雪を見たくて

浅雪 ささめ

第1話 雪を見たくて

「ゆき?」


 ノマが椅子に腰を掛けて暖炉の火にあたりながら、趣味である読書をしていると、「ゆき」というものを聞いてきたらしい妹のエリが、玄関をバンと勢いよく開けて入ってきた。

 エリは「ただいま!」と言うと、慌てたように振り返って、鍵を閉めた。小さい頃からお母さんに言われているから、体に染みついているのだろう。

 そしてエリは振り返り、兄であるノマにこう言った。


「うん! つめたくて、とってもきれいなんだって!」


 もちろん、ノマもエリも雪など見たこともない。ただ、そういうものが降る国もあるみたいだと、その程度の知識を学校で教えられているだけ。どうして降るのかも知らない。ここはそういう地域なのである。


「わたし、ゆきをみてみたい!」


 エリは何にでも興味が出る年頃らしく、とてもはしゃいでいた。ノマは半ばエリに振り回されるように過ごしてきたが、今回のは一段と大変だろう。


「ふねのおじさんがいってたの。しろくてふわふわしてるんだって!」


「でも、見ようにもこの国じゃ降らないって先生も言っていたよ」


 そう、この国ではどんなに寒くなっても雪は降らない。雨すら降るのが珍しいこの地域では、雨を神聖視し、雪を怖い物の怪のようだと、恐怖の象徴としているところもあった。ただ、ノマもエリもそんなことは知らずに生きてきた為、雪に対しての恐怖心はない。


「でも、みたいの!」


 ノマは、わがままな妹の願いを叶えてあげたくても、その方法が分からない。ただ、笑い顔を作って落ち着かせようとするのが精一杯だった。

 そんな時、玄関のベルが鳴った。


 ──親が帰ってきた。


 二人はそう思い、お父さんとお母さんならもしかしたら、と期待もしたが、入ってきたのは長身の見知らぬ男。赤い帽子に黄色い靴と、黒のタキシードに身を包み、さながら異国から迷い込んだような、そんな装いの男は二人に声を掛けた。


「雪なら、私が見せてあげよう」


 エリは「ほんと!?」と目を輝かせていたが、ノマは長身の男を一瞥して、恐怖を隠すようにそのまま本を読む仕草をするが、目はチラ、チラ、と男の方を見ていた。兄として、妹のエリの前では滅多にうろたえないようにしている。


「ええ、本当です。私ならいろんな場所にすぐに行けますから。ただ、誰かと一緒じゃないといけませんが」


 長身の男はそう言って口角を上げ、少し笑った。

 その笑顔にノマは本に目を落としながら、いぶかしがって聞く。


「じゃあ、僕らにも雪が見れるってこと?」


 ノマの質問に、長身の男は大仰に頷いて答える。


「そうです、そうです。もちろん見られます。ただ……その、条件がありましてね」


 もったいぶったように長身の男は言葉を濁す。


「条件?」


 ノマは本をパタリと閉じて耳を傾けた。その『条件』が大事なところだと思ったからだ。


「ええ、ええ。まあそこまで難しいことではありません。私と手を繋いで頂かないといけない、というだけです」


「手を? それくらい別に構わないが」


 そう言ってノマは、長身の男に手を差し出す。少しばかりはまだ恐怖が残っているようで、その手は震えていた。


「ええ、手を繋ぐだけならそうでしょう」


「他にもなにか条件があると?」


 そう言いながらノマは、さっき差し出した手をすぐに引っ込めた。男のことをまだ少し疑っているのかもしれない。エリは雪が見られるかもしれないという嬉しさで家の中を躍るように、鼻歌を歌いながら走り回っていた。


「そうです、行きたい場所を思い描いてほしいのです。例えば匂いだったり、あるいは風景だったりと、できるだけ細かい方が有り難いのですが」


「そうしないと行けないということか」


 どこか納得したようにノマが頷く。その間、エリは何を言っているか分からない、と言ったように小首をかしげていた。


「ええ、ええ。そういうことです」


 そう、この男が瞬間移動をするには、誰かと手を繋ぎつつ、行きたい場所を相手ができる限り鮮明に思い描かないといけないのだ。

 しかしノマもエリも雪がどんなものかも、どこに降るのかもさえ知らない。なぜなら子どもは他の国へ行ってはいけないと教えられているからだ。余所よそへ行くのは大人だけだと。


