第3話 レノンの叫び
病院の待合室で、皆が、自分の体に課せられるこれからの検査のことより、テレビで報じられる痛ましい事件に、顔を歪めていました。
誰も、何も言わずに、刻一刻と入ってくる情報をアナウンサーが語るたびに、それを俯いたまま聞いていたのです。
もちろん、その中の一人に、私もいました。
幼稚園の児童の列に、車が突っ込んでくるという痛ましい事故が起こっていたのです。
子供たちは、きっと、怖い目にあったに違いない。
この子たちは、一生、あの怖さを背負って生きていくのだと思うし、それに何より、亡くなられた方のことを思うと、無念であったと、悔しくて仕方がなかったに違いないと怒りを伴って、思いが至るのです。
待合室の片隅で、自分の名前を呼ばれていることさえも気づかず、私は、子供たちの叫びに耳を塞いでいたのです。
叫び、と言うのは、めったに聞くことのできないものです。
あのような場面では、何が起こっているのか、どうなるのか、きっと、子供たちの目には、それがスローモーションのように展開され、叫ぶ暇などもなかったに違いないと思っているのです。
亡くなった母が、機銃掃射を受けた際の怖さを語ってくれたことが一度ありました。
亀有で、それを受けたと言います。
グラマンから放たれた機銃弾を受けた人は、膝を折って、静かにそこに座り込んで、そのまま前のめりに倒れこんだと言います。
その姿を目にした母は、一つの叫びも発しなかったと言います。
自分には当たらなかった、と言う安堵感。
爆音が背後から、一瞬にして、前方へと通り抜けていく音の移動を感じ、叫ぶ暇もなかったと言うのです。
得体の知れない怖さに出くわした人間は、きっと、叫ぶ暇もないのだと、私は、その時から思っているのです。
叫びを叫びとして、受け止めたことが一度だけあります。
マザーという曲を最初に聞いた時です。
あのレノンの叫びが、私のど肝を抜かしてくれました。
そして、歌詞の内容を知って、もう一度、私は、ど肝を抜かすのです。
だって、お母さん、僕はあなたのものだったけど、あなたは僕のものではなかったと叫ぶのですから。お父さん、あなたは僕をすてたけれど、僕はあなたをすてられなかったと続けるのですから。
お母さんいかないで、お父さん帰ってきてと、彼は十回ほども叫びを続けるのです。
1970年のことでした。
若い、まだ、世間のことも何も知らない頃、その叫びを聞いて、私は、愕然としたのです。
レノンは、また、次のような叫びも聞かせてくれました。
God is a Concept って、冒頭、レノンは言葉を区切ったのです。
そして、一拍おいて、by which we measure と、音を低くして、言葉を続けたのです。
測る所の概念としての神とはなんぞやと、その叫びの中に、真実を求めようと、私の頭は回転を早めます。
そして、our pain と言う言葉が、さりげなく出てくるのです。
神とは、痛みを測る概念。
神がいるとするなら、それは、救いのためにあるのではなく、神にかこつけて、課せられた苦痛の度合いを計測し、それを神の力で、鎮める、そんな風に私は読み取ったことを覚えているのです。
待合室の中で、私の名を呼ばれていることに、私が気づいたのは、そんな時でした。
お身体大丈夫ですかって、歳のいった看護師さんが、心配そうに声をかけてくれました。
検査室に案内され、私は椅子に座らされます。そして、腕に注射を打たれます。しかし、薬量
が注入されるわけではないのです。
これからの検査の中頃に、そこから、造影剤なるものが注入されて、それが私の脳に達し、検査をより有効にさせるのです。
腕から冷たい液体が血液にのって、私の胸、首、脳へと伝わっていくのです。
もっとも、冷たいと感じるのは、ほんの一瞬です。
私の血液は、外部から侵入してきた造影剤なる異物をすぐさま取り囲み、一緒くたにして、それを何事もないかのように運んでいくのです。
そして、ガンガンと、うわぁーんと唸るドームの中で、器具で押さえつけられた私の脳は、あの叫びを聞くのです。
幼な子の車が突っ込んでくる時の、叫びにもならない叫びを。
レノンの親に捨てられたその悲しみを叫ぶ、その叫びを。
そして、私は、丸いドームの中で、その発する機械音の中で、私の脳を切り刻む叫びに晒されたのです。
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