虚無であるか
東風
虚無であるか
―8歳―
「ないように見えても、きっとある。」
またおじいちゃんの口癖。わたしの頭をポンポンとやさしくなでても、だまされないからね。でもおじいちゃんはゆずらない。だれも聞いてないのよ?
だからわたしはこう言うの。
「でもおじいちゃん。お星さまは全部なくなったのよ?」
おじいちゃんがちっちゃいころにぱっとお星さまが消えちゃったんだって。
みんなびっくりして、みんな空を何回も見たけど、星はもう見えなくなったみたい。
そのあといっぱい頑張って探したんだけど、みんなあきらめちゃった。でもおじいちゃんみたいな人はまだがんばってる。おじいちゃんはまだお星さまを探して望遠鏡を毎日のぞいてる。お母さんはあきれて「もう知らないわよ」なんて言うの。だから、ここに来るのはわたしだけ。
おじいちゃんにさみしくないの?って聞くけど、
「全然。お前が来てくれるからかな。」
なんて言うの。そしてまたじっといろんなところを見ている。ここにはいっぱい機械があって、おじいちゃんは、休む間もなくいろんな所をさわっていく。ほんとはちかくでみたいけど、わたしは
タッチパネルやボタン、レバー、全部おじいちゃんに教えてもらった。がしゃん、ぴぃ。いいなあ。
だけど今日もお星さまは見つからない。
「またね。」
「またおいで。」
またしばらくはここに来れない。おもしろいからもっと来たいのに。
―13歳―
バスは月面をゆっくり走る。おじいちゃんの天文台は月の裏側(地球から見えない方、ね)にあるから、いつも行くのがすこしたいへん。
終点がおじいちゃんの天文台の前。バスが止まると、降車口と歩道トンネルの入り口を接続する。少しうるさい音がする。いつも終わるのに十数秒かかるから、嫌になっちゃったりもするの。そのあとシートベルトを外して、降りた後、二分くらい歩いたら、天文台の入り口。
合鍵、というよりもカードキーをかざす。ピーッと音がしてドアが開いた。1週間ぶりだ。
おじいちゃんは天体望遠鏡をのぞいていた。
「久しぶり。」
「よく来た。ゆっくりしていきなさい。」
「うん。また2日間ね。」
「そうか。」
会話はそれだけで終わる。おじいちゃんはまた観測に戻ってしまった。わたしもとくに手伝うことないし、いいかと思う。そのまま観測室の奥にあるソファに飛び込んだ。最近はここがお気に入り。集中するにはここが一番。ごろっとあおむけになって持って来た本とかよんだりする。
観測室には、観測用の機器以外に本棚が3つあって、おじいちゃんが集めたいろんな資料が並べられている。わたしにはまだよくわかんないものが多くて読めないけど、いつか読めたらいいなとは思ってる。本棚の空いているところなら使っていいっておじいちゃんが言ったから、わたしは星とかとは全然関係のない本とか(主にお母さんに見つかると怒られるもの、ね)を持ってきて、そこに入れている。
でも今日は持ってきてる本(というより雑誌)がある。タイトルは「木星発(初)アイドル!さたーんず!」。みんな、小悪魔系(というらしい?)の衣装を身に付けていて、今太陽系ならどこでも彼女たちの話題で持ち切り。わたしももちろん好き!とくに「たいたん」がいいの。かわいくて。ちょっと前までは、話題になってたのは「ジュピタン」だったらしいけど、残念ながらよく知らない。で、今日の本には「たいたん」のページが多いから楽しみにしてた。じっくり読むことにしよう。
でもね、4,5ページくらいだし、読み終わればあきてしまう。学校の成績はそれなりにいいから宿題は全部済ませてある。しょうがないから少しごろごろして、その後おじいちゃんの近くにいく。
「星は見えた?」
「全然。」
「また勝っちゃうかな?」
「さあ、それは分からない。」
強がっちゃって。
最近おじいちゃんとわたしはかけをしている。わたしが来てるときに星が見つかったらおじいちゃんの勝ち。だめだったら私の勝ち。わたしが勝ったら、おじいちゃん家のアメ(「ムーンキャンディ」って名前)をもらえる。でも、今までまけたことないから、実はアメ以外も欲しいなーとか思ってる。
