部としては深刻なのよ」



 涼香は、さっそく椅子に座った奈津子の髪に鋏を入れ始めた。

「ヒジキ、感激!」

 奈津子の担当ではない、別の男性美容師がしょうもない冗談を言っていた。



 …私はかろうじて意味が分かるけど、そんな冗談若い子には分からんぞ。

 てか、なんであんたが知ってる??

 秀樹といえば、バーモントカレーしか思い浮かばん——



 奈津子はだいたひかるから『どーでもいーですよ』と歌われてしまいそうなことを思い巡らした。



「今日も、やはりおとなしめのレッド系ブラウンにしときます?」

 カットも終盤にさしかかって、涼香はカラーリングの色のことを聞いてきた。

「そうね、それでお願いしとくわ」

 大して考えもしないで、そう言った。

「……でも、そういえば色で冒険したことって一度もなかったわねぇ」

 判で押したような同じ繰り返しの生活は、ここにまでもその影響が及んでいた。

「ん~、そうですねぇ」

 涼香はちょっと考え込んで言った。

「ちょっと髪の色を変えてみるだけでも、気分が結構変るものですよ。何ていうのかな、『新しい自分』になったような気にさせてくれる、って言うか」

 なぜか、奈津子の頭の中では『仮面ライダー電王』がポーズを決めていた。

「そうよねぇ。いっそ、みんながビックリしちゃうような色とかいいかもねぇ」

 涼香は悪ノリしてとんでもない冗談を言ってきた。

「じゃあ『ショッキングピンク』なんてどうかしら? 街行く人が、みんな振り返ること間違いなし!」

 アハハハ、と一声高笑いした奈津子も、調子を合わせて——

「そ、それいいっ! それに決めたぁ!」




 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 




 頭にカラーリング剤を仕込まれた奈津子は、女性週刊誌を読んで40分ほどを過ごした。

 奈津子は、何だか得も言われぬ違和感を感じた。染まり具合を確認しにきた涼香も、まるで期限切れで傷んだものを食べたかのように顔をしかめた。

 二人は焦るようにシャンプー台に向かい、洗髪する。

 ドライヤーを当てて改めて乾いた頭を見ると——



 ピンクだった。

 


 奈津子は、鏡に映っているのが自分だとは、にわかには信じがたかった。

 美容師の涼香はあまりのことに、ハエでも飛び込んできてしまいそうなぐらいに、口をあんぐり開けていた。



 ……私、この頭で暮らすの? んでもって、会社に行くの?



「ちょ、ちょっと美香ちゃんったら!」

 涼香は、見習い美容師の美香を呼んで問いただした。

 カラーリング剤を塗ってくれたのは、彼女だ。 

 漏れ聞こえてくる会話から察するに、奈津子と涼香の会話を真に受けたらしい。

 普通はお客様カルテに書かれたデータを見て確認するのだが、何を思ったのか美香はたまたまそれを怠った。

 彼女はメタルバンドに所属するような人物だったため、そのような色に染めることに『あり得ない!』と考え直す感性に欠けていたことも、災いした。

 文字通り『ショッキングピンク』にするためには、毛染めに本来倍以上の時間がかかるため、幸いにもそれほど『毒々しい』ピンクにはならなかったが、かなり目の悪い人が見たとしてもそれは……

 明らかに『ピンク』ではあった。



 改めて見ると、それはそれはすごい迫力だった。

 圧倒的な存在感を持って、強烈な個性をアピールしていた。

「あっはっはっは」

 怒るというよりは、何だか笑えて来た。

 あんまり笑えるものだから、涙まで出てきた。



 涼香も美香も、果ては店長や車で駆けつけてきたチェーン店の会長までが、これ以上はない、と思えるくらい低く頭を下げて謝罪してきた。

 お詫びに今回の施術料と、次回髪を元に戻す分の料金はタダにさせて欲しい、との申し出を受けた。しかし、奈津子は実際のところ『損害をこうむった』という思いよりは——

面白いことになった』というワクワク感のほうが強かった。

 だから、今回タダの分はありがたく受けたが、次回の分に関しては断った。

「まぁ、いいですよ。これはこれで面白そうだし」

 


