捩じり谷入口
安良巻祐介
鉤鷲鼻のふいんどるは、一人きりであの「捩じり谷」の入り口に、小屋をかけて棲んでいた。
彼は一時期は「中央」で貴族の御用学者をも務めた、優れた術者であったが、隠匿して身も心も年老いたせいか、人生の晩鐘の鳴る頃には、自分の出自や来歴を半分忘れかけており、唯一明瞭に覚えているのは、生業としていた魔術についての知識だけであった。
やがて彼は、日がな一日を、身の回りの物品や自然物に魔術を試しては様々の形状へ変形させることに費やすようになり、里の人々からは、「捩じり屋」の名で以て恐れられた。
彼の狂乱を如実に語るのは、彼の小屋のあった谷の入り口の辺りに今もなお徘徊する数多の変異存在――ダマスクやアパリションなどと呼ばれる、元は草木や家具や食器であった何か――の奇怪で雑多な容貌であり、そもそもその谷が今日捩じり谷と呼ばれるようになったのも、ふいんどるの行状が由来なのである。
そして、今や捩じり谷の怪談として、半ば伝説或いは怪談のように語られているのが、ふいんどる自身の末路についてであり、それによると彼は、一番最後に彼自身へ魔術をかけておぞましい何かしらへと変異させたという事で、魔術以外の全ての記憶を失った、冒涜的な外見の何者かが、今なお捩じり谷の中をさ迷うているというのだ。
真偽のほどは定かではないが、時折思い出したようにそれらしき目撃談が囁かれ、そしてまた、捩じり谷へと入り込んでいって消息を絶った里人や旅人も、確かに存在するのである。…
――そんな恐ろしい場所へと、あなた方は行こうというのか。
元よりいずこよりか瘴気漂い、冥谷の気配も色濃い一帯であったが、今や変異の怪物どもが跋扈するだけでなく、まるで空間そのものが狂人の魔術に罹ったように、行けども行けども先の見えぬ一種の〈
ひとたび足を踏み入れれば、元へ帰ることも困難なその忌まわしい地へと、敢えて踏み込もうというのなら、それだけの理由と覚悟があるのだろう。止めはしない。
ただ、鍵鷲鼻のふいんどるの戯れと妄執と、彼の最後に見た夢とに呑まれぬよう、伝説の中の彼の皺びた手にかからぬよう、静けき眠り神の名において、幸運を祈るばかりだ。
それでは、行くがいい。
さらば、探索者よ。勇気ある愚者よ。
捩じり谷入口 安良巻祐介 @aramaki88
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