太陽系以外のこう星、わく星、えい星が消えてなくなってもう60年がたつ。あいかわらず原因は分からない。太陽系以外にまったく反応がないからだ。
太陽系以外の星が消えた時、はじめは多くの人が困って、恐れたから、たくさんの暴動がおきたみたい。だから、その時の死者を悼むモニュメントが世界各地にある。
でも何故か太陽系は消えなかった。でも、別にあの有名な小説みたいに、泡みたいなのが太陽系を飲み込んだわけじゃない。それに、人々は暴れすぎて疲れて、よくわかんない宗教にすがることはなかった。おじいちゃんは「イーガンのようにはいーかんかったというわけさ」とかつまんないことを言う。とにかく、結局、人類は太陽系を開拓しつくすことにした。今、週末に、こうして地球の月の裏側にひょいとこれるのも、そのおかげ。子どものころは月に一回しかこれなかった。そういえば今度、ついに水星に居住区ができるらしい。とっても楽しみ。おじいちゃんくらいの大人はテレビとかで「資源節約」とか言ってるけど、もうわたしたち以外にだれもいないし、いいじゃん、とみんな思ってる。わたしももちろんそう思ってる。いついなくなるかもわからないし、先のことを気にしてもしょうがないのにね。
そして結局、今回も見つからなかった。わたしの勝ち。あいかわらず、アメはおいしかった。
―14歳―
ちょうど誕生日の日が休みだった。ラッキー。
そして今日もおじいちゃんの天文台へ。楽しみでスキップした。中に入ると、やっぱりおじいちゃんは観測室にいた。
「久しぶり。」
「2日ね。」
「ああ。」
なんか前より味気なくなった気がする。え?忘れてないよね?せっかく宿題を終わらせてきたのに。
奥のソファにそっと腰かける。ここからはおじいちゃんの後ろ姿がよく見える。ずっと見てきた後ろ姿。うん、この前とかわりない。去年もらったし、忘れてないと思うけど。
結局、その日の終わりまでおじいちゃんはいつも通りで、私はずっとそわそわしてた。思わず声かける。
「今回も私の勝ちかな?」
「まだわからんさ。」
...。それだけ?
自分からは言い出しにくい。のでおじいちゃんからにしてほしい。
でも全くそんな気配はない。
とぼとぼとソファに戻ろうとした時
「食卓に先に行ってなさい。」
と、おじいちゃんが言った。
これはダメだとリビングに入る。ここは天文台だけどおじいちゃんの家でもあるので、観測室とリビングはつながっている。
ドアを開ける。テーブルをよく見ると、赤いリボンのかかった袋が!
「誕生日おめでとう。」
後ろの観測室の方からおじいちゃんの声が聞こえた。サプライズだ!
これで安心、と、私は観測室に戻る。
「ん?どうした?」
「お誕生日おめでとう。おじいちゃん。」
実は私とおじいちゃんは誕生日が同じだ。だからできれば後から出したかった。恥ずかしかったし。で、私が差し出したのは、青いリボンの箱。
「中見てよ。」
「ああ。何かな...。これは...。」
中身は老眼鏡。ちょっとお金が足りなかったので、お母さんに借りた。
「ここら辺眼鏡屋ないでしょ。」
「...。ありがとう。」
ちょっとびっくり。おじいちゃんの顔は今まで見た中で一番柔らかな笑顔だった。多分一生忘れないかも。
「紅茶飲もうよ。好きでしょ?」
「そうだな。」
今日も星は見えなかったけど、私は全然構わない。いつも通り、おじいちゃんと紅茶を飲む。それでいいじゃん。
一週間後、私はまた天文台に来た。
観測室では今日もおじいちゃんが望遠鏡を見てる。
あいさつもせずに私は通り過ぎて、ソファに飛び込んだ。そのままうつぶせになってじっとする。
ちらりと、おじいちゃんを見るけど、おじいちゃんはというとこっちを見ない。気にしてないのかな?しょうがないので声をかける。できるだけぶっきらぼうに。
「見つかった?」
「全然。」
「そう。」
それっきりで会話はおしまい。でもおじいちゃんは気にしない。なんでよ。
そのまま時間が過ぎていく。結局私の方が耐えられなかった。
「何にも思わないの?」