 店を出て行く奈津子の後姿を、客も店員も、皆が固唾を呑んで見守った。

 それは、さながら戦場へ行く兵隊を見送って国旗を振っているかのような雰囲気であった。

 突然、自動ドアからぬっと歩道に出た奈津子を見て、買い物カゴを腕から下げたお婆さんが立ち止まって、目を見開いた。はずみで、買い物かごからリンゴが一個、コロコロと転がり落ちた。



 ……アハハ。早速ビックリさせた第一号じゃ。



 奈津子は、何だか楽しかった。



 よせばいいのに、奈津子は色々寄り道をして帰った。

 スーパーで買い物をしたら、皆がカートを押してねり歩く奈津子の頭に注目した。

 レジ係のバイトの女子大生は、商品のバーコードを器用に読み取りながらも、目は奈津子の頭に釘付けであった。

 レンタルビデオ屋にも寄ってきた。

 通路ですれ違ったオヤジは奈津子の頭に気付くと、気を取られるあまりに抱えていたアダルトビデオをバラバラと床に落としてしまい、慌てて拾い集めていた。




 翌日。大海物産にて。

 その生き物は、堂々と廊下を突き進んでいった。

 誰もが、息を呑んだ。

 お茶を運んでいた新人の女子社員は、お盆ごと茶碗を落とした。

 廊下をすれ違う社員たちは、のけぞって壁に背をつけた。

 まるで、海を真っ二つに割って真ん中を堂々と歩く『モーセ』のようだった。



 奈津子のその頭は、社内で圧倒的な存在感を示した。

 販売促進課のドアを開けると、室内の空気が凍りついた。

「ひ、ひいいっ」

 部長は、カラムーチョのひいひいおばあちゃんのように高くわめくと、椅子ごと卒倒した。

 乾物を扱う会社内で、「自分たちの頭自体がわかめ」という男性社員も多い冗談のような現状の中で、奈津子のヘアスタイルはまさに革命的と言えた。

 奈津子は、変らず平常心で、業務に取り組んだ。



 ……不思議だ。



 何だか、やることが結構うまくいっちゃうよ。

 社内でも、いつもより業務の流れが円滑で、チームワークが不思議ととれているように奈津子には思えた。

 みな、明るい。いつもなら社員同士の間に流れる変なわだかまりも、ない。

 奈津子はこの日、久しぶりに『仕事が楽しい』と感じた。

 髪の色に関しては、「自分の意思ではなく、店側のミス」と説明すると、おとがめはなかった。

 営業先でも、奈津子の頭は一大センセーションを巻き起こした。

 いつもより、倍も販売契約が取れた。

 意気揚々と戦果を引っさげて凱旋した奈津子を、部長をはじめ皆が声援と拍手を惜しまなかった。

 


 一ヵ月後。

 奈津子は、髪の色を元に戻した。

 惜しい気もちょっぴりしたが、もう奈津子には 『髪の色と言う名の神通力』 は必要なかったのだ。彼女は、この事件を通して人生を楽しくする極意を学んだ。



 ……そう、それは変身。



 誰もが、決まったルーティンの中で、流れにハマって閉塞感のなかであえいでいる。

 でも、ちょっとした気の持ちようで、発想の転換で、人生はとっても面白くなる。

 別に、髪を染めることじゃなくたっていい。

 人生のスパイスは、手を伸ばせばいたるところにある——

 だから、もう私には、ピンクの髪は必要ない。



 そして、時は流れて。

 昼下がりの公園には、子ども達と一緒に『仮面ライダー電王ごっこ』をする奈津子の姿があった。つい最近、声をかけて仲良しになったのだ。

「おりゃ、デンオー、ソード フォームじゃ!」

 怪人役のこどもを追いかける奈津子の目は、イキイキとしていた。



 夜には、新しく開拓した取引先の男性社員との合コンが待っているのだ。

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変身 賢者テラ @eyeofgod

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