「じゃあ、えりたちはゆきみれないの?」


 少しまぶたに涙を溜めて、残念そうに俯いてエリは呟いた。


「まあまあ、落ち着いて聞いてください」


 特徴的な赤い帽子を取って、男はそう言った。赤い帽子の中には一回り小さい、黒い帽子を被っていた。

 この時の男の声はまるで、赤ん坊でもあやすかのような優しい声色だったが、ノマにはどこか暗いものを含んでいたようにも聞こえた。


「お嬢さんの言う船のおじさんなら、恐らくは知っているでしょう。ただし人数の関係でその人は連れて行けませんがねえ。当然のことながら私には手が二本しか生えていませんから」


「じゃあ、僕は良いよ。エリとそのおじさんを連れて、雪を見てきなよ」


 妹だけでも見せてやりたいという思いで、ノマは提案するが、


「やだ! エリはノマもいっしょがいいの! いっしょにゆき、みたいの!」


 と、エリは駄々をこねる。ノマから離れるのが嫌らしい。妹というのはそういうものなのだ。

 長身の男がエリをちらっと見て、ノマに視線を移す。


「と、言ってますがどうしますか?」


 ノマは一つため息をついて

「しょうがないな。ちょっと待ってろ」


 と、言い残し上着を羽織って外へ出て行った。恐らく船着き場にいるおじさんの所まで情報を聴きに行ったのだろう。なんだかんだ言って妹には甘いノマである。



「それでは、私達は少し待ちましょうか」


「うん! あたたかいもの、のむ?」


「ええ、是非。頂きましょう」


 そんな、親子のような会話をしながら、温かいココアを飲んでノマを待った。飲み終わった後は、エリが持っていたお人形で、おままごとごっこをしていた。



 一時間くらいしてノマが戻ってくると、


「大体分かったよ。あんまり他の人には見せちゃダメみたいらしいけど、おじさんが特別に地図と写真が載った本を見せてくれたんだ」


 この国以外が書いてある地図は見たことがないよ。とノマは付け足した。


「ほんと! じゃあエリたち、ゆきみれるの?」


「うん!」


 やったー! と跳ね上がる妹を見てノマは優しく微笑んだ。


「じゃあ、お願いします。早くしないと思い出せなくなっちゃうから」


「では、行きましょうか。しっかり捕まっていてくださいね。途中で手を離したら、暗いところで独りぼっちになって、出られなくなってしまいますので」


 長身の男は二人を怖がらせるようにそう言い、クックッと笑った。

 エリは少しビクッとしたが、それでも「うん!」と男の手を握った。反対の手にはノマの手がある。三人で輪になるように手を取り合った。


「それでは、思い浮かべてください。できれば鮮明に、と言いたいところですがそれは無理でしょう。大体が分かれば大丈夫ですので」


 さっきと言ってることが違うじゃないかとノマは思ったが、口には出さなかった。

 ノマは目をつむり、できる限り本で見たとおりの景色を思い浮かべる。


「なるほど、ここですか。分かりました。では行きましょうか。3、2、1……」


 言い終える頃には、家の中に三人の姿はなく、窓からの隙間風によってカーテンは揺れ、暖炉の火は消えていた。




「もう、目を開けて良いですよ」


 そう言われ、恐る恐るゆっくりと目を開けると、世界を雪と太陽が支配しているかのように、二人の視界を一面の銀世界が覆った。空には雲一つ見当たらず、雪は太陽の光を反射していて、二人にはそれが神秘的な物に思えた。


 なぜ船のおじさんが、ノマに快く情報を与えたのか。それはおそらくおじさんにも分かっていたのだろう。雪は恐ろしい物ではないと。若しくは、ノマの必死さに負けたかのどちらかであろうか。

 どちらかというと、答えは後者である。家に戻る際に、「気をつけるんだよ」とおじさんはノマに言っていた。『何に』気をつけるかまではノマは知らない。


 しかし、こんな綺麗な物が恐ろしいわけがない。二人の心には共通の思いがあった。



「わあ! ゆきだ!」


「喜んで頂けたようで何よりです。それにしても驚きました。まさか……いや、何でもありません。今のは気にしないでください」


 そう訂正したところで、ノマもエリもすっかり雪に見とれてしまい、男の声は耳に届いてなかった。


「ありがとう! おじさん! ゆき、みれた!」


 エリがお礼を言って振り返ったところに男はいなく、そこには、ただただ、雪跡が残っていただけだった。


「……おじさん?」


 二人はまた振り返り、手をつなぎながら、サク、サク、と雪の上を歩く。


 いつの間にか、雪にのまれたように二人の姿は見えなくなっていた。



 その後、二人の姿を見た者はもちろん、二人を連れてきた長身の男を見た者さえいなかったという。

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