第5話 十月十九日

 今日は雨だった。この一文で大体どこに住んでいるか、今の社会では特定されそうな気がする。何といっても、写真に写る人の目に反射している風景だけで家が特定できてしまう時代であるからだ。

 日記を更新しない、いや正確には出来ないこの三か月弱の間に、あまりにも多くのことがあった。

 高校生活最後の校内ライブを、9月に行った。正直、そこまで客は入っていない。身内と、近しい友達の一部だ。昼時というのもあったかもしれない。それに最初、機材に若干のトラブルがあった。時間があったからそれはどうにか解決できた。そこまで順調な滑り出しではなかった。

 それでも、挨拶して、一曲目が始まれば、忽ちのうちに緊張と高揚の渦に僕は巻き込まれた。記憶も、はっきりしているようで抽象的にしか残っていない。ただ、演奏中に何度も涙がこぼれた。多くの感情があふれてあふれて、どうにもならなかった。声も少し震えた。演奏の完成度だけで言ったら九割くらいだ。声だって上ずったし、ギターもギリギリで弾いていた。

 でも僕には、僕のバンドには、素晴らしいプレイヤーが三人他にいた。それぞれが相対/絶対音感のいずれかをもっていて、三人ともキーボードが演奏出来て、そのうち二人はドラムもできた。歌かギターかリコーダーかしか出来ない俺には不釣り合いすぎる優秀な三人が、僕を支えてくれた。それは間接的にかもしれない。三者三様のライブの向き合い方が、当然に彼らの中に存在しているのだから。しかしながら、たとえそうであっても、彼らの奏でる音が、そこに確かに存在する「熱」が、僕を鼓舞した。テンポが乱れそうになっても、ドラムの子はしっかり修正してくれた。ギターが一本しかない分、キーボードでリードギターのアルペジオのパートを弾いてくれた。

 そんな彼らのおかげで、ままあったが、校内での二年間の活動に一区切りつけることができた。一時は解散も迎えそうになったが、そんなこんなもいい思い出だ。

 そうして本格的な受験戦争が始まった。クラスの中でも多くの人が塾に行き、急に勉強に目覚めたかのように日々あくせく勉強している。それが正直、少し滑稽でもある。自分に足りない所を自覚し、それをなんとかするために、また学校の授業で吸収できるところは全て吸収し、それでもなお高みを目指すために塾に行くならよし、三年間の高校生活のほとんどで部活に明け暮れ、一、二年生の時に全然勉強せず、いざ受験戦争が明確に意識できるようになってから通いだす。それが滑稽なのだ。大学に行っても同じことを繰り返すだろう。そういう人はそこまでいい成績が出ない。それを証明するのが模擬試験だ。たいてい、上位に食い込んでくる人は塾に行っていない。多くが自主的に勉強し、学校の授業をまともに受けた者だ。そこに何の違いがあるのだろうか。

 「受動的」と「能動的」

 これに尽きると思う。塾へ行く。講義を聞く。そのアクションには、間違いなく能動的な部分が含まれている。勉強しに行こうというその思いがある。だが、これは自分で「吸収しに行く」のではなく、またそのために探し物をして、紙におこして整理して、といったことをするのではく、「吸収するものを与えられる」という行為なのだ。

 例えば、米将軍:徳川吉宗の行った享保の改革について、自分で調べるとする。やれ上米だ相対済まし令だなんだと出て来る。すると、その政策を行ったのは何故なのか?その時の背景は?吉宗一人では到底出来そうもない改革を手助けしたのは?影響は?結果は?そういった膨大な量の情報が手元に訪れる。

 一方塾でも、ほぼ同じように(もちろん受験のための講義であるからポイントを押さえるのみに留まりはするが)享保の改革について教えてくれる。どこが頻出で、どこが重要か隅々まで教えてくれる。そこに問題の一つがあるような気がする。

 

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無名日記 @irving2984

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