「子どもは勝手に怒るし、勝手に笑うし、勝手に泣く。大人ができることはないさ。」
うっ。何にも言い返せない。なんだか珍しくおじいちゃんが良いこと言った気がした。でも、今大事なのはそこじゃない。
「お母さんに、おじいちゃんのところに行くのを止められた。」
「そうか。」
「で、ケンカした。」
「そうか。」
相槌を打ってくれるだけいい方なのだろうか?私は聞きたいことを聞いた。
「どうしたらいいかな?」
「どうしたらって?」
「来ない方がいいの?」
「それはお前が決めればいいことだ。」
「私は来たいよ?」
「なら遠慮はいらない。」
おじいちゃんは、何を難しいことを、という感じでいうけど、これでも今までで一番の大ゲンカだった。はー、とため息をついた。聞きたいのはそっちじゃないっておじいちゃんもわかってるのかな?しょうがない。
「仲直り、どうしたらいい?」
「そうだな、親しくて、かつ家族なら先に謝ってしまえばいい。そしたら相手も謝るさ。罪悪感が出るからな。」
今、さらりとえげつないことを言った。思わず体をひねっておじいちゃんの方を向く。
「ひどいじゃん、それ。」
「打算は必要だ。」
「ええー?」
それでいいの?ホントに?でも、先に謝るのは良い気はする。決して打算ではないけど。こういうのは先手必勝ってことなのかな?
ん?待って待って。ひょっとして。
「私の態度について何も言わないのも、打算?」
「駆け引きさ。」
「えー?」
うそだぁ。何が違うの?同じじゃん。
とはいえ、話してるうちにすっきりした。うまく「駆け引き」に乗せられたみたいだけど、一応お礼はしよう。
「紅茶飲む?」
「ありがとう。もらうよ。」
こっちを見ないけど、まあいいや。私はソファから立ち上がってリビングに向かった。ちょっとだけ気合いを入れてつくることにしよう。
―16歳―
放課後、私は軌道エレベータの中にいた。もちろん月に行くためだった。ここ2年で地球の周辺の技術発展はすさまじく、日帰りで月まで行って帰ることができるようになった。
一旦頂上で止まったあと、月行きのエレベータに乗りかえる。これも実にスムーズだ。資源はまだ、それほど心配するほどではないらしいけど、火星と木星の間の小惑星帯は、半分近くが資源として採掘されたとニュースで報道されていた。人類は思ったよりもはるかに力の強い破壊者らしい。
来年にはついに海王星まで居住区が広がるらしい。60年前と比べて、人類の数は実はそんなに増えてないけど、かわりに太陽系に広がって住むようになった。
そんなことを考えつつ、2時間後、月の裏側につく。でもここら辺には人がほとんど住んでない。なぜならおじいちゃんの土地だからだ。
カードキーを通し、中に入る。おじいちゃんは相も変わらず、観測室だ。なんであきらめないのか不思議に思う。
「おじいちゃん、こんにちは。いや、こんばんは?」
「ああ。今日もか?」
「うん。まあね。」
「そうか、ゆっくりしていきなさい。」
そう毎日。最近毎日私はここを訪ねている。
奥のソファに座る。ぎちり、と音が立つ。
座ったままおじいちゃんを見る。私が来てもおかまいなしにおじいちゃんは観測を続けている。頭は白髪で真っ白になってしまった。それでも、もう何の変化もないデータを見続けて、闇を見続けている。
「おじいちゃん、今回はどう?」
「全然だめだ。」
「そう。もう、あきらめたら?」
「まだ分からんさ。」
返事はするけど私の方は見ない。さて、どうするか。気が重い。ため息をついた。
結局遠回しに様子を見ることにした。
「おじいちゃん。木星の方でデモがあったんだって。」
「そうか。」
「資源が欲しいって。」
「そうか。」
「土星の方では暴動がまた起きたって。」
「そうか。」
「死者が出たって。久しぶりに。」
「そうか。」
私はいらだつ。事情を知っているから。知ってしまったから。
「おじいちゃん。何年ここにいるんだっけ?」
「そうだな。30からだからもう40年以上だな。」
「まだ続けるの?」
「もちろん。」
「見つからないと思うよ。」
「まだ、分からんさ。」
