心臓の毛

中川 弘

第1話 元気な病院


 大学病院の脳外科の先生。

 この先生、一年にたったの一度だけ、会うお医者さまなんです。


 朝一番、いそいそと、よそ行きの格好をして、私は、その病院に出かけて行きました。

 この日は、あいにくと、梅雨入りの日でした。

 朝から雨が、しとしと、降っていました。


 数日前、造影剤を注射で身体に入れられてのMRI検査と各種血液を受けて、その結果の説明を医師から受けるために、わたしは大学病院に向かったのです。


 朝一番の病院は、思いの外、空いていて、それだけ広々としていて、気持ちのいいものです。

 

 元気のある入院患者が数名、ロビーにまで降りてきて、所在なくしています。狭苦しい病室からでて、広々としたロビーでくつろいでいるのです。

 なにもすることのない長い一日が、今日も始まるのです。

 だから、まだ、外来患者の来ない、空いているロビーで思い切り足腰を伸ばしているのです。


 元気のいい若い看護師さんたちも出勤してきました。

 みな、はつらつとした笑顔です。

 これから仕事だ、嫌だなぁ、なんて顔、誰一人してしていません。

 病気で苦しむ人を、自分の力で救ってやるんだ、そして、その自信がわたしにはあるって、そんなはつらつとした表情なのです。


 その証拠に、みな、担当する部署に入る際、よろしくお願いしますって、その明るい声が、あちらこちらからこだましてくるのです。


 そのこだまする声をあちらこちらで聴きながら、その明るい声が、なぜか病院という場にそぐわないなんて感じながらも、病院業務の始まりを快活に告げるサインのようにも私には聞こえたのでした。


 脳外科の広い待合室で、予約時間の二十分前に入った私は、たった一人、長ソファーに座って、iPhoneとにらめっこをします。


 そういえば、私の左目、幾分、見えにくくなってきたって、そんなことを思うのです。


 きっと、あのときの手術でとりきれなかった腫瘍が脳に再度はびこり、私の視神経を逆撫でしているに違いない、いよいよもって、放射線治療に入ると、今日は宣告を受けるのではないかと、そんなことを思いながら、私は、iPhoneを通して、今朝のニュースを見ていたのです。


 年寄りの交通事故が多いとか、また、親が子供を虐待したとか、産んだ子を置き去りにしたとか、そんなニュースばかりです。


 もっと、世界が明るくなり、希望に満ち、生きるのが楽しくなる、そんなニュースはないものかと、私の脳は勝手を言いながら、やはり、左目おかしいって、そう感じるのです。


 そんな時でした。


 元気のいい、初々しいお嬢さんのような声をした看護師さんが、1551番の方と声をかけるてきたのです。

 気がつかないうちに、その頃には、私以外に数名、ソファーに腰を下ろしていました。

 私は、手元にある自分のカードを見ます。


 私の番号は、1551番です。

 すかさず、手を挙げます。


 元気のいいお嬢さんが、つかつかと私の方へとやってきます。

 先生、まもなくおいでになりますから、少々、お待ちくださいネ。


 「うむ!」、何のための「言葉がけ」なのだろうかと、きっと今日は重大なる宣告が下されるそんな患者に元気を与えようと、あのような笑顔を、元気ある声で私にかけたに違いないと、そう訝る表情を見せる私に、お茶でも飲みに行かれてはと思ってと、お嬢さんの声をした看護師さんは言葉を続けたのでした。


 先生はまもなく来られますから、あなたはそこにいてくださいと言う「念押し」だったのかと、私、ともかくも納得をしたのです。


 きっと、脳の専門医である私の主治医は、いつも忙しくしているのだろうと、だから、予約時間にきっちりと予約した患者を診察室に導かなくてはと、この看護師はそんなことを思ったに違いあるまいと私は考えたのです。


 いつも、医師は誰でも同じような振る舞いをします。

 患者が、診察室に入っていくと、それまでパソコンを見ていたその顔を、後ろに回らして、そして、患者の顔をうかがうのです。


 検査数値、検査画像、そして、カルテを見て、次第に、医師の頭の中に、その患者の顔や表情、それまでにやり取りした言葉などを思い起こし、それが正しいことであるのかを確認するためにそうするのです。


 口うるさい街医者である私の主治医も、大学病院の脳外科のこの先生も、この大学病院の隣にある大きな病院の私の腎臓を担当する副院長先生も、まるきり同じなのです。


 滅多に会うこともない患者、それも何千人もの患者の一人である、この私の、顔を確認して、それがいかなる患者か、どのような対応をした者か、一瞬にして判断しているに違いありません。


 この日も、脳外科のその先生は、私を振り返り、確かに、うんと納得する仕草をして、わた日を隣の席に座らせたのです。

 そして、私の状況を問いました。


 私は左目の視力が弱まったことを告げました。


 先生の目は、パソコンに映し出された私の脳のMRIの画像を、一コマ漫画のように操り、それを見ていました。

 私の脳の輪切りにされたその画像が、私の目の前で、パラパラと実に薄っぺらなものとして動いていくのです。


 それは、疲れでしょう。

 MRIのデータでは、残っている腫瘍が、視神経を圧迫している気配はまったくありません。

 

 何だ、疲れか。


 そういえば、このところ、Macに向かって仕事を頑張っていたから、その所為だったのだと、私は、思いの外、いとも簡単に得心してしまうのです。


 次回、また、一年後に、検査をしましょう。


 先生、この検査、どのくらいやるおつもりですかって、私、問いました。

 私より、ずっと若い、目つきの鋭い、この先生、私の方を見て、十年はしなくてはなりません。

 そう、冷たく言い放つのです。


 もう五年が過ぎますから、次回は、造影剤はなしとしましょう。

 もういいでしょうと、先生は自分を納得させるように言うのです。


 私は、この日の治療代230円を払うために、会計で四十分も待たされました。

 この頃には、随分と患者も増えて、病院内は「活気」に満ち溢れていました。


 あと、五年か、毎年一回、この病院に来て、あの洞穴のようなMRIの中に頭を突っ込んで、脳を切り刻まれて、検査をしなくてはならないんだって、そう思いながら、私は、支払いを済ませたのです。 


 あの先生、それが嫌なら、私の顔面の、その中央部分、鼻の穴のその奥にあるぶら下がっている下垂体に、新しく開発された先端の医療器具をつけたいなんて言わないだろうな、そんなことを思ったのです。


 なにせ、ここは大学病院です。

 患者でさえ、研究材料である場所です。そのことを了解する書類に私はサインをして、私の脳のデータを提供しているのです。


 ということは、あの先生、私の脳を使って、もう五年分のデータを集めているのです。

 素晴らしい論文のひとつも書き上げたのかしらって。


 そうであれば、私のこの脳も、人さまの役に立てている証しだと、生きてきて、人さまの役に立てているなんて、最高だと、そう思いながら、私、元気な老人ボランティアさんがあちこちにいる、この元気な病院を後にしたのです。

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