第2話 わが脳は暴走する


 誇大妄想の症状が出ていますね。


 精神科の医師に、そう言われてしまいそうです。

 先だって、我が iPhone XS Max を水やホコリから守るための防水ケースを買ったのです。


 これから、夏が始まる、夏と言えば、海だ。

 それに、ポケットに入れたiPhoneから流れる音楽を聴きながら、庭仕事をすれば、汗でiPhoneはびしょびしょだ。

 加えて、ロードバイクにも、船にも乗る。


 だから、防水防塵ケースは必要なんだと、私の脳は、ぐっと舵を切っていくのです。


 で、アマゾンでそれを見つけて、買ってしまうんです。

 それまでだって、例えば、庭仕事をしている時も、十分に気をつけて、落とさない、濡らさないと、そのようにしてきましたから、さほどの事故なども起きませんでした。

 ロードバイクに乗るときも、船に乗る時も、事故などひとつもなかったのです。


 まして、南米はアマゾンのジャングルの奥地にいくわけでもなく、ゴミ砂漠を歩く予定などあるはずもないのです。

 なのに、私の脳は、そんなところにいる自分を想定して、だったら、このお気に入りのiPhoneを守るために、何かしてやらなくてはと動いてしまうのです。


 そう、考え、のめり込んだ私の脳は、他の一切のものをかえり見ずに、アマゾンのサイトのそれなりの商品を漁り始めるのですから、困ってしまいます。


 で、その防水ケースなるものが送られてきました。


 試しに、テイッシュをケースの中に入れて、しばらく水につけてみます。

 さらに、手のひらで押して、それを沈めてみます。

 おお、宣伝の通りだ、水の一滴も入っていない。

 

 早速、iPhoneを、そのケースにはめ込んでみますと、何かしっくりとこないのです。


 おい、君っ、そんなものをつけて、どうするつもりなのかいと、それまでは、ケースに夢中になっていた私の脳が、急に冷めてしまい、「物言い」を出すのですから、嫌になってしまいます。


 日本人の特性は、一挙に盛り上がり、即座に盛り下がることだと、誰かが何かに書いていました。


 きっと、私は、典型的な日本人の一人に違いあるまいって、そんなことを思って情けなくなるのです。

 誇りに思って良いのか、憐れんで良いのか、それさえもどっちだかわからずと、困惑してしまうのです。


 先だって、アメリカ大統領トランプが日本に国賓としてやってきました。


 客人を心から歓待し、世話を焼くのは、我が国のしきたりのようなものです。

 我が宅でさえ、客人が来るとなれば、室内はもちろん、門から玄関扉まで濡れ雑巾で拭き清め、エントランスは塵一つなくなるまで掃き清めます。


 皆が普通に持つように、よく思われたいということもありますが、それより何より、客人を迎えるにあたり、綺麗にしておくというのは、礼儀だと教わってきた、そんな気がしているのです。


 私の祖母の日課は、神棚の水を替えて、新しい炊き立てのご飯をお供えして、その前で長い時間こうべを垂れて、何やら、小声で呟いて、そして、それが終わると、玄関の板の間を雑巾をきつく絞って拭き掃除をします。ですから、玄関の板の間はピカピカに光っています。

 次に、玄関の引き戸を、ガラスはもちろん、障子の桟までも、拭きあげます。それが終わると今度は引き戸になっている門を雑巾で拭き清めるのです。

 それが毎日の日課でした。

 それを見てきたので、きっと、私も玄関から門まで、そこをきれいにすることは大切なことであるとそういう観念がこびりついているのだと思っているのです。

 

 仮に、私が、お呼ばれして、そのお宅に出かけて行って、汚いと行っては失礼ですが、そこそこ散らかった部屋に案内されれば、きっと、興醒めるはずです。

 出てくる料理さえも、スーパーで買ってきたまま、あのプラスチックのケースで出されたら、それこそ、早く帰ろうと思ってしまいます。


 ですから、我が宅に客人を迎えるにあたっては、それなりの意を尽くすというわけです。

 

 トランプが国賓とくるなら、それなりの世話を政府が果たすことに、行き過ぎはないと、首相がつきっきりで世話して、気持ちよく滞在してもらえるくらいに誠意を尽くすのは、大いに素晴らしいことだと思っているのです。


 仮に、それが習近平であれ、プーチンであれ、同じです。


 そんなことを思いますと、きっと、私の脳の中に、最大の準備をして、何かに失態を期さないようにとの「感性」なるものが働いているのだと思うのです。


 ですから、iPhoneは大事なもの、それを守るために、何かをしてやらなくてはならない。

 お前さんは、ロードバイクに乗る。

 でこぼこ道がつくばのアグリロードにはあちらこちらあるだろう、そこで跳びはねてiPhoneが落ちたら大変だ。


 だったら、頑丈なケースで守っておく必要がある。


 お前さんは、少なくとも、一週間に一度は船に乗っている。 

 時には船端に覆いかぶさって、喫水あたりの汚れを取る時だってある。水しぶきを浴びることなどしょっちゅうだ。


 だったら、防水はいかにも必要だ。


 でも、何度も言ってきたように、今まで、それで困ったことは一度たりともないのです。

 十分に注意し、事故はたったの一度も起きてはいないのです。


 あったとすれば、それは仕事から戻ってきて、門の前で、落ち葉を拾うために、前かがみになり胸ポケットに入れていたそれが落ちてしまい、画面にヒビが入ったあの一件だけなのです。


 なのに、私の脳は、いつも最悪の場合を想定するのです。


 でも、これって、私の脳が健全である証ではないかとも思ったのです。

 最悪の場合を想定して、準備をする。

 保険だってそれが根底にあります。

 つまり、百にひとつ起こるかもしれないことに、金をかけるのです。それがあれば、安心であり、それが起これば、保険でカバーできるというわけです。


 だから、私が私の脳の暴走と思ったことは、実は、万が一のありえないことに備えて、安心を得んがための行為であると、それを、私の脳が着実に活動をしていてくれていると思ったのです。

 だとするなら、このしっくりといかないケースも、何か甚大なる被害から、守るために脳がそう判断してくれたと思うようにしたのです。


 そんなことに考えがたどり着きますと、このケースも、面倒がらずに使おうと、そんな風に思えるようになってきたのです。


 どうも、私の脳は、あの三年前の手術以来、適度な暴走を繰り返しているようで、しかし、その暴走にも訳がありそうだと、そう思って、付き合っていこうと思っているのです。

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