おじいちゃんは諦めない。絶対に。ああ、だから嫌だ。眉間にしわを寄せて、私はいら立ちの混ざるため息をつく。それでもおじいちゃんはふり返らない。
おじいちゃんは星に取りつかれている、と母さんや父さんは言う。だからずっと私一人で月まで来ていた。「気味が悪い」と二人は言っていた。
「関わるのはやめなさい。あなたも憑かれるわよ。」
その時はむっとしたけど、今なら少しわかる気がする。
おじいちゃんの若い頃、すなわち30歳までは、おじいちゃんは月の開拓民として暮らしていたのだ。そこで多くの功績を残し、この月の裏側の土地を得た。お金もたくさんもらったようだ。そのころには月の中立化とかなんとかは白紙になっていていた。開拓に関しては人類はまだ経験が浅く苦労も並大抵のものではなかった。そうまでして、なぜおじいちゃんは開拓民にまでなったのか。理由は単純。10歳の頃に見た星空をもう一度見るため、原因を突き止めるためだった。
月の裏側は地球に面していないから、開拓初期には、結局のところ発展しにくかった。それがおじいちゃんの狙いどころだった。だから、次々に月の裏側から人が引き揚げた後もぽつんと一人おじいちゃんは残った。物資は表側から月一回持ってくる。一人ならそれで十分だった。結婚してもおばあちゃんは表側に残ったらしい。よく子供ができたものだと思う。というより、なんで結婚できたのか不思議でならない。
それだけなら、まあ、一人のわがままな人間が、家族に迷惑をかけ続ける話で済んだのかもしれない。でもそこからだった。
まず、おじいちゃんは仲間から安く土地を買い占めた。大きな土地があれば大きな望遠鏡が作れるからだ。仲間は、どうせ要らないからと、随分気前よく売ってくれたようだ。いやそれだけならまだよかった。ぎりぎりセーフだった。問題は、その土地の下にとてつもなく貴重な資源があることが分かったことだった。今後の太陽系の経済には欠かせない、とまで言われるほどの。
多くの人が土地を買おうとした。とんでもない金額(母さん曰く、「末代まで遊んで暮らせる」)を提示する者もいた。
おじいちゃんはそのすべてをはねのけた。はねのけ続けた。そして、誰も寄り付かなくなった。大勢の人が「正気じゃない」と言った。「心なんて壊れてる」とも言われた。だからもう今は、おじいちゃんの所に行くのは私しかいない。
「おじいちゃん、諦めよう。」
「まだ分からんさ。」
この一年何回繰り返しただろうか。周囲の人間からの催促は日に日に増してくる。私は逃げるようにここに来るけど、ここにも居場所がなくなりつつある。でも、あと一回。あと一回だけは。
「ねえ。分かってるでしょ。」
「まだ分からんさ。」
そこでわたしは諦めた。もう、諦めた。私はおじいちゃんを嫌いになりたくない。なりたくないのだ。なのに、
「そっか。おじいちゃんは独り占めしたいんだよね。」
ポロリとこぼした。
しんと静かになった。機器を使う音も聞こえなくなっていた。はっと顔を上げる。
おじいちゃんはこっちを見ていた。でも、その目はどこに焦点を合わせているんだろう。私は泣きそうになった。
「ごめん。ごめん。今日は帰る。」
ソファからばっと立ち上がり、扉を目指す。おじいちゃんは何も言わない。外に出る。空は真っ暗なはずだ。当たり前。なくなったんだから。全部なくなったんだから。
結局その日は地球までは帰れなかった。仕方なく表側のホテルに泊まる。学生証があってよかった。疲れて、ベッドにうつぶせになる。一人きりで静かだと、考えたくもないことばかりが頭に浮かんでくる。だけど、テレビをつける気にはならなかった。見たくもないものを見るはめになるだろうから。
結局、昨晩悩んだ末にもう一度行くことに決めた。
で、天文台に入ると、やっぱりおじいちゃんはいつもの場所にいた。望遠鏡を見ていた。でも他の機器は動いてない。
「...。」
「...。」
挨拶は気まずい。だけど、逃げるわけにはいかない。単刀直入にいこう。奥のソファにも行かず、まっすぐおじいちゃんのところに行く。そしてバッサリ聞いた。
「どうしてここを手放したくないの?」
