真夏日のオーケストラ

@2525omuraisu

短編

真夏日のことだった。


それは蝉の声がオーケストラのように響いて脳内に焼きついて離れない午後三時。


滝川 みぞれは病院のベッドの上にいた。足にはギプスがはめられており、顔や腕にも幾重にも包帯がまかれていた。


不運な事故だった。たまたま音大の帰り道に自転車で帰宅していたところ、居眠り運転をしていた軽自動車に突っ込まれたのだ。


幸い運転手に怪我はなく、死亡者は0人、車も無事だった。みぞれをのぞいて。


みぞれは軽自動車に吹っ飛ばされ、全治四ヶ月の診断を喰らった。先月のアルバイトの給料で買った電動式自転車は見るも無惨な姿に変わり果てていた。まだ買って三日も経っていなかったのに。しかも店にある電動式自転車のなかで一番高いやつだったのに。幸い自転車は弁償してくれるそうなのだがそういう問題ではないのだ。もうこれは心の、感情の問題だ。




あんなにたくさんシフト出したのに。嫌みな先輩の言うことにも耐えたのに。




性に合わない居酒屋のバイトを辞めずに頑張れたのは電動式自転車を買うという目標があったからだ。だから頑張れたし実際に買うことができた。なのに…。買って三日で壊れるなんてあんまりだ。しかも一切こちらに過失がない事故で。


これではなんために頑張ってきたのかわからなくなるし報われない。最早弁償なんてどうでもいい。




あの自転車は、私が、頑張って、買った、自転車なのだ。




勝手に他人に壊され勝手に他人に弁償されるなど腸が煮えくり返りそうだ。


そういうこともあってみぞれは当然といえば当然なのだが、四ヶ月という長い入院生活に怒りと悲しみを抱いていた。




今日も蝉の泣き声は五月蝿いし包帯は蒸れるし院内はそんなに涼しくないし。




不満は募るばかりだ。最初の頃は運転手や両親や友人が見舞いにも来てくれたりしたものだが一週間を過ぎれば次第にみんな足が遠のいていった。




つまらない。退屈。暇。みんなの薄情もの。




みぞれは一人悪態を吐くことが最早日課になっていた。


今日も誰も見舞いに来なかったと一人瞼を閉じてふてくされる。


瞼を閉じると甦る事故の光景。


スローモーションになった世界。老若男女の悲鳴。自分の体から飛び散る鮮血。そのどれもが鮮明に一瞬で甦る。


みぞれは瞼をゆっくりと開けて蝉の泣き声に耳を澄ませた。


ギプスと包帯をまくことから逃れた両腕を挙げ、みぞれは指揮者の真似事をした。


あの事故のとき、確かにあの場所はオーケストラだった。


バラバラの年代の、たくさんの老若男女の悲鳴、クラクションの音、自転車が壊れる音、身体が地面に叩きつけられる音。


そのどれもが『事故』という曲を奏でていた。バラバラの音のはずなのに一体感を持ったその音たちは確かにひとつの曲だった。


そしてその曲の主戦律は確かに自分だった。


最近になってそんな不謹慎なことばかりを考えてしまう。一歩違えば死んでいたかもしれないのに。そんな生死がかかっている状況でも音楽のことを考えてしまうのはきっと自分が音大生だからなのだろう。


みぞれは動かしていた両腕をぴたりととめるとだらしなく両腕をベッドへと放り投げた。




「また聴きたいな」




蝉の声はあいかわらず五月蝿かった。




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