名前はまだない。

かわらば

名前はまだない。

我輩は猫である。名前はまだない。

しかし、我輩は別段これに不自由したことはない。


本来名前というものは「他と区別をするため」につけられるものである。

例えば、「犬(Canis lupus familiaris)」と「猫(Felis catus)」は、これらの言葉が指す生き物を区別する必要があるがゆえにできた語である。


名前そのものが大事なのではなく、名前が指す「もの」が他と区別されることが大事なのだ。


愛玩動物にどんな名前をつけようとも「その個体」が識別できればいいのだ。なのに「どんな可愛い名前をつけよう〜」と迷うのはいかなることか。

考えに考えた末がありきたりで他と被る名であれば意味がない。


さて、こう長々と論述したのは、現在我輩が置かれている状況が、読者諸氏にとっては少々受け入れがたいことであると危惧したからである。

長々と余計なことを話すのは我輩の特徴である。あえて短所とは言わない。損得など、状況によって移り変わる流動的なことだからだ。


脱線が過ぎた。話を戻そう。




我輩は、猫である。




我輩は、地球上最後の猫である。




更に言えば、地球上最後の「ヒト以外の哺乳動物」である。




察しのいい読者であれば、先ほど我輩が長々と名前の役割について話した理由を理解できるだろう。


すなわち、「識別する意味がない」のである。

我輩の他に哺乳類はいない。


ゆえに、


「タマ」でも


「ポチ」でも


「猫」でも


「食肉目のアレ」でも


「ヒトじゃないやつ」でも


「繧ォ繝ッ繝ゥ繝舌ヨ」でもなんでも


『ヒト以外の哺乳動物』を指すことが伝われば、それは必然的に我輩のことを指すのだ。




しかし、流石にヒトの個体によって呼び方が違うというのは面倒臭い。


便宜上、我輩は保護されている施設から、「FC-2222」という名を当てられているが、これは我輩の名前として認めがたい。




故に、我輩はこう名乗る。

自由気ままに生きた、今はなき我輩の仲間に胸を張れるように。





我輩は猫である。

名前はまだない。

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