おじいちゃんは黙ったまま、ちらりとこちらを一瞥。気まずそうにまた望遠鏡に目を戻す。そうきたか。
失敗を悟り、私はそのままリビングに入る。紅茶を二人分入れることにする。好みはとうの昔に把握済みだ。つくったら、速やかに観測室へ。おじいちゃんは、あいかわらず望遠鏡をのぞいている。私は紅茶を無作法に差し出した。
「ん。」
「...。ああ。」
二人で紅茶をすする。おじいちゃんはそれでも望遠鏡から目を離さない。
私はため息をついた。
「ねえ、なんでそこまでするの?」
おじいちゃんがまたこちらを見た。
今度はじーっと見つめてくる。少したじろぐ。
「見れるかどうかもわからないのに。」
「見れなくても、だ。」
「?」
よく分からない。
「やめてしまえば、自分がやめてしまえば、もう誰も夜空を見ようとはしなくなる。何もわからなくなる。それはだめだ。」
「どうしてそこまで。」
「残さなければならないんだ。次につなげなければいけないんだ。」
そう言うとおじいちゃんはまた望遠鏡に目を戻した。私には、夜空よりもおじいちゃんの心の方がよほどわからない。結局自分の言い分をぶつけられただけ。駄々をこねているようにしか聞こえないのだ。正気なのかどうかさえ、やっぱりわからない。ここの土地の資源は多くの人を助けることにつながっているから、他人からすれば、おじいちゃんはそれを邪魔しているようにしか見えないだろう。相手にされないばかりか、むしろ嫌われに行っているようなものだった。私は持っているカップに目を落とした。
「人には理解されないだろうね。」
「それでいい。それと、」
「?」
「すまない。譲る気はないんだ。」
急に大真面目な顔でおじいちゃんは断言した。
きょとんと、カップを片手に固まってしまった。謝ってもなお、頑として引く気はないらしい。ぷっと、ふきだして笑ってしまう。
「なにそれ。唐突すぎるでしょ。」
「そういわれてもなぁ。」
おじいちゃんは頭の後ろを掻いた。本当に困ったときの顔をしている。
困られてもこっちこそ困っているんだけどなぁ...。なんだか真面目に悩んでたのが馬鹿みたいにも思えてきた。大体なんで私が奮闘しなければならないのだろうか。おじいちゃんがどれだけ頑固かは私が一番知ってたはずなのに。やめにしよう。おじいちゃんのことはできれば好きでいたいのだ。私は紅茶をすすった。
―18歳―
おじいちゃんが亡くなったという知らせを学校で受け取った。つい数日前までは元気だったから驚いた。
急いで帰宅すると、弁護士が来ていた。そして、その人は私に端末を差し出す。
「あなたに遺言状が残っています。」
「私に?」
指紋認証を済ませて中身を確認し、そして驚いた。
あの月の裏側の所有物を私に全て譲る、と書き記されていた。両親がうろたえていた。
というのも、法律を参照すると、他人には笑えない事態になるからである。
まず一つ目。初期の開拓時代、土地の不法略奪が多発したことから、地球以外の土地でも遺言状に拘束されるという条文が取り決められている。
二つ目。これを覆すには、当人の精神状態の鑑定みたいなもの(?)が必要だが、被相続人、つまりおじいちゃんは病院通いなどをしていないため、相続人、つまり私しか精神状態について把握していないということになる。
以上から、私だけが、思うままに土地を処理できるという事態が発生する。これを知った時、母は泡を吹いて倒れた。人は泡を吹いて気絶ができるという役に立つのかわからない知識が増えることとなった。おじいちゃんの死去の知らせを聞いて、すでに数多の企業が家に訪問してきていたが、皆真っ青になっていた。どうやら両親がいらぬ口約束をしていたようだった。
私はというと、この遺言状に違和感しかなかった。この遺言状は偽装ではない。おじいちゃんの筆跡であることに疑いはないし、その有効性も弁護士が認めている。けれど、これを書いているおじいちゃんをどうしても想像できなかった。頭に浮かんでくるのは望遠鏡を一心に覗いたり、機器を熱心に動かす姿だけだ。それが私にとってのおじいちゃんだ。だから、この遺言状を?おじいちゃんが?書いた?冗談としか思えない。
遺言状を受け取って気づいたことといえば、おじいちゃんがあれだけ病院に行きたがらなかった理由ぐらいだった。この遺言状の有効性がなくなることが万に一つもないように、できるだけ人に合わないようにしてたとしか思えない。それも推測でしかないけれども。
おじいちゃんはどうしてほしかったのか、それは全く分からなかった。
数日後、私はおじいちゃんの天文台を訪れた。もちろん一人で。ここ数日はとにかくいろいろな人からおいしい話を聞かされ続けた。だから、本当に一人になりたくなって、「天文台の様子を見に行く」と言ってここまで逃げてきたのだった。それすら、一緒に来ようとする人間がいるのだから、ほんとに人類は現金なものになってしまった、と老人みたいな感想を抱いた。
天文台の入り口でカードキーを通す。扉が開いた。真っ暗であることに驚いて、おじいちゃんの不在に思い当たる。扉近くのボタンを押して、電気をつけた。
入り口で立ち止まる。観測室の中は、おじいちゃんがいないだけでこんなにも寂しくなるのか、と思うほど静かだった。私がはじめて来た時からほとんど変わらない。たぶん最初から変わってないんだろう。やはりここはおじいちゃんの天文台なのだ。おじいちゃんがいなくなった今、ここは空っぽだった。
すでに居心地が悪くなっていたけれど、まさかすぐに帰るわけにもいかず、とりあえず奥のソファに座ることにした。
座るとソファはぎぃっと鈍い音を立てる。
そこから、おじいちゃんがいつも座っていた場所を見る。今は誰もいないし、機器も動かない。観測室は、なんだかゼロというよりはマイナスになったように感じられた。
そのまま見つめ続けたけれど、やはりあの遺言状を書いているイメージは浮かんでこなかった。あそこでは書いてなさそうだ。
考える前に、まずは何か飲もうと思ってリビングに向かった。たしか紅茶がまだ余っていたはず。沸かすのは少なくて良かったけど、それだと薄情な気がしたので多めにしておいた。
紅茶をつくり終わって再び天文台へ向かおうとした時に、キッチンの扉が一つ、わずかに開いていることに気付いた。
開けてみるとそこにあったのは「ムーンキャンディ」だった。1袋20個入りが全部で3袋ある。随分と懐かしいものが出てきた。これを賭けてたっけ。ついでなので一袋持っていくことにした。疲れていたし、甘いものが欲しかったのでちょうどいい。
また観測室のソファに座って、紅茶とキャンディを味わう。ここにある紅茶の苦さと、ムーンキャンディの甘さは私の好みだった。懐かしさに浸りながら、キャンディを三個食べたところで、ふと、ムーンキャンディはいつから買うようになったのだろうかと思った。おじいちゃんはあまり甘いもの好きではないけど、これは大好きだった。だから随分前からだろうとは思っていた。いや、そもそもムーンキャンディ自体いつからあるのだろう。今まで気にしたことはなかった。持ってきた端末ですぐに検索をかけることにした。
「え?」
声が出てしまった。ムーンキャンディは私が生まれた年に発売されていた。慌ててページを読み進める。私と同い年のムーンキャンディは、毎年着実に売り上げを伸ばし、8年目には定番商品になっている。
どくどくという心臓の音が聞こえ始めていた。いや、別にこの事実自体はおかしなことじゃない。全く。全然。おじいちゃんは発売当初から、あるいは少したってから、あるいは少なくとも私が来るようになるまでには、このキャンディを好きになっていた。これなら、辻褄は全くもって狂いがない。
なのに、私は何か見落としてはないだろうかという疑問が頭から離れない。根拠のない直感。でも無視できなかった。
ソファが目に入った。そうだ。今、私が座っている、このソファはいつからここにあるのだろう?おじいちゃんはいつも、望遠鏡の前にしか座らないのに。私の記憶では来た時からここにあったことになっている。でも今は自信がなくなってきてしまっていた。ソファの前にあるこのテーブルも、果たして最初からあったのだろうか?
すでに震える手で検索をする。私が初めてここに来たのは8歳の誕生日の日。それは間違いない。そして、ソファはその日から半年後に発売されていて、テーブルはなんと私が10歳の時に発売したものだった。
端末を持っていられなくなって、テーブルに置く。そして体をソファに預け、目をつむる。そうだ、そうだ。初めて来たとき、私はあちこち歩き回って、おじいちゃんに叱られたのだ。『おとなしくしてなさい』『だって見たいもん』そう言ってた気がする。だからソファはここにあるのだ。ようやく私はかろうじて記憶の断片を思い出した。じゃあ、テーブルは?もう思い出している。せがんだのだ、私は。『テーブルもあったらここで宿題もできる』とかなんとか言って。自分勝手に。そのくせ、結局宿題は全部終わらせてからここに来てたから、このテーブルはただ、私が飲み物を置くためだけのものになり下がってしまった。ああ、なんで忘れていたのか。都合の悪いことだからだろうか?私は両手で顔を覆った。
指の間から観測室をもう一度見る。本棚が目に入った。3つの本棚にはおじいちゃんの使っていた資料と私が持ってきた本が隙間なく入っている。そういえば、空いているところなら使っていい、と言っていた。
もう、居ても立ってもいられなかった。私は立ち上がり、リビングを抜け、リビング横の物置に向かう。戸を開ける。確かあれがあったはずだ。私は確かめなければならない。
予想通り、資料の詰まった段ボールが数箱、整頓されて置いてあった。使わない資料があると聞いていたのをつい今しがた思い出したのだった。
それを観測室に全部運び入れ、本棚の前に持ってきた。そして私の本をすべて抜いていく。気持ちがはやるあまり、乱暴に床に投げ出す。それでも、とにかく早く確かめたかった。
その後、段ボールの資料を一つ一つ丁寧に収めていく。多分私の見立ては正しいはずだ。
そして、その通り、段ボール箱の中の資料全てを本棚に入れると、きれいに隙間がなくなった。
「なにが、空いているところ『なら』、よ。」
誰も聞いていないのに、私は悪態をついた。段ボール箱には埃が積もっていなかった。つまり頻繁に出し入れしていたのだ。本棚の状態についての私の記憶は全くない。おそらく、段ボール箱の資料は必要なものだったけど、おじいちゃんはこうしたのだろう。
はー、っと深くため息をつく。疲れてしまった。私は何をしているのだろうか。もうおじいちゃんはいないのだ。これは無意味な行為だ。急に無理やり現実に戻って、私は片づけをすることにした。とりあえず私の本は持って帰ろう。入れ物は今空にした段ボールをつかえばいい。そう思って、一番近くのものを手に取ったとき、段ボール箱のロゴが目に入った。コーヒーのマークだ。
唖然とする。ここにはおじいちゃんは紅茶好きで、それしか飲まないはずだ。現に、リビングには紅茶しかない。いつも二人で飲んでいたのは紅茶だったのだ。なんでコーヒーの段ボール箱が?
動揺しつつも、私は段ボール箱の隅に一粒だけコーヒー豆が挟まっていることに気付いた。どうにかして取り出し、香りをかぐ。ほんの少しだけ香りが残っていた。
瞬間、私は思い出す。はっきりと。間違えようもなく。その苦みを。
そうだ、そうだ、そうだ。おじいちゃんは、最初はコーヒーを飲んでいたのだ。私は、同じものを飲みたいと言ったのだ。
『コーヒーは飲めなくてもいいさ。』
『だって、だってぇ、おじいちゃんといっしょのがのみたかったぁぁぁぁぁぁ。』
思い出せる。その時の困り顔のおじいちゃんも。そうだ。そのあと、ムーンキャンディをくれた。あれはとびきり甘かったはず。そして、たぶんそれから、おじいちゃんはコーヒーを飲むのをやめたのだ。一緒に紅茶を飲んでくれたのだ。
もう耐えられらかった。気づけば私は嗚咽していた。目からは大粒の涙が床にぼたぼたと落ちていく。
おじいちゃんの心は、意志は、愛は。
ないように見えても、きっとある。
虚無であるか 東風 @Cochi
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